決着
文字数 6,838文字
少し前、伝之助達は優之助と男達の後を付けていた。
優之助が男達に連れられ屋敷内に入った事を確認し、松尾と吉沢と打ち合わせ、坂谷の屋敷を包囲した後、皆で扉を打ち壊した。
「おう!きさんら!また来てやったど!」
伝之助が襲撃した時にいた者は沢田を含め驚いた。
薩摩侍は鉄砲隊と抜刀隊に別れ、坂谷の部下達にいつでもかかれるよう構えた。
「奉行所や!抵抗する奴は容赦せん!大人しく縄に付けい!」
吉沢の一声を合図に、諦める者と逃げ出す者がいた。
抜刀隊と奉行の一味である岡っ引き達が逃亡者を追いかける。
鉄砲隊は歯向かってきた時のみ撃つとなっていたので、逃げる者は撃たなかった。
沢田は巧妙に距離を取って影のように動き、逸早く逃げ出した。
伝之助を含め、幾人かが後を追った。
「おいが斬る!」
伝之助は言うなり誰よりも早く沢田を追った。
いつしか坂谷の追っ手から逃げ回った森を駆け抜けた。
森が開けた所、夕闇が迫る薄明かりの中、抜刀した沢田がいた。
「こん前はおいが逃げたが今度は逆じゃの」
伝之助は沢田に追いつくと、そう言って笑った。
「お前が追ってくると思った。お前と決着を付け、俺は逃げ果せる」
沢田は刀を構える。
「よかよか。おいも決着をつけようち思っちょった。そん前に一つ聞きたい。黒木保治郎を斬ったんはお前か?」
伝之助の質問に沢田はどう答えるか探る様に見る。
その間に他の薩摩侍が追いつく。
「手ぇ出すな。おいがやる」
伝之助が薩摩侍に言うと、沢田は観念したように溜息をついて嘲笑する。
薄い笑みを張り付けたまま伝之助を見返した。
「如何にも、黒木を斬ったのは俺だ。恨みはないが坂谷の命令だったからな。小金井が仕組んで誘き寄せ、俺がこの刀で斬った。言っておくが拷問したのは俺ではない。俺はあんな趣味の悪い事はしない。俺は捕える時に斬り、殺す時にまた斬っただけだ。お前が勝てばこの刀を奉行所に渡せばいい」
沢田は知れたところで伝之助にさえ勝てば後は殺して逃げればいいと判断し正直に答えた。
「そうか。おはんら聞いたな」
伝之助が沢田から目を逸らさずに言った。
薩摩侍達は頷く。
「そいなら絶対に負けるわけにいかんのう」
「俺も絶対に負けれん」
「ちごう。お前の浅はかで安っぽい自尊心と一緒にすな、こん人斬りが。おいは背負うもんがちごう」
「何だと」
沢田の顔に朱が差す。
「黒木保治郎の一人娘、黒木りんに依頼され……うんにゃ、りんと約束をした。父の仇を討つち。お前はおいが討つ。おいは我がの欲の為に戦うとちごう。誰かん為にそん想いを背負って戦うとじゃ。お前にはわからんこつじゃろがそいはな、より力を発揮する源んなる」
伝之助の言葉に沢田はせせら笑う。
「下らん。お前が女にうつつを抜かす奴とは思わんかったぞ。そいつを好いているのか」
「好いとる?薩摩隼人が戦いを前におなごを好いとるもないもなか。じゃっどんりんの想いにこん身が滅ぼうとも応えないかん。そいが薩摩ん侍じゃ」
生真面目に答える伝之助を見ると可笑しくてたまらなくなり、沢田は声を上げて笑った。
だが伝之助は全く腹が立たなかった。
何も自分に恥じる事は言っていないし、してもいない。
「お前はその女を好いているんだ。別れの一言でも言ったか。今からお前は死ぬんだからな」
「うんにゃ言っちょらん。おいはお前を斬ってそん刀もお前の首も持ち帰る」
沢田は笑いをすっと引っ込めた。
「笑えん冗談だ。抜け」
沢田が伝之助に刀を抜く事を許すのは正々堂々と戦いたいからではなく、光影流が守りの剣、つまり待ちの剣であるからだ。
相手の攻撃が戦いの始まりで、またそこが最大の勝機なのである。
後から動いて先手を取る。
一般的にこれは防具をつけて当て合う道場剣術によくあり、実際の斬り合いでは通用しないと言われるが、沢田は違う。
そして沢田は今、初めて伝之助が腰に差している一振りの刀に注目した。
「何だその中途半端な長さの刀は。もしかしてそれでやり合うのか」
角吉が最後にくれた刀、小太刀ではなくこの刃渡り二尺一寸の薩摩の刀。
この刀は角吉が天地流の力を最大限活かす為に考えた結果の刀であった。
普段は全長三尺を超える刀を扱うが、達人となれば小太刀を扱う。
