大坂到着・作戦会議

文字数 5,789文字

「こっちも見てってやぁ!」
「へぇ、これええな。なんぼすんの」
「いらっしゃい。こんでどないやろか」
「こないにすんの。もっと負けてぇな」
「よっしゃ、これでどうや。これ以上はもう負けられへんで」
「そこからのもう一声!」

大坂の町は京と違ってまた別の賑やかさである。

商人が客を相手に興味を惹き付けて物を売り、客はいかに安く買おうかと値切る。
それを商人も客も楽しんでやり取りし合っている。
そんな活気ある風景があちこちで見られる。

二人は人混みをかき分けて歩を進める。

「人が多か」
伝之助が鬱陶しそうに顔をしかめる。

田舎者だから人混みは苦手なのだろう。

「大坂は初めてですか」
「日が昇りよる時に出歩くんは初めてじゃの」

「人混みは嫌いですか」
「人混みが好きなもんはすりと女の尻を触る助平ぐらいじゃろ」
「俺は別に嫌いでもないですけどね。活気があっていいなって」
「そりゃあお前は助平じゃっでそうじゃろ」
「俺は助平でもどさくさに紛れて女の尻を触るような事はしませんよ」
「助平は認めるんじゃのう」

人の荒波を抜けると道が開ける。
更に歩くと宿屋がいくつか並んでいる通りへと出た。

二人で宿屋を見て回る。

あまりに人気の宿屋だと落ち着かない。
かと言って人気の無い宿屋で外れを引くのも困りものだ。

暫く拠点にするだろうからあまり高い宿屋も良くない。
などと考えていると、造りのしっかりした長屋でそれなりに繁盛している宿屋に目を付ける。
聞くと値段も手ごろであった。

「こん宿屋でどげんね」
「拠点にするには良さそうですね」

二人別々の部屋を取る。

優之助はどこの部屋でも良かったので決められるがままにすると、二階に上がってすぐの部屋となった。
伝之助は端の部屋を希望した。

ようやく一息つけ、部屋で大の字に寝転がっていると伝之助が訪れ、偵察すると言って町に出た。

優之助も偵察と言う名の遊びに出ようかと思ったが、どうせしばらく滞在するのだと思い部屋でゆっくりする事にし、その日は何もせずに終えた。

 
次の日、朝早くに伝之助が起こしに来る。

「お前はいつまで寝とる。家でも出先でも同じじゃの」
「まだ日が昇ってもないやないですか」

眠い目をこすりながら体を起こす。

外はまだ暗い。
こいつはいつ寝ているのだろうか。

「お前は遊びに来ちょっとか。今から健太と会うど」
「おさきの兄上とですか。いつ話つけてたんですか」
「いつでもよか。お前は悠長に構えずぎじゃ」

昨日一人で出歩いていた時にでも健太と会ってきたのだろうか。

そう言えば昨日は早々に寝てしまい、伝之助がいつ帰って来たのかも知らなかった。
相変わらず行動が早いが謎の多い奴だなどと思いながら寝間着から着替え、顔を洗う。

「朝飯は?」
「終わってからにせえ」

ちくしょう……腹を鳴らしながら宿屋を出た。


外はまだ僅かに光が顔を覗かせた程度で薄暗い。

二人は無言で歩く。
あれ程賑やかな町が嘘のように静まり返っている。

昨日降り立った舟着き場の辺りまで歩いて行く。
川沿いに更に歩いて行くと柳の木がいくつも並んで見えて来る。
その内の一つに人の輪郭が見える。

「おはんは健太じゃの」
伝之助が人影に近づきながら言った。

健太の姿形を確認する。
背は平均的で身体つきはほっそりしており、顔も何となく貧相だ。

これがあの華やかなおさきの兄なのだろうか。
確かにこれだと仇討ちどころか返り討ち間違いない。

「はい、私が健太です。この度はほんまにありがとうございます」

健太は八の字の眉を更に八の字に曲げて頭を下げる。

「あなたが健太さんですか?」

優之助はもう一度確認した。
おさきとは似ても似つかなかったし、これで本当に仇討ちに出ようと思っていた事が信じられなかった。

「はい、間違いなく健太です」
「何て言うか……ほんまに仇討ちしようとしてるんですか」
「はい、してます。けど、段々怖なってきました」
「でしょうね……いや、失礼。して、相手の尻尾は捕らえてるんですか」
「大方の居場所は突き止めてるんです。しかし確実に討つ機会が中々なくてですね……」

