有り難くない出会い

文字数 5,146文字

「今日もおもしろかったわぁ」

優之助は京一番の花街、島薗(しまぞの)の近くにある馴染みの料亭、鈴味屋(すずみや)でいつものように昼過ぎから入り浸り閉店まで満喫した。

鈴味屋は二階建ての長屋で中庭があり、ちょっとした屋敷のようだ。
酒と料理を出すのはもちろん、女を接待につけられお酌をしてくれるが、ただ一つ決まりがある。
それは女に触れてはいけないと言う事だ。

「このまま俺の家にいこか」

贔屓にしている女、おさきを口説く。

おさきはすらりと長い手足に切れ長の目、整った鼻筋とそれは美しい顔立ちで器量も良く、鈴味屋で
一番の人気だ。

「優さまったら、私は何度誘われても行きませんよ。ほら、そこまでお送りしますから」

いつものやり取りの後、おさきに店先まで送ってもらう。
優之助はおさきと懇意になりたいが、他の女は振り向いてくれてもおさきだけは振り向いてくれなかった。

「今日もおさきは振り向いてくれへんかったなあ」

ふらふらとした足取りで帰路につく。
京の町中と鈴味屋を繋ぐ小さな川の橋に差し掛かり、橋の真ん中まで来ると尿意を催した。

優之助は酔いも相まって大胆にも川に向かって立ち小便をする。
小便が済むと、欄干にもたれ暑い季節が終わり涼しくなり始めた夜風を浴びて休憩する。

今日は雲が少なく月が明るい。
ぼんやりと川面を見つめる。

いつまでふらふらと遊び歩いているのだろう、優之助だってそう思わないわけではない。
ただ自分に桜着屋は継げないし継ぎたくない。

家の商売を継ぐ。親が決めた縁談を引き受ける。
そんな当たり前の事が受け入れられなかった。

気ままに生きたいが、とりわけ何かできるわけでもない。
そもそも何がやりたいのかもわからない。
親を頼らず生きていく度胸もない。

その結果が今であった。
父は厳しいが何でも与える甘さがある。
その甘さに甘えて生きている。

このままではいけないと思っているが、どうすればいいかわからず毎日を過ごしている。

ぼんやり考えていると河川敷の暗闇で何か気配がする。
何やら言い争っているようだ。

月が明るいので目を凝らしていると段々見えて来る。

人や、人が何人かおる――前のめりになり更によく見ると一人の侍に何人かの侍が取り囲んでいる。
斬り合うにはまだ間合いが遠い。

「えらいこっちゃ……」

勇次郎と朝のやり取りを思い出した。
確か物騒な浪人達が誰かを探していたと言っていた。

まさかその浪人達か。
だとしたら探していた対象を見つけ出したのか。

いや、そんな事はどうでもいい。
ややこしい事に巻き込まれる前に去ろう。

欄干から手を離そうとすると突如怒号が響き渡る。
思わず声の方に目をやる。

取り囲まれていた侍が刀を抜いた、と同時に遠間をものともせずに距離を詰め、鮮やかな動きと速さで囲んでいた男達を斬っていく。

酔いは一気に覚めてしまった。

男は次々と斬り倒す。
辛うじて一人の浪人が刀を抜いて攻撃を受けるも、押し込まれ斬り倒された。

「一人残らず斬り倒してしもた……」

驚愕と共に呟きが漏れる。

男は和紙で刀の血を拭い納刀するとゆっくり顔を上げ、優之助の方を見た。

まさか、優之助の呟きに反応した訳ではあるまいが、男は優之助の方をじっと見ている。

暗がりで顔は見えないが、徐々に雲が動き、やがて月明かりが男の顔を照らす。
頬に返り血を浴びた激しい形相の顔は、鬼を彷彿させた。

「ひっ……」

優之助は短い悲鳴を上げると、膝が笑い金縛りにあったように動けなくなった。

「見よったな、こん餓鬼……」

男は呟くように言った。

優之助は恐怖からか感覚が研ぎ澄まされ、離れた男の言葉を一言一句聞き取った。
それを合図に金縛りが解け、弾けるように走り出す。

手足を極限まで動かした。
何度も酒と夕食を吐き出しそうになったが何とか堪えた。

町中を駆け抜け、民家と田畑が立ち並びだした。
ここを抜けると自宅だ。

民家と田畑が後方へ小さくなりぽつんと建つ自宅が見えてきたが、速度を緩めず走った。

そして家の中に飛び込んだ。

「はあ、はあ……えらいもん見てしもた」

逃げ切った。
草履を脱ぎ散らかし廊下に突っ伏した。
息も絶え絶えにがたがたと震える。
先に小便をしていなかったら間違いなく漏らしていた。

「ここがお前の家か」

