ひっ飛べ!

文字数 4,649文字

翌日、夜の闇も深くなり決行の時が近付いてきた。

優之助は懐に仕込んだ短刀を確認する。
これを使う事が無いよう祈る。

伝之助はいつも通りだ。
りんもそわそわした様子はない。
伝之助はともかく、やはり侍の娘も腹の据わり方が違うのだろうか。

「そろそろいっど。りん、夜が明けたらおいが言うた宿に行け」
「わかりました」

りんの顔は納得のいっていない様子はない。決意をした顔だ。

「優之助、坂谷から紙を取り返し夜が明けたら奉行所に駆け込め。紙は吉沢に直接渡せ」
「吉沢さんにですか。でもあの紙には俺らが依頼を受けた証拠にもなります」
「おうそうじゃ。吉沢なら恐らくおいらの仕業とちごうとわかるじゃろ」

本当にそうか。
吉沢は優之助らの仕業と疑っているのではないだろうか。
それに恐らくりんに吹き込んでいるだろう。
そう思うと優之助は奉行所を信じる事ができなかった。

「俺、奉行所を信用できません」
「奉行所は信用せんでよか。吉沢を信用せえ」
「吉沢さんは伝之助さんと何か関係でも?」

裏で繋がっていると期待した。
伝之助は首を振る。

「うんにゃ。じゃっどん吉沢はりんの父が亡くなったこつを心底悔い、やったやつを捕まえようちしとる。そん吉沢の気持ちと能力を信用しろち言うとじゃ」

「何かなあ……」

根拠が薄くないだろうか。
のこのこ奉行所にいったら捕まり拷問されないだろうか。

「吉沢さんは確かな方です。信用できます。父の葬儀も仕切ってくれました」

りんが真っ直ぐな目を向けて言った。
そんな目で見られたら無理とは言えない。

「わかった、わかりました。でももし失敗したら……」

半ば投げやりに言って、恐る恐る聞く。

「お前まだ言うか。やる前から失敗するこつばっか考えるな。そげなこつばっか考えよったら成功するもんも失敗すっど」
「いや、でも……」
「失敗したら金持って大坂でもどこなと逃げ」
「やっぱりそうなるんか……」

伝之助が刀を腰に差す。
いつも一本差しだが今日は二本差しだ。

「あれ、伝之助さん。刀が二振りになってますね」

二振り目の刀はいつも伝之助が差している刀より短い。
定寸の刀と比べても短いが、脇差程短い訳でもない。

小太刀として使うにしては刃も柄も長い。
何とも中途半端な長さだ。

「多数を相手にするからの。折れたり曲がったりするかもしれんし、刃こぼれや脂で切れ味が悪くなるかもしれん」

伝之助の腕なら刀が折れたり曲がったりする事はそうないだろう。
だが斬り過ぎて結果斬れなくなる事はあるかもしれない……いや、こいつは一体何人斬るつもりや。

伝之助の薄く笑う横顔を見てぞっとした。


三人は外に出ると足早に無言で歩く。
民家を抜け、静まり返った京の町中を抜けていく。
誰も何も話さないので皆の足音以外の音はない。

空気は澄み渡り、月の明るい綺麗な夜だ。
こんな日でなければ散歩するには打って付けの夜であろう。

町を抜け、橋が見えてくる。
京の町と鈴味屋を繋ぐ橋を渡ると、鈴味屋の裏手に回る。

優之助が裏口の戸を叩くと、間を置かず戸が開いた。

「こんばんは。お待ちしておりました」

ずっと裏口の前で待っていてくれたのだろう。
お鈴が不安を払拭させてくれるような明るい表情で迎える。

「お鈴さん、急な事で迷惑かけるけど頼むわ」

優之助が軽く詫びてりんを紹介する。

「黒木りんと申します。この度は急なお願いで申し訳ございません。ご迷惑おかけしますが、少しの間お世話になります。よろしくお願いします」
「困った時はお互いさま。気遣う事ないからね」

今日の日中、優之助は予定通りお鈴にりんを預かってもらうよう頼みに行った。
お鈴は急な申し出にも拘らず、何も聞かずに二つ返事で承諾してくれた。
優之助はりんの事だけは話したが、自分達がやる事は何も話していない。