しかし小太刀は片手で扱う為、どう足掻いても両手に比べ力が劣る。
理想だけを述べると、反撃の暇を与えずに神速の一撃で倒し尽くす、それが出来ないなら相討ちでも果てる。
だが現実はそうはいかない。
一対多となればもちろん、抜く間もなく一撃で全員倒すのは不可能だ。
それに一対一でも沢田のような実力者相手だとどうかわからない。
長刀を扱い小太刀を満足に扱えるようになったという前提で、この長さの刀を手にすると長刀、小太刀、両方の利点を活かして戦える。
即ち、長刀のように力強く、小太刀のように速い斬撃だ。
それに加え、薩摩刀の特徴である豪快な幅と重ねと天地流に適した長い柄が更に助長する。
といっても左肩の怪我が全く影響しないわけではない。
長刀ほど左手は使わないとは言え、何度も満足に振るえない。
走られるまでに回復はしたが長期戦になるとまずい。
いくらこの刀であろうとも初太刀が勝負、いいところ三打までだろう。
「おう。こいで十分じゃ。おいは短か刀もよう扱うど」
沢田が見下げた笑みを浮かべる。
「それは楽しみだ。さっさと抜け」
沢田が言い終わるか否や、伝之助は抜いたと思うと天高く刀を突きあげた。
と同時に踏み込んで瞬時に間合いを詰め、沢田の首元目掛けて斬り掛かる。
沢田はあまりもの速さに度肝を抜かれるも、何度も伝之助の打ちを想像して稽古していた為、半ば無意識に体が反応する。
伝之助の一太刀は避けてどうこう、受けてどうこうは出来ない。
ならば最初の一撃に合わせて距離を詰め、胴を狙いに行く。
その一点に懸け、体に染み込むよう猛稽古を積んでいた。
沢田は伝之助の神速の一太刀を前に恐れなく懐に飛び込み、刀を右側に担ぎ持って胴を狙いに行く。
こいつを斬れば俺は本物だ。
自分の存在意義をかけてこいつを斬る――沢田は伝之助の腹部を目掛けて刀を振るう。
周囲の薩摩侍が息をのむ。
伝之助の横腹が裂かれ、血肉が露わとなり、臓物が湧き出る様が沢田の目に浮かぶ。
「もらった!」と言ったつもりが言葉にならなかった。
なぜかと考えると同時に崩れ落ちる。
目の前には森の中に生える草が見え、それらが赤く染まっていく。
俺は……斬られたのか?――体が言う事を聞かない。
顔も上がらない。必死に眼球を動かし伝之助の顔を見る。
「思い切った見事な一撃じゃった。一撃で仕留めるつもりがおはんの動きが速く、仕留めきれんかった。じゃっどん勝負はついたの」
伝之助は沢田を見下ろして続ける。
「こん刀でなかじゃったらおいが斬られてたかもしらんの。お前がおいの左肩を斬ったお陰でこん刀でしかやれんかった。そいでこん刀の真髄に気付けた」
沢田は何とか体を動かそうとするも動かない。
首と肩の間から袈裟に斬られており、出血が激しい。
左手の感覚がない。前腕から切り落とされているようだ。
一撃で絶命しなかったのが不思議なぐらいだ。もう助からないと自覚する。
「まあこん刀とちごたら抜き打ちを喰らわすつもりじゃった。どちらにしろお前は斬られちょったな。いや、斬り合いに『たら、れば』はなかか」
伝之助が笑みを浮かべる。
「大山どん、見事じゃあ」
「おやっとさあでごわしたぁ」と薩摩侍が駆け寄ってくる。
「頼む……」
沢田が掠れる声を絞り出す。
「最後は……侍として……腹を……切らせてくれ……」
言い終えると、もう声を出す事も叶わない様子であった。
「ほう、おもしろか。おはんら、ちいと手伝ってくいやい」
薩摩侍に沢田の体を起こさせる。
沢田は刀を持つ事も出来ない。
「沢田。お前、そげな生き方して来て最後は侍として腹を切らせてくれち、都合のよか奴じゃの。坂谷の手先となり悪事を働き、侍としての信念も捨てた奴がないを言うか。じゃっどんそげな甘い奴の願いでも、気持ちはわからんでもなか。りんと約束しておらんかったら叶えてやったかもしれんがそうはいかん。お前に腹は斬らせんど。お前は仇じゃ。おいが討つ」
伝之助は冷たく言い放つと刀を天高く突き上げた。
薩摩侍が沢田の首を晒し、支える。
沢田は伝之助を睨み付けようと眼球のみ動かそうとした。
しかしそれさえ叶わず、一瞬の衝撃と共に視界が暗転する。
黒木保治郎の仇、沢田祐三郎の首が草の上に転がった。
夕焼けも過ぎ去り宵の口となっているが、坂谷の屋敷の周囲には野次馬が集まっていた。
