『精神の三段変形』
文字数 4,667文字
クリスマスの夜、普段は一年生は入れない上級生の寮室へおじゃました菅原ひとみ。
おそらく
「もしかしたら、今までのは全部マエセツなのかもですね。ADのツァラさんが頑張ってこれから始まる本番ステージに合わせて場をもりあげたんじゃないかしら?
このあと、本編できっと『ここで笑って!』とか『拍手!』とかの指示ボードを観客にだしたりするんですよきっと!」
強く、重荷に耐え、畏れを宿している精神には、多くの重い物が与えられる。その強さこそが、重いものを、もっとも重いものを求めるのだ。
<中略>
もっとも重いものは何か、伝説の英雄たちよ。そう重荷に耐える精神は尋ねる。わたしもそれを担い、自分の強さをよろこびたい。
このような、これ以上なく重い一切のものを、忍耐づよい精神は担う。重荷を負って砂漠に急ぐ駱駝のように、精神もみずからの砂漠に急ぐ。
だが、荒涼として人影もない砂漠のただなかで、第二の変化が起こる。精神は獅子となり、自由を獲得しようとし、おのれ自身の砂漠の
<中略>
彼は最後までみずからを支配していた者を探す。そしてその最後の支配者、神の敵となろうとし、この巨大な龍と勝利を賭けて戦う。
千年のあいだ永らえてきたさまざまな価値がこの鱗に輝いている。
<中略〜龍は言う>「ものごとのすべての価値ーーそれがわが身に輝いているのだ」。「すべての価値がすでに創られてしまった。そして(それは)このわたしなのだ。まことに、『われ欲す』などは、もはやあってはならぬ!」
精神は以前、「汝なすべし」をもっとも神聖なこととして愛していた。だがいまは、このもっとも神聖なことですら狂気の横暴だと見なす必要がある。精神が自分の愛を自分から強奪して、自由になるために。その強奪のためにライオンが必要なのだ。
しかし、兄弟よ、言ってごらん。ライオンでさえできなかったことが、なぜ子どもにできるのか?
子どもは、無邪気だ。忘れる。新しくはじめる。遊ぶ。車輪のように勝手に転がる。自分で動く。神のように肯定する。
そうなのだ、創造という遊びのために、兄弟よ、神のように肯定することが必要なのだ。自分の意志を、こうして精神は意志する。自分の世界を、世界を失った者が手に入れる。