第63話 置き土産・1

文字数 1,420文字

 1942年6月4日。
 ハインツ・ハイドリヒは『パンツァー・ファウスト』誌の編集室で、最新刊に載せる写真を選んでいた。
 前年1941年の夏と秋、ドイツ中央軍集団がバルバロッサ作戦で勝利をおさめ、進撃を続けている写真である。
 ドイツの装甲部隊は、攻撃を予測できずに崩壊するソビエトの軍勢を蹴散らし、ミンスク、ウィテプスク、スモレンスクを経由してモスクワめざして進んでいた。
 1941年の6月下旬から11月にかけて、赤軍兵士の抵抗むなしく、戦車やあらゆる武器、市民の施設が破壊されていった。

 彼の関与する宣伝隊panzer propaganda kompanie697によってまとめられた記事には、膨大な数の戦果の写真が添えられていた。
 ソビエト連邦北部全ての地域での、戦闘車両、走行偵察部隊のバイク、颯爽としたドイツ軍の兵士が活動している写真の数々。
 進軍する先々で住民の家畜を殺し捌いて調理する写真、行軍の一次休憩中の若者たちの顔、捕らえられたソビエト側の人々、略奪物資を車に乗せるドイツ兵。
 様々な写真が現地に派遣されたPKの兵士から送られてくる。
 ハインツは気分を高揚させて写真を選び、サイズやトリミング、キャプションや大小のタイトルを考え、指定紙に記入していった。
 充実した至福の時間。創造心と『前線の真実を伝える』使命。
 残念ながら前線で戦ってはいないが、いずれ自分も武器をとり赤軍の奴らと戦うことになるだろう。
 その時まで、こうして己の戦いを、全力で全うするのだ。
 それが党の求めるところでもあり、周辺地域の脆弱な民衆を、優秀な我らゲルマン民族が保護する理念に繋がる。
 先月27日、憎むべきチェコの暗殺集団の手によって兄の乗る車が襲撃されたが、幸い手術が成功し療養しているらしい。
 働き過ぎで己の力の向くままに邁進する兄ラインハルトも、少しはゆっくりと休めばいいのだ。

 副官がぶしつけにドアを叩いた。
 いつもは慇懃無礼なほどに静かな男が、取り乱して何度も大きな音を立てている。

「なんだ」
「急いで総統府においで下さい。兄上ラインハルト・ハイドリヒ閣下が容態急変との知らせです」

 それからの日々は慌ただしかった。
 兄の容態が急激に悪化したという知らせは、総統府に到着するころには『兄が死んだ』に替わり、政府の高官たちが慌てた様子で行き来していた。
 親衛隊長官ヒムラーは、兄ハイドリヒと必ずしもうまくいったわけではなかったようだが、それでも最も有能な(自分の地位を狙う)右腕を失ったことで取り乱していた。
 総統も一際怒り猛っていたらしい。
 中には第1SS機甲師団の司令官ヨーゼフ・ディトリヒのように

「あの雌豚もついにくたばったか」

と悪意をむき出しにする者もいた。

 1942年6月9日。
 兄ラインハルトの遺体は、厳戒態勢のなか、鉄路ベルリンに送られた。
 ハインツは軍人として、ハーケンクロイツの党旗を架けられた兄の棺にまみえ、親衛隊員に担われた棺と共にウンターデンリンデンの通りを歩いた。
 義姉や甥達も壮大な国葬に参加し、気丈な態度が人々の涙と暗殺者たちへの怒りを誘った。
 ヒトラーは腰をかがめてハイドリヒの子供たちに向かい、労った。
 子供を愛する厳しい中にも心優しい総統。
 その画面が何より強烈なプロパガンダになることは、近くで見ていた彼らの叔父ハインツにはよくわかっていた。
 自分も『宣伝』する側の人間、親衛隊の宣伝中隊にいるからだ。
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