「これでやっと平穏が戻る……」
優之助はそう呟くと力が抜け、その場に座り込んだ。
「優之助、具合が悪いか」
吉沢が心配し、声を掛ける。
「いや、具合はどうもないですけど、ここ数日は気が張り詰めていましたし、さっきは死ぬか生き地獄かと思いましたんで気が抜けたんですわ」
「生き地獄?」
「いや、こっちの話です」
「そうか。ちょっとここらはがやがやするから隅で休んどれ。必要なら医者呼ぶぞ」
「いや、結構です」
よろよろ立ち上がると、屋敷の隅に行って腰を下ろした。
「優之助さん!」
野次馬の中から声が聞こえた。声の方向を見るとりんがいた。
「おりんさん、無事やったんや。良かったわ」
優之助は顔だけを向けて力なく微笑んだ。
声がりんに届いたかどうかわからないが、声を張る事も億劫であった。
りんは奉行所の連中に制止されるが、吉沢がやってきて何やら話す。
そう言えば吉沢はりんも探していたはずだが、りんを見た吉沢に驚いた様子などは見られない。
それを言うと追っていた伝之助ともいつの間にか手を組んでいるようだが、もはや優之助には何が何だかわからなかった。
一つ言える事は全てうまくいった。
今は何も考えたくないし考えられない。
優之助がそう思っていると、吉沢に連れられてりんが中に入ってきた。
「伝之助さんは?」
りんが来るなり鬼気迫った様子で優之助に聞く。
「俺も知りません。一仕事してる言うてましたけど……吉沢さんはご存じなんでしょ」
「大山はヤスの仇を追ってる」
吉沢が神妙な顔で答えると、りんの顔が強張る。
「無事に帰ってくると良いんですが……」
りんがそう呟いた時、「帰ってきたど!」と薩摩侍の誰かが叫ぶ。
伝之助が二人の薩摩侍を引き連れて帰ってきた。
松尾が駆け寄る。
「大山君、ご苦労だった」
「勿体のうお言葉でございもす」
吉沢も駆け寄る。
「その首は……」
白い布に包まれているので見えはしないが、血が滲んでいる。
「沢田祐三郎。黒木保治郎の仇じゃ。こいがこいつの刀じゃ。調べたらわかるじゃろ」
伝之助は吉沢に沢田の首と刀を渡す。吉沢は一つ頷いて受け取った。
りんが安堵の表情と共に駆け寄る。
「伝之助さん、よくぞ御無事で」
「おう、りん。おはんの父上、黒木保治郎の仇、沢田祐三郎は確かにこん大山伝之助が討ち取ったど。約束は果たした」
伝之助はそう言って爽やかに笑った。
「ありがとうございます。お見事でございました」
りんは涙を浮かべ腰を折って礼を述べた。
その様子に松尾も吉沢も微笑んだ。
「とりあえず君達は落着だな。あとは坂谷を叩いて藤井を攻める。さあ、吉沢さん、ここは皆さんに任せて我々は戻りましょう」
松尾がそう言うと吉沢は頷き、指示を飛ばす。
奉行所の連中が幾人か残り、薩摩の侍を引き連れ、吉沢と松尾は引き上げた。
伝之助とりんは優之助の元へ寄る。
「大活躍じゃったのう優之助」
「大活躍じゃったのうと違いますよ!伝之助さんの言う通りにしたのに事態は悪くなる一方やし、俺はこの数日間、生きた心地しませんでしたわ!」
半泣きになって喚く。
伝之助に怒りをぶつけたいのと、伝之助が助けに来てくれた事で、なんだか複雑な心境だ。
「そげに喚くな。おいもまたお前に会えるとは思っちょらんかった」
「そう言えばなんで薩摩の協力を得られたんですか。それになんで吉沢さんと協力してるんですか。吉沢さんはおりんさんをいつの間にか探し出してたんですか」
伝之助は薩摩を追われた身なのに協力を得られている事も不可解だ。
矢継ぎ早に質問する。
「あよ……あれこれ一気に聞くな。面倒じゃ。また機会があれば話す」
「何ですかそれ。機会なんてあるんですか」
伝之助はただでさえ面倒そうな顔だったのが、更に面倒そうな顔をする。
「お前の家にまた住むんじゃっでそげな機会、あっとじゃろ」
「え、また俺の家に住むんですか!」
「当たり前じゃ。行くとこが無かからの」
「いや、俺と会うまでどこぞで暮らしてたんでしょ。隠れ家ある言うてたし」
「うぜらしかのう。お前はおいの力を借りて世の為人の為に働きたいとちごうか」
「いや、もう今回の事でこりごりですわ」
優之助がそう言うと、伝之助がこれ見よがしに溜息をつき、呆れてみせる。
