『この人を見よ』②
文字数 2,801文字
それでも先輩にちょっとは良いところを見せて、見直されたい。
そう、張り切って集中して、渡されたマイケル・ムアコックの『この人を見よ』を読み進んでいた。
内容は、一言で言えば、イエス様の受難のシーンが本当にあったのかを確認しようとして、タイムマシンに乗って過去へ戻るお話。
信者ならば信じていて当たり前の事。その真相を知りたい。と、気が狂いそうなほど思い詰めて、とうとう過去への扉を開いてしまう男。
その思い詰めていく過程がなんともホモホモしく、えっちぃのだ。
と赤面し、思わず荒くなる鼻息をおさえて、顔を隠した本の上から目を出してテーブルの向かい側を覗くと、熱心にニーチェ版の『この人を見よ』をお読みになっている
真剣そうな表情。たまにクスっと笑ってこっちを見る。
そう考え直して読み進めると、やはりえっちい表現の裏側から別の要素が顔を出してくる。
イエス・キリストの受難。ゴルゴダの丘での十字架への
イエス様とはまるで違う、情けないところがいっぱいの汚らしい男なのに……。
そして、気がふれたようになった彼は、とうとう自分自身がキリストであることを自覚するのだ。
そう思ってはいても、雪崩のようにラストへ向かう緊迫感は妙な圧力と
おもわず胸の前で十字を切り、主に祈りを捧げ気持ちを落ち着けようとするのだが、祈りを捧げる相手がもしかしてこの本の主人公なのでは。ここに書かれたように時代に流された狂気の男だったのでは……なんていう疑問が頭をかすめてくる。
震える手で握りしめた十字架が汗ですべる。
少女たちの笑い声がひびく秘密の地下室。
いつもは古い本の臭いしかしない暗い部屋も、今は温かい紅茶のかおりでいっぱいだった。
次はいよいよ、ニーチェの手で書かれた『この人を見よ』だ。
いったいどんな世界を見せてくれるのか、ひとみの胸は、自然と高鳴ってくるのだった。
〈つづく〉