決行前の準備

文字数 4,768文字

「おい、起きんか」

身体をこずかれて目を覚ました。
いつの間にか眠っていたようだ。

「ああ、おかえりなさい。どこに行ってはったんですか」
「ちいとな。そいで千津から聞き出せたとか」
「ええ、書き出しておきました」

千津から聞いた通りの屋敷の地図と、護衛の配置を書いたものを出した。

自室にいたりんが伝之助の帰りに気付いたのか、居間へ来る。

「何をされてるんですか?」

りんが覗き込む。

「おはんは知らんでよか」

昨日と打って変わって伝之助は突き放した態度をとる。

「父の事でお調べになってるんですよね。私もお役に立てる事があれば手伝わせて下さい」

りんの目は本気だ。
命を捨てる覚悟だったのだ。今も当然同じ気持ちだろう。

「りん、悪いが今はまだないも言えん」

そんなりんの本気の目を伝之助が跳ね返して言った。

「そうですか……じゃあ晩御飯の支度でもします」

りんはそれ以上食い下がらなかったが、明らかに残念そうな様子で出て行った。

「いいんですか伝之助さん。巻き込みたくないのはわかりますけど、おりんさんにも教えたった方がえんとちゃいますか」
「ある程度まとまったら話す。今は言う時でなか」

何を気にしているのだろう。
もしかしてまだ信用していないのだろうか。

「そうですか。で、これを見てある程度考えがまとまりましたか」

伝之助は穴が開く程紙を見つめる。
優之助はその様子を僅かな期待を込めて見つめる。

「おいがここから攻め入る」

散々考えた後、指を差したのは正面口だった。

「え、ここからですか」

これだけ考えてまさかの正面突破か。
構わず伝之助が続ける。

「正面口から強引に入って騒ぎを起こす。下手にこそこそしちょったらお前がおるち疑われるかもしれん。おいが勢い余って勝手に一人で来てるち言うこつをわからせんといかん」

なるほど、意外としっかり考えていたのか。

「でもそれ、危なくないですか」
「そりゃあ危ないじゃろ。こげなこつに危険は付きもんじゃ」

伝之助は朗らかに笑う。
いや、朗らかに笑う所じゃないし、あんたの危険より俺の危険を伺ってるんや。

「俺、見つかったらどないなりますかね」
「拷問の末に殺されるじゃろ」

……冗談やない。全然笑えない。

「俺まだ死にたくないです」
「そうか。じゃっどんこんままじゃと真綿で首を絞められて死ぬど。おいはまだ逃げ延びてもお前はもう詰んどる。おいはそんなお前に同情して一番危険をさらすとじゃ」

