伝之助の過去ー前編ー

文字数 3,789文字

次の日の朝、二人は鈴味屋の住まいの裏手でおさきから半金の二両を受け取った。

「私がこんな事言うのも可笑しいんやけど、くれぐれもお命は大切にして下さい」

眉を八の字にして言うおさきは今日も美人だ。
眠気が吹き飛ぶ。

「大丈夫や。任せてや」
「命を張るんはおいやど」
「俺も張りますよ」
「ほう、お前が仇討ちの手助けをすっとか」
「いやそれは伝之助さんです。助手の俺は大きい意味で命張ってます。一蓮托生なんやから」
「言うやなかか」

その様子を見ておさきがにっこり微笑む。

「お二人は仲がいいんですね」

冗談やない。
その言葉に何も答えずおさきと別れ、大坂を目指し歩いた。
 


「大坂までどれぐらいで着きますやろか」
「川を舟で行ったら割とすぐじゃろ」

京と大坂を繋ぐ川を目指して歩いているのである。

「俺、大坂久しぶりです」
「お前、楽しそうじゃの」
「まあ少し楽しみです」

これが伝之助とではなくおさきとなら舞い上がる程楽しいだろう。

「遊びと違うど。今から大坂に人斬りに行くち言うんはわかっちょうか」
「それは十分にわかってます」

伝之助は呆れて溜息をついた。


以後、黙々と歩き、思ったよりも早く川に到着する。
船頭に行先を伝えて金を渡し、小舟に乗って大坂を目指す。

「しかしおさきにそんな過去があったとはなあ。人生色々あるもんや」

独り言にしては大きな声で言った。
歩いている時は足を動かしていたので何も思わなかったが、舟に揺られて川を進んでいると色んな事が頭の中を駆け巡る。

「ないじゃ、じじいみたいなこつ言うて」
「いや、大変な過去を持ってるんや思って。でもああやって真面目に働いて故郷の母上に金送って、兄の仇討ちの為にも金送って健気ないい子や。惚れ直しましたわ」
「鈴味屋で働いちょう女は色々苦労しちょんじゃろ。お前も見習え」

また腹立つ事を言われる展開だ。
言ってる事が尤(もっと)もなだけに反論できないから余計腹が立つ。
話題を変えようと思った。

「伝之助さんは故郷の薩摩に父上と母上を残してるんですか」

伝之助の話など興味はないが聞いてみた。
伝之助は遠くを見る。

「おいに父と母はおらん」

「え、そうなんですか」
「物心ついた時には一人じゃ」

無かったはずの興味が湧いてきた。
そう言えば伝之助の過去も何もかも謎だらけだ。

「伝之助さんてどんな人生歩んでこられたんですか」
「うぜらしかのう。根掘り葉掘り聞いてどげんすっとじゃ」
「いや、どないもしませんけど……伝之助さんのこと知りたい思て」

鬱陶しそうにしていた伝之助だが、優之助がそう言うと表情を和らげた。
意外な反応だ。

「まあよか。大坂までの退屈しのぎじゃ。おいは生みの親を知らん。物心ついた時は、伊予周辺を拠点にし、商船を襲う船ん雑用をしちょった。おいもいつかは賊なるち思てた」
「海賊してたんですか」
「おいはただの雑用じゃ。拾われたか攫(さら)ってきたか知らんがの」
「拾てくれたなら海賊も物好きですね」
「馬鹿たい。そげんよかもんとちごう。子どもがおっと都合よかこつもあっとじゃ」

優之助は思わず口をつぐんだ。
利用できるものは子どもでも使うと言う事だ。

「じゃっどんおいが五つん時、南方へ向かっちょう途中で船は嵐に飲まれた。呆気なく散り散りになり、おいは薩摩に打ち上げられた。そいで拾てくれたんが寺の和尚、角吉和尚(かどきちおしょう)じゃった。角吉和尚には泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べちよう言われた」

「なんですのそれ」

「泣くか飛ぶか迷うなら、泣くより飛べち言うこつじゃ。子供が高いとこ登って度胸試しに飛び降りるじゃろ。じゃっどん登ったら意外と高うて怪我するかもしれん。飛ぼうかな、怖いな、やめようかな、泣いてしまおうかな、泣いたら誰か何とかしてくれるかなち悩む。登って飛ぶち決めた時点でそげなこつ悩まんと飛べち言う教えじゃ」

伝之助はそう言うと薄く笑い、語りだした。

 
角吉は伝之助を実の子のように育てた。
掃除も洗濯も炊事も一つ一つ丁寧に教え、説法を解き、世の常を教え、伝之助がどこでも一人で生きていけるよう仕込んだ。

船の上にいた頃は雑用を熟(こな)し、出来が悪いと殴られる毎日であったが、角吉の元へ来てからは人に教えてもらい、教えられた事を自身が出来て行く様が面白く、角吉の教えを素直に受けた。
そして何より人の愛情に触れた事が無かったので、それがまた新鮮だったのである。

