沢田と言う男

文字数 4,423文字

優之助はいつ坂谷の部下が家に来るものかと怯えていた。

事件から五日は経つが、坂谷の部下が来る気配はない。
吉沢も最初に来た以来一度も来ない。

奉行所の連中が引き上げると坂谷は部下を寄越すに違いない。

早くどこかに身を隠さなければいけない。
だが伝之助と違い隠れる宿なんて知らない。

伝之助に宿屋の名前ぐらい聞いておけばよかったと思うももう遅い。
いや、あいつは俺が口を割る事を予想して敢えて言わんかったんと違うか、とさえ疑う。

伝之助にそういう意図があって言わなかったのならその目論見は大成功だ。

「伝之助はどないしてるんや。あいつは吉沢に言えばあとは何とかしてくれる言いよった。あいつは見通しが甘かったんや。お陰で俺は毎日怯えてる」

そう漏らすも虚しいだけだ。
鈴味屋に行く事はもちろん、遊び歩く事も出来ない。
時だけが過ぎていく。


更に五日が過ぎた。襲撃事件から十日経つ。

「優之助、おるか」

朝から戸を叩く者がいる。吉沢の声だ。

「吉沢さん!」

優之助は縋るような気持ちで戸を開けた。

「おう、おったか」

吉沢と隣にもう一人、小太りで狐顔の男がこちらを睨み付けている。

確かこの男は初めて吉沢が来た時にもおり、伝之助の挑発に乗っかり言い合いになっていた。

「そちらの方は?」

敢えて初めて見るかのように覚えていないふりをした。

「ん、覚えとらんか。初めてお前んとこ来た時におったやろ。小金井(こがねい)言うもんや」

小金井は敵意むき出しだ。
歯茎が見える程歯を剥いて睨んでいる。

以前の事を根に持っているのだろうか。
挑発したのは俺ちゃうぞと思うも、そんな事は通用しそうにない。

「それで、今日はどうされたんです」

小金井に構う事なく吉沢に聞いた。

「どうされたんですと違うわ。大山は戻ってきたんかい」

小金井が巻き舌で喚く。
こいつはこんな喋り方しかできないのだろうか。

「いえ、出て行ってから全く会うてません」
「ほんまかい」

小金井がにじり寄る。
腹の立つ顔だ。伝之助の気持ちもわからなくもない。

「まあそないにきつう言うな」

思わず吉沢が宥める。
小金井は不機嫌な顔のまま横を向く。

「優之助、大山とはほんまに会うてないんやな」
「はい、ほんまです」
「下手な隠し事はせん方がええぞ」
「隠してません。寧ろ伝之助さんが来たらすぐに言いに行ってます」
「それもそうか」

