優之助、情報収集

文字数 3,788文字

次の日、優之助は鈴味屋ではなく紫蝶屋に来ていた。

一人で来た事で千津は不安な顔をしたが、客として来たのではないとけん制した。
そんなに下品さが滲み出ているだろうか。

「千津さん。今日は聞きたい事があってきたんや」

料理と酒が来た後、手も付けず問う。

「はい、なんでしょう」
「坂谷の屋敷の部屋の配置はわかるかな」
「部屋の配置ですか。大体はわかりますけど」
「そりゃ助かる。思い出せる範囲で教えてほしいんや」

ゆっくり時間をかけ、千津から事細かく聞き出し紙に書いてみる。

「千津さん、坂谷が大事なもん取っとくとしたらどこやろ」
「ここだと思います」

千津は考える間もなくすぐに坂谷の寝室の隣にある部屋を指した。

「ここか。蔵やないんやな」
「はい。坂谷は外にある蔵ではなくすぐそばで手が届く所に何かと置いています」
「この配置はほぼ間違いないんかな」
「はい、間違いありません」

千津は視線を落として言った。
その目は暗い。

それを見てあまりに無神経に聞き過ぎたと思った。
きっと坂谷に何度も呼ばれ相手をさせられたのだろう。

「ついでに護衛の配置もわかる範囲でいいから教えてもらえるかな」

千津には嫌な思いをさせて悪いが大事な事だ。
しかと聞き出しどこから忍び込むか、忍び込んでからどの道で動くか考えなければいけない。

千津は地頭がいいようで事細かに記憶していた。

千津は何をするのか気になっていたようだが何も聞かないでいてくれた。
何も知らない方がお互いの為にいい。

書き終えるとささっと料理を食べ、酒は徳利から直接口をつけて一気に飲んだ。
千津は目を丸くしていたが、島薗に長居したくなかった。

 
家に帰ると伝之助は出掛けているようでいなかったが、りんが洗濯をしていた。

「ああ、色々してもらってありがとう」

一気に酒を飲んだからか少し酔いが回っている。

「いえ、ここに置いてもらうわけですしこれぐらいしか出来る事ありませんから」

りんは仇討ちに来た時の様に袴姿ではなく、女らしい着物をまとっていた。
その姿で洗濯する姿を見ると、十七の娘相応に見える。

「そう言えば御父上は黒木の捕縛術で有名やったな」

優之助が言うと、りんの手が止まる。

「あ、ごめん。無神経な事聞いたな。忘れて」
「いえ、久々に聞いたので思わず手が止まっただけです。続けて下さい」

優之助は迷ったが、続ける事にした。
続けると言っても黒木の捕縛術については詳しく知らない。
ただ話を繋ごうとしただけで少し気になった話をしようと思っただけだ。

「まあ大した話とは違うんや。伝之助さんは御父上の事よう知ってたみたいやけど、俺は全然知らんかったから聞いてみようと思っただけなんや」
「構いません。父の事、聞かれるのは嫌いじゃありません。皆気を遣って父の話題を避けます。けど私にとっては父の事を聞ける大事な話なんです」

なるほど、そう言う考え方もある。

死に打ちひしがれる事はいつでもできる。
だが、別の一面を知る事は話に出たその時しか出来ない。

「いや、ほんまに大した話をしようとしてた訳と違うんや。ただ御父上が有名やったみたいやから、おりんさんはそれでどないな思いしてたんかなって思ってな。て言うのも俺の実家も桜着屋て言う呉服屋なんや」
「桜着屋て、あの有名な桜着屋ですか」

りんの反応に改めて実家の呉服屋が京で有名なのかを思い知る。

「そうなんや」

優之助は簡単に自身の境遇を話した。
もちろん女遊びが激しかった話はしない。
ただ決まった道を歩みたくなかったと言うぐらいに留めておいた。

「だからお互い有名な親を持つ同士、どないな苦労してるんか思ってな。例えば捕縛術を継げと無理矢理に稽古させられへんかったんかなとか、親が有名な為に世間の目が気にならんかったんかなとか。いや、何も御父上を悪く言うてんと違うで。ただおりんさんの取り巻く環境でおりんさんはどない思ってたんやろて気になったんや」

優之助が取り繕うなり、りんは微笑む。

「そない気遣わんでもいいですよ」

優之助が返せずにいると、りんは構わず続けた。

「親が有名な事で言う世間体は特に気にせず、寧ろ誇らしかったです。それに恥じないよう生きて行こうと思いました。父から捕縛術をやれと押し付けられることは一切ありませんでした。それどころか私に教えたくなさそうでしたが、私は懇願して稽古をつけてもらいました。この辺りの事情は私が女で優之助さんが男であり、また跡目であるかどうかが関係してくるのだと思うので、一括りに出来ない事とは思いますが」
「まあそりゃそうやな。もし状況が全く同じであったとしても捉え方も違うやろし、接し方も違うやろうしな」

