第41話 ドニエブルの魔女・1

文字数 3,191文字

 自分が帰るところはどこなのか。ナチが台頭するベルリンから東プロイセン、そして鉄道を乗り継いで故郷のウクライナに帰った後、僕イヴァン・クラスノーコフはずっと考えていた。

 今、彷徨っている森の中では、時折りすぐ近くでまた遠くで、パリパリと乾いた銃声が響く。
 足音やうめき声が人の姿の見えない藪の中でこだまし、そのたびに僕は足元の土に突っ伏し、樹や灌木の根に頭を突っ込んで息を詰める。
 いつ頭上から脳天を撃ち抜かれるかと、しびれた頭で考えながら。

 ベルリン留学からポーランド、東プロイセンのケーニヒスブルクを経て、故郷ウクライナに戻ったのは1939年だ。
 名前を変え身分を偽り、久々に訪れた故郷はすっかり変わり果てていた。
 農村地帯なので殺伐とした集団農場コルホーズだが、ドイツに勉強に行く前はもっと若者や働き盛りの男たちが大勢いて活気があったが、死人のようにこわばった顔の老人や女たちが、重い農業機械を手に疲れた表情で働いている。
 両親、兄弟、親戚はみんな『ナチスの手先』として当局から逮捕され、連れ去られたまま行方が分からない。僕がドイツに学びに行ったからだ。
 きっと処刑されたかどこかで働かせられているのだろう。
 庭先で僕に話してくれた老婆は、声を潜め、周りをうかがっていた。
 いつ自分も拘束されるかわからないからだ。
 それから、僕は逃げ続けた。
 ドイツ占領ポーランドとの国境近くの村、それに山奥。
 いつ秘密警察に捕まるか、赤軍に捕らえられるかびくびくしながら街を転々とした。

 1941年6月22日。
 僕の運命はまた変わる。
 ドイツは「バルバロッサ作戦」を発動し、国境を越えて進軍を始めた。
 僕は迷わずドイツ軍に参加した。
 ドイツ語が自由に話せる、非ポルシェビキのウクライナ人。
 僕はドイツ人たちに馬鹿にされつつも、彼らに支給された型遅れの装備を持って彼らの最前線に立ち、斥候や偵察に着いた。
 時には同じウクライナ人に弾を浴びせ、命を奪う事もある。
 ドイツ人たちに「おいイワン」と呼ばれゲラゲラ笑われつつ、同郷人の苛烈なまなざしを受ける。
 バルチザンの疑いを受けて拷問され、森で撃ち殺される人々、偵察任務に加わって捕まり、嘲りの看板を胸につけられ森の枝に首から吊るされる少年少女たち。
 僕は始めは嫌だと思っていた。だが次第に何も感じなくなった。彼らの殺気に満ちた目を受け逃がし、手早くやっちまおうと思うだけだ。

 そんな時だ。
 僕が少女「トーニャ」に会ったのは。

 1941年10月。僕はベラルーシとの境にほど近い、スモレンスク州のロトコという町にいた。
 もちろんドイツ軍と一緒だ。というより僕は彼らの一員だ。
 ロトコは大都市ブリャンスクの近くだが、四方を森と谷と原野に囲まれた、ウクライナのどこにでもある小さな町だ。
 だがこことブリャンスク一帯は、他のドイツ占領地とは違っていた。
 山の中に潜んで、薪や食料を調達するために家々を襲撃する(現地調達と彼らは言うだろう) パルチザンに悩まされていた。
 実際彼らになけなしの麦や鶏、家畜を要求され、抵抗し容赦なく殺される住民が続出した。
 10月、コンスタンティン・ボイスコボイニクというという反パルチザンの荒くれの男の手によって、町を護る自警団が結成された。
 ドイツの軍隊が進行してきても、彼らの自治組織はそのまま尊重され、軍司令官によって自治権が与えられた。
 要するにポルシェビキの国の中に生まれた、ドイツ領でも赤軍の管轄でもない『ウクライナ人の』町になったのだ。
 するとウクライナの別の街やロシア、ベラルーシなどから反ポルシェビキの人々が、ロトコとブリャンスク目指して逃げてくるようになったのだ。

