図書室の貸し出しカウンターの裏で、菅原ひとみにそっと耳打ちしてきたのは、ひとみと同じ図書委員の柏野ようこさんだ。
ぼんやりと窓際に座る先輩を眺めていたひとみはぎくりと身をすくめる。
女子高等部一年にして敬聖学園一番の事情通。地獄耳&インフルエンサーのようこに知られてしまっては、翌日の図書館だよりの一面トップに掲載、つづいて校内新聞が大スクープ、でもって日曜お昼の礼拝放送の耳年増コーナーの覆面ボイスチェンジ・インタビューで一気に校内の有名人! なんて連続コンボになることは歴史によって証明されている。
さらに身体を固くするひとみ。
どうやってとぼけたらいいのだろう。先輩のことなんて知らないって言い張ればいいだろうか。それより何より、どこまでようこが知っちゃっているのかも気になる。
ここでいう先輩とは、図書室の主、小早川栞理先輩。
今日もあそこ、図書室窓際の特等席で、美しく凛とした佇まい。窓から差し込む木漏れ日を受けつつ、背をぴんと張って難しげな本を開いて調べ物をなさっている。
あれはつい先週のことだ、あこがれの栞理先輩とひとみとは、人目はばかる特殊な関係になり、お互いに秘密を共有することになってしまったのだ。
ついついうれしくって、いつも以上に栞理先輩のほうを盗み見ていたのがバレたのだろうか。
(私に栞理先輩のことを言ってくるなんて、きっとあの関係を知られてしまったんだ。どうしよう。もう学園にいられなくなっちゃう)
ドキドキして何も言えなくなっているひとみに、ようこはさらに近寄って、耳にかかるショートボブの髪に息を吹き付けるように囁いてきた。
「あの先輩サ、きっと、別の世界からの転生者なんだわサ」
どうやらあの件ではなさそうだ。びっくりしたけれど安心して変な響きの声をあげてしまうひとみであった。ようこの方へ振り向いてささやきで問い返す。
「何それって知らないのー? 今、
流行りなんだよ異世界転生!
ラノベの定番設定じゃないのー。ひとみっちサア、あの先輩のこと気にしてたでしょー。このスペシャル情報、買わなーい?
チーズ蒸しパン二つでいいよー」
図書室の備品の椅子を斜めに傾けて、背もたれ側の二本足で器用にバランスをとりながらようこは取り引きを提案してきた。
「むー、じゃ、明日のお昼、二つ買うから片方半分こね」
ちょっとお高くても、取り引きに乗ったのは、ひとみとしてもまったく興味がないわけではないからだ。
(あの事じゃなさそうだけれど、栞理先輩のことなら絶対聞いておかなくっちゃ)
栞理先輩は二年Aクラスに所属されている。二年生からは成績別のクラスになるので、Aクラスというからには見た目だけでなく頭脳の方も優秀にちがいない。
なんて、そのくらいまでは一年生の誰もが知っている情報だ。
「図書委員のくせにいつもふらふらしてるあなたがわざわざ来たんだから、それなりの情報ってことよね」
(なんで今日に限って来ているのかしらと思っていたらそういうこと……)
勝手に学園の情報部長を自称している彼女は、ひとみの言う通りしょっちゅう外を出歩いて「取材」をしている。
(図書委員会を新聞部と間違えてるんじゃないかしら……)
その彼女が今回拾ってきた情報というのが、小早川栞理先輩=異世界人説というわけだ。
曰く、栞理先輩は、毎回テストは満点。教科によっては先生に逆に教えていることもあるのだとか。エスカレーター式に中学から上がってくる子も多いこの学園に外部受験で入学し、入試答案の点数ももちろんトップ。高校一年の時は親友でお嬢様の早乙女れいか嬢と共に数々の難事件を解決して敬聖学園の名探偵なんて言われていたとか。
あまりにも優秀すぎ、どう考えても高校生の知識量とは思えないので、前世の記憶が全部残っているか、そうでなかったら異世界人だっていうのが柏野さんの情報だった。
「何言ってるの。ラノベの読みすぎ! いくら何でも飛躍しすぎよ!」
「なになになにー? ひとみ君は私のスペシャル情報にケチをつけるというのかねー? 絡んじゃうぞ私はー」
そう言って柏野さんはひとみにぐにょーんと身を預けてくる。
ひとみは身をよじって彼女の体重をそらそうとして椅子ごと転びそうになる、その時は危うくバランスを取り戻したのだが……。
と近くで咳払いされ、驚いて二人ともカウンターの裏に倒れこんでしまった。
ガタガタンという音が図書室中に響く。ここは神聖なる学校の図書室。けっして騒いで良い場所ではない。
慌てて席に座り直し、咳払いされたお客様の方を向くひとみ。
すると、目の前にいたのは、あの栞理先輩の大親友、早乙女れいか嬢だった。
早乙女家はとってもお金持ち。かつての華族、現在の財閥系オーナーの御家柄で、この学園にも相当額のご寄付をされているのだとか言う、これは以前、情報屋からひとみが聞いた情報だった。
「お二人とも気をつけなさい。私でよかったわ。もし教頭先生とかがいらしてたら貴女達大変だったわよ」
「で、聞き捨てならないお話が聞こえた気がするのですけど? ねぇ柏野さん、貴女、誰にも言わないっておっしゃってなかったかしら?」
(そう言いつつ、椅子ごと後ずさって、距離取ろうとしてません?)
「そうやって私たちのお話でご商売されるのは感心しないですわあ。その情報でお稼ぎになるのなら、情報源にも還元してもらわなくっちゃねえ。
貴女、フェアトレードってご存知?」
「い、いえ、あの、あ、いっけない、私、先生に呼ばれてるんだった。めちゃくちゃ急ぎますんでこれにて失礼! ヂュワッ!」
ようこはまたバタンと椅子を倒して、そのままバタバタと逃げ出してしまった。
少し笑いながらようこの背中にお叱りになる早乙女先輩である。
ようこが扉の向こうへ消えたのを確認してから、先輩はひとみの方へ振り向いて言った。
「うふふ、ひとみちゃん。貴女もね、あのことはもちろん……」
「え、ええ、は、はい……。もちろん内緒です。誰にも話しません」
いつのまにか窓際の席からカウンターへ近づいてきていた栞理先輩がそれに応えた。
(そう、絶対、絶対に秘密なんだ……。私たち、三人だけの……)
「では、三人揃ったところで、今夜、あれ、やりましょうか」
しずかに、しかし凛とした声で、そう栞理が二人に声をかける。