黒木の死

文字数 4,486文字

しばらく日が経過した。
冬のこの時期には珍しく、雪ではなく雨の日が続いた。

伝之助は黒木と話して以降、姿を見なくなった事が気がかりだった。
黒木に代わって尾行する者もいない。

優之助も坂谷を調べていた。

島薗では、ぼったくり、強引な客引きは当たり前、税を誤魔化し怪しい金の流れがあるという噂もある。
それに加え、若い娘がいる家庭に押しかけ難癖を付けて女をさらい無理矢理働かせると言う聞き捨てならない悪事まで働いているという噂だ。

そう、あくまで庶民の噂。

一町人の優之助に仕入れられる情報など知れている。
しかし噂と言うのは馬鹿に出来ない。


更に時が過ぎ、寒さも和らぎ木々の気配を感じ始めた頃、黒木の死体が川から上がった。
黒木の捕縛術で評判だった黒木が死んだとあっただけに京の町は騒然となった。


「伝之助さん、やっぱり坂谷がやったんですかね……」

その知らせが耳に入った夜、夕食を食べながら伝之助に言った。

伝之助は今朝黒木の死を知った時、珍しく呆然と言葉を無くし、顔を歪め、悔しそうに見えた。

優之助は伝之助から坂谷とのやり取りを黒木に伝えた事は聞いたが、その後黒木と話した事を知らない。

その為伝之助の意外な反応にかける言葉も見つからずそっとしておいた。
しかし伝之助は今、平静を取り戻している。

「そん可能性は高いじゃろうな」

伝之助は一点を見つめて言った。

断言はしないが、坂谷の仕業だと思っているようだ。
この状況で坂谷が絡んでいないと思うのはさすがに楽観的すぎる。
優之助でさえ直接手を下していないでも、坂谷の命で部下がやったと思っている。

「俺らに復讐の依頼をしてから黒木さんが亡くなったのは何か関係があるんでしょうか」
「さあの。優之助、調査は進んでっとか」
「お伝えした通りです。まだ裏は取れてませんけど、人々の噂は言うた通りです」
「もっと深くは探れんとか」

いつになく前のめりだ。
伝之助にしては珍しい。
黒木の死がそれ程気にかかるのだろうか。

「難しいですね、一町人には……でももう少しやってみます」
「頼む。おいももう少し調べてみっとかの」

夕食を終えると二人とも早くに寝床へついた。


夜も深い中、優之助は夢うつつに何か物音を聞いた気がした。
伝之助が居間に水でも飲みに行ったのかと気にせずに眠りに落ちた。


 
優之助は情報を収集しようとしばらく動いたが、嗅ぎ回っている事が坂谷に知れては消されるのではと怯え、しばらく静かな日々を過ごす事にした。

あの黒木でも消されたのだ。
伝之助は気に留める事も無く情報収集に行き、家を空ける日が多かった。


そんなある日、優之助の家に吉沢が訪ねてきた。
伝之助は不在で、優之助が戸口に立って対応する。

「もう知ってるやろけど黒木が死んだ。何か知らんか」

吉沢の顔は連日の捜査と目に掛けていた部下が殺された事でやつれ、怒りも相まり青ざめている。

優之助は素直に話そうか迷った。
しかしここで話さないで後から知れると厄介だ。
痛くもない腹を探られる事になる。

「役に立つかわかりませんけど、俺の知ってる事話します」

坂谷が黒木の暗殺を依頼し、強引に引き受けさせられた事、自分達がその調査をし暗殺をする気は無かった事を話した。

「その話はほんまか」
「ほんまです。伝之助さんが黒木さんにも伝えたみたいですけど」
「その事やったんか。近々折り入って耳に入れたい事ある言うてたんは……ヤスはきっちり報告、連絡、相談をする奴やったのに、何も言うてこやんし、こっちから聞いても調査が纏まったら話しますとしか言わんかった」