「よう回る口じゃ」
「この口と顔が自慢なんです」
「まだがたがた抜かすとか」
伝之助の目が据わる。怖い。
「いえ、もう何も抜かしません」
「よか」
そのやり取りを見てりんが微笑む。
「お二人は本当、仲がよろしいんですね」
いつだったか、誰かにもそんな事を言われた気がする。冗談じゃない。
「おりんさんはどないするん。伝之助さんがおるならどうせ一人も二人も一緒やし、行くとこ無いならまた俺の家にしばらくおっても――」
「そいはいかん」
伝之助が優之助の言葉を遮る。
「おなごが男二人といつまでも一緒に暮らしちょったらいかん。りん、おはんは行くとこがなか。じゃっで鈴味屋の長屋に住んで鈴味屋で働いたらよか。話は通しちょる」
伝之助が言い終わるなり、さっとりんの顔に朱が差す。
「勝手な事せんといて下さい!私は男の人にお酌なんてしたくありません!」
「そげん言う思て男に酌はせんでよかち言うてくれとる」
りんは押し黙った。
「鈴味屋で働いて立て直せ」
りんは涙を堪えているように見える。
伝之助にしたらよく気が回ってよくやった方だと優之助は思ったが、りんは納得がいっているように見えない。
「伝之助さん、私と夫婦になる約束はどうなったんですか」
そうか、それで納得いかんのか。伝之助と夫婦になる約束を……
「ええぇぇぇ!」
引っくり返りそうになるほど驚いた。
「それは一体どういう――」
「ちょっと黙っといて下さい!」
りんがきっと睨む。
優之助は小さく「はい」と返す。かなり気になるが我慢だ。
「夫婦になる約束はしちょらん。あいは薩摩屋敷におはんを匿うてもらうための芝居じゃ。おはんにもそげん言うたはずじゃ」
「でも手を離すなって」
「あいはおはんを助ける為じゃ」
「でも私は伝之助さんに命を救われて!」
「おいはおはん以外にも救うちょる」
「一緒に薩摩に行くって、薩摩で暮らすって、それを考えてくれるって……」
りんはぽろぽろと涙を流して俯く。
何だか事情はよく分からないがりんが可哀想だ。
優之助は伝之助を睨む。
しかし伝之助の顔を見て驚いた。
辛く苦し気で、それを堪えていた。
「もう……よか」
伝之助は絞り出すように言った。
まさか伝之助もりんを想っているのか。
だが自らの境遇から一緒になる事は許されないと思っているのかも知れない。
「おはんはおいに依頼した。父の仇を取ってくれと。じゃっで、鈴味屋で働いておいに報酬を払え」
そう言うと伝之助は返事も聞かず背を向けて歩き出した。
「ちょっと伝之助さん」
それはあんまりだ。
優之助は気まずい思いをしながらどうしてよいか分からなかった。
「おりんさん、何て声かけたらいいんか……」
りんはごしごしと涙を拭く。
「お見苦しい所を見せました。私鈴味屋に行きます」
「伝之助さん!私鈴味屋に居てますから来て下さい!」
伝之助の背に向かってりんは叫んだ。
その後りんは鈴味屋へと向かい、優之助は家に帰った。
伝之助は優之助の家へ帰ると、刀の目釘(めくぎ)を抜き、柄を外して茎(なかご)に刻まれた文字を見ていた。
「隼人丸(はやとまる)……」茎に刻まれている文字を見て呟く。
角吉が最強の剣術を作りたいと天地流を作り、天地流を最大限に活かせる刀を作った。
その刀の名が隼人丸。
薩摩の勇猛果敢な男と言う意味の薩摩隼人とかけているのだろう。
この刀は角吉の想い、天地流の全てが詰まった刀だ。
伝之助は今まで使わず気付かずにいた事を角吉に詫び、刀を戻した。
隼人丸は薩摩隼人の伝之助が扱い、伝之助の業があって真に天地両断の剣となるのだ。
角吉の想いがようやく伝わったが、りんへの想いは断ち切らねばいけないと思い、居間の天井を見つめた。
優之助はそんな伝之助の様子を見て声をかけ辛かった。
帰ると伝之助が居間で胡坐をかき、刀を膝に置いて天井を見ているのだ。
しかし敢えて何も気にしていないふりをした。
「真っ直ぐ家に帰ってたんですね」
伝之助はちらっと優之助を見ると刀を床に置いた。
「お前は顔面いっぱいに好奇心が湧いちょるのう」
「え、ほんまですか」
覚られたか。
「よかよか。一から話すから祝いも兼ねて酒でん飲むど」
珍しく伝之助から酒を誘った。
「いいですね。じゃあささっと用意しましょう」
