第36話 復活祭の灯

文字数 3,687文字

 ふと、鋭い視線を感じてマリーは台所から振り返った。

 階級章や襟賞の着いた上着と長靴を脱ぎ、軍服のシャツにズボン姿になったエミールが、椅子にまたがり彼女を見つめている。
 暗い目が射すくめるように注がれていた。

「待っていてね。急いで作るから」

 油脂で炒めた小麦粉のルーに牛乳を混ぜて煮溶かし、しばし煮込む。
 塩と胡椒も忘れずに。
 作り慣れているはずのベシャメルソースなのに、動揺しているのか、いつもより固めに仕上がった。
 牛乳を注ぎ足して溶きのばさないといけない。
 いつもなら待ちくたびれ、いら立ったエミールの癇癪が炸裂するころだが、今日は静かだ。
 調理台から牛乳の入ったポットを取り出そうと屈むと、頭上で荒々しい息遣いが聞こえた。
 驚いて見上げると、無表情のエミールが覆いかぶさるように立っている。

「ごめんなさい、まだ……」

 もうちょっとかかりそう。待っててね、と言う言葉は声にならなかった。
 突然強い力で抱きしめられ、テーブルに押し倒された。
 唇で口をふさがれ、思わず牛乳を取り落とす。
 床にこぼれた白い液体に、足が滑った。

「まって、待ってエミール」

 テーブルがひっくり返る。
 二人の体は白い水たまりに浸った。
 感情のこもらない、薄い色のエミールの目に、容赦なく女を制圧する暴力が閃く。
 怖い。私の知っているエミールじゃない。
 マリーは必死に抵抗した。
 体の前で手を突っ張り、服を引きむしろうとする彼に必死で抗う。
 スカートの膝を割って股をこじ開けようとする男の膝を、ぴったりと太ももをつけて阻止しようとしたが、かえって逆上させるだけだった。
 エミールはうなり声を上げて女に襲い掛かった。
 大きな手で首を強く締めると、マリーは白目をむき、口を大きく開けた。
 エミールはその顔を殴りつけた。拳骨で何度も何度も、思いきり。
 女の歯が折れ、鼻血が噴き出した。
 唇が切れ、みるみる顔面が腫れあがる。

「なんて醜い顔なんだ。恋人よ」

 エミールは薄く笑い、再びマリーの首に手をかけると、思いきり締めあげた。
 ぐぶ、ぐぶ、という泡立つような気管の音を残して、マリーの抵抗はやんだ。
 ぐったりと横たわる女の膝に手をかけ両股を押し広げたエミールは、下着を破りとるとズボンを脱いだ。
 女のブラウスが鼻血で汚れている。
 男は舌打ちをすると衿元に手をかけ、一気に引き裂いた。
 気を失った薄い胸は大きく上下しながら、乳首がピンと立っている。

「この売女。抵抗はしても、体は仕事する体制になっているっていうのか?」

 エミールは血で汚れた女の髪を掴んで上半身を起こすと、勃起した自分の体を口の中深く突っ込んだ。


 地には善意の人に平和あれ
 我ら主を褒め主を讃え主を拝み主をあがめ
 主の大いなる栄光の故に感謝し奉る
 神なる主 天の王 全能の父なる神よ

 近くの教会から復活の夜のミサの聖歌が聞こえる。
 意識を回復したマリーは、喉を塞がれ、うめき声を上げて顔を離そうとする。
 エミールはその頭を両手で挟んで、自分をさらに喉の奥に押し込んだ。
 ぐええ、とマリーの鼻と口が動物のような音を立てると、エミールは怒声を上げて体を離した。

「歯をたてやがって、この役立たずのバカ女が」

 顔が変形するほど殴りつけると、くるりと女の体をひっくり返した。

「俺の前に膝をつけ、この売女」

 主なる御一人子 イエズスキリストよ
 神なる主 神の仔羊 父の御子よ
 世の罪を背負い給う主よ 我らを憐れみたまえ
 世の罪を背負い給う主よ 我らの祈りを聞き入れたまえ

 エミールはテーブルの上から卵を掴んだ。
 もう動くこともできないマリーの下半身を引きずり起こし、両肩に足を乗せて抱えあげた。
 目のまえにある、むき出しの下半身に顔を寄せた。
 むっとする臭いが鼻を突く。
 殴られ首を絞められて失禁しているのだ。

「何て穢らわしい体だ。復活祭の火とやらで浄めないとな」

 そう。今日は復活祭の夜。
 先ほどまで参加したいと思っていた徹夜ミサのある日だ。
 時計が8時を差している。
 そろそろ復活祭の大蝋燭に火がともされ、その聖なる炎が、聖堂に集まった信徒たちの細い蝋燭に次々に移されているころだ。
 エミールは女の体を床にたたきつけた。
 ポケットからライターを取り出すと、かちりと火をつけ、目のまえのマリーの股間に近づけた。
 炎が陰毛に燃え移り、ちりちりと焼け焦げる。
 マリーは足をばたつかせ、人間とは思えない叫び声を上げた。