「りん。夜が明けたら言ってた宿に行け。約束じゃ」
伝之助がもう一度念を押す。

「はい。お二人も気を付けて」

優之助は皆を見回し、一つ深呼吸した。

「じゃあ、行ってきます」

四人だけの鈴味屋の裏口。月の光がそこだけを照らしているかのように明るい。

優之助も残りたいと思ったがそれでは事態は一向に進まない。
せめておさきにもう一度会いたいと思った。

伝之助が構わず背を向けて歩き出す。
優之助は小走りで追い、未練を断ち切った。
 

島薗の歓楽街は通らず、大きく回って森の中を通り屋敷を目指す。
森の中は暗いが、島薗が明るいので視界は悪くなく、目指す場所もわかりやすい。

二人は急ぐ事無く並んで歩く。

「伝之助さん、おりんさんに最初計画の事を言わんかったんは、おりんさんが何者かわからんかったからですか。それとも言ったら何をするかわからんかったからですか」
「両方じゃ」
「おりんさんの事調べたんですか」

視界は悪くなくても森の中なので薄暗く、伝之助の表情までは見えない。

「調べたち言うほどでもなか。話が事実か調べ、万が一坂谷の手先とちごうか確認しただけじゃ」
「なんにでも疑ってかかるんですね」
「疑うとるわけとちごう。裏を取っちょるだけじゃ。生憎、そげな世界で生きてきたからの」

表情はわからないが言い方が投げやりに感じた。

それを聞いて少しだけ同情した。
いつ裏切られるかわからない世界で生きて来たのならそうなってしまうのも無理はない。

「そん時に吉沢が熱心に聞き込んで調べ上げるのも目の当たりにした。そいだけでなか。黒木は心底吉沢を信頼してた」
「だから信用してもいいと?」

やはり裏付けが論理的でないし乏しい。
伝之助らしくもない。

「吉沢の黒木やりんへの想い、同心としての能力を信用せえち言うとる。何べんも言わすな」

ええやないか、何べん聞いても。

「奉行所は信用できますかね」
「出来ん。疑われとるどうこうでなか。坂谷と繋がっちょる可能性もあるじゃろ」
「まさか……」

しかしそれは優之助も脳裏に浮かんだ。あの坂谷なら可能性はなくも無い。

「りんにおいらの仕業かも知れんと吹き込んだ奴は奉行所の奴じゃ。そいつはりんに聞かれてうっかり口が滑ったかもしれんし、坂谷と繋がってて確信的に言ったかもしれん」
「言った奴って吉沢さんやないんですか」
「りんは吉沢ち言うたか」
「いや……黒木さんの事も目に掛けてたからおりんさんの事も気に掛けてるやろし、俺は勝手に吉沢さんかと思ってましたけど……聞いてたら良かったな」

「聞かんでも吉沢はそげなこつしよらんじゃろ。うっかりそげなこつ言うようにも思えんし坂谷とも繋がっちょらんじゃろ」
「伝之助さんの読みが間違えててまさかの坂谷と繋がってたら……」
「そん時はもうしまいじゃの」

伝之助はさも可笑しそうに笑う。

なにがおもろいねん。全然笑われへん。

「伝之助さんは死ぬのが怖くないんですか」

思わず聞かずにいられなかった。

「屋敷に襲撃掛けてたった一人で敵を集めて斬り合うなんて正気の沙汰やありません。坂谷は護衛を多く屋敷に置いてます。生きるか死ぬかで言うたら死ぬ確率の方が圧倒的に高いです」

優之助が早口でまくし立てるが、伝之助は構わず歩を止めず静かに答える。

「おいは、死ぬこつ自体は怖いと思わん。そいより役目を果たせんこつの方が恐ろしか」
「それが侍ですか」
「侍ちゅうてもおいは薩摩侍じゃ」
「どう違うんですか」

「侍は常に死の覚悟をしちょる。理不尽なこつで詰め腹切らされるこつもある。侍ちゅうんは死を意識し、どげん死ぬかを考え、未練もないもなかでん死ぬよう心掛けちょる」
「なるほど、それが侍ですか。薩摩侍は違うんですか」

「薩摩侍んこつ野蛮やら血の気が多かやら気が違っちょる言うもんもおる。知っちょうか」
「まあ聞いた事もあるし、薩摩侍と聞くと何となくそんな感じで浮かびます」
「お前もたった今正気の沙汰やなかち言うたしの」