二人はその日、大いに飲み明かした。
優之助が男達に連れられ屋敷内に入った事を確認し、松尾と吉沢と打ち合わせ、坂谷の屋敷を包囲した後、皆で扉を打ち壊した。
「おう!きさんら!また来てやったど!」
伝之助が襲撃した時にいた者は沢田を含め驚いた。
薩摩侍は鉄砲隊と抜刀隊に別れ、坂谷の部下達にいつでもかかれるよう構えた。
「奉行所や!抵抗する奴は容赦せん!大人しく縄に付けい!」
吉沢の一声を合図に、諦める者と逃げ出す者がいた。
抜刀隊と奉行の一味である岡っ引き達が逃亡者を追いかける。
鉄砲隊は歯向かってきた時のみ撃つとなっていたので、逃げる者は撃たなかった。
沢田は巧妙に距離を取って影のように動き、逸早く逃げ出した。
伝之助を含め、幾人かが後を追った。
「おいが斬る!」
伝之助は言うなり誰よりも早く沢田を追った。
いつしか坂谷の追っ手から逃げ回った森を駆け抜けた。
森が開けた所、夕闇が迫る薄明かりの中、抜刀した沢田がいた。
「こん前はおいが逃げたが今度は逆じゃの」
伝之助は沢田に追いつくと、そう言って笑った。
「お前が追ってくると思った。お前と決着を付け、俺は逃げ果せる」
沢田は刀を構える。
「よかよか。おいも決着をつけようち思っちょった。そん前に一つ聞きたい。黒木保治郎を斬ったんはお前か?」
伝之助の質問に沢田はどう答えるか探る様に見る。
その間に他の薩摩侍が追いつく。
「手ぇ出すな。おいがやる」
伝之助が薩摩侍に言うと、沢田は観念したように溜息をついて嘲笑する。
薄い笑みを張り付けたまま伝之助を見返した。
「如何にも、黒木を斬ったのは俺だ。恨みはないが坂谷の命令だったからな。小金井が仕組んで誘き寄せ、俺がこの刀で斬った。言っておくが拷問したのは俺ではない。俺はあんな趣味の悪い事はしない。俺は捕える時に斬り、殺す時にまた斬っただけだ。お前が勝てばこの刀を奉行所に渡せばいい」
沢田は知れたところで伝之助にさえ勝てば後は殺して逃げればいいと判断し正直に答えた。
「そうか。おはんら聞いたな」
伝之助が沢田から目を逸らさずに言った。
薩摩侍達は頷く。
「そいなら絶対に負けるわけにいかんのう」
「俺も絶対に負けれん」
「ちごう。お前の浅はかで安っぽい自尊心と一緒にすな、こん人斬りが。おいは背負うもんがちごう」
「何だと」
沢田の顔に朱が差す。
「黒木保治郎の一人娘、黒木りんに依頼され……うんにゃ、りんと約束をした。父の仇を討つち。お前はおいが討つ。おいは我がの欲の為に戦うとちごう。誰かん為にそん想いを背負って戦うとじゃ。お前にはわからんこつじゃろがそいはな、より力を発揮する源んなる」
伝之助の言葉に沢田はせせら笑う。
「下らん。お前が女にうつつを抜かす奴とは思わんかったぞ。そいつを好いているのか」
「好いとる?薩摩隼人が戦いを前におなごを好いとるもないもなか。じゃっどんりんの想いにこん身が滅ぼうとも応えないかん。そいが薩摩ん侍じゃ」
生真面目に答える伝之助を見ると可笑しくてたまらなくなり、沢田は声を上げて笑った。
だが伝之助は全く腹が立たなかった。
何も自分に恥じる事は言っていないし、してもいない。
「お前はその女を好いているんだ。別れの一言でも言ったか。今からお前は死ぬんだからな」
「うんにゃ言っちょらん。おいはお前を斬ってそん刀もお前の首も持ち帰る」
沢田は笑いをすっと引っ込めた。
「笑えん冗談だ。抜け」
沢田が伝之助に刀を抜く事を許すのは正々堂々と戦いたいからではなく、光影流が守りの剣、つまり待ちの剣であるからだ。
相手の攻撃が戦いの始まりで、またそこが最大の勝機なのである。
後から動いて先手を取る。
一般的にこれは防具をつけて当て合う道場剣術によくあり、実際の斬り合いでは通用しないと言われるが、沢田は違う。
そして沢田は今、初めて伝之助が腰に差している一振りの刀に注目した。
「何だその中途半端な長さの刀は。もしかしてそれでやり合うのか」
角吉が最後にくれた刀、小太刀ではなくこの刃渡り二尺一寸の薩摩の刀。
この刀は角吉が天地流の力を最大限活かす為に考えた結果の刀であった。
普段は全長三尺を超える刀を扱うが、達人となれば小太刀を扱う。
しかし小太刀は片手で扱う為、どう足掻いても両手に比べ力が劣る。