今度は豪快に笑う。

こいつ……全然命の危険を顧みていない。

侍の中でも薩摩侍、中でも天地流の稽古者は特に死を恐れないと言うが、噂は想像以上のようだ。

やっぱり気が違っている。これが薩摩隼人か。
いや、伝之助に限ってはその薩摩の人間達が恐れて薩摩隼鬼(さつましゅんき)と言った。

つまり中でも特にぶっ飛んでいるのだ。

「俺、見つかりますかね……」
不安が零れる。

「見つかるか見つからんかはお前次第じゃ。おいが出来るだけ派手に暴れて敵を引き付ける。お前もちょっとぐらいの奴なら刺し殺すぐらいの気でおれ。短刀持って行っとじゃ」

俺が人を刺すやと……護身用に短刀はあるが、もちろん使った事も無ければ持ち歩いた事さえない。
それを使うなど怖くてたまらない。

「それ、本気で言うてるんですか」
「当たり前じゃ。お前より八つも年が下で女のりんがそんつもりやったとよ。お前も腹括れ」

りんは武士の子で俺は町人や。
いくら男と女でも腹の造りが全然違う。

「伝之助さん。俺を一人にせん作戦は無いんですか」

半ば縋るように言うが、伝之助はあっさり「なか」と言った。

心のどこかで伝之助が何とかしてくれると期待していた。
しかしその期待は今まさに脆くも崩れ去った。

「お前はあん盛本とかいうやつの時も一人でようやったやなかか」

違う。盛本の時はあの場所まで行けば伝之助が何とかしてくれると言う後ろ盾があった。
しかし今回は自分で何とかしなければいけない。
見つかっても捕まっても地獄だ。

「伝之助さんがやられたらどうするんですか」

思わず聞かずにはいられなかった。

「おいがやられたらここも捨てて逃げ」

出来るわけがない。
俺がここを捨てて逃げたらきっと家族に矛先が向く。

「出来ません。俺が逃げたら家族に迷惑かけます」

しばらく沈黙の後、「そうか」と伝之助は小さく言った。

「もうよかよか。そげに暗い顔すな。お前もこん仕事する時に腹括ったとちごうか。こげなこつなったんは想定内じゃ」

どう考えても想定外だ。
だが伝之助の言うようにもうどうにもならない。
過ぎた事で嘆くより、どうするか考えなければいけない。

自分の意志で抗えない事態へとどんどん嵌っていく。

「お前が侵入する場所決めっど」

坂谷の寝室は正面口から離れている。
警備を手薄にするには大きな騒ぎにする必要がある。
忍び込む場所は近々下見をする必要があるだろう。

「ほんまに大丈夫ですかね」
「大丈夫かどうかは自分で何とかすっとじゃ」

伝之助がにっと笑う。
この男は大事な部分が抜けているに違いない。

作戦が決まると晩飯を食し、早々に寝床へ付いた。

中々眠られなかったが明日はおさきに慰めてもらおうと思っていると眠りにつけた。


 
次の日、優之助は予定通り鈴味屋へ行き、いつも通りおさきについてもらい料理を嗜(たしな)んだ。
大事な話があるので酒は飲まなかった。

一通り下らない話をした後、おずおずと切り出した。

「おさき……実は俺、商売関係でちょっと大変な事に巻き込まれてる」

「商売関係……私が紹介したことで何かありましたか」

おさきが心配そうに優之助の顔を覗き込む。
今日もおさきは綺麗だ。

「いや、おさきが紹介してくれたんは大丈夫や。詳しくは話せんけどまた違う事なんや」

いくらおさきでも詳しい事は言えない。
おさきを信用しているしていないの話ではない。

「なんとまあ……それは心配です。大丈夫ですの?」

おさきは妙な間を空けて言った。
今の間から察するに、余計な詮索は命取りになる事を承知しているので深くは聞かないと言ったところだろうか。
それは正解だ。

「大丈夫かはわからん。もしかしたら帰って来られへんかもしれん。そうならんよう頑張る。だからおさきからの仕事もしばらくは受けられへん」
「仕事も受けられへん……そうですか……」

おさきが眉根を寄せる。
きっと心配してくれているのだろう。そうに違いない。

「だからおさき、俺……」

その先を言い淀んだが、勢いをつけて言葉を吐き出した。

「俺が無事に戻ってこられたら、俺と一緒にならへんか。俺は以前と違って働いてる。こんな事なるような危ない仕事が嫌なら違う仕事だってする。実家には帰られへんけど、おさきの事は生涯大事にする。だから、どうや。俺と一緒になってくれへんか」

酔った勢いで誘った事は何度もある。
しかし素面の状態で言葉にするのは初めてだ。

本気で好いている事を覚られていたかもしれないが、想いを伝えた事で今までの二人の様にはいかないかも知れない。
だがもう命がどうなるかわからないのだ。

「優さま、ありがとう」

おさきはそう言うと微笑んだ。
その微笑みは何より美しく見えた。

優之助はおさきの次の言葉を期待して待った。
少しの間をあけておさきが言った。

「返事は優さまが無事に帰って来てからにしましょうか」

そうきたか。相変らずやり手の女だ。
しかしそう言われると是が非でも帰らなければいけない。
もううじうじ考えたって仕方ない。

俄然やる気がわいてきた。おさきはやはりいい女だ。

「わかった。俺、絶対帰ってくる。その時は答え聞かせてくれ」

力強く頷き、酒を頼んだ。

 
下見などの下準備を整えた数日後の夜、優之助と伝之助は食卓を囲みながらりんに計画を話した。
それに加え、坂谷が黒木の殺害を依頼しに来ていた事も話した。

「坂谷が依頼しに来た事話してなくてごめんな」

優之助の言葉にりんは俯く。
沈黙が流れる。

「と言うこつじゃ。おはんはおいの馴染みの宿に話を通しちょうからそこに身を隠せ。金はそん宿屋に渡しちょる。おいが迎えに行くまでは身を隠しちょれ。おいらの安否は噂で直に広がる。おいらがやられたらどこなと逃げ」

