二人の之助

文字数 5,749文字

その後優之助(ゆうのすけ)は一度、島薗(しまぞの)の柴蝶屋(しちょうや)へ千津(ちづ)に会いに行った。

「これは優之助さん。お久しぶりです」

千津の笑顔からはいつかの暗さが消えていた。

「千津さん、柴蝶屋に残って働く事にしたんやね」
「ええ。どうせ行くところもありませんし、母を見捨てる事も出来ませんから」
「そうか。もう辛くないん?」

「はい。柴蝶屋は以前のような店と違います。金を出せば女を抱ける店ではなく、芸事等を楽しんでもらう店となりました。島薗には女を買う店もありますが、島薗全体が以前の様な女を、客を食い物にする所と違ってます」

島薗は奉行所の大々的な捜査が入り、坂谷(さかたに)の残党は根こそぎ捕えられた。

坂谷の支配は終わり、島薗はそれぞれの店の代表から選び、組合を作って皆で助け合い営んでいく事となった。

「だから私は大丈夫です。家も私の手に戻りましたし」
「家も戻ったんか。そうか、それは良かった」

優之助は一安心した。千津は前を向いて生きて行く事が出来そうだ。

「伝之助(でんのすけ)さんはお元気ですか」
「元気やけど……まだ千津さんには会いに来てないんかな」

一瞬、千津の表情が陰るがすぐに取りなした。

「御存じなかったんですか。伝之助さんは一段落してから一度来られました。伝之助さんには一から十までお世話になりまして、もう一度やり直せるように色々取りなしてくれました。私、伝之助さんにお礼を言うたんです」
「そうか」

なんや、ちゃんと来てるんやないか。

「それで、私のこと、貰ってくれませんかと言いました」

「そうか」

私のことを貰う?

「ええ!」

「でも、伝之助さんには断られました。私が男の人相手に働いてたからとかじゃなくて……」

なんであいつだけこないに好かれるんや。
俺の方が顔はええのに。
あいつは糞侍で鬼畜やぞ。

「おいには想うおなごがおる、と言われました。だから伝之助さんが気にされてたらと思いまして。私はもう諦めがついて吹っ切れてますから」

千津は伝之助が自分のせいで気にしていないか心配していたようだ。

生憎、あいつにそんな神経は無い事を伝え、柴蝶屋を後にした。


 
優之助は坂谷の一件以来、今までの仕事をしていなかった。

もうあんな目に遭いたくなかった。
たまに日雇いの仕事をするが、基本的にはだらだらと過ごす毎日で、伝之助に罵られ、適当にあしらう日を過ごした。

鈴味屋(すずみや)には一段落してからまた通うようになった。

裏で糸を引いていた藤井(ふじい)は捕えられなかったが近い内、坂谷達には裁きが下るだろう。

「と、まあこう言う事や」

優之助はおさきを前に今までの事を全て話した。

もちろん自分の活躍を大袈裟に、伝之助の活躍は出来る限り小さく伝え、自分にとって格好悪い、都合の悪い話は端的に話した。
話し終えた頃には中々の時が経過していたが、おさきは他の客の所には行かず、しっかりと最後まで聞いてくれた。