心臓が飛び出そうになった。
優之助は歯をかちかち鳴らしながら恐る恐る戸口を見るとさっきの侍が立っていた。

「な、なんで……」

何でここがわかったんや……

「ないごてち、お前をつけてきたからに決まっちょう。あいで逃げちょったつもりか」

侍は息一つ乱さず不敵に笑い、腕を組んで戸口にもたれかかる。

侍の言葉には訛りがある。
この訛りは確か南方に位置する、薩摩だ。

片田舎で決して豊かではないが、各藩が一目置く軍事力を持っており、将軍でさえも薩摩に強く出られないと言う。
薩摩の人間の気風は日本の中でも突出して猛々しい事に加え、謀略も頭一つ抜けていると聞く。

なぜ薩摩の侍が……

「お前、一人住まいか?」

優之助は恐怖と戸惑いから目を剥いたまま固まっていた。

「一人で住んどるかち聞いちょうが」

侍が苛立たしげにもう一度聞く。

「ひゃ、はい」

滑稽な程に引っ繰り返った声で返事する。
頭の中は混乱している。

「そうか。町中からも民家からもちと離れちょる。裏はこまか山か。よか、決めた。おいはここにしばらく身を置く」

優之助は侍が言った事を理解できず、「そうですか」と間の抜けた返事をした。

二呼吸後、「ええ!」と驚いた。

「ここに身を置くち言うたとじゃ」
「いやいや困ります」
「ないが困る。お前は独り住まいじゃ」
「いや、独り住まいやからとかやなくて……」

こんな恐ろしい奴家に置きたくない。

侍の言った通り優之助の家は町中からも近くの民家からも少し距離がある。
裏手は雑草が伸びた庭に井戸があり、その奥には小さな山があるだけで何かあっても簡単に助けは呼べない。
この環境で恐ろしい侍と二人で暮らすなど恐怖でしかない。

「ないも取って食うこつはなか。安心せえ。ただお前が今夜んこつ、どっかで口を滑らさんよう見張らんといかん」

侍は片笑みを浮かべる。
不気味な笑みにしか見えない。

「うっかり喋ったらどないなるんですか」

優之助は恐る恐る聞き、ごくりと唾を飲み込む。
侍がにっと笑った。

「そりゃあ、お前が今夜見たようなこつんなる」

笑いながら言うが、全然笑えない。

「どうしてもここにいてもらう事は出来ませんと言うたら……」
「どげんなっか、知りたかか?」

侍の目が怪しげに光る。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが痛いほどわかる。

「いえ、結構です。どうぞ身を置いて下さい」

優之助は諦めた。まだ死にたくない。
おさきを口説き落としていないし定職にもついていない。

このままだと死んでも仕方ない奴と言われる。それは恥だ。
もはや生き恥をさらしているのに今更恥が気になる事はさておき、侍を住まいに置く事にした。
ここで断る方が危険だ。

「よか、上がるど」

侍は一言断ると、草履を脱ぎ家に上がる。

「あの、お名前は……」
「大(おお)山(やま)伝(でん)之(の)助(すけ)。まあどっか腰を落ち着かさんか」

立ち上がり、居間へ案内し燭台に灯りを灯す。

伝之助は短躯(たんく)だが腰に差す一振りの刀は長い。
手製のちゃぶ台の前に座らせ茶の用意する。
茶はちょっとした贅沢品だが優之助の数少ない趣味だ。

伝之助の前に茶を置くと向かいに座った。

明るい所で見ると伝之助は逞しく、岩のようにごつごつした身体ではなく太い木の幹にしなやかで逞しい枝が生えていると言った身体つきだ。
これで体力もあるのだから多数の相手にあれ程の立ち回りが出来るのも頷ける。

「あいがと。頂きもす」

伝之助は湯呑を持ち茶を啜る。

伝之助の手は背の高さと反比例して大きく、意外にもしなやかで綺麗な指をしている。
しかし湯呑の間から覗く掌はごつごつとしており、剣の鍛錬を重ねている事が見て取れる。

「うんまか」

本当にうまそうに朗らかに言った。
その顔を見ると、先程人を斬った男とは思えない。

「あの……ちょっと聞いてもよろしいですか」

恐る恐る勇気を出して聞いてみたが、優之助の緊張をよそに伝之助は「おう」とあっさり快諾する。

「伝之助さんは……お侍さんですか。いや、その……髷(まげ)もないし……」

侍は髷を結っている場合が多いが、伝之助に髷はなく無造作に切った短髪だ。
後ろで申し訳程度に髪を括っている。
伝之助が刀を差していると言っても侍なのか賊なのかわからない。

