松尾の調査結果、優之助の逃避行

文字数 4,350文字

「くそ、何の手がかりも無い。探すだけやとあかん。どうやって坂谷の尻尾を出させて捕まえるか考えるんや」

吉沢は焦りを抑えて自分自身に言い聞かし、京の街中を歩く。

坂谷を追い詰めるのに好機を得たはずが活かし切れず、窮地に立たされていた。

そんな吉沢の思いなど知るはずもなく、京の町はいつも通り賑やかである。
皆、島薗の事など気にもしていないかのようだ。

黒木が殺害された事や、坂谷の屋敷が襲撃された事を知った時は騒然としていたが、町の様子を見ていると、もはや遥か過去の出来事かのように思えてくる。
皆が実際どう思っているかは知らないが、悲しくなる程町は賑やかだ。

肩を落として歩く吉沢は、そんな賑やかな京の町に一人浮いている。

ヤス。お前の仇を取ってやりたい。
おりんちゃんも見つけ出してやりたい。
俺に力を貸してくれ――そう願うだけ虚しい事はよく知っている。

奉行所の捜査は天に頼んでもどうにもならない。
自分たちの足であちこち歩き、頭を使って考えないと解決に導かれないのだ。
だがそう願わずにはいられない。

「辛気臭い顔しちょるのう」

薩摩訛りの声……はっと顔を上げた。

人が行きかう街中、端の路地に編傘を被った侍がいた。

「お前は、まさか……大山!」

吉沢の驚きに侍が編笠を親指で上げる。
大山伝之助がにっと笑って見ていた。

「おはん、おいを探しちょったとか」

吉沢は目の前の事が信じられず、口を開けたまま立ち尽くして伝之助を見返していた。

「おいは逃げも隠れもせんど。ただ易々と捕まるわけにはいかん。ちいと着いて来てくいやい。なあに、斬ったりせんち。安心せい」

伝之助はそう言うとくるっと背を向けて歩き出す。

「ちょ、待て」

吉沢は我に返り小走りで追い、黙って伝之助の後ろを着いて行った。

左肩を斬られたと聞いていたが、特に怪我を思わせる素振りもなく歩いている。
傷は浅くもう治ったのだろうか。

思考を巡らせているとある屋敷に着いた。

「ここは……お前、薩摩屋敷におったんか。大山は薩摩を追われたと聞いたぞ。それでも一応うちのもんが薩摩屋敷も改めさしてもろたはずやけど」
「うんにゃ、おいはおらん。りんはここにおる」
「おりんちゃんがいてるんか!?」

吉沢は食い気味に言う。

「おう。そげに前のめりならんでも安心せえ。りんは無事じゃ。後で会わせる。そいより前におはんに会わせたいお人がおる。さ、中に入りもんそ」
「な……」

何か言おうとした吉沢を無視して伝之助はさっさと裏口から中に入る。
伝之助の勝手知ったる様子から本当に薩摩屋敷に匿われていなかったのかと疑ったが、黙って着いて行った。

暫し先行く伝之助に着いて行くと、一つの部屋の前で立ち止まる。
「失礼しもす」と一声かけ、屋敷の一室に入る。

吉沢も続いて入ると、一人の男が座っていた。

「松尾さあ、吉沢さあをお連れしもした」

伝之助はそう言うと、松尾と呼んだ男の少し後ろに座る。

「これはこれは。あなたが奉行所の吉沢さんですね。どうぞお座り下さい」

松尾はにこやかに言って吉沢を向かいに座らせる。
互いに名乗り、挨拶をする。

「薩摩のご家老様……」

吉沢は戸惑っていた。

なぜ薩摩屋敷に連れてこられたのかも、薩摩の家老が目の前にいるのかも、薩摩を追われた伝之助がなぜ薩摩屋敷に出入りできるのかも、何が何だかわからない。

「ご事情がお分かりにならないお顔をしてらっしゃる。当然です。詳しくお話ししましょう」

松尾はまず、黒木が薩摩屋敷に伝之助の事を聞きに来た事から話した。

「黒木がここに……?」
「一通りまとまってから報告しようと思っていたのかもしれませんね」

戸惑う吉沢に構わず松尾は続ける。

黒木が伝之助の事を聞きに来た事で伝之助が京にいると知り、接触を考えていたところ今回の事件が起きた。
そして伝之助に接触して経緯を聞き、坂谷を調べ、彦根の上級武士と繋がりがある事を掴んだ。
それらを話す。