「優さまたちのご活躍は聞いていましたよ。優さま、えらい男らしゅうなりましたなあ」
「そ、そっそそ、そうか」

おさきの美しい笑顔を前に声が上擦る。

「それはそうとおさき。前におさきに言うた事覚えてるか」

優之助はしどろもどろに言った。
おさきは変わらず笑顔で優之助を見る。

「ええ、覚えてますよ」

気にも留めない涼しげな様子で答える。

「答え、聞かせてくれるか」

ぐいっと顔を近づけると、おさきは笑って窓の外を見た。

「優さま、今何してますの」

おさきが窓の外を見る横顔はやけに醒めた様子であった。

「え、今は……」

また前みたいにだらだら過ごしている、とは言えない。

「私、あないに頼もしい優さまを見たんは初めてでした。そんな優さまとなら一緒になってもええかなあと思いましたけど、今みたいな優さまとはちょっと……」

優之助はおさきの傍へ寄った。

「おさき、依頼が来てるんか」
「ええ。実は優さまが来やん内にこないに」

おさきは仕事の依頼が書かれた文を大量に見せた。
町の人々は優之助達が坂谷を捕らえるのに一役買ったと噂しており、それが評判となって依頼が殺到しているようである。

「でも優さまはもう依頼を受けへんのですよね」

おさきが上目遣いに見て言う。

「いや受ける。俺はまだまだ働く。おさきの為に働く」
迷いなく即答した。

二度とやらないと思っていたはずだが、おさきと一緒になる為には背に腹変えられない。

「まあ嬉しい」
「じゃあ俺と一緒に――」
「まずはお茶でも行きましょか」

お茶でも……おさきは店の外で鈴味屋の客に会わない。

これは大きな進展だ。おさきとの距離がまた一つ縮まったのだ。
そう思って納得し、いつも通り機嫌よく閉店まで飲んだ。


月夜の帰り道、橋の向かいから侍が歩いてくる。

今日は橋から立小便してないぞと思い一瞬ひやりとしたが、よく見ると伝之助だ。

「伝之助さん。迎えに来てくれたんですか」

いつもなら鬱陶しいが今日は機嫌がいい。それにまた仕事の事を頼まないといけない。

「ないごておいがお前を迎えにこんといかん。はよ帰れ」

なんや、迎えに来たんと違うんかい。

「はいはい、帰ります」

ふらふらと橋を渡る。

いや待て、あいつ何してるんや。と思ったが、酔いも回っておりどうでもよくなった。

そう言えば伝之助は帰りが遅い事が多いように思う。
まあどこに行っているのかなど全く興味は無いが、話題に困った時にでも聞いてやろう。


家に帰り風呂に入った。
風呂の中であれこれ考えていたせいか、酔いが覚めてしまった。

居間に行くと伝之助が座っていた。

「あれ、帰ってたんですか。何してるんですか」
「ないしちょるとちごう。お前の長湯を待っちょったとじゃ」
「それは失礼しました。お先でした。どうぞ」

伝之助が立ち上がろうとするところでふと聞いてみる。

「伝之助さん。最近帰り遅いですし今日も鈴味屋の近くにいてましたけど、何か出歩いてるんですか。ひょっとしてまた何か仕事?」

伝之助は優之助の方を一瞥しただけで目を逸らし、座り直す。

何を考えているかわからない。

「お前には関係なか」
「そうですか」

関係ないならなぜもう一度座り直したのだろうか。
いつもの伝之助なら立ち上がりながら言って去るはずだ。

だが座り直しただけでなく、関係ないと言った後も座ったままそっぽ向いている。
なぜか風呂に立とうとしない。

まあそんなはどうでもいい。

それよりおさきから頼まれた以上は伝之助に話さなければいけない。
何か当たり障りない内容から話そう。

「そう言えば伝之助さん、千津さんの所に行ったんですね」
「そいがないじゃ。様子を見に行っただけじゃ」

面倒そうに返す。

「俺も行ったんですわ。それで聞いたんですけど、嫁にもらってくれと言われたそうですね」

伝之助の表情がもろに曇る。

しまった、当たり障りあったか。

そう思うも、ふと伝之助が千津に返した言葉を思い出す。

「伝之助さんは俺には想うおなごがおると言って断ったそうやないですか」

それを聞いた伝之助は固まった。

まさか千津が優之助にそんな事を言うとは思いもよらなかった。
そして千津に口止めしなかった事を後悔した。

千津に会いに行ったのは様子を見に行くついでに報酬の内、二十両を渡しに行ったのだ。
千津の協力無しでは解決しなかったし、千津に新たな一歩を踏み出す足しにでもなったらと思った。

その時に千津から思わぬ告白を受けると言う予想もしなかった事になったのであった。
千津に、優之助には渡した二十両の事は話すなと言ったが、嫁にもらうどうこうのやり取りは話すなとは言わなかった。

どんな流れでそんな話になったか分からないが、余計な事を言ったなと思った。

「そげん言うたら千津も諦めがつくち思ったとじゃ」

優之助はそう返す伝之助の顔を見て、なぜ鈴味屋の方に歩いて行ったのか察しがついた。

りんの所に行っていたのだ。
だからさっきもばつが悪くてすぐに風呂へ立たなかったのだ。

こういう問題になると何とも分かりやすい奴だ。
生憎こっちは男女の話だと経験値が高い。

「伝之助さん。最近いつも帰りが遅いですけど、おりんさんを送っているんですか」

唐突な優之助の言葉に一瞬たじろぐも、伝之助はすぐに面倒そうな顔を作る。その顔にももう慣れた。

「うんにゃ。おいはりんから仇討ちの報酬を受け取りに行っちょる。全額払ったら大変じゃち、少しずつ払っちょう。まあ結果的にはりんを送っちょるこつにもなるかもしれんがの」

なぁにが結果的にはだ。
なぁにがなるかもしれんがの、だ。

しかしこれを口実に毎日会えるではないか。このやり方は後学の為に参考にしよう。

しかしあれだけりんを突き放したのに、舌の根も乾かぬ内にとはまさにこの事だと思ったが、決して口にしない。
口にしたらぼろ雑巾にされる事間違いないからだ。

それはさておいて、互いに想い合っているのだ。

こうなる事は仕方ないが、伝之助はいつかこのまま何もなく薩摩に帰るつもりだろうか。
伝之助はまだいい。お役目を預かり使命を持っていられるからだ。

しかしりんは違う。
全てを失ったりんは今、伝之助への想いを糧にして生きている。

伝之助がりんに対して全く好意が無ければ話は別だがそうではない。
それはりんもわかっているから期待しているに違いない。

その期待を裏切り、りんを置いて薩摩に帰るとなればりんはどうなる事やら、最悪自害するのではとさえ思った。
伝之助の為と思うと癪だが、りんの為と思うと放ってはおけないと思った。

