襲撃のその後

文字数 4,935文字

あの音は鉄砲の音やったんやろか。まさか伝之助が撃たれたんと違うやろな。

優之助は気になりつつも鈴味屋に向かっていた。
今となっては確認のしようがない。

伝之助の事だから大丈夫だとは思うが伝之助も人の子だ。万が一がある。

あれこれ思い巡らせて森の中を走り抜け、気になりながらも鈴味屋に着いた。

裏口の戸を遠慮がちに叩くと、夜中にも拘らずお鈴は起きて待っていてくれたようで、すぐに扉が開く。

りんはどうしたかと聞くと、置手紙があり気付かぬ間に発っていたとの事だった。
置手紙を見せてもらうと、挨拶も無しに出て行く無礼と、気になって眠れないので早くに発つと言った内容が書かれていた。

じっとしていられなかったのだろう。
後は無事を祈るのみだ。深く考えずそう思った。

その為、お鈴は起きていたのになぜ挨拶もしなかったのか、敢えて挨拶をせずに去った可能性などは考えもしなかった。

優之助はお鈴に礼を言い、急いで家に帰った。

そう言えば伝之助の馴染みの宿はどこの何という宿なんだろう。

まあ別に知らなくとも問題は無い。
そんなことより休まないともう体が限界だ。


すぐ床に着いたが一睡も出来なかった。
体は疲れているが頭が冴えわたっている。

興奮、恐怖、伝之助の状況、りんの状況、あらゆる事が頭を巡る。
その内に夜が明けた。

体はだるく頭も働かないが、目だけが冴えわたっている。
何も考えず体が動くままに支度を済ませ、昨日取り返した紙を懐に忍ばせると、ふらふらと奉行所へ行った。

奉行所は慌ただしく人が駆け巡っている。
ぼんやりとその様子を眺めていたが吉沢はいないようだ。

「家におったら向こうから訪ねて来るやろ」

高を括り、家に帰って吉沢の訪問を待つ事にする。

家に帰り、眠る事も出来ずに居間でぼーっとしていた。
日が高く昇る頃、読みが当たり本当に吉沢が訪ねてきた。

「優之助!大山はおるか!」

吉沢は訪ねて来るなり叫んだ。
居間にずっと居座っていたいと思う体に鞭打ち、玄関まで行き戸を開ける。

「そない大きな声出してなんですか。伝之助さんならしばらく前に出て行きましたけど」

疲れている様を覚られぬよう顔を作り、予め口裏を合わせていた通りに返す。

「なんやと。いつからや」

吉沢は顔をしかめて言った。

「さあ……もうかれこれ三日は経つんと違いますかね」
「ほんまか」
「ええほんまです。それより吉沢さん、ちょっと見てほしいもんがあるんです」

吉沢の「待て」と言う声を無視して居間へ走ると、紙を取って戻ってくる。

「これ見て下さい。今朝、家の前にありました。盗まれたかして消えたはずの、坂谷が黒木さんを始末してくれと依頼しに来た時の紙です」
「なんやと。ちょっと見せ」

吉沢は優之助からひったくるとさっと目を通す。

「確かに依頼しに来たんやな。坂谷の字で名前も書いとる。無理矢理依頼を受けさせられた事も書いてるし、調査して逆恨みなら受けんとも書いとる。金を貰う事もな」
「金は半金貰いましたけど盗まれてます。恐らく坂谷に」

吉沢は黙り込む。何をどこまで話そうか考えているのかもしれない。

「吉沢さん、何かあったんですか」

何があったか知っているがぼろを出すわけにいかないので聞いておく。

吉沢はしばらく考え込んだ後、やがて話し出した。

「実は昨晩、大山が坂谷の屋敷を襲撃した。正面口から入り込み坂谷の護衛を何人も斬った」

伝之助は無事なのだろうか。あの大きな音は何だったのだろうか。

「それ、ほんまに伝之助さんがやったんですか」
「ああ間違いない」
「何で伝之助さんやと……捕まったんですか」
「いや、大山は行方知らずや。だからこうしてお前を訪ねてきたんや」

逃げ果せたのだろうか。

「坂谷に捕まって監禁されてるって事は?」
「それはないやろ。坂谷のあの様子からしても大山は行方知らずや」

坂谷が怒り狂っている様子が目に浮かぶ。

「伝之助さんはどないなったんでしょうか」
「坂谷らの言う事によったら、大山がいきなり護衛に斬り掛かってそこから加勢した護衛も何人も斬られた。刀の遣い手も槍の遣い手も皆やられた。そこで坂谷の護衛の中でも一番の遣い手、沢田言うやつと斬り合ったみたいや。そんで大山が負傷して逃げたんや」

