仇討ちー前編ー

文字数 5,499文字

決行の日までにもう一度三人で会うと、盛本行きつけの飲み屋を確認した。
その後、人目につかず飲み屋からもそれ程離れていないなどの条件を加味して入念に考え、伝之助が決行場所を決めた。

もう一度飲み屋に戻って物陰に隠れ、盛本が来るのを待った。
それ程待つ事なく健太が一人の男を指差し、「あれが盛本です」と言うと、優之助はその人相を頭に刻み込んだ。

やるべき事はやった。
後は決行まで自由だ。

女を引っ掛けてあちこち行こうと思っていたが、もう少しで命を張らなければいけないと思うととても遊ぶ気にはなれず、優之助はほとんど宿屋から出ずに過ごした。

伝之助はよく外に出ていたが気にも留めなかった。
あの侍がどこで何をしていようが自分に害をなさなければどうでもいい。
寧ろいない方が落ち着いていい。


そしてついに決行の日を迎え、優之助の部屋に三人が集まった。

「いよいよですね」

優之助は恐怖からか逆に興奮状態で前のめりになって言う。
それに対して健太の顔は青白く俯き加減だ。

「健太さん、大丈夫ですか。やっぱ怖いですか」
「はい、正直言うたら怖いです。でも大丈夫です」

健太は刀を握りしめる。
おさきの父が最後に打った刀だ。
この刀で仇を討つのだ。

「どげんなっても今宵で片が付く。朝には全てが終わっちょう」

伝之助の言葉はとても心強く感じた。
普段は鬱陶しい侍だが今は居てくれて有り難い。

「そうですね。じゃあ、行きましょう!」

優之助は自ら進み出て自分を奮い立たせた。

宿屋を出ると空は綺麗な茜色に染められている。
おさきの父が励ましてくれているのだろうか。
盛本が現れなかったら先延ばしとなるが、この空を見ると今日現れる気がする。

「では健太さん、約束の場所で」
「はい」

健太はあらかじめ決めておいた、人気がなく柳の木が複数あり人目にも付きにくい河川敷、決行の場所へと向かった。
健太の足取りは重く見えた。

「健太さん、ちゃんと行きますかね」
「そりゃ行くじゃろ。行かんかったら金だけとられるからの」

そう言えばそんな約束だった。

「でも止めを刺せますかね」
「わからん」
「止めを刺せんかったら、その時も約束を反故した事になるんですか」
「そいはお前が決め」
「わかりました。もし健太さんが止めを刺せんかったらその時は伝之助さん、頼みます」