吉沢は俯き歯をぎりっと鳴らす。
黒木から何も聞いていなかったようだが、例え聞いていたとしてもどうにもならなかったのではないだろうか。

「あっ、そうや。その事を書いた紙と手も付けてない半金の百両ていう大金もあります。持ってきますからちょっとお待ちを」

吉沢に制止する暇も与えず、寝床の隣の部屋に向かった。

その部屋には生活費や大切な物を置いている。
一見そんな物を置いていないように見える部屋がまた隠し場所としていいのだ。

と、探すが無い。おかしい。
居間も伝之助の寝床も他の空き部屋も全て探すが無い。

「まだかあ!」

吉沢が痺れを切らして大声で言う。
仕方なく優之助は戸口に戻った。

「すんません。あるはずのしまってたとこに無いです。伝之助さんがどっかにやったんかな」
「なんやそれ。お前、嘘言うてんと違うやろな」
「そんな滅相も無い!」

両手を前に首を振る。
あらぬ疑いをかけられたくない。

「はあ……ええか、奉行所の中にはな、お前らを疑ってるもんもおるんや」
「え?そんな、坂谷は?」

どうすればそんな疑いが出て来るのだ。
それよりも坂谷だろう。
そんなことを言っている奴は奉行所を辞めた方が良い。

「黒木は島薗の調査をしてたし坂谷はいろんな噂のあるやつや。もちろん疑ってる。けど自分の手は汚してないやろ。やったやつがおるはずや。それがお前らかも知らんと言う事や」
「俺らはやってません。どっかに依頼の紙があるはずや。それさえ見てもらったら――」
「引き受けたんは違いないんやろ。さっきそう言うたぞ」

吉沢は優之助の言葉に被せて言う。

そうだ。形の上だが引き受けた事に違いない。
しかし引き受けても実行に移すはずがない。

「そうですけど無理矢理引き受けさせられたし、自分らで調べて実行に移さんと決め事を破った言う事にしようと思って」
「金だけを霞めようとしたんか。色々と都合のいい話や。大金に目が眩んだと違うか」
「俺はそんな人の道を踏み外す事しません!」

吉沢の目を真っ直ぐ見て声を荒げて言う。
そんな馬鹿な事をするはずがない。

吉沢も優之助を見返す。
揺さぶりをかけて目の奥まで見たかと思うと、さっと目を逸らせた。

「まあ今日の所はええ。話を聞けただけで十分や。一応言っとくけど逃げるなよ」

そう言い残すと吉沢は踵を返し、去って行った。


「えらいことなってしもた……」

なんで紙も金もないんや。
なんで疑われなあかんねん。

居間のあちこちをうろうろする。
気が付くと伝之助が居間の引戸の前に立っていた。

「どげんした。そげな青い顔して熊みたいにうろうろしよって」

伝之助は可笑しそうに笑う。

ちくしょう、何も知らんと幸せな奴や。

「何が面白いんですか。吉沢さんが来たんですよ」

優之助はむっとして言い返す。

促して座らせ自分も座ると、事の経緯を話した。

「金と紙がなかじゃと。お前、使うたとちごうか。そいを誤魔化す為に紙も処分したとか」
「するわけないやないですか。大体百両なんて大金、こんな短期間で使えませんよ」
「まあさすがの優之助でもそこまで呆けちょらんか」

伝之助はまた笑う。
しかも朗らかに。

ちくしょう、こいつは事の重大さをわかってんのか。
奉行所に目を付けられてんやぞ。

こいつは何事にも動じない。
非日常も日常のように振る舞う。
それがまた腹が立つ。

「どこに行ったんでしょうか」
「さあの。心当たりなかか」
「無いです。伝之助さんこそないですか」

よく考えると伝之助がくすねた可能性もあるのだ。

「おいが金を盗んだち言いたかか。おいが盗みなんぞするか。侍の恥じゃ」

伝之助が笑みを引っ込め、睨みをくれる。
その顔を見ていると思い当たる節がった。

「そう言えば少し前の夜中、居間の方に行ってこそこそしてましたよね」
「夜中に居間の方?少し前ち、いつじゃ」
「いつやったかそんな事があったような……」

腕を組み考えると、伝之助は鼻を鳴らす。

「いつに限らずおいはいっちょらん。いつも機嫌よう寝ちょる。身に危険でも及ばん限りは夜中に起きるこつは無か。しかと動く為に休む時はしっかり休むとじゃ。肝心な時にしかと動けんかったら元も子もなか。そうじゃろ」