健太は恥ずかしそうに頭を掻く。

健太を見ているとよくもまあ仇討ちに行くとは思い切ったものだと思った。
確実に討つ機会など伺っていても一生無いかも知れない。

「おいはてっきり見つけてもなかかと思っちょったが、居場所はわかっとか」
「はい、大体は……」
「じゃあ話は早か。おいが斬って健太が止めを刺せば終いじゃ」

伝之助はいとも簡単に言う。
優之助は伝之助の様子に慌てて釘を刺す。

「伝之助さん、相手は危険なやつなんですよ。すぐに癇癪を起こし人を斬りつけるかもしらん、何するかわからん奴です。そう簡単に行きませんよ」
「ないを言うか。刀言うんは止まっちょるもんを斬るならまだしも、互いに動きよる状態じゃと刃筋が整っちょらんと簡単に折れたり曲がったりしよって上手く斬れん。自分の腕の未熟さを刀鍛冶のせいにして挙句、丸腰の相手を斬るなんち最初から程度が知れちょる。大したやつとちごう」

伝之助は嘲り笑って言った。
余裕綽々である。

「面目ない……」
健太が情けなく項垂れる。

「いや、健太さんを責めてるんと違うんです」
優之助が取りなすと、伝之助の「作戦、考えっど」の言葉を合図に作戦会議をする事となる。

優之助はそれよりも腹が減っていた。
まだ人が起きる時間ではないが、どこか飯を調達する所はないだろうか。
空腹で頭が回らない。

「ねえ、伝之助さん。作戦考える前になんか腹にいれませんか。俺、頭が回りませんわ」
「お前の頭が回っちょったこつがあっとか」

伝之助が大げさに驚く。

ちくしょう、こいつは人を腹立たせる天才だ。
胸に秘めて返す。

「それがあるんです。飯食うたら勢いようぐるぐる回るんです」
「そいならそこいらの草でも食べ」
「俺は家畜やないんです」

「川で魚でん獲ってこい」
「獲る気力も道具もありませんわ」

伝之助は何も返さず、「どげんしよか」と本題に入る。

ちくしょう、しばらくは我慢か。

まずは健太から詳しく話を聞く事にする。

 
盛本は大坂で潜伏しているのではなく、元々大坂の人間であった。
岡山で健太とおさきの父を斬り殺し、大坂へ逃げ帰っただけであった。

残念な事に余程凶悪な事件を起こしたか重要人物を殺したかでもない限り、国を跨ぐとこうも簡単に逃げ果せるのだろう。

しかし健太の話によると当の盛本は大人しく暮らしているのかと思えば、相変らずよく騒ぎを起こしているようだ。
奉行所に目は付けられてはいるものの、しょっ引かれるほどの事はしていない。

ここまでわかっていながら仇を討てなかったのかと思う所だが、これ程危険な奴となれば一町人である健太に出来ないのは仕方ない。

「何か聞けば聞くほど危険なやつですね」
「そうなんです。それで私も中々機会が無いのです」
「おいがそん機会作っちゃるど」
「そない簡単にいくんですかね」
「状況作りと場所の選別さえきっちりしたらいけっど」