しゃあないなあ……仕事の頼みついでに一肌脱ぐか。

「伝之助さん」
「ないじゃ」
「折り入ってお願いが二つございます」
「お前、またないか企んどるとちごうな」
「いえ、聞いて下さい。おりんさんは伝之助さんに好意を寄せています。伝之助さんもおりんさんに好意があります」
「お前、そげなこつ……」

優之助の、あまりの率直な物言いに伝之助が狼狽える。

「聞いて下さい。伝之助さんも色々思う事あるでしょう。大切に思うからこそ一緒になる訳にいかん言うのもわかります。けど全てを失ったおりんさんは今、伝之助さんへの想いを糧に生きてると思います。もしこのままいつか薩摩に帰ったら悲しむ。悲しむだけならまだしも、自害するかもしれません。伝之助さんの考えもあるから是が非でも想いに応えて一緒になれとは言いません。ただお互いの為にしっかり話し合って下さい。その結果、一緒になるならいいし、ならへんならならへんでもいいと思います。このままおりんさんの手を離すようなら絶対後悔します。お願いですから一度おりんさんときっちり話して下さい」

手を離す……伝之助はいつやらりんの手を離して後悔するような事があったように思う。

いや、現実でそんな事があっただろうか。
いつの事か、現実か夢かわからないが、何かそんな事があったような気がする。

伝之助はしばらく無言で優之助を見つめる。優之助も負けじと見つめ返す。

伝之助はりんにも報酬の分け前を渡していた。

当初、自分の取り分も加え、二十両渡すと言ったがりんは相当に遠慮し、受け取らなかった。
今回の報酬と父、黒木保治郎の香典だと言って、りんがやり直すための糧になればと説得し、半分の十両を半ば無理矢理受け取らせた。

これでりんも安心だと思っていたが、優之助が言うような事までは考えていなかった。

「お前、いつの間にやらやっせんぼとちごうなったのう」

やっせんぼではなくなったか。確かに我ながら立派に弁が立ったと思った。

「男児、三日会わざれば刮目して見よ、でしょ」

いつかの伝之助を真似する。

「おもしろか。わかった。りんとはきっちり話す。優之助が言うこつまで考えよらんかった。突き放すばかりとちごうて、互いの為にきっちり話してどげんすっか決める」

手を離すなか……そいがほんのこて大事なもんを守るこつになるかもしれんの。

伝之助は自分がやっていたのはりんの為ではなく、ただただ自分が楽なように逃げを打っていただけかもしれないと思った。

「ほんまですか?」
「じゃ。侍に二言はなか」

全く世話の焼ける。
伝之助がりんと一緒になると思うと面白くないが、まあここは我慢だ。

「で、もう一つの頼みっちゅうんはないか」

ここからが本題だ。優之助は意気込んだ。

「実は、俺も今日鈴味屋に行きましてね」
「そいは知っちょう」

「ええ。おさきと会いまして、そしたら仕事の依頼がえらい来てる言うんです。あれからもうあんな目には遭いたく無いって思ってましたけど、こないに人々から必要とされて頼りにされてるならやっぱり引き受けんわけにはいかんなあ思いまして。伝之助さんにもまた協力してほしいと思ってるんです」

伝之助はまた優之助を見つめる。
優之助は、今度はゆっくりと視線を逸らし、下に落とした。

すると伝之助はふっと笑う。

「どうせおさきにうまいこつ言われてそん気になったとじゃろ。まあよか。実を言うと遅かれ早かれ、きっかけがないであろうとお前がまたそん気になるち思っちょった」

優之助はぱっと明るくなり顔を上げる。

「それじゃあ……」
「おう。また二人で仕事じゃの。おいが薩摩に帰るまでじゃがの」
「いつ帰るんですか」
「数年後ち言うちょった。こん仕事を続けるなら一人でも出来るようにならんといかんの」

確かに今後も続けるならその通りだ。

伝之助のようにはいかないだろうが、何か自分ならではの方法があるかも知れない。
それに吉沢との伝手もできた。何だか前向きに考えられる。

「そうですね。それも考えて行きます。そんで依頼ですけど、こないに来てるんです」

おさきに貰った文の束を見せた。伝之助はげんなりとした顔になる。

「やっぱやめよかの」
「いやいや、頼みますよ」
「お前はほんのこて安請け合いする奴じゃ。よか、一つ一つ読んでみい」
「え、今からですか」
「善は急げじゃ」

善なのだろうかと疑問に思うが、ここで何か言って伝之助の気が変わったら困る。

「はい」と返事をしようと思って言い留まり、言い直した。

「よか」

にっと笑って言うと、伝之助の顔がこれでもかと言う程不快に歪む。

「それやめ」
「すんません」
「はよ読め」
「はいはい」

いつの日か伝之助が言っていた。二人とも同じ「之助」だと。
その時は何を言っているのかと思ったが、今はそれがしっくりきていた。

伝之助が薩摩に帰るまでの間、もう少し『二人の之助』で走り回るのもいいかも知れない。
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