沢田との闘い

文字数 3,211文字

「蟻みたいに湧いてくるのう」

伝之助は何人斬ったかわからない程返り血で染まり、血が滴り落ちる刀を眺めて呟いた。
伝之助の剣技に驚愕し唖然とする男達と、呼吸を整える伝之助の膠着状態となっている。

「あいつ、鬼や……」

坂谷の護衛の内の一人が呟く。
それを皮切りに皆一様、僅かに保っていた虚勢が消え、顔に恐怖の色が現れる。

「ちとやりすぎたかの」

辺りに転がる男達と血で染まった地面を見る。

この者達にも家族があったかもしれないし大切に思ってくれる仲間や想い人があったかもしれない。
だが戦場と化したこの場に身を投じた以上、相手は敵だ。
憐れむ事はあっても心を痛める事はない。

斬り合いとは命のやり取りであり、無慈悲なものなのだ。
道場稽古のようにやり直しはきかず、斬られたらそこで終わり。次はない。

人斬りをさせられていた頃と違い自らの意志でこの場にいる伝之助は、相手を斬った事による後悔も迷いも一切なかった。
呼吸が整い、不敵に笑う。

「優之助は上手くやっちょるかのう」

敵を引き付ける事は果たせただろう。後はもう一つの目的を果たすのみ。

「さてと、もう一暴れすっとか」

柄を握り込む。しっかり握り込まないと血で滑って太刀筋がぶれる。

天地流は強力な握り込みで斬撃力を上げる。
伝之助ならその握りは鋼のように固いが、多数を相手にして体力も削がれている。油断はできない。

さっと刀を天に突き刺す形を取った瞬間、敵に向かって走る。
完全に戦意を喪失している男達は恐怖を顔に張り付けて逃げ出そうと背を向ける。

「待てい!」

屋敷に響き渡る程の大声がその場を突く。

「ないじゃ」

声の方を見ると長身でがっちりした男が伝之助の方へ、切れ長の目を吊り上げて睨みを利かせている。
坂谷の護衛達は自然と道を開ける。

「貴様……これを一人でやったのか?」

長身の男は辺りを見回し、驚愕の表情を浮かべる。

「おう。ようやくお出ましか。名はないじゃ」

坂谷が訪ねてきた時にいた覆面男で間違いない。
こいつを斬る事がもう一つの目的だ。

「俺は沢田(さわだ)祐(ゆう)三郎(ざぶろう)。次お前に会った時は斬ってやろうと思っていた」

沢田は険しい表情で伝之助を睨み付ける。
あの時の事を根に持っているようだ。

「沢田祐三郎、坂谷の腰巾着か。お前みたいなんがおいを斬るち、おもしろかこつ言うのう。お前がおいを斬るとちごう。おいがお前を斬っとじゃ」

伝之助は嘲り笑い、豪快に言い放つ。

「貴様……俺がやる!手を出すな!」

沢田は伝之助の言葉に逆上し、激しい形相で刀を抜く。

半身になって刀を前に突き出し両足を開くと、踵に重心を乗せる独特の構えを見せる。

「ほう、お前光(こう)影流(えいりゅう)か。光と影ち言う大袈裟な名の」
「お前の天地流ほどじゃあない」
「見とったとか」
「見たから俺が止めたんだろ。あの猛然と斬り掛かる様は他にない剣術だ」
「おもしろか。最強の鉾と最強の盾の戦いじゃの」

伝之助は肩を震わせて笑った。

攻撃特化の天地流に対し、光影流は防御に特化した剣術だ。
江戸で栄え、日本でも有名な剣術である。

斬ったかと思うと影を斬ったように斬れておらず、光ったかと思うと斬られている。
手首や肩を斬り戦意喪失、または戦闘不能な状態となれば良しとし、絶命する事を目的としていない。

守って攻め口を見付ける剣、後で動いて先手を取る剣だ。
だから最強の鉾と最強の盾の戦いなのだ。
しかし沢田はこの剣で幾度となく命を奪ってきた。

伝之助は咆哮を上げ斬り掛かる。

一打必殺のこの剣術は初太刀に気を付ければなんて事は無い。来やがれ、と沢田が構える。

伝之助が袈裟懸けに斬り掛かる。

沢田は自身に当たるか当たらないかの所で大きく後ろに飛び退き、伝之助の刀と自身の刀が当たるか当たらないかの所で刀を引く。
そのまま刀を翻し、伝之助の右手首に狙いを定めて斬り掛かる。

