襲撃

文字数 4,759文字

あんやっせんぼがおもしろかやつになったのう、伝之助はそう思い走った。

歓楽街に入ると走るのをやめて歩く。
現時点で人目を引く訳にはいかない。

幸い、夜も深い為道行く人も少ない。
丁度いい。奉行所の連中が早くに駆け付けると困る。

りんを鈴味屋まで連れてきて良かっただろうか。
りんは真っ直ぐで行動力がある。
そして失うものが無く死の覚悟をしている。

念を押していったが、こっそり抜けて近くまで来るかもしれない。
しかしどうなってもりんは守ると決めている。
その為には何だってする。

こんな正義感に駆られるのはいつ以来だろうか。

当初、藩命で人斬りをしていた頃は正義と信じていた。
だがいつ頃からかそれが裏切られ失った。
それからは正義も信念も無かった。

しかし今こそ、もう一度自分の中に信念を持ち生命を燃やす時だと鼓舞した。

「こいが屋敷の正門か。立派な門構えてまるで上級武士じゃの」

屋敷の辺りに人はいない。

勝手口に耳をつけて様子を伺うと人の談笑する声が聞こえる。
二人門番がいるとみる。

「よか」

にっと笑い、勢いよく勝手口を蹴った。

どんっと大きな音が鳴る。
構わず続けて蹴り付ける。

「誰や!」

中から怒鳴り声が聞こえるも構わずに蹴る。
頑丈で壊れる様子はない。
壊そうとは思っていないが、壊れたら壊れたで有り難い。

四度目の蹴りの後、勢いよく勝手口が開く。

「どこの酔っ払いじゃ!ここがどこかわかって――」

勝手口いっぱいの大男が最後まで言い切る前に、伝之助は抜きざまに相手の右腿の付け根から左肩口まで斬り上げた。

「ぎやあああ!」

大男は屋敷中に響き渡るほどの断末魔を上げ、血飛沫を噴いて卒倒する。

伝之助は大男を跨ぎ、屋敷の敷地内に入る。

松明(たいまつ)を炊いた大きな庭があり、その後ろに大きな屋敷がある。
庭にいたもう一人の門番の男が目を見開いてこっちを見ていた。

「おいは大山伝之助じゃ!坂谷を出せえ!」

屋敷中に響き渡る大声で言い放つ。

「曲者や!出合え!」

伝之助の大声と門番の叫び声に反応して屋敷からわらわらと人が出て来る。
屋敷からこちらを窺う者、庭にまで下りてくる者といる。

「なんや!襲撃か!」
「相手は何人や!」

男達が口々に言う。
その間も屋敷からばたばたと足音が聞こえる。まだ増えるのだろう。

「よかよか、死にたか奴は前に出え!」

伝之助はこのような状況でも楽しむかのように笑みさえ浮かべて言う。

伝之助の様子に怯えたのか、中々刀を抜く者が出ない。

庭にいる一人の男がそっと刀の柄に手を掛ける。
それを見た伝之助は咆哮を上げ襲い掛かる。

男は刀を抜く事なく袈裟懸けに斬られる。
返り血が伝之助の着物を染める。
それを見た他の男達が一斉に刀を抜く。

伝之助は単身、斬り掛かる。
その間もどこから湧いてくるのかと人が出て来る。

一人、また一人と伝之助に斬り倒される。
皆、伝之助を止められずただ一刀の下、やられるばかりだ。

「俺が相手じゃ!」

槍を持った屈強な男が声を上げる。

男は名乗りもせず、いきなり伝之助に向けて槍を突き出す。
伝之助は相手の左側に鋭く踏み込み、槍の穂先を叩き斬る。

「あっ!」

男が目を見開いた瞬間、伝之助は更に踏み込み首をかき斬る。

男は呻き声を上げて首から血を噴き上げると、ぶるぶると痙攣して倒れる。

男達は怯むも、奮い立たせて立ち向かってくる。

ある者は一撃で、ある者は攻撃を薙ぎ払われて返す刀で斬られ、ある者は伝之助の一撃を受けようとするも受けきれず、押し込まれて刀ごと斬られる。

よか。もっと来い。屋敷中の男はここに来い!――伝之助は鬼神の如き働きで次から次へと斬り倒してく。

 
「始まったようやな」

優之助は木に登り、騒ぎの方へ駆けて行く男達を見ていた。

「今」と思ったら飛び込めと言われたが、「今」がいつなのかわからなかった。
しかし男達がはけていくのを見ていると今しかないと思ってきた。

迷って好機を逃すわけにいかない。

「よし、いくか」