角吉は何者か、ただの寺の和尚ではない。
薩摩では知る人ぞ知る、立派な剣術家であった。

角吉が和尚となるより遥か前でまだ幼い頃、家の近所に薩摩の御留流(おとめりゅう)の剣術家の家があり、交流もあった。
その為角吉は幼い頃より必然的にそこの家に通い、剣術を学んだ。

瞬く間に才能を発揮し、他の弟子達をすぐさま追い抜いて直に高弟(こうてい)となった。
しかし角吉の家には代々伝わる家伝の剣術があり、それも密かに受け継いでいた。

家伝の剣術は古来より伝わる剣術で、戦場で太刀を振るう為の剣術であった。

如何に重い太刀を効率よく振るうか考えられており、また天候が悪くとも悪路であろうとも体勢が崩れようとも、あらゆる状況で強靭な太刀筋を放てる技を持っていた。

それには余程効率よく身体を使えねばならず、幼い頃より家伝の剣術を受け継いでいた角吉は、その為刀の扱いもすぐさまものにしたのはそう言った経緯であった。

御留流の剣術は上級武士の間でよく学ばれた。
当時は角吉の家も上級武士に属していた。

御留流の剣術は薩摩の人間に馴染みやすい精神性を重んじた実戦剣術で、一度刀を握れば何より速く強く斬れと言う剣術であった。

角吉は思った。
家伝の剣術の技術と、御留流の剣術の精神性を合わせ、剣術を作り出せば未だかつてない最強の剣術が出来上がるのではないかと。

それを共に剣を学んでおり、これまた自身に引けず劣らずの実力を持つ二つ下の弟に相談した。
弟は二つ返事で角吉の提案に乗り、二人で剣術を創り出す事にした。

そして家伝の剣術を元に、薩摩の御留流の剣術を組み合わせた剣術を創り出した。
創ったのなら広めて残していきたい、兄弟で道場を開く事にした。

道場を開いた頃は二十代であった為、当初は若造がと相手にされない事が多かったが、徐々に評判となって行き、やがて道場運営は軌道に乗った。

角吉も弟も妻を娶(めと)り、生活をしていくことが出来る程余裕が出来ていた。

このまま和やかに時が過ぎ去っていくのだろうと思っていた。
そんな時、角吉は妻を急な病で亡くした。

子がいなかった角吉は、失意のどん底に落ちた。
そんな状況で道場運営など出来ない。
剣術からは離れ、道場運営は弟に任せ、出家することにした。

角吉は弟に理解を求めて了承を得ると、自身の家である道場を出て、裏の大きな山にある無人の寺、大山寺(おおやまでら)と言う所に住んだ。

角吉が去っても道場の評判は衰える事無く門下生が増えていき、益々大きくなっていった。
それにつれ、当初相手にもしていなかった御留流の家がいい顔をしなくなった。

御留流なので薩摩藩の剣術である為、藩の中枢にも顔が利く。
角吉達が創った剣術の道場は、藩から嫌がらせを受けた。

弟は閑職に追いやられ、上級武士ではなくなった。
それに伴いお家も困窮した。

完全に道場運営とは関わりの無くなっていた角吉は弟を憂い、御留流の方に話を付けにいった。

角吉の話にも聞く耳を持たなかった御留流の家だが、根気強く通い、今は道場に関わりのない事と、以前交流があった事もあって、徐々に話を聞いてくれるようになった。

御留流の家に許しをもらい、認められると同時に、藩にも認められた。
認められた頃には何とも運悪く、弟は流行り病で亡くなってしまった。

道場は技を受け継いだ角吉の弟の息子、角吉からすると甥に当たる男がやっていく事となった。
そして角吉は以前と同様、時折道場に顔を見せる事はあっても、大山寺にて過ごす毎日へと戻った。

そんな毎日を過ごす中、伝之助を拾ったのである。

 
「そりゃあ剣がお強い訳ですね」
優之助は何度も頷き、半ば独り言のように言う。

「そいだけとちごう。おいはやがて剣を振るうこつんなる」

伝之助の言葉に優之助は無言で続きを促した。


角吉はこれから家庭を築いていくと言う時に妻を亡くした。
その為か伝之助には自身に子がいたらこのように育てたかったとばかりに、我が子のように育てた。

角吉は伝之助を拾い、一月もしない内に剣術を教えた。

角吉は一人稽古をしていたのか、とても長年剣を持っていないとは思えない腕であった。
侍は捨てられても剣は捨てられなかったのである。

角吉は忽(たちま)ち教えた事を吸収していく伝之助を見て喜び、やがてはかつて自身も住んでいた道場へと通わせた。
伝之助が通う頃には道場運営は盛り返していたが、以前とは違い、それ程潤ってもなかった。

道場へ通う者は、上級武士が通う御留流の所と違い下級武士が中心であった為、以前程指導料を取っていなかったのである。
その為、畑を耕しながら何とかやっている様であった。

周囲からは馬鹿にされる事もあったようだが、道場の人間は誰も何一つ気にする事は無かった。
例え周りが何と言おうとも、自身が強くなる為なら構わないと言う姿勢であった。

伝之助は半ば身内のような扱いであった為、よく畑を手伝わされた。
その代わり誰よりも剣を学ぶ機会が多く、やる事を済ませると四六時中剣の稽古をした。
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