吉沢は優之助の人間性をよく理解している。
優之助が伝之助の居所を知れば、我が身可愛さに何の躊躇もなく奉行所に言うはずだと。
悔しいがその通りだ。

「他に何か隠してる事は無いんかい」

また小金井が突っかかってくる。

「無いと思いますけど」
「思うやと?」

小金井が睨みつける。
優之助も見返す。

吉沢が間に入って話し出す。

「優之助お前、ヤス……黒木の娘さん知ってるか」
「黒木さんの娘さんって、おりんさんですか?」
「知ってるんか!?」

吉沢が目を剝く。

しまった……思わず反射的に返してしまった。
余計な事を言ったかも知れない。

「知ってる言うか一度お会いしました。ここを訪ねてきたんです」

事実を織り交ぜ、微妙に話を変えよう。
それが一番疑われにくいだろうと思った。

「自分の父を殺した奴について何か知らんかと聞きに来ました。俺は坂谷との一連の流れは話しましたけど、それ以外は俺らも知らんと言いました。それきりです」

吉沢は黙って聞いていた。
小金井は疑わしい顔で見ている。

「あ、そう言えば最初は俺と伝之助さんが疑われて、父を殺したんちゃうかと言うてました。これは奉行所の情報が洩れてるか……」

優之助は一度言葉を区切って反応を伺い、続けた。

「或いはわざとおりんさんにその情報を言った人がおるんちゃうかなと思うんですけど」

二人の顔を見た。

吉沢は疑わしい顔、小金井は険しい顔をしている。
二人の表情からは特に何かわかりそうもない。

「奉行所の情報が洩れたかは分からん。別の伝手で何か探ったかもしらん」

吉沢は言葉を選ぶようにして言った。
優之助はその言葉に二人を睨む。

「おりんさんに奉行所以外で伝手があるとは思えませんでしたけど」
「まあせやな。それはこっちで調べとく。けどほんまにおりんちゃんがどこおるか知らんか」

吉沢は縋るような目で見る。
本当にりんの身を案じているようだ。

「すみません。知りません」

知っているなら答えてやりたいが実際知らない。
正確には過程は知っているがそれを言うわけにもいかない。

「そうか……」

吉沢は力なく言った。
その様子からして吉沢が漏らしたわけではなさそうだ。

「おりんちゃんの行方もわからんのや。もし何かわかったらそれも教えてくれ」
「わかりました」
「お前、逃げるなよ」

小金井が睨みを利かす。

「俺はどこにも逃げる当てがありません。寧ろ奉行所で保護してほしいぐらいですわ」
「減らず口やな」

ちくしょう……この狐顔、心底腹が立つ。

「小金井、もうええ。優之助、何かあったらすぐ奉行所に来い」

何かあったらか……何かあってからでは遅い。

「わかりました」と反論せず返事した。

吉沢達が去って行く。
優之助は追いかけて全てを打ち明け、助けてもらいたいと思った。
だが奉行所も疑わしいところがある以上心を許すわけにいかない。

坂谷の事はどこまで調査が進んでいるのだろう。
吉沢と二人ならもう少し話をしたかったが、小金井がいたから話せなかった。
吉沢も小金井がいるからか必要以上に言わなかったのかも知れない。

 
「吉沢さん、あの優之助とかいうやつ、奉行所に引っ張って吐かせんでもよろしいんですか」

帰りの道中、小金井は不快な様子を隠そうともせず言った。

「あいつを叩いても大した収穫はないやろ。それにお前の前で言うのもなんやが、まだ大山と優之助を疑ってる奴もおるけど、俺はそうは思えん。ヤスを殺した奴はあいつらと違う」

「そうですかね……」

小金井は優之助と伝之助を疑っている。

奉行所では坂谷一派の誰かの仕業と言う意見と、坂谷からの依頼で金欲しさに優之助と伝之助がやったと言う意見があり、小金井は後者の意見の代表格であった。
だから吉沢に同行して優之助に会ったのだ。

「それに気になる事言うてた。おりんちゃんがあいつらを疑ってた事や。お前何か知らんか」
「いや、俺は何も。誰がおりんさんに言うたか俺も調べます」

吉沢は坂谷の強大な力を感じていた。
りんの住まいである黒木の家の所有者は坂谷となっており、そのりんは姿を消している。

今回の事件で坂谷は被害者なので強くは出られなかったが、奉行所内を説得し、渋る坂谷に交渉して屋敷中を徹底的に調べた。

しかし何も出なかった。

黒木を斬った刀などはもちろん、黒木の件以外でも叩けば埃がいくらでも出る奴のはずだが、悪事の臭いのする物は一つも出なかった。
逆にそれが疑わしいが、何もでない以上はどうしようもない。

伝之助が坂谷の屋敷へ襲撃した事をきっかけに屋敷の調査をすれば何か出ると思っていたが見通しが甘かった。
調査するまで猶予を与えてしまった事がよくなかったかもしれない。

今や行き詰ったと言っていい状態だ。

その上、りんの行方がわからないとなると、死んだ黒木に合わせる顔も無い。
りんの無事を確認し、黒木を殺した人間を挙げる事は絶対に成し遂げなければいけない。

吉沢はその想いを胸に秘めるも、少なからず絶望を感じていた。

 
坂谷は自室に沢田を呼びつけていた。

「ようやく奉行所の奴らが引き上げよったか」
「はい、これで優之助を叩けますね」
「せやな。あいつをさらって大山の居場所を吐かす。そんで盗まれたあの書状を取り返す。屋敷が落ち着き次第、実行に移せ」
「承知しております」