貰った――確信するも見事に裏切られる。

伝之助の返しが速く、沢田の刀よりも伝之助の二打目の振り上げが速い。
これでは手首に当たらず空を切る。
その間に二打目をもらってしまう。

沢田は刀を振り切らず、もう一度飛び退く。
この距離なら二打目を貰う事は無いと思うも、伝之助は二打目を振るうと共に鋭く踏み込む。

あそこからここまで飛び込めるのか――もう飛び退く事は出来ず防御を固める。

地鳴りのような轟音が響く。伝之助の一打を受けたのだ。
体が沈む。刀ごと押し込まれそうになる。

なんて力だ。速さに驚いたが、力も凄まじい。こんなもの、掠っただけでも致命傷になる。

今まで斬り合った天地流の遣い手とは比べ物にならない。
いや、流派に限らず戦ってきたどの剣士とも次元が違う。
しかし沢田もまた、相当な実力を持った剣士であった。

伝之助はすかさず三打目を打ち込む。
沢田は二打目で沈められた態勢から、思い切って伝之助の右側に飛び込む。

伝之助の三打目は空を切る。
沢田は転がり込みながら起き上がり、態勢を整える。
伝之助はすぐさま振り返り、走り斬り掛かる。

沢田は一打目と同様に大きく退いて刀を合わせるぎりぎりでかわすと翻し、もう一度後ろに飛び退きながら袈裟に斬り掛かる。
伝之助の二打目に合わせた一撃だ。

二人の刀が交錯する。鳴動し、鍔迫り合いとなる。

「ないじゃ。逃げるんはやめたとか」
「逃げているんじゃない。貴様の剣には驚かされたが、もう何の問題もない」
「そうか。じゃっどんおいの剣を受けるとは大したもんじゃ」
「俺は人斬りとして生きてきた。俺の剣は伊達じゃない」
「おもしろ、か!」

伝之助は刀を跳ね上げると、右左袈裟斬りに連撃を加える。
沢田は防戦一方となる。
伝之助の攻撃を受けるだけでもかなり骨が折れるが、沢田は受け止め続ける。

伝之助の体力が削がれ攻撃の手が弱まった時が好機だと読むが、それ以前に受け続ける手が、腕が、足が、もはや体の全てが持ちそうにない。
堪らず沢田からも斬り掛かり、もう一度鍔迫り合いとなる。

伝之助はぐっと体に力を入れ押し込もうとするが、沢田も耐える。

刀を跳ね上げると、沢田が大きく距離を取る。
今度は互いに言葉を発する事なく、睨み合う。

見合ったのも束の間、伝之助が走り出し沢田に斬り掛かる。

沢田はもう一度初太刀を外し、先程よりも速く手首を狙いに行く。
伝之助は返しの二打目ではなく、そのまま下から斬り上げる。

沢田の剣先が跳ねあがる。

伝之助が好機とばかりに踏み込もうとした瞬間、ずどん!と大きな音が響く。

互いにさっと身を伏せた。
伝之助が屋敷の方を見ると、坂谷が鉄砲を持っていた。

その僅かな隙に沢田はさっと立ち上がり斬り掛かる。

伝之助は反応が遅れ、すぐさま片足を立て斬り払う。
沢田は飛び退きながらも、沢田の剣が先に届く。

伝之助の左肩に切っ先が触れる。
伝之助は瞬間僅かに顔を歪めるも、刀を持ち直し飛び上がり様に斬り掛かる。

沢田は両手に渾身の力を込めて迎え撃つ。

伝之助の上からの一撃、沢田の下からの一撃が交差する。
雷鳴のような音が鳴り、一刀の刀が宙を舞う。一振りの刀が虚しい音を立てて地に転がった。

「勝負あったな」

沢田は初めて大きく息をつき整える。
宙を舞ったのは伝之助の刀であった。

「下手な鉄砲など、ほっとけば良かったのう」

伝之助は肩を押さえ自嘲気味に笑う。

「お前を捕らえ、全て吐いてもらうぞ」

沢田は刀を下し伝之助を見据える。
周囲の男達も警戒しながらそろそろと動き出す。

「ないも吐くこつはなか。そいにおいは大人しく捕まるつもりも、なかっ!」

伝之助は言い終わると同時にもう一振りの刀を抜き、下から斬り上げる。

思わぬ反撃に沢田は反応が遅れ、何とか飛び退きかわすも躓(つまず)いて尻餅をつく。
辺りの男達は咄嗟の事に驚き固まる。

その隙に伝之助は沢田を追撃せず刀を鞘に納め、すぐさま落ちた刀を拾うとそれも鞘に納めながら門に向かって走り逃げ去る。

呆けていた沢田が我に返り、「追え!」と大声を出すと、男達は慌てて動き出すが伝之助はもやは姿が見えないほど逃げ去っていた。
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