伝之助は自信満々である。
いやこれは慢心だ。
慢心は身を滅ぼすと言うのに大丈夫だろうか。

伝之助がやられるのは構わないがおさきの依頼を達成できず悲しませるのは避けたい。

「じゃあどないしてその状況を作りましょうか」
「簡単じゃ。優之助、お前が揉め事を起こして決めた場所に引き連れたらよか」
「俺がですか?」

冗談じゃない。
相手は人を斬り殺した事のある奴だ。
斬られたらどうする。

「おう。そいでおいと健太が待ち伏せとく。おいが斬って健太が止(とど)めを刺す」

なんでそないに作戦が単純なんや――正攻法もいいとこだ。

「いやいやちょっと待って下さい。俺はそんな役引き受けませんよ」
「ないごてな?」

伝之助が本当にわからないと言う様子で顔を傾ける。
こいつは阿保だ。

「危ないやないですか」
「当たり前じゃ。大金貰うとじゃ。お前命張ってるとちごうたか」
「命張るぐらいの気概はあると言うだけで、実際張るんは違います」
「おいにだけ命張らせてお前は分け前を貰うとか」
「いや、だからこうして付きおうてるやないですか」
「付きおうとる?誰がこん話持ってきたとか。お前、頭は回らんのに口はよう回るのう」

伝之助は薄ら笑いを浮かべて言うが目が怖い。
これはまずい。

生命の危機に立たされて頭も口も回らんわけがないやろと思ったが、もしかして今がまさに生命の危機なのでは……

「わかりました。その代わり伝之助さんも来て俺に何かあればすぐに助けて下さい」
「おいが盛本に姿見せる訳にはいかん。盛本みたいな小物、おいを見たら喧嘩売らんじゃろ」
「何も姿見せろとは言いません。ほら、伝之助さんは隠密行動も得意でしょ。だから俺の近くに隠れて様子を見てて下さい。盛本が刀の柄に手を掛けるようなら迷わず助けて下さい」

伝之助の隠密行動など知らないが、いつも何かと気付かぬ内にやっているのだから出来ない事はないはずだ。

こうなればやるしかない。
ただし身の安全を確保して伝之助に近くにいてもらう。

一太刀ぐらいなら逃げられるだろう。
その間に助けてもらう。名案だ。

「よかよか。お前の言う通りにしちゃる」
手を振りさも面倒な様子で言う。

ちくしょう……俺の事何やと思ってるんや。

だがまあいい。
これで命を張ったと言う事実が出来る。
おさきにしっかり報告して惚れてもらうのだ。

「あの、一ついいですか」

黙って二人のやり取りを見ていた健太がおずおずと口を開いた。

「何ですか」

「やっぱり止めは私がしないといけませんかね」

優之助と伝之助は健太を見つめたまま固まった。

どういう事だ。仇討ちだろう。

「あ、いや、仇討ちなんはわかってるんですけど、なんや、怖くなりまして……」

健太は落ち着きなくそわそわしている。
ずっと仇討ちの機会を狙っていてついに叶うのなら喜びに打ち震えそうなものだが、憎き仇も時間が経つと薄れてしまうのだろうか。

「健太、お前が止めを刺すこつに意味があっとじゃ」

伝之助が珍しく真面目な顔で真っ当な事を言った。

「やっぱりそうですよね……わかりました」

健太の様子に困惑しながらも計画を練る。

盛本がよく現れる飲み屋を優之助が張る。
飲み屋から出てきた所を優之助が絡み、決めた場所に連れ込む。
そこで伝之助が盛本を斬り、健太が止めを刺す。

まあ物の見事に堂々とこんな単純な計画を立てたものだと思った。
それにしても健太は盛本がよく現れる飲み屋まで知っていた。

決行は五日後で、決行場所や盛本の人相の確認などまた後日相談する事にした。
作戦と今後の事が決まる頃には日が昇り始めていた。

「あの、粗方決まったのであればそろそろ解散と言う事でよろしいでしょうか」

健太が早く帰りたそうにそわそわした様子で言う。
健太も腹が減ったのだろうか。

「そうじゃの。あとはまた後日じゃ」

伝之助の言葉を皮切りに、健太は「失礼します」と言い残すと家に帰って行った。


「ほんまにこんな計画で大丈夫ですかね」
もう少し話を詰めたかった。

「意外と単純な方がうまくいっとじゃ」
健太を見送りながら伝之助が言う。

「さあ、朝飯でも食いますか」

不安しか募らないがまあいい。やっと飯にありつける。

「うんにゃ、まだじゃ。健太をつけっど」

は?