理想だけを述べると、反撃の暇を与えずに神速の一撃で倒し尽くす、それが出来ないなら相討ちでも果てる。
だが現実はそうはいかない。
一対多となればもちろん、抜く間もなく一撃で全員倒すのは不可能だ。
それに一対一でも沢田のような実力者相手だとどうかわからない。
長刀を扱い小太刀を満足に扱えるようになったという前提で、この長さの刀を手にすると長刀、小太刀、両方の利点を活かして戦える。
即ち、長刀のように力強く、小太刀のように速い斬撃だ。
それに加え、薩摩刀の特徴である豪快な幅と重ねと天地流に適した長い柄が更に助長する。
といっても左肩の怪我が全く影響しないわけではない。
長刀ほど左手は使わないとは言え、何度も満足に振るえない。
走られるまでに回復はしたが長期戦になるとまずい。
いくらこの刀であろうとも初太刀が勝負、いいところ三打までだろう。
「おう。こいで十分じゃ。おいは短か刀もよう扱うど」
沢田が見下げた笑みを浮かべる。
「それは楽しみだ。さっさと抜け」
沢田が言い終わるか否や、伝之助は抜いたと思うと天高く刀を突きあげた。
と同時に踏み込んで瞬時に間合いを詰め、沢田の首元目掛けて斬り掛かる。
沢田はあまりもの速さに度肝を抜かれるも、何度も伝之助の打ちを想像して稽古していた為、半ば無意識に体が反応する。
伝之助の一太刀は避けてどうこう、受けてどうこうは出来ない。
ならば最初の一撃に合わせて距離を詰め、胴を狙いに行く。
その一点に懸け、体に染み込むよう猛稽古を積んでいた。
沢田は伝之助の神速の一太刀を前に恐れなく懐に飛び込み、刀を右側に担ぎ持って胴を狙いに行く。
こいつを斬れば俺は本物だ。
自分の存在意義をかけてこいつを斬る――沢田は伝之助の腹部を目掛けて刀を振るう。
周囲の薩摩侍が息をのむ。
伝之助の横腹が裂かれ、血肉が露わとなり、臓物が湧き出る様が沢田の目に浮かぶ。
「もらった!」と言ったつもりが言葉にならなかった。
なぜかと考えると同時に崩れ落ちる。
目の前には森の中に生える草が見え、それらが赤く染まっていく。
俺は……斬られたのか?――体が言う事を聞かない。
顔も上がらない。必死に眼球を動かし伝之助の顔を見る。
「思い切った見事な一撃じゃった。一撃で仕留めるつもりがおはんの動きが速く、仕留めきれんかった。じゃっどん勝負はついたの」
伝之助は沢田を見下ろして続ける。
「こん刀でなかじゃったらおいが斬られてたかもしらんの。お前がおいの左肩を斬ったお陰でこん刀でしかやれんかった。そいでこん刀の真髄に気付けた」
沢田は何とか体を動かそうとするも動かない。
首と肩の間から袈裟に斬られており、出血が激しい。
左手の感覚がない。前腕から切り落とされているようだ。
一撃で絶命しなかったのが不思議なぐらいだ。もう助からないと自覚する。
「まあこん刀とちごたら抜き打ちを喰らわすつもりじゃった。どちらにしろお前は斬られちょったな。いや、斬り合いに『たら、れば』はなかか」
伝之助が笑みを浮かべる。
「大山どん、見事じゃあ」
「おやっとさあでごわしたぁ」と薩摩侍が駆け寄ってくる。
「頼む……」
沢田が掠れる声を絞り出す。
「最後は……侍として……腹を……切らせてくれ……」
言い終えると、もう声を出す事も叶わない様子であった。
「ほう、おもしろか。おはんら、ちいと手伝ってくいやい」
薩摩侍に沢田の体を起こさせる。
沢田は刀を持つ事も出来ない。
「沢田。お前、そげな生き方して来て最後は侍として腹を切らせてくれち、都合のよか奴じゃの。坂谷の手先となり悪事を働き、侍としての信念も捨てた奴がないを言うか。じゃっどんそげな甘い奴の願いでも、気持ちはわからんでもなか。りんと約束しておらんかったら叶えてやったかもしれんがそうはいかん。お前に腹は斬らせんど。お前は仇じゃ。おいが討つ」
伝之助は冷たく言い放つと刀を天高く突き上げた。
薩摩侍が沢田の首を晒し、支える。
沢田は伝之助を睨み付けようと眼球のみ動かそうとした。
しかしそれさえ叶わず、一瞬の衝撃と共に視界が暗転する。
黒木保治郎の仇、沢田祐三郎の首が草の上に転がった。
夕焼けも過ぎ去り宵の口となっているが、坂谷の屋敷の周囲には野次馬が集まっていた。