事実、弟の勇次郎とは同じ環境であるにも拘らず、優之助は家を出て、勇次郎は継いだのだ。
きっと勇次郎はりんのような考え方が出来るのだろう。

どちらが良し悪しではない。
それぞれの生き方なのだ。

「おりんさんは捕縛術を稽古してたんやな」
「ええ。そこらの侍には負けないぐらいにはしていましたね。伝之助さんには歯が立ちませんでしたけど……」

そう言えば伝之助に腕を掴まれていた。
あの時りんは抵抗しようとしていた。

「手を掴まれた時の事?」
「ええ。あの時手を引き込んで、体を入れ替えて抜けて反撃してやろうと思っていたんです。けどびくともしやんかった。驕りやないけど、私はそこらの男の人に捕まれたぐらいで捕られられません。手の力やなくて体の力を使うんです。けど伝之助さんには通用せんかった。父は当然私よりもっと凄かった。刀を持った相手でも捕縛した。けど殺された。だから父も通用せん相手に殺されたんやと思います」

それは伝之助を疑っていると言う事だろうか。

「おりんさんは伝之助さんを疑うてるの?」
「いえ、伝之助さんはやってません」

りんは確信染みた眼差しを向ける。

昨日の話を信じてくれたと言うのだろうか。
優之助がそう思うとりんが続けた。

「伝之助さんは私の手を掴んだ時、私が痛く無いように気を遣ってくれました。動かそうとして動かんかったけど、それこそ伝之助さんも手の力やなくて体の力を使って対抗した。それで手には出来るだけ力入れんようにしてた。あの時はお二人がやったて思い込んでたし感情的なってああ言いましたけど、冷静なって思うとあんな気遣いする人が父を殺すと思えません」

伝之助がりんの腕を掴んだあの時、りんは驚愕の表情を浮かべていた。
それは自身の技が通用しなかった事と伝之助の気遣いに対して驚いたのだ。

あの時はこの二人はやっていないと言う事実を受け入れられなかったのだろうが、今は冷静に考えられているのだろう。

伝之助は過去、人斬りをしていた。
常に良心の呵責に身悶えし、頬が削げ落ちた。

伝之助は元来悪人ではない。
腹の立つ奴ではあるが、寧ろ善人だろうと言う事は認めざるを得ない。

それをりんに見抜かれたのだ。

「そうやったんか。俺からも言うけど、伝之助さんは絶対に御父上を手に掛けてない。御父上が何かあれば大山伝之助を訪ねろと言うてたんは違う理由があるはずや」

りんは優之助の言葉に微笑むだけであった。

今となればその理由は大方予想がつく。
伝之助を頼れと言う事だ。
そして奉行所を頼れと言わなかった事を考えると、考えたくないが奉行所も信用ならないと言う事だ。

黒木はそう言った事実を掴んでいたと言う事だろう。

優之助はりんの芯の強さや純真さに感動すら覚えていた。
今時こんな絵に描いたような侍の娘がいるのだ。

「や、おりんさん。おりんさんは特に思ってる男の人はおらんの?」

先程柴蝶屋で一気飲みした酒が効いている内に聞かねばならない。
伝之助が居ればそう言う所が下品なのだと罵っただろう。

「ええ、おりません。私は可笑しいかも知らんけど、自分でこの人がいいて思った人と一緒になりたいんです」

りんは優之助の物言いに対して意に介する事なく返す。

武士の家の者なら親なりが縁談をまとめてくるもので、そこに個人の意思は関係なくあくまで家の為に祝言を挙げる。
だが一人娘だし黒木もりんのさせたいようにしてやりたかったのだろう。
上級武士ならばそうはいかないだろうが、幸いにもそうではない。

「今まで縁談は無かったん?」
「いくつかありましたけど全てお断りしました。父は毎日位牌に手を合わせ母を一途に思っていました。仲間達が父を思って色んな方を紹介してくれましたが、父は全て断りました。死者にいつまでも捉われてる事は良くない事かもしれません。けどそんな父を見て育った私は、全てを捧げてもいいと思える相手やないと嫌やと思うようになりました」

何て健気な子や。
優之助はりんに下心を出して話した事を恥じた。

「でも今となってはさっさと婿を貰った方が良かったんかなとか思います」

りんは力なく微笑む。

もし婿がいれば今ほど状況が悪くならなかったかもしれないが、坂谷が相手ならわからない。
婿がいれば黒木だけでなく婿も殺されていたかもしれない。

「坂谷の事やからわからんよ。おりんさんのそう言う気持ちは大事にした方がええと思う」

優之助は力強く頷いて言った。
これはりんの大切な気持ちだ。

「そうやね……」

りんはそう言ったきり洗濯を続けた。
りんと話すとあちこちの女にうつつを抜かさず、おさきに集中しようと思わされた。

しかしまずは現状を解決しなければいけない。

優之助は居間で寝転ぶと天井を見た。

酔いはまだ残っている。
一つ大きなあくびをした。
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