初めての依頼と取り決め

文字数 5,593文字

「いつまで寝よっとじゃ」

怒鳴り声で目を覚ます。
寝室の戸口に伝之助が仁王立ちしている。

「伝之助さん、いつもえらい早いですね。感心しますわ」

優之助は目を擦り、嫌味を込めて返す。
伝之助の声量が更に増す。

「こんぐわんたれが。おいが早いとちごてお前が異常に遅いとじゃ」

朝から五月蠅(うるさ)いやつだ。
そんなに急がなくとも鈴味屋はまだ開いていない。

「はよ朝飯食って支度せえ」
「伝之助さん、鈴味屋はまだ開いてません」

伝之助は呆れ、これ見よがしに溜息をつく。

「こいじゃからのう。開店と同時に行ってどげんすっとじゃ。鈴味屋を楽しみにしちょる客やなかど」
「じゃあなんでそないはよに行くんです?」

「おさきの様子を見る」
「え、何でそんな……」
「言うたはずじゃ。こいは仕事じゃ。昨日の今日でどげん様子か見っど」
「おさきはよう知ってるし信用なります」

この男はどこまで疑り深いんや。
裏を取るだけやとあかんのか。

「おさきのないを知っちょう。言うてみ」

「それは……」
昨日言われた話はもちろん、なんなら年も知らなかった。

「はよう居間ん行って朝飯食え」

伝之助は背を向けて居間へ行く。
悔しいが言い返せない。

確かにおさきの事はよく知らない。
しかし人としてはよく知っているつもりだ。
それに仕事とは言われたがおさきを信用し、話を飲んだ上での事だと思っていた。

こんな身辺調査おさきに失礼やないか――だが逆らったら怒らせるだけでなく依頼を受けないと言われたらたまったものじゃない。

急いで布団から出ると伝之助の後を追い、居間に向かった。
 


「おさきはどこに住んでっとか」

家を出て歩き出してすぐに伝之助が聞く。

「鈴味屋の持ってる住まいです。鈴味屋では料理を運ぶのも女、お酌するのも女、料理の手伝いも女が多いです。独り身の女は皆、鈴味屋の持つ住まいに入ってます」

優之助は得意げに言ったが伝之助は相槌も打たず前を向いて歩いている。

「あの、聞いてますか」
「おさきがどこにおるか分かればよか。鈴味屋の人間がどげんかは聞いちょらん」

ちくしょう……一々腹が立つ。

田畑が広がり民家がちらほらと立ち並びだす。
そこを抜けると店が立ち並ぶ賑やかな町中に包まれていく。
さらに突き進むと店が減り、民家が立ち並ぶ。

「あれです」

優之助は二階建ての長屋、立派な木造作りの建物を指差した。
鈴味屋にも近く栄えた街並みにも近いと言う恵まれた立地である。

「ほう、よか住まいじゃの」
「ええ、鈴味屋はよう儲けてるから。京のここらの町では一、二の料亭ですからね」

熱を込めて答えるも伝之助は聞いていない。
いや、耳には入っているが興味がない様子だ。

「おさきをはるど」
「はいはい」

民家の陰に隠れ様子を見る。
しばらくすると鈴味屋で働く女がぞろぞろ出て来る。

「お前、鈴味屋で働いたら周りはおなごばっかやど」
「それ考えた事ありますけど俺は客の立場でありたいんです」
「考えたこつある時点で阿保じゃの」
「はいはいそうですか」

ちくしょう、なんやねんこいつ。

下らないやり取りをしているとおさきが出てきた。

「あれがおさきです。ほら、見て下さい。ほら。ああ、今日も綺麗やわ」
「うぜらしか。そげに言わんでも見ちょる。一人じゃの」
「他の子と一緒に行く事もありますけど今日は一人ですね。俺の返事が気になるんでしょ」

面倒見のいいおさきはよく他の娘達と話をしながら鈴味屋に行くが今日は一人である。
何やら思い詰めており、悪巧みしているようには見えない。

「あん様子じゃとおさきはほんのこて依頼してきたようじゃの」
「だから言うてるやないですか」
「よか。こんままつけて鈴味屋が開いたら入るど」

おさきと一定の距離を保って後をつける。
おさきは誰と話すでもなく、思い詰めたまま歩いている。

そのまま鈴味屋に着くと、入口の前で暗い表情を明るく変えて入っていった。

「何を考えてるんか知らんけど、何かを思い詰めてるのは確かみたいですね」
「そうじゃの」

何が「そうじゃの」だ。

依頼の事を考えてるに決まってるやないかと心の中で悪態をつく。
そしておさきに心の中で謝る。

鈴味屋付近に建物はないので木の陰に隠れる。
店が開くまでまだ時間がある。
仕方がないから伝之助にもう少し鈴味屋の事を教えてやる事にする。

「そうそう、鈴味屋で働く男もいてるんですよ」
「さぞ肩身が狭かろうにのう」
「言うても料理人が数人ですけど。料理長は女将さんの旦那さんなんです」
「女将と料理長でこげにまでしたとか」
「そうなんです。鈴味屋は最初、普通の料亭やったんです。けど客の入りは思ったようにいかんくて、島薗が近いからか女は付かんのかて言われたりね。そこで夫婦で相談し、女を雇うて接待につくようにした。ただし島薗と違うから女に触る事はさせんようにした。そんな店にしたかったんやないし奉行所の目もありますしね。それが流行ってこない大きな料亭なったんですわ。女が多いのは女将さんが身寄りのない女とか生活厳しい女を積極的に雇うてるみたいです。女将さんも若い時は苦労したみたいですからね」