そうじゃろ、とちゃうわ。
じゃあいつかと聞くな。

「いつの夜か何か物音してたように思いますけど」
「お前それ、盗みに入られたとちごうか」

盗みに入られた?「いやいやまさか……」

「あよ、こいやからの。お前は危機感いうもんがなかね」

伝之助は後ろに手を付いて仰け反り、大袈裟に呆れて見せる。

「もしそうならどないしよ。誰が盗んだんやろ」
「そげなもん、坂谷の手のもんに決まっちょう。どげんするち、取り返すに決まっちょる」

取り返すやと?気は確かか。

「そんな事出来るわけないやないですか。相手は島薗の支配者ですよ。それに奉行所から目を付けられてるんやから」
「目をつけられとるち、少なくとも吉沢はそう思っちょらん。わざわざお前に疑われちょるち教えたからの。ちょいとお前を揺さぶっただけじゃ」

言われるとそうかもしれない。
しかし吉沢以外の奉行所の者で、疑っている者もいる。

「吉沢さんは疑ってなくても他の奉行所の方に疑われてるんちゃいますかね」
「ごちゃごちゃとうぜらしかのう。紙も金も取り戻す。そん上で残りの金も回収する」

やっぱりこいつは頭がおかしい。
血迷うとる。命がなんぼあっても足りへんぞ。

「死ぬか捕まるかしますよ」
「よかよか」
伝之助は虫でも追い払うように手を振る。

ほんま勘弁してくれ……お前に集ってるんは虫やない、死神やぞ。

優之助はどんどん深みにはまり、悪い方向に進んで行く気がして泣きたくなった。
自然と顔が歪む。

「そん顔よか顔じゃの」
「ありがとうございます。いい顔の男はどんな顔でもいい顔になるんです」

嫌味で返した。
伝之助は馬鹿にしたように鼻で笑うと話し出した。

「そうじゃ、情報集めたど。身を投げた坂谷の手下、坂谷にやられたち言う話がある。手下の奴とは色々あったみたいじゃが結局の所、黒木暗殺の為に利用したとじゃろ。黒木をやろうちなった時に丁度手頃で邪魔な手下がおり、おいらに話を通しやすいよう死人を出した」

「そんな事で死人を出すんですか」

「あいつらのするこつは常軌を逸してる。人を人とも思っちょらん。黒木んこつも坂谷がやったんじゃろうち話じゃ。問題は誰を使うたか。そげな仕事する輩は片手に余っが、そげん大事なこつ任せるんは限られちょるはずじゃ。おいはあん坂谷と一緒にここへ来た奴がやったち思う。あれは坂谷がここ最近ずっと付き人に使うてる奴のようじゃ。江戸から来た奴で相当腕が立つち噂じゃ。黒木の捕縛術がどげん優れちょっても腕の立つ侍には歯が立たんじゃろな……」

話とか思うとか噂とか……大丈夫なのだろうか。
訝しむ顔で伝之助を見る。

「ないじゃそん顔は。証拠はなかけんど確かな筋じゃ。こいで坂谷を叩けっど。のう」
「いや、のう、じゃないでしょ。証拠もないのに叩くわけにはいきませんよ」

「お前はほんのこて能天気なやつじゃの。奉行所と同じやり方でどげんかなるち思っちょっとか。証拠なんぞ、坂谷ぶち叩いて掴めばよか。ここでうじうじして腐るか。おいは嫌じゃ。最後までひっ飛ぶど。泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べじゃ」

伝之助は腕を組み、きりっとした顔で言う。

泣くか飛ぶかやったら俺は泣きたいわ。
俺はただのしがない町人やぞと思うも、泣いてて何か解決するわけじゃないのもわかっている。

「わかりましたよ。俺も一緒に飛びます。伝之助さんは俺が怪我せんように守って下さいよ」

伝之助はそれに応えず、代わりに笑みを返した。
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