人がいないことを確認すると塀へ移り、敷地内へ飛び降りる。

草むらに身を隠し、塀近くの岩を確認する。
帰りはあの岩から塀へ移る。
配置は千津の言った通りだ。

周囲に誰もいない事を確認し、深呼吸して立ち上がる。
心臓が激しく打ち鳴らす。

大丈夫、敷地内の配置も屋敷内の間取りも頭に叩き込んでいる。
言い聞かせてそっと屋敷に忍び込み、真っ直ぐ坂谷の寝室に向かう。

「表や!行くぞ!」

どこかで男の声の後に複数の足音が続く。

優之助はさっと廊下の角に身を隠す。

足音は遠ざかって行く。
伝之助がうまく引き付けているのだろう。

しかし心臓に悪い。
まだ激しく胸を打ち鳴らしている。

しばらく様子を見ようかと思ったが、伝之助が「斬り合いは思っているより短い」と言っていたのを思い出す。

覚悟を決めて辺りを窺い廊下に出ると、足早に寝室を目指す。
幸い誰とも出会わず寝室に到着した。


寝室に入る。
坂谷はいない。布団が乱暴に退けられている。

逃がされたのか、自ら騒ぎの方へ出向いたのかはわからないが都合がいい。
寝室の隣、坂谷が蔵として使っている部屋の引戸を引く。

開かない。
見ると鍵が付いている。

「あいつ、鍵なんかつけてたんか」

慌てて鍵を探す。もし身に付けていたらどうしようもない。

こうしている間も伝之助に敵が迫る。
伝之助がやられるかもしれないし、坂谷が戻ってくるかもしれない。

ちくしょう、どこや。

布団をめくり、枕をどかす。

ない。

隠すとすればすぐ手に取れるよう布団の近くではないだろうかと推理するもない。

布団の近くには何もない。
少し離れてあるのは物を書く時に使うのか、何も置かれていない小さな机のみだ。

文机にすると小さく引き出しもない。この机にはないだろう。
となるとその背後にはある箪笥だ。
いくつか引き出しがついている。

一番怪しいが、この棚を全て漁るとなると確実に時間が足りない。

どうするか……数秒の事でもかなり時が過ぎた気になる。
考える間も惜しい。

壊すしかないか……かと言って壊す物も無い。
あるとすれば先程の小さな机だが、これでは鍵を壊せないのではないだろうか。

しかしやらないよりはいい。鍵を探すよりは可能性がある。
万が一壊せれば儲けものだ。

机を持ち上げ、振りかぶる。

と、机の裏に小さな木の箱が付いている。
誰かが開けたのか、きっちりしまっていない。

机を置き、小箱を開けると鍵があった。
急いで開けて中に入る。

思ったより広い。
刀や鉄砲、何かの置物や金など様々なものが置かれている。
壁に鉄砲がいくつか掛かっているが、その内の一つがない。
いや、今はそれ所ではない。

「これか」

入ってすぐの壁側に金の入った箱とその上に紙が置かれていた。
紙を確認すると間違いない。
金も取り返したいが今は邪魔になる。

紙だけ持って部屋を出て鍵を掛け直し、全て元通りにしておく。

寝室を出る。
辺りを窺うが人は見当たらない。

遠くで怒号が響いている。伝之助はまだ戦っているのだ。
つまり伝之助はまだ生きている。

急いで来た道を戻り屋外に出ると、脇目も振らず塀の近くにある岩に向かって走る。

「お前、何してるんや!」

声をかけられ飛び上がりそうになる。
振り向くと小柄な男が刀の柄に手をかけ、睨みつけている。

なぜ人がいるのだ。
皆表へ行ったのではないのか。それとも数人は残しておいたのだろうか。
だとすればまだ仲間がいるのだろうか。

優之助は懐に手を忍ばせ、短刀を確認する。
使う事はないと思っていたが、その必要があるかもしれない。

脅して隙を見てその間に逃げる……いや、腰に刀を差した相手にそんな脅しなど通用するのだろうか。
侍は死の覚悟を持っている。

「何もんや!」

男が上ずった声で叫ぶ。
応援が来ないかと冷や冷やするが、辺りにいるのはこの男だけで仲間はいないようだ。
他は伝之助がしっかりと引き付けている。

男は刀を抜く様子がない。
いや、この男よく見ると膝が笑っている。

その瞬間、優之助は覚った。

間違いない。