「俺の聞き間違いかな。今、健太さんをつけるて言いましたか?」
「おう。言うたど」
「なんで?」
「お前はあん男を見ちょってないも思わんかったとか」
「いや、そりゃあほんまに止めせなあかんのかとか落ち着きない所とかありましたけど、後つける程の事でもないでしょ。本人も言うてた通り怖いんでしょ」
「お前はあん言葉真に受けたとか。裏取りも同時にすっとちごうたか」

伝之助は奇異なものでも見るように眉を寄せて目を見開き優之助を見る。

「そりゃ言いましたけど……」

そんな顔で見んでもええやないか。

「本来ならお前が一人でするこつじゃ」
「それ言われるとぐうの音もでませんけど……」
「もうよか。議を言うちょらんと見失う前について来い」

伝之助は健太が歩いて行った方向に向かって速足で歩き出す。
着いて行かずに飯を食いに行ったら後でどんな目に遭わされるかわかったものじゃないので黙ってついて行く。

伝之助は背が小さく、速足だと足をたくさん動かさないといけない。
優之助は背が高いので大きく一歩を踏み出しながら歩くと十分ついていける。

俺が伝之助に勝るところは背の高さと顔の良さやと心の中で嘲笑う。

しかし伝之助と出会った日、長い手足を必死に動かして逃げたにも拘らず伝之助は難なくついてきた。
背は小さいが骨格は大きく、贅肉は無くて筋肉で覆われているからだろう。
回転力が早いのだ。きっとその差である。

だが早歩きなら俺の方が速い。
そう思い優之助は密かに競った。

「優之助、おいの前に出るな。お前みたいな無駄に背の高かやつ、目立つやなかか」

無駄に高いやつやと。
ちくしょう、伝之助がへっぽこ侍なら張っ倒してやりたい。

密かに険しい顔をして伝之助の後を着いて行く。


大坂の町中に入り、更にしばらく歩くと伝之助が急に止まる。

「なんですか」
「見てみい」

物陰に隠れて見ると、健太が赤子を背負った女に迎えられて家に入っていく。

「あっ、所帯を持ってるんや」
「仇討ちの為に大坂に来て所帯を持つとはの。おさきが送る金もどげんしちょうこつやら」

本当だ。
おさきがいつか仇を討つと信じて必死に働いて送る金を……

もはや討つ気が無いのに今の家族との生活の為に使っているのかと思うと腹立たしかった。

「けど……健太さんは岡山から盛本を追い、大坂まで来て突き止めた。機会を窺ってたけど中々出来へんくて孤独で苦しんだと思う。そんな時に出会った女がおったらやっぱり諦めてしまうんかもしらん。子を抱く手を血に染めたくないと言うのもわかる。俺、おさきの気持ちを蔑(ないがし)ろにしてるんは許されへんけど、健太さんの気持ちもわからんでもないです」

きっと自分も健太の立場なら同じようになったかもしれない。
それに健太は将来、義理の兄となるかもしれないのだ。
ここで恩を売っておいて損はない。

「ほう。お前、ないがあってもそん言葉忘れるなよ」

何があっても?
何があると言うのだ。
健太が止めを刺せないと言う事か。

その時は伝之助がやればいい。
そしておさきには兄の健太が立派に務めを果たしたと言えばいい。

「はい、忘れません。これは見んかったことにしましょ」
「よか」

伝之助はあっさり引き下がった。

「じゃあやっと朝飯ですね」

優之助の言葉に二人は宿に向かって歩き出した。
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