伝之助は足を止める事無くそう言うと笑う。
優之助は「いやまあ」と曖昧に返す。

「薩摩侍は死を意識しちょらん。覚悟もないもなか。死は日常の一場面に過ぎん。命を粗末にしちょるとも軽んじてるともちごう。命を諦めちょるともちごうし、投げやりなっちょるとも失うもんがなかち言うわけでもなか。ただ自分の命より目的を果たすこつを優先する」
「そんな……そんな事がありますか」

「そげん教育を受けるからの。確かに人間、うんにゃ、生き物には生存本能がある。薩摩侍はそいを肯定も否定もせず、意識せんこつで命を力に変えて現状を打破する。ただただいかれちょるとちごう。正気を保ったままいかれよる。そいが薩摩侍じゃ。どげん荒れた天気んような状況でも晴天のように振る舞えるようなれば立派な薩摩隼人じゃ」
「なんか……凄まじいですね」

命に対しての感情、死生観が町人達と侍は違うのに、侍と薩摩の侍は更に違う。
伝之助の今言った事が薩摩侍の強さの秘密なのだろう。

「じゃっで常人には考えられんこつも出来る。常人には出せん力も出せる。そげな薩摩侍が使うから天地流は強か剣術なんじゃ。そん気概に剣才があれば天地両断の剣となる」

中々深い話が聞けた気がする。
話していると坂谷の屋敷が顔を出す。

「見えてきよったど。裏手でもようわかる坂谷みたいによう肥えた屋敷じゃ」

歓楽街の賑やかな灯りが逆光となり佇む大きな屋敷を見ると急に心臓が跳ねてきた。
今から命懸けでここに忍び込むのだ。

「やっぱり伝之助さんだけで何とかなりませんか」

声が震え、膝が笑い出した。

「おいだけでどげんかなるならすっが、こん屋敷じゃと無理じゃ。こん先はお前にもかかっちょる。優之助、やっど」

伝之助が薄く笑い、力強く言った。

俺にもかかってるか……

「俺も薩摩侍までとは言いませんが、侍みたいに死の覚悟、持てますかね」
「持てる」

伝之助が力強い目で見て即答する。いつもの茶化しは一切ない。

膝の震えが収まり内から激しく叩く鼓動も落ち着いてきた。
伝之助の言葉で力が湧いた気がした。

「わかりました。やりましょう」

優之助は顔に黒い布を巻く。目以外は隠れる。

「よか。計画通り、おいが表で騒ぎを起こす。お前は木に登って屋敷の様子を伺い、今ち思ったら迷わず忍び込め。斬り合いちゅうんは思っちょるより短か。好機を逃すな」
「わかりました」

予め下見をして、屋敷の塀にもたれて生えている木に目星を付けている。

「伝之助さん。俺、あかんかったらって話ばっかりしてましたけど、もしうまくいったら伝之助さんはどうなるんです」

もし、紙を取り戻し吉沢に渡す事が出来たら襲撃をかけた伝之助はどうなるのだ。
自分の身を案じてばかりで今の今まで気付きもしなかった。

「奉行所の目を逃れ、適当に身を隠す。恐らくもう戻らんじゃろな」
「え、じゃあうまくいってももう会えんのですか」

そんな、せっかく仕事を始めてうまくいっていたのに。
おさきの気を引けなくなってしまう。

「じゃ。お前はもうやっせんっぼとちごう。こげな危のうこつはやめて、家の仕事するにしても違う仕事するにしても真っ当な仕事をしておさきを口説け」

伝之助はそう言うと爽やかに笑った。

ちくしょう……あれだけ鬱陶しかった奴なのになぜか寂しい。
熱いものが込み上げてくる。

「わかりましたよ。伝之助さんもそろそろちゃんとした仕事して人を疑う事なく気ままに生きて下さい」

覆面をしているのでわかりはしないのに涙を見せまいと上を向いて言った。

「おもしろか。言うやなかか」

伝之助は嬉しそうに笑ったと思うと、「優之助、ひっ飛ぶど」と急に真顔になり言った。

「ええ、俺は飛びますよ」笑って言い返した。

「よか。じゃあの」

伝之助は静かに、そして風の様に速く走り去って行った。

よし、やったるぞ。
優之助は決意を胸に時を待った。
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