「その侍は彦根で大きな力を持っています。その者を抑えないと坂谷は攻略出来ませんよ」
「なるほど……しかしなぜ薩摩を追われた大山の為にそこまでお調べに?」
「それは――」

松尾は薩摩の計画についてはおくびにも出さず、伝之助を引き取る考えを話した。

「それはいくら薩摩のご家老様の願いでもお受けできかねます」

並みの同心だと、これで金でもつまれると二つ返事で見逃すだろうが吉沢はそうではない。

「大山はならず者共とは言え二十六人も斬りました。大山をどうするかは奉行所で裁きを受けた上での話となります」

伝之助は何も言わず白けた顔で吉沢を見ていた。
松尾はにこやかな表情を崩さない。

「なるほど。だが吉沢さん、坂谷の悪行はご存知でしょう。私も京に勤めてまだ長くはないが、それでも坂谷の悪評はよく耳にする。それにあなたの部下まで殺したと疑いがある。大山君はやり方は強引でも坂谷を叩く風穴を開けた。それに大山君は悪人しか斬っていない」

吉沢は俯いた。
本音を言えば吉沢も伝之助を無罪放免にする事に異存はない。
しかし自分がそれを認めてしまうと京の町の秩序を保つ事が出来なくなる。

「ええ、松尾さまのおっしゃる通りで。しかし私は奉行所の人間です。それもそれなりの立場です。私がそれを認めれば京の町の秩序は崩れてしまいます」

松尾はにこやかな表情のまま頷く。
伝之助は肩を震わせて笑い出す。

「おもしろか。町の秩序が崩れるち言うたな。おはんら奉行所のもんが秩序を守っちょっとか」

吉沢は悔しさからぎりっと歯を食いしばる。
伝之助は坂谷をここまで放っておいて何を言うのかと言いたいのだろう。

吉沢が反論しようとしたところで伝之助が続けた。

「吉沢さあ、そん秩序はもう崩れとるど。そいも奉行所のもんが崩しちょる」

吉沢は反論の言葉をぐっと飲み込み、代わりに疑問を口にした。

「なんやと。どういう事や」

吉沢は坂谷を放置していた事を責められると思ったが、伝之助は奉行所の者が進んで秩序を崩していると言った。

松尾がにこやかな表情のまま引き継ぐ。

「私から話しましょう。吉沢さん、彦根の上級武士と聞き何か思い当たる事はありませんか。坂谷と繋がっている彦根の上級武士の名は藤井利也(ふじいとしなり)。その名に覚えは?」
「藤井利也……」