伝之助が沈黙を破って言った。
数日前と打って変わって洗いざらいりんに打ち明けている。
りんの事は信用できると判断したのだろうか。

「坂谷が……父を……」

りんが声を震わせる。

「そいはわからん。じゃっでそいを掴みに行く」

わからないと言う言葉には説得力がないだろう。
本当にわからなければ坂谷の屋敷に襲撃をかける事はしない。
襲撃をかけるのはもはや確信めいた事があるからだ。

事実、りんは坂谷の仕業だと思い込んだようで、わなわなと震える。
止めどなく溢れる怒り、悔しさ、恨み、新たに知った事実による衝撃、あらゆる負の感情が複雑に絡み、りんの体を震わせる。

りんのその様子を見て伝之助がりんに何も言わなかったのは信用あるなしでは無く、中途半端に言うとりんは単身坂谷の所へ死にに行くと思ったからではないだろうかと思った。

「いつ……決行、されるんですか」

りんの声が、瞳が、震えている。
りんの様子に構う事なく伝之助が静かに口を開く。

「明日」

そう。明日やると言えばりんも単身では動けない。

いや、待て。

……明日?

「え、明日やんの?」

そんなの聞かされてない。
りんが答える前に優之助が驚き返した。

「おう。早い方がよか。もうやるこつはやった。機は熟したど」
「そんな……もう何でもかんでも自分で決めんといて下さい」
「そいじゃあいつがよかか?」
「それは……」

事態が切羽詰まってきている事を思うとあまり悠長な事は言えない。
どうせ避けては通れない。

「明日で結構です」
そう言うしかなかった。

「明日、坂谷の屋敷に襲撃を掛けるんですか」
「じゃ」
「私も――」
「おはんは来るな。足手まといじゃ。そいに命を捨てて一矢報いに行くとちごう」

伝之助が容赦なく遮る。

りんの目は力を失い俯く。
可哀想だが伝之助の言う通りだ。

「足手まといなんはわかってます。けど……私は命を捨てて仇を討つ覚悟もしました。指咥えて待ってるなんて嫌や!」

りんは零れんばかりの涙を目に貯めて叫んだ。
優之助はその様子に驚いたが、あまり動じる事のない伝之助も驚き止まっている。

「この通りです!」

りんは床に手をつき頭を下げる。
優之助と伝之助は顔を見合わせた。

「頭上げ」
「連れてってくれる事を約束してくれるまで上げません!」
「よかよか。筋の通ったよかおごじょじゃ。連れてったるから上げ」
「伝之助さんそれはいけません!」

だめだ。情に流され連れていくわけにはいかない。
足手まといより、りんは坂谷達に捕まると食い物にされる。
りんを連れて行かないのは彼女を守る為だ。

「いいんですか」

りんは涙ぐんだ顔を上げて呟くように言った。

「よか。優之助、お前の言うこつもわかっちょう。鈴味屋までならよか。島薗には入るな。そいが条件じゃ」

りんは束の間、納得できない様な顔をしたが、「わかりました。ありがとうございます」と観念し、頭を下げた。

島薗には入られないという条件はりんにとって酷かもしれないが、納得してもらうしかない。

鈴味屋なら安心だ。
もう少し近くまでとも思うがここが限界だ。

「優之助。明日、鈴味屋に話つけっど」
「俺がつけます。多分お鈴さんなら受け入れてくれると思います」
「よか。頼むど」
「はい」

優之助は力強く頷く。
伝之助にしてはうまくまとめたと思った。

伝之助は猪のように突き進むように見えてその実、きっちりと考えている。
計算し裏を取り、ここぞと言う時に命を顧みずやりきる。

もしかすると伝之助は今回の事も勝算があるのかも知れない。
そんな男がついているならきっと大丈夫だと言い聞かす。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」
りんがもう一度頭を下げた。

二人はりんに頭を上げさせると一頻り話し、皆で最後の晩餐(ばんさん)になるかもしれない食事をとった。
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