こいつは俺と一緒の部類で、今となっては意味を理解した薩摩の言葉で言うやっせんぼや。

そう、ここにいたのは持ち場を離れずにいたのではない。
戦うのが怖くて隠れていたのだ。

どういう経緯で坂谷の護衛に雇われたのかは知らないが、侍だからと言って皆戦えるとは限らない。
死の覚悟がない侍もいるのだ。

「見られたからにはやるしかないな」

短刀を出し、鞘を払う。

足が震える。
いや、相手の方が震えている。

いける。腹括ってるこっちが一枚上手や。

俺には信念がある。
今この瞬間だけ、薩摩侍は無理でも侍の覚悟を少しでも持つ事は出来る。
と、思い込む。

「ま、待て。そんなもん仕舞え。わしは何も見てないし何も言わん」

男はあっさり刀から手を離すと、両手を前にして首を振る。
肥えた頬と下顎がよく揺れる。
少し考えるとこんな体で斬り合いなど出来るはずもないと気付く。

「誰がそんなもん信じるんや」

優之助は腰だめに短刀を構える。

ほんまにやるんか……言葉と態度とは裏腹に、優之助は自問自答していた。
相手の腰が引けている今なら逃げられるかもしれない。
だが背を向けた瞬間に襲われるかもしれない。

強気の姿勢を崩してはいけない。
短刀とは言え刺すと致命傷を与える事になるし、最悪命を奪う事にもなる。
しかしやらねば自分がやられる。

どうすればと思うが、時間を与えると相手も落ち着きを取り戻し何をするかわからない。
この迷いはいけない。

――優之助、ひっ飛ぶど――伝之助の言葉が頭に響く。

やるしかない。

「ひ、ひひ、ひっ、ひっ飛んだるうぅぅ!」

裏返った声で叫び、男目掛けて走る。

「や、やめてくれ!」

男は後ずさり、足を引っ掛けて転ぶ。

優之助は止まらず走る。
しかし足が思うように動かない。
緊張と恐怖心で思った以上に動きが悪い。

気持ちと動作がうまく連動せず、五歩目を踏み出そうとした所で足を縺れさせ転んだ。

すぐに起き上り立ち向かおうとすると、男は白目を剝いて倒れている。
足を引っ掛けて転んだ際、石に頭をぶつけたようだ。

何という幸運であろうか。
死んでいないか心配になったが息はしている。
この様子だとすぐに目を覚ますだろう。

心臓がはち切れそうに鳴っている。
息が荒れ、汗を大いにかく季節でもないのに汗をびっしょりかいている。
もう少しで人殺しになる所であった。

まともな奴ではないだろうが自分のせいで死なれると寝覚めが悪い。
いや、相手が相手ならこっちが死んでいた。
そう思うと今度は冷たい汗が背中を伝う。

肝を冷やしている場合ではない。時間が無い。

よし、はよ逃げよう。
そう思った時、ずどん!と大きな音が聞こえた。

 
胸騒ぎがする――りんは鈴味屋の一室を借りて布団を敷いてもらっていたがとても横になってはいられなかった。
さっきからずっと、窓から島薗の方を見ている。

「こんなんで寝られるはずがない」

溜息と一緒に言葉が漏れる。

いや、寝るつもりはなかった。
それにしても先程から胸騒ぎがやまない。

このままここに居てはいけない気がする。
特別勘がいい訳ではないが、何かが頭の中で騒ぎ立てている。

「やられてしもたんやろか……」

そんな事は思いたくない。
当初は疑っていたのにも拘わらず二人は匿ってくれた。
今も自分を助けようと動いている。

出会って日は浅いが彼等には感謝している。
信じなければいけない。
だが不安は腹の底から煽り立てる。
行けば足手まといになり、自分の身に危険が及ぶ事もわかっているが、自分が行かなければいけない気がする。

迷っていたが決心し、紙に礼と挨拶も無しに出て行く無礼を詫びる旨を書いた。

優之助を襲撃した時の格好に着替え髪を結う。
早く出る事は構わないだろうが、この格好を見られると厄介である。

お鈴に見つからぬよう忍び足で裏口まで行くと、そっと外へ出た。

来た時同様、外は空気が澄み渡りよく晴れており、月が明るく暗くは感じない。

短刀を確認すると屋敷に向かって森の中を走った。
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