「これでやっと平穏が戻る……」
優之助はそう呟くと力が抜け、その場に座り込んだ。
「優之助、具合が悪いか」
吉沢が心配し、声を掛ける。
「いや、具合はどうもないですけど、ここ数日は気が張り詰めていましたし、さっきは死ぬか生き地獄かと思いましたんで気が抜けたんですわ」
「生き地獄?」
「いや、こっちの話です」
「そうか。ちょっとここらはがやがやするから隅で休んどれ。必要なら医者呼ぶぞ」
「いや、結構です」
よろよろ立ち上がると、屋敷の隅に行って腰を下ろした。
「優之助さん!」
野次馬の中から声が聞こえた。声の方向を見るとりんがいた。
「おりんさん、無事やったんや。良かったわ」
優之助は顔だけを向けて力なく微笑んだ。
声がりんに届いたかどうかわからないが、声を張る事も億劫であった。
りんは奉行所の連中に制止されるが、吉沢がやってきて何やら話す。
そう言えば吉沢はりんも探していたはずだが、りんを見た吉沢に驚いた様子などは見られない。
それを言うと追っていた伝之助ともいつの間にか手を組んでいるようだが、もはや優之助には何が何だかわからなかった。
一つ言える事は全てうまくいった。
今は何も考えたくないし考えられない。
優之助がそう思っていると、吉沢に連れられてりんが中に入ってきた。
「伝之助さんは?」
りんが来るなり鬼気迫った様子で優之助に聞く。
「俺も知りません。一仕事してる言うてましたけど……吉沢さんはご存じなんでしょ」
「大山はヤスの仇を追ってる」
吉沢が神妙な顔で答えると、りんの顔が強張る。
「無事に帰ってくると良いんですが……」
りんがそう呟いた時、「帰ってきたど!」と薩摩侍の誰かが叫ぶ。
伝之助が二人の薩摩侍を引き連れて帰ってきた。
松尾が駆け寄る。
「大山君、ご苦労だった」
「勿体のうお言葉でございもす」
吉沢も駆け寄る。
「その首は……」
白い布に包まれているので見えはしないが、血が滲んでいる。
「沢田祐三郎。黒木保治郎の仇じゃ。こいがこいつの刀じゃ。調べたらわかるじゃろ」
伝之助は吉沢に沢田の首と刀を渡す。吉沢は一つ頷いて受け取った。
りんが安堵の表情と共に駆け寄る。
「伝之助さん、よくぞ御無事で」
「おう、りん。おはんの父上、黒木保治郎の仇、沢田祐三郎は確かにこん大山伝之助が討ち取ったど。約束は果たした」
伝之助はそう言って爽やかに笑った。
「ありがとうございます。お見事でございました」
りんは涙を浮かべ腰を折って礼を述べた。
その様子に松尾も吉沢も微笑んだ。
「とりあえず君達は落着だな。あとは坂谷を叩いて藤井を攻める。さあ、吉沢さん、ここは皆さんに任せて我々は戻りましょう」
松尾がそう言うと吉沢は頷き、指示を飛ばす。
奉行所の連中が幾人か残り、薩摩の侍を引き連れ、吉沢と松尾は引き上げた。
伝之助とりんは優之助の元へ寄る。
「大活躍じゃったのう優之助」
「大活躍じゃったのうと違いますよ!伝之助さんの言う通りにしたのに事態は悪くなる一方やし、俺はこの数日間、生きた心地しませんでしたわ!」
半泣きになって喚く。
伝之助に怒りをぶつけたいのと、伝之助が助けに来てくれた事で、なんだか複雑な心境だ。
「そげに喚くな。おいもまたお前に会えるとは思っちょらんかった」
「そう言えばなんで薩摩の協力を得られたんですか。それになんで吉沢さんと協力してるんですか。吉沢さんはおりんさんをいつの間にか探し出してたんですか」
伝之助は薩摩を追われた身なのに協力を得られている事も不可解だ。
矢継ぎ早に質問する。
「あよ……あれこれ一気に聞くな。面倒じゃ。また機会があれば話す」
「何ですかそれ。機会なんてあるんですか」
伝之助はただでさえ面倒そうな顔だったのが、更に面倒そうな顔をする。
「お前の家にまた住むんじゃっでそげな機会、あっとじゃろ」
「え、また俺の家に住むんですか!」
「当たり前じゃ。行くとこが無かからの」
「いや、俺と会うまでどこぞで暮らしてたんでしょ。隠れ家ある言うてたし」
「うぜらしかのう。お前はおいの力を借りて世の為人の為に働きたいとちごうか」
「いや、もう今回の事でこりごりですわ」
優之助がそう言うと、伝之助がこれ見よがしに溜息をつき、呆れてみせる。
「よう回る口じゃ」