「沢田。お前、次の失態は許さんぞ。何の為に高い金はろてお前を雇ってると思てんや。その剣の腕を買ってるんやぞ。それがあの大山を仕留めれんで後れを取るとは腹切りもんじゃ。替えは探せばいくらでもおるんや。けど、もう一辺だけ挽回の機会を与えたる」
「申し訳ございません。お心遣い感謝します。次は必ず仕留めて見せます」

くそ……何が腹切りものだ。
この男に忠誠を誓っている部下など一人もいない。
金と権力に寄ってきているだけだ。

俺は金も権力も興味は無いが、あの大山に恥をかかされた事は許し難い。
必ず借りは返す。

坂谷は鉄砲を撃った。
下手な腕だから良かったが、当たっていたらどうしていたのか。

それを尋ねるとその時は違う用心棒を探すと言いやがった。
その言葉を聞いてからはこいつを斬ってからここを離れると誓った。

幸いにも俺は坂谷の身近にいる時が多い。
坂谷の命は俺が握っているようなものだ。

そう思うと溜飲が下がった。

「しっかりやれよ」
「はっ」

坂谷の部屋を出た。屋敷内はまだ騒々しい。
奉行所は引き上げたが都合の悪いものは隠蔽したのでそれをまた戻している。

どこから雇ったのかもう新しい部下が数人いる。
伝之助に二十六人も斬られたのだ。大量に補充しなければいけないだろう。

俺もその内の一人と思っているのだろうがそうはいかないと沢田は自負している。


沢田は江戸で生まれた。

中級武士の三男坊で大して期待もされていなかったが、剣術だけは親に頼み込み光影流の道場に通った。
忽ち剣才を発揮し、道場でも一、二を争う程に強くなった。

ある時、将軍の前でお披露目する御前試合があり、沢田が出る事となった。
沢田は他の追従を許さない強さを見せつけて優勝し、将軍の目に留まった。

やがて城に召され、政敵を殺す暗殺者となった。

沢田は命令で人を斬り、命を奪う事に躊躇なかった。
寧ろ剣の腕を振るう事に悦びを感じた。
強者と命を懸けて競う事に病みつきとなった。

剣が自己を肯定する唯一のものだった。

そんな沢田を兄達は面白く思わなかった。

兄達に仕組まれ、沢田が良からぬ企みをしていると吹いて回られた。
気が付いた時には城に居られなくなっており、追放される形となって江戸を出た。。

その後あちこちで用心棒や暗殺をし、気が付けば京に流れていた。
そして脛に傷持つ浪人の間で有名な手配師を介し、坂谷に雇われた。

俺は将軍の目に留まる程の男だ。
稀有な存在だ。だから替えはきかないのだ。
そんな自負があった。

今まであらゆる敵と戦った。
その中には天地流の遣い手もいた。

天地流は初太刀を外せば大丈夫だと思った。
事実その時は初太刀を外して手首を斬り落とし、殺したのだ。

しかし伝之助はそうはいかなかった。

初太刀を外しても同様に強烈な二の太刀が襲う。

初太刀に全てを懸ける、それが信条の剣術だが、言葉通り初太刀のみと言う事ではない。
二の太刀三の太刀を考えず、初太刀で斬り倒す事を念頭に打ち込めと言う事だ。

だから例え初太刀が外されても、二の太刀でも三の太刀でもその一撃で倒すつもりで全力で斬り掛かってくるのだ。

伝之助は沢田が今まで戦ってきた中で間違いなく最強の敵であった。

剣だけで人生の華を経験し、地の底にも落ちた。
伝之助はそんな沢田の人よりも何倍も優れている剣を、自己を確立しているものを脅かす存在だ。

生かしておくわけにはいかない。
そう強く決意していた。
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