優之助は盛本行きつけの飲み屋へ向かい、伝之助は物陰に身を隠しながら後を追った。
恐怖はあるが今の所まだ軽い興奮状態のみで身が竦む事はない。

来るのは二度目だが迷う事なく飲み屋に着いた。

一度店の中を覗く。
盛本はまだ来ていないようだ。

前回盛本の人相確認の時に張っていた場所、飲み屋の入り口が見渡せる物陰に身を隠して見張る。

そして日が落ちる頃、盛本が現れ一人で店に入って行った。

――ほんまに来た。
あとはたらふく飲んで酔っ払ってくれたらいいのだが……

優之助は待った。
たっぷり半刻ほど待たされた。

一人で入ったから共に飲む仲間もいないだろうに、何をそんなに長い事飲んでいるのだろうと思った時出てきた。
と思ったら他の男数人と出てきた。

店の中で意気投合したのかと目を凝らすとそうではなく、何やら言い争っている。
こちらが仕掛ける前に揉めているようだ。

良く揉め事を起こす男――その情報がありながらこちらが仕掛ける前に揉め事を起こしているこの状況を想定していなかった。
伝之助の単純な作戦のせいだ。

どうしようか……辺りを見渡すが伝之助は見当たらない。
本当に近くにいるのだろうか。

盛本と男達はいがみ合っている。
仕方ない、もう行くしかない。

「ちょいとそこのお方たち、どないしはったんですか」

優之助は小走りで駆け寄った。
盛本と男達の視線が優之助の方へ注がれる。

「どないしたも、このお侍さんが何見てるんじゃと因縁つけてきたんや」

男達は顔が赤く全部で四人だ。
四人相手だが、腰に刀を差しておらず、町人風情だ。

「見とったやろが。それで笑ってたやろ」
盛本が赤い顔を更に赤くして怒鳴り、詰め寄る。

盛本は小太で中背。
目が小さく離れており、鼻は潰れた団子の様で見るに堪えないぶ男だ。

人相を確認した時、この顔は忘れようにも忘れないだろうと思っていた。
今までの行いの悪さがこれでもかと言う程顔に溢れている。

「お前らのせいで酒がまずなった。ここの飲み代払え」
盛本が喚き散らす。

「こない言うんや」
男達の一人が耳打ちする。

なるほど。いつもこうやってたかり、飲み代をけちっているわけだ。
絡む相手を探していたからあれほど遅かったのだ。

「お前ら、調子こいてたら斬るぞ」
盛本が柄に手を掛ける。

ひやりとするも俺には伝之助がついていると言い聞かす。
しかし伝之助は一向に出てこない。

「こんなとこで俺らを斬ったらあんた、えらい事なるで」

赤ら顔から青い顔となった男達が言うと、盛本は舌打ちして柄から手を離す。

すると気付いたのか小声で「こいつ盛本や。盛本遼次郎」と誰かが言う。
途端に男達がそわそわし出す。

「ついてないわ」と誰かが言う。
厄介な奴に絡まれたと思っているのだろう。

なぜこの盛本はこんなに人に嫌われ、恨まれる事をするのだろう。
もし優之助が伝之助ぐらい強くて、ここで盛本を斬り殺してもこの男達は黙っていてくれるに違いない。

「で、どないするんや」
盛本が言い寄る。

男達は飲み代を払う雰囲気になってきている。
仕方ない。

「わかりました。ここは双方穏便に済ませてもらう為私が払いましょう。それでどうです」

皆が虚を突かれた顔で見る。
全く無関係の優之助が代金を払うと言うのだから当然だろう。

「お前がそうしたいんやったら勝手にしろや」
盛本はふてぶてしく言い放つ。

「そんなん悪いわ」
「いやかまへんのです。これも何かの縁です。もしまた私とどっかで会ったら奢って下さい」

優之助が笑って言うと、男達は申し訳なさそうに引いた。

優之助が店に入って事情を伝え勘定を済ませると、店主からも礼を言われた。

「あの盛本言う男にはほとほと困ってるんや。あいつのせいで騒ぎ起こされて評判落ちるわ、客は減るわでほんまどないかしてほしいわ」

店主は忌々しげに言った。
盛本のような奴に通われるとは災難であろう。

店を出ると盛本が男達に悪態をついていた。

「お前ら顔覚えたからな。一人の時は背中に気いつけや」

盛本は下品な笑みを浮かべて言う。
男達は顔をしかめるだけで無言だ。

「もう行って下さい。後は引き受けます」
優之助が言うと、「おおきに」と男達は去って行った。

解放されてさぞ安心しているだろう。
我ながら良い事をした。
さあここからが本番だ。

「ちょっと酔い覚ましに歩きませんか」
「俺は酔ってない」
「じゃあ怒りを冷ますのに」

盛本は渋々ながらもついてきた。
優之助は今、不思議と恐怖はなく高揚感しかなかった。

「えっと、お名前は?」
「なんでお前に名乗らなあかんのや」

金を払ってもらってそれは無いだろう。
ぐっと堪えた。

「いや、結構です。じゃあお侍さん。あそこまで徹底してやると後々恨まれないですか」

聞きにくい事を聞いた。
自分の言葉で台無しにするわけにはいかないが、盛本の気の違いようを見ていると聞かずにはいられない。

「恨まれるで。俺を恨んでるやつはいっぱいおるやろ。よう騒ぎを起こすからな」

盛本はにやにやと笑い、何も自慢にならない事を自慢げに言う。

「何でそない騒ぎを?」
「そりゃあ俺が気に食わん事するからやないか。それに侍が引いたら情けないやろ」

そんな事もわからんのかと言った様子で言う。
こいつこそ駆け引きを知らないのだろうか。

「気に食わん事ってさっきみたいな事ですか。あの人らは見てない言うてましたけど」
「そんなもん、俺が見てた言うたら見てたんや。その他にも色々あるで」

盛本は酒が入っているからか饒舌で、加えてただ酒を飲めたのだから気分も良く、何の疑いもなく順調に着いて来ている。
話の内容は腹が立つが、この先の事を考えるといい運びだと思い、続きを促す。

「色々って?」
「ぶつかったとかまずい酒、飯出されたとか、まあ色々や」

下品な笑みを浮かべ楽しそうだ。
これだけ騒ぎを起こしておきながら奉行所に捕らえられる事なくやっているのだ。
きっちり顔を窺っているに違いない。

「おっ、そう言えば人を斬った事もある」

おさきの父の事だろうか。
思わず立ち止まりそうになる。
そうだとしたら聞くに堪えないが、ここは促す他はない。

「斬ったて、相手はどないなったんですか」
「死んだに決まってるやろ。あれは刀鍛冶のじじいやった。あいつの打った刀がなまくらで怪我したんや。試し斬りしたら刃が折れて飛んできたんや」

やはりおさきの父の事であった。
揺れる感情を出来るだけ平静に保たなければいけない。

しかし試し斬りとは、斬り合いをしたという話でなかったか?