話している内に自分の事のように感極まり、遠くを見る。
伝之助が冷めた目で見て鼻で笑う。

「さすが、一度働こう思たこつあってよう知っちょるのう」
「毎日のように通てるから知ってるんです」
「自慢にならんど。じゃっどんこげん場所とちごて京のど真ん中で店構えんとか」
「まあ事情は色々あるみたいです。ここやと土地が安かったとか競争相手がおらんで客足のありそうなとこ狙ったとかね。軌道に乗ったら京の町中に引っ越すつもりやったらしいけど定着してしまったから言うてここでやってはります。けど人気が出だしたら腕も上がるんかほんまに料理もおいしいですよ。女目的だけやなくて料理目的で来る客もおるんやから。飯食うだけなら女をつけんでもええし、客は男だけやない。客層は幅広いです」

「もうよか」

伝之助は鬱陶しそうに手を振る。
鈴味屋の話に飽きたのだ。
しかしまだまだこれからだ。

「まあ聞いて下さい。鈴味屋はね、女将さんがお鈴さんやから鈴味屋なんです。そんな鈴味屋の歴史は浅いんですけど歩んできた道は深いんです」
「おっ、開いたみたいじゃ。いっど」

鈴味屋が開店したようだ。
これからが鈴味屋の話の醍醐味だったのに間が悪い。
しかしおさきに会える。


木の陰から出て鈴味屋に入っていく。

「あら、優さん。最近えらいお早いでんな」

女将のお鈴が出迎えてくれる。

「いや、最近早起きなんや」
「へえ、早起きなんはええことや。三文の徳言いますもんなあ。お隣の方は?」
「俺の知り合いのお侍さんで大山さん言うんや」
「大山伝之助じゃ」

愛想よく笑顔で名乗る。
こうしていれば本当に爽やかな侍なのに。

「大山さまですね。女将の鈴です。ゆっくりしてって下さい」
「おさきは居てるかな?」
「はいはいおさきね。すぐ呼びますからどうぞお部屋で料理でも頼んで待っといて下さい」

