『背面世界論者③〜イッヒちゃんはグラマラスを目指す?』
文字数 2,228文字
前回よりの続きである。
何を思ったのか、菅原ひとみは突然前回の自分の発言の否定とも思える言葉を発した。
怪しい雰囲気を醸し出しす早乙女れいかであった。
「そ、それで、さっきのところ私のツァラさんでも読んでみたんですよ、そしたら……」
以下、今回は本をかえて河出文庫、佐々木 中 訳『ツァラトゥストラかく語りき』からお送りする。
そうだ。それはこの自我だ。自我は矛盾し混乱しているが、みずからの存在については、この上なく誠実に語っている。この創造し、意欲し、評価する自我は。一切のもの尺度であり価値である自我は。
「ヒが多い! 書いてあるとおり自我という意味だな。僕の手塚訳では『我』とあったやつだ。
デカルトが『方法序説』で語った『コギト・エルゴ・スム〜我思う故に我あり』の『我』だろう」
「……。
なにやら……ネコをかん袋に押し込んでぽんと蹴ったような音が聞こえたが……。
気のせいかな?」
「にゃんこ様を蹴るなんて!!
動物虐待反対ですっ!!」
「いや、なんというかその、僕としたところがちょっと思考がついていけなかった」
「そ、そうだな。
言い得て妙、といったら良いか、ツァラトゥストラ、つまりニーチェが言うたかった事も、もしかしたら近いのかもしれない……」
「この後、出てくるとおもうが、肉体や大地として表現されているニュアンスにそうした要素も入っているような気がするんだ」
「(まったく、解釈は鋭いというのに……。)
いやいや、ひとみ君もけっこう耐性あるように見えるがな」
そしてもっとも誠実なこの自我はーー肉体について語っている。自我は、詩作し、夢を見、引き裂かれた翼で飛ぶときでさえ、やはり肉体を欲している。
自我はますます誠実に語ることを学んでいく。そして学ぶほどに、肉体と大地をたたえ、敬うようになる。
「まぁ、それも人の本質だと頭の片隅にでも置いておきたまえよ」
わたしの自我はひとつの新たな誇りを教えてくれた。それを人間に教えよう。ーーもはや頭を天国の事物の砂のなかに突っ込むのをやめ、自由にしておくことだ。それは大地に意義を作り出す、地上にある頭なのだから。
注:手塚訳では「あの世界」とあえてぼかして書いていた部分を佐々木訳ではわかりやすく「あの世」と書いている。また、手塚訳で「彼岸」と書かれている部分は、佐々木訳では「天国」と訳されている。
「えーっと、イッヒちゃんは誇りを教えてくれたってことです?」
「自我にちゃん付け……。ま、まあそういうことだな。
ここは大事なところかもしれない。
その自我が教えてくれた誇りとは、ありもしない天国のあれこれに思いわずらうようなことに頭を使わずに自由にしておくことだ。と言っているのだな」
その、「頭」は天国にあるのではなく、地上にある頭なのだろう? と問いかけているわけだ。
わたしは人間にひとつの新たな意志を認めよう。人間が盲目的に歩んできたこの地上の道を意欲することだ。その道をみとめて、病人や瀕死の人々のように、もはやそこから逸れていってはならない。
肉体と大地を軽蔑して、天国だの救済のために流す血だのを発明したのは、病人や瀕死の人びとなのだ。だが、この甘く危険な毒ですら、肉体と大地からつくったのではなかったのか。
「病人や瀕死の人々……、これは、背面世界論者、天国を信じている人たちのことですわね」
「そうだな、そして、それを発明したのはその者たち自身である。その教えは甘く危険な毒である。ということだ」
「ははは、ツァラトゥストラ的には、その毒を喜んでいるのは中毒患者といいたいようだぞ?」
ツァラトゥストラは病人に寛大だ。彼らがこのようにみずからを慰め、このように恩を忘れる、その仕方に怒ろうとは思わない。願っている。この病人たちが恢復し、克服し、そしてより高い肉体をわがものにすることを。
( ゚д゚)ハッ! わかった!
「背面じゃなくて平面なんだわこれ!!」
「わかったですよ!
より高い肉体ってのは、平たくない身体! グラマラス・ボティってことですっ!」
わが兄弟たちよ、むしろ健康な肉体の声を聞け。もっと正直で、純粋な声だ。
健康な肉体、完全で、まちがっていない肉体は、もっと正直に、純粋に語る。そう、大地の意義について語るのだ。
(グラマラス・ボティをわがものに……イソフラボンボン摂らなきゃ……)
もっと正直に、純粋に、と、わが身を振り返……、いや、うつむいて己の胸元をじっと見つめるひとみであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)