「今は浪人かの。昔から月代(さかやき)は剃っちょらんで総髪(そうはつ)にしちょったが訳あって切った」

どんな訳だろう。
気にはなったが髪型の話をしたい訳ではない。

「もう少し色々聞いてもいいですか」
「よかど」
「では、遠慮なく……さっきはなんで人を斬ったんですか」

伝之助は茶を啜るのをやめて優之助を見る。

まずい……もっと回りくどく聞くべきだったか。
しかしこれは聞いておかなければいけない。

伝之助が湯呑を置く。

「まあ気になるわな。おいを狙うもんがおっての。そん刺客言うたとこかの。近江からはるばる斬られに来よった」

伝之助はそう言って笑うが、全然面白くない。
この侍はよく笑う。

「狙うもんが……?」

この家にこの侍を置いていたら危ないんじゃないだろうか。

「心配せんでよか。しばらくはこん」

優之助の心の内を読み明かすように伝之助が言った。
しかし安心は出来ない。

「命を狙われているんですか」
「まあ色々しちょうからのう」

冗談じゃない。
命を狙われている侍なんて置きたくない。

「色々って……」
「知りたかか?」
「知ったら後悔しますかね」
「別にそげなこつあなかよ」

伝之助はにっと笑う。

よく見ると顔の彫が深く、きりっとした精悍な顔つきだ。
先程斬り合っていた事を知らなければさぞかし爽やかな笑みに見えるだろうが、優之助にはそうは見えない。

「じゃあ、伝之助さんは何をやってはるんですか」

興味半分、恐怖半分で聞いてみる。

「おいは人に雇われ用心棒をやっとる。そいで恨みを買うこつもある。さっきんやつらはそう言うやつから送られてきたとじゃろ」

用心棒……確かに強そうだし実際一人で何人もの侍を斬り倒したから強いんだろう。

「そうですか……あと伝之助さんって何歳ですか」

年上に見えるがまだ若そうにも見える。

「おいは二十五じゃ」
「えっ、俺と一緒……」

まさか一緒の年とは思わなかった。
自分より絶対上だと思ったのに。

「おう、お前も一緒か。そいで名はないか」
「あっ、これは申し遅れました。優之助いうもんです」

床に手を付き丁寧に頭を下げる。
礼儀作法は厳しく躾けられたからこういった所作は得意なのだ。

「ほう、優之助か。おいと同じ之助(のすけ)じゃの」

『之助』が付く名はそれなりにいると思うが……優之助は「はあ」と曖昧に返事をする。

「伝之助さんは薩摩の方ですか」
「おう。京に稼ぎんきた」
「さぞお強いんですね」
「おう。おいはまっこてん薩摩(さつま)隼人(はやと)じゃ」

伝之助は快活に笑って言う。

薩摩隼人とは薩摩の勇猛果敢な男と言う意味だが、薩摩の侍が自らを薩摩隼人と言うと、何も自分は勇猛果敢な薩摩の男ですと言っているのでなく、真に薩摩の誇りを持った侍ですと言う意味となる。

自ら自信を持って言うとは薩摩の中でも本当に強かったのだろう。

「もうよかか」
「え……」

なぜ薩摩の侍が浪人となり京に稼ぎに来ているか等、まだあれこれ聞きたい事はあるが今聞く話ではない。
今は簡単な人物像と自分に危害がないかを確認できればそれでいい。

そして話を聞くと身を守る為に斬り合いに転じたと言う事のようだ。
つまりこちらから何もしなければ安全だとわかったのだからいいだろう。

「まあとりあえずもうええかな……」
「そうか。次はこっちの番じゃの。お前はこげなとこにないごて一人で住んどる」
「え、俺は……」

京で有名な呉服屋、桜着屋の長男だが行いが悪く追い出されたとは言えない。
加えて情けで金を貰い、それに甘えて日々遊び暮らしているとはもっと言えない。
口がうまく顔がいい事で女をとっかえひっかえしているなんてもっともっと言えない。

「まあ言いたくなかならよか」

どう答えようか考えていると伝之助が気を利かす。
意外といい人かもしれない。

「すみません。またうまく話せる時がきたら言います」
「おう」

話は終わりとばかりに伝之助が立ち上がる。

家の間取りを一通り説明する。
伝之助は広さと風呂も厠(かわや)もついている事に驚いていたが、どうでも良かった。

この侍を少しでも遠くに置いておきたい。
そう思って優之助の寝床から一番離れた部屋に案内する。

安全とは言え安心はできない。
寝床に案内してやると、そこで別れとなった。

明日からどうなるのだろうかと思い考え巡らせるが、何だかどっと疲れた。
早々に寝床につく事にする。

瞬く間に意識が遠のいた。
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