「伝之助さんが負傷て……斬られたんですか?」

あの伝之助が斬り合いで負傷したと言うのか。まさか、信じ難い。

「せや。逃げたんやから致命傷やないやろけど、斬られたんは間違いないやろ」

天地流を極めた伝之助が一対一の斬り合いで斬られたと言うのか。
それか鉄砲で撃たれた事が影響したのか。

聞いてみようと思ったが、吉沢は探るような目で優之助を見ている。

思わず口を紡いだ。
鉄砲の事などその場にいなければ知るはずもない。

密かに肝を冷やす。

「伝之助さんは何人ぐらい斬ったんですか」

鉄砲の事ではなく伝之助の様子を聞く。

「屋敷内で二十三人。内、十九人が死亡、四人が重傷や。それとは別で森の中でも三人斬られて死んでた。合計で二十六人も斬りよった」
「二十六!?」
「そうや。重傷の四人もいつまでもつやろな」

薩摩隼鬼(さつましゅんき)――通り名は伊達やなかった。

あいつはやっぱり鬼や。戦国時代とちゃうんやぞ。
そんなに斬ったらさすがに疲れるやろ。
そりゃあ坂谷の部下一番の遣い手を相手に遅れも取るに違いない。
そう思い、絶句した。

「長い事奉行所でやってるけどこんなん初めてや。あいつ、化けもんや」

吉沢は現場を思い出したのか、顔をしかめる。
海千山千(うみせんやません)の吉沢をもってしてもそう言わせるほどのものだったのかと思うと、まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の様であったのだろう。

「そう言えば伝之助さん、この紙も金も盗んだんは坂谷に違いない言うてました。黒木さんを殺したのも坂谷一派に違いない言うて、疑われてたんも我慢ならんかったみたいです。坂谷だけは許さん言うてました」

事前に用意していた作り話を話す。

「ヤスの事は大山やない。違う奴や。それにしても大山がそんな感情的な行動を起こすか?」

吉沢は黒木の事をヤスと呼ぶ。
対外的に話す時は黒木と呼ぶようにしていたが、優之助に対してはもう気にしていないようだ。

それにしてもさすがに鋭い。
伝之助の人間性をどこまで知っているのだろうか。

「いや、意外と直情的で突発的なとこもありましたよ。ほら、薩摩の人間ですし……」
「そうかな」
「ああそれより、黒木さんをやったのは伝之助さんの仕業やないて言うのは何か確信があるんですか」

これ以上探られるのはまずい。話を逸らした。

「そうや。お前も含め、この紙と今までの経緯から考えて間違いないやろ」
「何で俺と伝之助さんやないて言いきれるんですか」

伝之助は言っていた。吉沢なら二人の仕業ではないと気付くはずだと。

「斬り方や。大山が斬った奴らはほとんど一撃でやられてた。間違いなく天地流の斬り方や。けどヤスはな、そうやなかった……」

吉沢の表情が歪む。
それ程の凄惨な状態だったのだろうか。

「そうやなかったて……聞いて良いならですけど、どんな状態やったんですか」

吉沢は暫く顔を歪めたまま何も答えなかった。

優之助が諦めて話を切り替えようかと思った頃、吉沢は口を開いた。

「ヤスはな、左手首を斬られて胴を横一文字に斬られ、更に袈裟に浅く斬られ、倒れた所に首に刀を突き入れられてた。内臓は飛び出てたし、相当苦しんだ様子やった」

「え……」
何と言う惨たらしい殺され方であろうか。

ふと見ると吉沢の目は赤く充血していた。
涙を目に溜めようともしないと必死である。

「ヤス程の奴が簡単には捕まらんやろけど、手練れの剣士相手やとそうはいかん。恐らく左手を斬られて捕らわれた。それだけやない。右手の指は全部無かった。ヤスはな、殺される前に拷問されたんや。体は傷だらけやったし、手の指が全部落とされる程や。想像を絶する拷問やったんやろう。けど右手の指が全部落とされてたて事は何も喋らんかったて事や。そこで諦めて腹と袈裟懸けに斬られ、留目に首を突き入れられたんや」

吉沢は改めて思い出し、歯を食いしばる。

「どんだけ拷問されようとも斬り殺すとなれば多少なりとも剣術流派の癖が出る。天地流をやってるもんやと一撃でやるか、そうでなくても致命傷の一撃を加えるはずや。けどヤスはちまちまと斬られて殺された」