「この口と顔が自慢なんです」
「まだがたがた抜かすとか」
伝之助の目が据わる。怖い。
「いえ、もう何も抜かしません」
「よか」
そのやり取りを見てりんが微笑む。
「お二人は本当、仲がよろしいんですね」
いつだったか、誰かにもそんな事を言われた気がする。冗談じゃない。
「おりんさんはどないするん。伝之助さんがおるならどうせ一人も二人も一緒やし、行くとこ無いならまた俺の家にしばらくおっても――」
「そいはいかん」
伝之助が優之助の言葉を遮る。
「おなごが男二人といつまでも一緒に暮らしちょったらいかん。りん、おはんは行くとこがなか。じゃっで鈴味屋の長屋に住んで鈴味屋で働いたらよか。話は通しちょる」
伝之助が言い終わるなり、さっとりんの顔に朱が差す。
「勝手な事せんといて下さい!私は男の人にお酌なんてしたくありません!」
「そげん言う思て男に酌はせんでよかち言うてくれとる」
りんは押し黙った。
「鈴味屋で働いて立て直せ」
りんは涙を堪えているように見える。
伝之助にしたらよく気が回ってよくやった方だと優之助は思ったが、りんは納得がいっているように見えない。
「伝之助さん、私と夫婦になる約束はどうなったんですか」
そうか、それで納得いかんのか。伝之助と夫婦になる約束を……
「ええぇぇぇ!」
引っくり返りそうになるほど驚いた。
「それは一体どういう――」
「ちょっと黙っといて下さい!」
りんがきっと睨む。
優之助は小さく「はい」と返す。かなり気になるが我慢だ。
「夫婦になる約束はしちょらん。あいは薩摩屋敷におはんを匿うてもらうための芝居じゃ。おはんにもそげん言うたはずじゃ」
「でも手を離すなって」
「あいはおはんを助ける為じゃ」
「でも私は伝之助さんに命を救われて!」
「おいはおはん以外にも救うちょる」
「一緒に薩摩に行くって、薩摩で暮らすって、それを考えてくれるって……」
りんはぽろぽろと涙を流して俯く。
何だか事情はよく分からないがりんが可哀想だ。
優之助は伝之助を睨む。
しかし伝之助の顔を見て驚いた。
辛く苦し気で、それを堪えていた。
「もう……よか」
伝之助は絞り出すように言った。
まさか伝之助もりんを想っているのか。
だが自らの境遇から一緒になる事は許されないと思っているのかも知れない。
「おはんはおいに依頼した。父の仇を取ってくれと。じゃっで、鈴味屋で働いておいに報酬を払え」
そう言うと伝之助は返事も聞かず背を向けて歩き出した。
「ちょっと伝之助さん」
それはあんまりだ。
優之助は気まずい思いをしながらどうしてよいか分からなかった。
「おりんさん、何て声かけたらいいんか……」
りんはごしごしと涙を拭く。
「お見苦しい所を見せました。私鈴味屋に行きます」
「伝之助さん!私鈴味屋に居てますから来て下さい!」
伝之助の背に向かってりんは叫んだ。
その後りんは鈴味屋へと向かい、優之助は家に帰った。
伝之助は優之助の家へ帰ると、刀の目釘(めくぎ)を抜き、柄を外して茎(なかご)に刻まれた文字を見ていた。
「隼人丸(はやとまる)……」茎に刻まれている文字を見て呟く。
角吉が最強の剣術を作りたいと天地流を作り、天地流を最大限に活かせる刀を作った。
その刀の名が隼人丸。
薩摩の勇猛果敢な男と言う意味の薩摩隼人とかけているのだろう。
この刀は角吉の想い、天地流の全てが詰まった刀だ。
伝之助は今まで使わず気付かずにいた事を角吉に詫び、刀を戻した。
隼人丸は薩摩隼人の伝之助が扱い、伝之助の業があって真に天地両断の剣となるのだ。
角吉の想いがようやく伝わったが、りんへの想いは断ち切らねばいけないと思い、居間の天井を見つめた。
優之助はそんな伝之助の様子を見て声をかけ辛かった。
帰ると伝之助が居間で胡坐をかき、刀を膝に置いて天井を見ているのだ。
しかし敢えて何も気にしていないふりをした。
「真っ直ぐ家に帰ってたんですね」
伝之助はちらっと優之助を見ると刀を床に置いた。
「お前は顔面いっぱいに好奇心が湧いちょるのう」
「え、ほんまですか」
覚られたか。
「よかよか。一から話すから祝いも兼ねて酒でん飲むど」
珍しく伝之助から酒を誘った。
「いいですね。じゃあささっと用意しましょう」
二人はその日、大いに飲み明かした。