吉沢はその名を聞いて思い当たる事があった。

「思い当たる事は……あります。しかしそれが関係あるとは信じられません」

今度は伝之助が薄ら笑いを浮かべ、松尾は真顔となった。

「受け入れ難い事なのはわかります。しかし現実を直視し、対応しなければいけません。そうする事で初めて前に進めるのです」

吉沢は黙り込み、俯いた。
そして松尾と伝之助の話に耳を傾けた。



優之助は日が傾く頃に家を出た。
あちこちの宿屋で逃亡生活をしようと思い付いたのだ。

その前に実家の呉服屋、桜着屋へ寄ることにした。


久々に見る実家は京で有名なだけあって相変わらず立派だ。

桜着屋と書いた看板を掲げる大きな屋根は他のどの店よりも目立っている。
一見豪華な造りだが店構えは決して敷居が高い印象を与えない。

客層は幅広く、価格は様々だがどれも生地はしっかりとしており洒落た物も数多くある。
父は京の人々皆に着てもらいたいと、一代でここまで築き上げた。

改めて感心していると勇次郎が暖簾を下げに出てきた。

「勇次郎」

物陰から呼ぶと、勇次郎は辺りを見回し優之助に気付き、寄ってくる。

「兄上、こんなとこで何してるんですか」
「お前が出てきて丁度良かった。俺は今ややこしい事に巻き込まれてる」

優之助が声を潜めて言うと勇次郎は一呼吸置いて言った。

「それは坂谷の屋敷の騒ぎと関係あるんですか」

流石に頭の回転が早い弟だ。今京で目立った騒ぎと言えば坂谷の事だ。

「そうや。詳しくは言えんけど俺はしばらく身を隠す。ここに誰が来ても知らんで通せ。実際何も知らんしな。ただ迷惑を掛けてしまう事になるかもしらんから先に詫びとく。すまん」

勇次郎は何か言いたげであったが、言葉を飲み込み頷いた。

「わかりました。兄上の無事を祈ってます」

「お前はほんまよう出来た弟や。ありがとうな」

聞きたい事は山ほどあるはずなのに、何も聞かず承知してくれた事に感謝した。

「そんな事ありません。俺がこうしていられるのは兄上のお陰です」

優之助は頭を捻る。
迷惑をかけた事は今を含めて山程あるが、何か勇次郎の為になる事をした記憶が情けない事に全く思い当らない。

「俺、そんな大した事してないで。お前には迷惑かけ通しや」
「いや、兄上は覚えてないかも知らんけど、父上が店の売り上げを盗んだんは誰やと怒り狂った時があった事覚えてますか」

そう言えば昔そんな事があった。

「あの時は恐かったな。俺、滅茶苦茶怒られたわ」

そう、時折小金をくすねていた。
それが父に知れてこっ酷く怒られたのだ。

「あの時、兄上が俺を庇ってくれました。俺は当時、どうしてもほしいもんがあった。今の嫁さんとまだ知り合って間もない時、簪をあげて振り向かせたかった。けど嫁さんが気に入った簪がたこうて買えんかった。嫁さんは遠慮したけど俺は諦めきれず、店の売り上げを盗んだ。それを兄上は何も言わず、自分がやったと庇ってくれた。俺がこうして店を任されてるのも嫁さんと一緒になれたのも兄上のお蔭です。俺はこのご恩、生涯忘れません」

優之助はしどろもどろに「そ、そうか」と返した。

勇次郎がなぜ自分を慕うかよくわかった。

優之助はよく小金をくすねていた。
父が細かな売り上げまで数えておらず、知られない程度がわかっていたからだ。

それを何かがきっかけで父に知れ、怒りを買ったと思っていたが、何度もくすねていた優之助が発覚したのではなく、一度くすねた勇次郎が知れてしまう程の金を盗んだと言う事だった。

結果的に庇った事になっているが、もちろん優之助は勇次郎を庇ったつもりはない。
だがそれは言わないでおこうと思った。
知らなくていい事もある。

「勇次郎、俺は店を継ぐのはお前がいいと思ってた。俺にはとても切り盛り出来へんと思ってた。だからあの時庇ったんや。お前がここを継いで嫁さんと一緒に切り盛りするんや。まあしっかりやってくれてるお前に今更言う事違うけどな。お前は俺に戻って来いと言うけど、俺は何があっても戻らん。それはお前の為でもあるし、俺が戻ったところで出来る事は一つも無い」

しれっともっともらしく言った。
しかし本音だ。

「兄上……わかりました。俺も腹括ります。店は俺が継いで俺が切り盛りします」
「そう、それでええんや。じゃあ、俺は行くわ」
「はい。お気を付けて」

優之助は足早に実家を去った。

当てはなかったが大坂に向かう事にした。
大坂だとすぐには坂谷に見つからないだろう。
今日は途中の宿に泊まって明日の朝大坂に着けばいいだろう。

「伝之助、はよ助けに来いよ……」

優之助の呟きは虚しく風に流された。
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