「試し斬りですか?」
「そうや。まあ刀鍛冶には斬り合いでって言うたけどな。折れた刃で腕が切れたんや。腹立って岡山まで出向いて文句言いに行ったら口答えするんや。俺も我慢したけどあまりにも腹立ってな、ちょっと脅したろ思ったら抵抗したんや。だから斬り殺したった。俺が悪いんやないで。元々殺す気はなかったんやからな。抵抗したじじいが悪いんや」

こいつ……胸糞悪い話だ。
斬り合いではなく試し斬りで刃が折れたとはまさに盛本の腕が未熟なだけで刀は問題ない。

優之助はぎりっと奥歯を噛みしめ怒りに震えた。
その様子を見て怖がっていると思ったのか盛本は得意気に続ける。

「でもな、人を斬るんは結構難しいんやで。俺、初めて人斬ったんや。あんな難しい思わんかった。あいつ中々うまい事斬れんで血だるまなってたわ。あれはおもろかった」

ちくしょう。今すぐここで殴ってやりたい。

元々歪んでいたのか育ちで歪んだのかわからないが、残念ながらいつの時代も一定数こういう人間はいる。
いや、盛本も大概だが、もっととんでもない、それこそ人の皮を被ったような人間もいるのだ。

しかし嗤っていられるのも今の内だ。
盛本の下らない話を聞き歩いていたが、それも長くは続かない。

もう町中を抜けて河川敷に差し掛かっている。
もうすぐで約束の場所だ。
盛本の命運もそこで尽きる。天誅が下るのだ。

「なんや、俺の話聞いてて怖くなったんか」

優之助が怒りに耐え黙りこくって歩いていると、盛本が気分良さそうに聞いてきた。

「なんでお侍さんはそないに人を傷つけるんですか」
「俺が気に食わん思うからやろ。気に食わん奴を叩きのめすのは当たり前やないか」
「でもお侍さん、世の中色んな人がいてますよ。自分の人生、もちろん自分が主役ですけど世の中は自分を中心には回ってない。気に食わん奴を一々叩いてたらきりないですよ」

我ながら中々いい事を言ったかもしれない。意に反して盛本の顔が歪む。

「なんや、お前。俺に説教たれるんか。金出したからて調子に乗ってんちゃうか」

盛本が歩を止めた。
盛本の小さな目が据わる。
その奥には怒りが見て取れる。

しまった、余計な事を言い過ぎた。
約束の場所である柳の木はもう先の方に見えてきている。

「いや、これはすみません。余計な事を言い過ぎました」

優之助が謝ると盛本の目からあっさりと怒りが消える。

「まあええわ。それよりお前、何で見も知らん奴らの為に金を払った」
「いや、それは……」

怪しまれたか。

盛本がぐいっと顔を近づける。
口臭が鼻を突き、思わず顔を背けそうになる。

「お前ひょっとして」

……まずい……

「金持ちなんか?」

……え?

「お前金持ちで掃いて捨てるほど金があるんか。だからあんな事したんやろ」

「……はあ、まあ金はある方かもしれません」

こいつ、底抜けの阿保や。

どうやら全く怪しんでいない様子だ。
盛本の頭が悪くてよかったと胸を撫で下ろした。

「そうかそうか。お前は金持ちか」

盛本は満足そうに頷くと続けた。

「とりあえず今持ってる有り金、よこせ」

盛本が片手を出し、どすの利いた声で言った。

優之助は驚いた。
いくら屑のような男と言えど、侍がそんな事を言うとは思いもよらなかった。

「え、それは……」
「これも何かの縁やろ。お前はこれから俺の財布になるんや。お前の顔は覚えたから逃げようなんて思うなよ。お前が金をくれる限りはお前の事斬らんといたる」

なるほど、だから自分は危ない人間だと、人を斬り殺した事があると言ったのか。
いや、話した時点では意識していなかったかもしれない。
偶然かいずれにせよ、盛本にとっては思惑通りに進んでいると思っているのだろう。

しかし思惑通り進めているのは俺や。そう思った。

「盛本さん、それはまずいんやないですか」

怒りを込めて言い返すと、盛本は逆上する所か不思議そうな顔をする。

「お前、なんで俺の名前知ってるんや」

しまった――と思ったが束の間、優之助は柳の木を目指して走り出した。

「あっ、待て!」

盛本は何の疑いもなく追ってくる。

盛本は悪い意味で有名なので何とでも誤魔化しようはあった。
しかし金をせびられていたから咄嗟に走ったのはよかった。

最後は無理矢理になってしまったが、間違いなく盛本を決行場所へ連れて行く。
必ず俺の仕事を完遂させる。そう思い走った。

幸いにも酒も入っているからか盛本の足は速くないようで、優之助に追いつきそうにない。

柳の木が目前と迫ると、木の陰から二人の人影が見えた。

「おう、優之助。ようやったの」

袴の裾を上げて腰紐に引っ掛ける、腿(もも)立(だ)ちを取った伝之助の朗らかな声が聞こえる。

その声を聞いて安心した。
安心したからか、そのまま転がり込むと、健太の足元で止まった。

「何とか……俺の仕事を果たしましたよ……命懸けで」

大の字になって呼吸を整えながら健太に言った。

健太はこの期に及んでもまだ青い顔で、小さく頷くだけだった。
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