 大祖国戦争。偉大なる指導者スターリン。合理的、能率的な農業と工場労働。
 そんなことを言われ続けても皆忘れちゃいない。
 王様や貴族たちが追放され、小作が解放されて豊かになれると思ったウクライナの農村地帯を、「革命の波」というポルシェビキの徴発部隊が襲撃した事。
 収穫した麦や野菜、果物、家畜はおろか焼いている最中のパンまで持って行ったことを。
 家の中に隠したりすれば銃殺されたり、逮捕されて遠くの鉱山で重労働を強制されたりしたことを。
 農村の人々は飢えに飢えた。木の根草の根、川の魚はおろか野ネズミ、モグラ、虫。
 何でも口に入れた。毒キノコや毒草、毒の実を食べて死ぬ人々が相次いだが、それ以上に道端や野原に転がり餓死する人が多かった。
 小さな子供や赤ん坊は外に出さず、家の奥に隠された。捕まって殺されて食べられるのを防ぐためだ。
 それでもその家の人から食べられてしまった赤ん坊の話は、どこの町でも聴かれた。
 僕は覚えている。そのせいで膨大な数の餓死者が出たということを。
 みんな偉大なる党指導者のためだ。ヨシフ・スターリンという名の。

 ドイツ軍の部隊は意外な事に大部分の市民に歓迎された。僕らも目だった手荒なことはしなかった。もっともパルチザンと協力者は別だ。見つけ次第数十人単位で処刑する。
 街外れからさらに歩き、森を切り開いた谷にしつらえた処刑場。
 そこに女も子供も若い娘も老人も一列に並べて立たせ、一勢に射つ。
 相手は目を開けたまま血を流し、糸が切れた人形のように倒れる。
 これは射撃手にとってもなかなか精神に負荷のかかる『作業』だ。
 子持ちの母親や妊婦、老婆を撃ち殺す若い兵士の中には、心を病んで任務に就けなくなるものもあらわれた。
 ある日、守備隊の司令官が町の酒場で酔ったロシア人売春婦に声をかけた。
 栗色の髪に四角張った顔、鋭い目の、他の街で焼け出された逃げて来たという、まだ20歳そこそこの若い娘だ。
 毎晩のようにドイツ軍兵士と寝る、元看護婦で銃器の経験もあるというそのロシア娘に、「銃と衣食住と給料を保証するから、刑の執行を執り行ってくれないか」
 そうして浴びるほどにウォッカを飲ませた。

 娘は簡単に承知した。

 翌日、二日酔いで青ざめた顔の娘は̪淡々と街外れに向けて歩いた。
 後には荷車に積んだ大きな機銃、処刑されるパルチザンの協力者たち、そして監視の兵士たちが続いた。
 兵士たちに小突かれ一列に並ばせられた犠牲者たちの前でロシア娘は機関銃を据え付け、膝をつき躊躇わず引金を引く。
 連続する轟音と共に銃眼が左右にゆっくり振られ、犠牲者たちは文字通り骨と肉を粉砕され、千切れた布きれのようになって倒れる。
 あとは市民有志が、あらかじめ掘られた溝に転がし、土をかけて埋める。
 銃を据え付けてから埋葬まであっという間だ。
 その埋葬窟にはミルフィーユのように死者と土が何層にも重なっている。
 娘は酒臭い息を吐き、殺された犠牲者の中から女を探し、着ている服を調べる。
 それが好みの服だったらはぎとって洗い、自分のものにするのだ。
(血の汚れが取れなかったり弾痕の穴が開いていたりすると大層がっかりした)
 あとは銃を荷車に積んで帰り、監獄の前庭で手入れをするだけだ。

 彼女の住居は監獄の上の階にあり、内装も調度もパルチザン協力者の家から徴発したもので整えられ、とてもシックで趣味が良い。
 銃の掃除を終えたあとは一休みし、夕方早くから酒場に繰り出し男たち相手に酔っぱらっては、ドイツ軍兵士たちと寝る。
「機関銃の魔女」は、ロトコの町中から畏れられた。
 司令官はわざわざ他所の部隊から将校を呼び、『うちの処刑人の手際』を見せるために「内通者」を摘発して銃殺させた。
 彼女は美しい娘ではなかったが、不敵な笑みをたたえて引金を引き、子供でも頭ごと吹き飛ばす仕事ぶりは称賛を浴びた。
 僕は監獄でパルチザンの内通者の監視をしながら、称賛と嫌悪の目で彼女を見ていた。

 トーニャとも、アーニャとも呼ばれる『マカロワ』という女と、僕は同じ職場で働いていた。
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