小上りに上がり、伝之助が刀番(かたなばん)に刀を預ける。

二人は案内人の女について行く。
女は二階の端の一室へと案内する。

最も話が聞かれる心配のない部屋である。
おさきからこの部屋へと案内するよう言われていたのだろうか。

退出しようとする女を引き留め、適当に料理と酒を頼んでおさきを待つ。
やがて引き戸の向こうでぱたぱたと急いでくる足音が聞こえたかと思うと、引戸が勢いよく引かれた。

「お待たせしました」

余程待ち遠しかったのか、おさきにしては珍しく作法を無視して戸を開けた。
いつもなら例え優之助であろうともいきなり開けると言うような事はしない。

「これはおさき、慌ただしいな。まだ料理と酒が来てないからゆっくりしてや」

優之助はそんなお転婆な所も見せたおさきに見惚れながら言うと、おさきに伝之助を紹介する。

二人の紹介が終わったところで料理と酒が来た。
おさきが二人に酌をする。

「優之助から話は聞いた。そん話、重ねてんなっがもっぺん話してくいやい」

伝之助が切り出すと、おさきは一つ頷き、優之助に話した事をもう一度話す。

二人は料理をつまみ、酒を飲みながら聞く。
時折伝之助が質問を挟み、おさきが答える。

「ようわかった。で、そん兄は今どこにおっとじゃ」
「大坂です」
「大坂……何で大坂?」

優之助は思わず呟くように言う。

商人が盛んに行き交う大坂。
大坂はかつて天下の台所と言われ、将軍のいる江戸、帝のいる京に次いで賑やかな所だ。
物流においては日本一盛んで人々の出入りも激しい。

「大坂に仇がいてるからです」
「そこまでわかっちょって仇は討てんとか」
「詳しくはわからんのですけど多分居場所をきっちり見つけてないんやと思います」

大坂と言えど広い。それに賑やかな都会に紛れていたとしたら見つけ出せないのではないだろうか。

「或いは見つけてもよう討てんち言うこつか」
「伝之助さん!」

おさきの兄に対してなんて失礼な事を言うのだ。
咎める優之助をおさきが引き留める。

「優さま、ええんです。昨日言うた通り兄はよう仇討ちのする人やないと思てます」

優之助は伝之助の遠慮ない物言いに腹立て睨みつけるが、伝之助は意に介していない。

「よか。まあ大体はわかった。そん依頼、引き受けっど」
「いいんですか!」

おさきの表情からは驚きと安堵、期待と喜びと言ったあらゆる感情が見て取れる。
その様子を見て優之助も安堵すると共に悦に浸る。

「おう。優之助から報酬に関して話がある」
「え、俺ですか?」

現実に引き戻された。

「お前が引き合わせた仕事じゃろ。きっちり仕上げ」

優之助は昨夜、伝之助に言われた事を伝える。

報酬は半金を前払いし、これは例え失敗しても返さない。
もしこの話が嘘で自分の私利私欲、逆恨みによってと言うなら復讐はせず、残りの金も払ってもらう事を伝えた。

おさきは一つ一つにゆっくりと頷く。

「それで報酬なんやけど、おさきやからここは出来るだけ負けたろうと……」
「お前、ない勝手なこつ言うとる」

伝之助が静かに吠える。
優之助はその様子に竦み上がるもおさきの前だから強がる。

「いや伝之助さん。おさきは俺達に仕事をくれた初めての人です。今後ここから広がるかもしれん商売、最初に印象よくしといたら噂でいいように回ります。確かにおさきやから融通したろうてのもあるけど、今後の事も考えて言うのもあるんです」

得意の口八丁(くちはっちょう)で誤魔化す。
伝之助の視線が痛いように突き刺さる。

「優之助。お前、今後もこげん仕事引き受けっとか」
「それは今後の展開次第です。だから最初はしくじりたくないんです」
「お前、もっと真っ当な仕事せえ」

真っ当な仕事をしていない奴に言われた。

それをおさきの前で言わんでくれ……
いや、悲しんでいる場合ではない。
おさきの為に報酬を負けてやるよう話を運ばなければいけない。

「真っ当な仕事をするまでに俺は自信を付けたいんです。この仕事を仕上げたらどんな仕事も出来る自信がつく。その為に伝之助さんの力を借りて今後の為にも仕上げたいんです」

血も涙もない男、大山伝之助にこんな言葉が響くとも思えないが何でも言っておく。

伝之助はしばらく思案する。
おさきはその様子を黙って見ている。

「口のうまかやつじゃの。まあお前の言うこつも一理ある。よか、負けたるど」
「ほんまですか!」

こんなにもあっさりと……意外と言ってみるものだ。

「ありがとうございます」

優之助が驚いている内におさきが礼を言う。
その様子を見て正気へ戻る。

「ほんならおさき、報酬は……」

仇討ち代行の相場はいくらだろうか。
あまり安いと伝之助を怒らせる。
あまり高いとおさきが可哀想だ。

しかしおさきは京で一、二の料亭、鈴味屋一番人気の女だ。
それなりに稼ぎはあるはず。

それにおさきは賢明な女だ。
だから貯蓄もそれなりにあるに違いない。

「一両でどうやろ」

それを踏まえての報酬額だ。
これなら伝之助も文句はないだろう、と伝之助を見るともの凄く睨んでいた。
睨みだけで震えあがる程恐ろしい形相で睨まれていた。

「一両でいいんですか?」
おさきが目を丸くして言う。

この反応からしてもう少しすると思っていたのは間違いいない。
そしてもう少し出すつもりでいたのも間違いなさそうだ。

「いや、やっぱりもう少し出してもらおうかな……」
「もうよか。報酬は四両。近々半金の二両を用意せえ」

四両だと。
強欲侍が……四両も取るのか。

「四両ですか……」

おさきも打って変わって驚いている。
そりゃそうだ。

「おう。こっちも命を懸けて人一人を殺すとじゃ。少なかぐらいじゃ。十両でも足りんど」

いくらなんでも十両は吹っ掛け過ぎだ。
庶民にとって、いや、一介の侍にとってもそれがどれほどの額かわかっているのだろうか。
この鬼侍からしたら悪者一人斬り倒すぐらいなんて事も無いと言うのに。

優之助は伝之助に会った日の事を鮮明に覚えている。
いとも簡単に人を斬り、そして斬る事に対して一切の躊躇、乱れが無いのだ。

「大山さまの言う通りです。わかりました。報酬は四両、半金の二両を明日お支払いします」
「明日て……大丈夫なんか?」

おさきは優之助を見て黙って頷く。
その目からは強い意志を感じた。
明日までに用意するとは余程決意が固いのだろう。

その後は金の受け渡し場所を決め、兄の健太の居場所などもう少し話を詰めると、鈴味屋を後にした。



「四両て多くないですか」

鈴味屋からの帰り道、優之助は食って掛かる様に問う。

「さっきも言うたが、代わりに命を張って四両言うんは安いど。そいに四両の内訳は今回は二人からの依頼じゃち、一人二両で四両じゃ。十分に負けちょる」

なるほど、二人で四両。
しかし恐らく兄に金はないだろう。
結局はおさきが払う事になる。

京の町中まで戻ってくると、伝之助はちょっとぶらぶらしてから帰ると言い、嬉しい事に解放された。

今からもう一度鈴味屋に行こうかとも考えたが、おさきの事を思うと行かない方がいいかと思い直し、近くの飲み屋に入った。
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