「豚に似てるな。収容所の女もそうだった」

 声にならない声をあげ、逃れようと身をよじる女の腹に蹴りを食らわせ、踵で踏みにじると、静かになった。
 次いで顔面と喉を蹴る。何度も何度も。
 咳込んだマリーは真赤な血を吐いた。喉がつぶれたらしい。顔は羊の革袋のように腫れあがり、両目も塞がっている。
 エミールは妙に冷めた心持ちで、自分が壊した女を見下ろした。
 オーブン脇に置かれた篭から卵を取り出して割り、ねばねばした黄身と白身を女の尻の穴に塗り付ける。
 エミールは冷静だった。気分の高揚も何もなかった。そして一気に刺し貫いた。
 引き裂かれたマリーの絶叫が、夜のキッチンに響いた。

 主のみ聖なり 主のみ王なり 主のみいと高き
 イエズスキリストよ
 聖霊と共に父なる神と 栄光のうちに アーメン

 切れ切れに悲鳴を上げるマリーの口を汗臭い軍服で押さえつけながら、エミールは女を犯す法悦が湧いてきた。
 女という生き物はいつも同じだ。
 危機や厄介ごとから逃れるためなら何でもする。
 誇りも尊厳もありはしない。
 偉ぶって知的なステイタスや教養、教育や生まれを誇っていても同じだ。

 収容所の監獄『小要塞』でも、生き延びるため看守や自分達管理側の軍人に体を開く女たちがいた。
 絶滅収容所への移送選抜からの除名、先延ばし、処刑の延期。ちょっとした便宜。
 生き延びるために犯される女たち。

「お前も同じだ」

 エミールはぐったりとしたマリーの体をゆすりながら叫んだ。

「俺の留守中、他の男と乳繰り合っていたんだろう。同じだ。女なんてみんな汚物袋だ」

 裂けたマリーの尻の穴からぬるぬると血が流れ、引き千切られた服を濡らした。

 何時間か過ぎた。
 血で汚れた下着を脱ぎ捨て、クローゼットから真新しい一揃いを出して着替えたエミールは、ふと、床で失神している女に目を落とした。
 だらしなく大きく広げた股の間、血だらけの尻穴の上の割れ目から茹で卵が覗いている。
 自分が剥いて嗤いながら詰め込んだ、イースターエッグだ。

「今夜は神が生き返った日だ。お前にも良い子が生まれるぞ」

 そう笑いながら、血と精液でべとべとになった膣にねじこんだのだ。
 奥まで何個も詰めたから、取り出すには難儀するだろう。
 だがそんなことは俺には関係ない。
 エミールはズボンをはき、ベルトを締めて身支度を整えると、鞄から財布を取り出した。
 ライヒスマルク札を何枚か、細く丸めると裂けて傷だらけの女の尻の穴にねじ込んだ。
 傷が開きまた出血しだしたが、構わない。
 エミールは長靴を履き、部屋を出て行った。


「マリー、マリーったら居るの?」

 復活祭の朝。
 小鳥が明るく鳴き交わしている。
 朝の光が嵐の後の室内を明るく照らす。
 アパートのドアの外から、ややしわがれた声がかかった声がした。
 仕事を終えたアンナだ。
 近くに住んでいるわけでもないのに、心配なのか度々顔を出してくれる。

「鍵もかけていないの? 不用心ねえ」

 不審げにドアを開けたアンナは室内の異様さに顔色を変えた。
 床は黒く汚れ、入り乱れた足跡が室内に続いている。
 不吉な予感を覚えつつ室内灯をつけたアンナは、息をのんだ。
 破れたカーテン、激しい抵抗を表すようにひっくり返ったテーブルと椅子、そして汚れた床には血まみれの女が倒れている。
 顔は別人のように膨れ上がり、全身アザと傷に覆われた、マリーだった。
 アンナは手に持ったバスケットを取り落とした。
 黄色はミモザの花束と、殻に色とりどりの絵を描いたイースターエッグ、それにワインの瓶が床に転がる。

「マリー! マリー、何があったの!?

 物盗りの犯行だろうか。一時に比べて大分治安が良くなったとはいえ、女の1人暮らしは危険だ。
 抱き起こすと切れて腫れあがった唇が動き、折れた歯の間からヒュルヒュルという息に混じって言葉が聞こえた。

「エミール……」

 え、どうしたの。彼が帰って来たの? まさか……

「ごめんなさいエミール、私が悪いの……我慢するから、それであなたが悦ぶなら……」

 エミールにやられたの!? ナチで出世したというあの男が帰ってきて!?

「もう黙って、マリー。今お医者を呼ぶから」
「警察は呼ばないで……私が悪いの。怒らせたから……あの人は悪くない……」

 アンナは腕の中の傷ついた友人を見つめ、絶叫した。
 間違っている。あんたもあの下衆野郎も、2人とも間違っている。
 あたしも、この国もみんなみんな。

「帰ろうマリー。あたしたちの村に。オラドゥールに」

 アンナの上質なウールの上着は、マリーの血でべっとり汚れていた。
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