左手首は落とされ、右手の指を全て切り落とされ、更なる拷問をされた挙句、苦しむ様に斬り殺された。

何て惨たらしいのだろうか。りんは知っていたのだろうか。
全て知っていなくとも、自身の父がどのように死んだか多少は知っていたはずだ。

伝之助は黒木が殺された方法を調べると言っていた。
それを知った伝之助は襲撃をかけて黒木を斬った刀を奪おうと考えたのかもしれない。

「大山が斬ったなら一刀の下斬られてるはずや。俺は剣の達人やないけど刀で斬られた人間を幾度となく見てきた。切り口を見たら太刀筋や剣術流派が大体わかる。ヤスの場合は天地流の斬られ方やないし太刀筋も違う。手首や腹を狙って戦力を削ぐ剣術、大方、光影流辺りやろな」

凄い。
伝之助に吉沢の同心としての能力を信用しろと言われた時は理論的な裏付けがなく不安に思ったが、ようやく今その意味が分かった。

「凄いですね。そんな事までわかるなんて」
「けど坂谷の屋敷襲撃の事があって、大山の仕業で間違いないと言い張るやつもおる」

あれだけの騒ぎを起こしたのだからそれは仕方ないのかも知れない。

「伝之助さんが捕まったらどないなるんですか」
「疑いが晴れたとしても、良くて腹でも斬らされるんと違うか」
「そんな……」

伝之助は全て計算の上、あの襲撃を仕掛けたのだ。
紙を盗み出せても紙だけでは疑いが覆らない。
だから黒木を斬った刀を奪おうと考えた――そこまで考えてはっとした。

いや、違う。
紙を取り返す事も刀を奪う事も確かに必要だが、それ以上に自分が派手に暴れる事で吉沢に気付かせる狙いだったのだ。
伝之助は黒木がどのように斬り殺されたかを知った。
それで自ら証拠を示しだそうと考えたのだ。

「さすがにな、いくらならず者ばかりや言うても二十六人やぞ。その内二十二人殺したんや」

確かに野放しにするわけにはいかないのだろう。
しかし相手は巨悪だ。そんな巨悪に伝之助は一人で立ち向かったのだ。
そう思うと腹が立ってきた。

「でも奉行所も坂谷を抑えられてないやないですか。あいつの悪事を許してる状態でしょ」

吉沢は露骨に顔を歪める。
その為に黒木を送り込んでいたのだがやられてしまった。
ここまでされて優之助の言う通り、奉行所は坂谷を野放しにしている。

「お前の言う事もわかる。けどあいつは金と力で顔は広い。武家にも伝手がある噂や。あいつを捕らえようもんなら揉み消されるかもしれん」
「それは絶対に許されへん。黒木さんの仇を討とうと思わんのですか。吉沢さん、坂谷とその周辺で間違いないでです。何とか――」
「何とかしようとしてる」

吉沢は小刻みに震えている。
余程悔しいのだ。
黒木の仇を討つなど、誰よりも思っているはずだ。

「けど証拠も何もないのに怪しいから言うてしょっ引く訳にもいかん。俺がこない言うたらあかんけど、大山のお蔭で坂谷の屋敷を調査出来そうや。そこで何か出ると思ってる」

坂谷の屋敷に奉行所が立ち入る。
叩けば埃の出る奴だ。何かしら出るだろう。

「必ず何か掴んで下さい」

優之助は力強い目で吉沢を見て言った。
ここで奉行所が上手く事を運ばなければ自身の身が危ういのだ。

「わかってる。だから何かわかったら教えてくれ。大山の居場所がわかったらすぐにでもな。ほなな」

吉沢はこれ以上話したくないとばかりに家の中を調べる事無く逃げるように帰って行った。

坂谷とやり合うなんて無謀にもほどがあったんと違うやろか。
もう目を付けられた時点でお終いやったんかもしれん。

坂谷は直接自分の手を汚すような事はしない。
いざとなれば知らぬ存ぜぬで部下に押し付けるだろう。

もしかして坂谷と関わった時点で詰んでいたのでは……

伝之助……どうしたらええんや。どこいってしもたんや。

絶望に憑りつかれると昨日までの疲れがどっと押し寄せる。
限界を超えて働き続けていた体が、頭が悲鳴を上げている。
腹が減っているんだろうが飯を食う気も起きない。

そのまま床に寝転がると間もなく寝入った。
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