幕間劇:『栞理の兄さんかく語りき』
文字数 2,955文字
栞理の兄はシステムエンジニアである。
栞理には単にゲームを作っいてるプログラマーだと伝えていたが、より正確に言うと、インターネットをつかったネットワーク・ゲーム専門の技術者であった。
通信技術を専門にした彼のようなエンジニアは貴重で、10代後半に両親を追ってアメリカに渡った直後、シアトルの某社からスカウトされ、その後、なにやらクパチーノへ移ったのだそうだが、これは、そんな彼がまだシアトルにいた頃のお話である。
時は、まだ栞理が学園に入学する前のこと。
栞理は、兄が置いていったおさがりのPCで、アメリカの彼とよくネット通話をしていた。
「仮想現実なんていうけれどね、ネット越しでも、それは現実なんだ。
いま、栞理は日本に居て、僕と話をしているだろう?
そっちが現実で、アメリカにいる僕が仮想だ。なんてことを言い出さないよな?」
と栞理は説明するのだが、いつだって兄は(きっとそんなことは百も承知で)常識の穴をついてくる。
「ネットの世界と、そうでない世界はどうちがうんだい?」
「だって、ネットはネットの中だけのことで、現実……ネットの外側だったら顔を合わせてお話できるじゃない」
「ネットの世界のキャラクターはアバターっていうんだ。アバターと現実の人は別人と言いたいのかな?」
「別人っていうか、そのアバターを現実の人が操作してるわけでしょう?」
「おや? これは異なことを申される。栞理殿は自分の身体を操作していないのかい?」
「えっ? そりゃ、動かそうと思って動かしたりしゃべろうと思ってしゃべったりしてるけど……、それと操作はちがうよ」
「違わないさ。脳が指令して手足や口を動かしてるわけだろ? もちろん不随意運動や無意識ってのもあるだろうが、それだって脳や反射神経が操作しているに過ぎない」
「もう! そうじゃなくて! 脳みそと身体はくっついてるでしょ!? 間に機械なんか挟んでないじゃない!」
「生まれつき手足に障害があったり、目や耳が不自由な人はどうするんだい? 彼らは義手や義足、目や耳はカメラやマイクといった機械で現実世界にアクセスしているよ?」
「栞理は運よく健康な身体っていうハードウエアをもって生まれてきたんだ。パパママに感謝しないといけないね。それをうまいこと思い通りにコントロールできるからと言って、うまくコントロールできない、身体の操縦が下手な人や、性能の悪いハードで生まれてしまった人を差別してはいけない」
「いいや、してるね。仮想現実なんていう言葉をつかって、現実とネット世界を区別し、ネット側やテクノロジー利用者を差別しようとしている。ネット側はたんに解像度が低く、自由度が低いだけで、両者は同じ現実なんだよ。」
(そんなつもりないのに……また、やり込められちゃいそう……)
いつものように栞理はそう思う。理屈で反論できなくなると、ブチ切れて通話を一方的に切ってしまうのもいつもの事だった。
でも、そんなことで貴重な通話時間(無料だけど)を失うのももったいない。
深呼吸して気持ちを落ち着けて、最近TVで見たばかりの違う話を持ち出してみる。
(たぶん、兄さんの専門分野。乗ってくると思うけど……)
「じゃ、じゃあさ、AIとかはどうなの? AIがアバターを操作していたら? ネットの中にしかいないじゃない?」
「ふふん、Artificial Intelligenceだな。人工知能。さっきの話と同じことだよ。人間の知能が操作しているアバターと、人工知能が操作しているアバターには本質的な違いは無いのさ」
「わからないかな。
そうだな、例えば今、栞理がゲーム機のコントローラを握って、格闘ゲームでもしていたとしよう」
「例えばだって。その時、栞理は画面の情報を見て、うまく自キャラ(まあアバターと言ってもいいな)をコントロールしようとするだろう。パンチをよけたり、逆にパンチしたり、ボタンを操作するわけだな」
「うーん、しないけど、まあ、きっとそうだとおもう」
「AIだって同じさ。ゲームの世界の情報を電子の目で見て、何かしらの判断をして、うまくAI側の自キャラ(アバター)を操作してゲーム世界という『現実』に対するリアクションをしているんだ」
「厳密には違うが、AI的な動作をしているプログラムともいえるね。けっこうゲームの世界にはAI多いんだぜ」
なにやら自慢げに語る兄。いつもやり込められながらも、ちょっとそんな兄を誇らしく思う栞理なのである。
「ああ、そうそう、それで、ちょっと話がずれたが……」
「ゲームのコントローラーの代わりにカメラを使おうって話があってね」
「ゲーム機のカメラの前で実際に体を動かして格闘ゲームとかしたら、面白そうじゃないかい?」
「本当にケガまでしたら、ゲームじゃなくて相当『リアル』だろうなあ。それこそバーチャルなんて言われなくなるな。うん、それは面白そうだ」
「はははは、冗談だよ。いや、今はそういう話ではなくてね」
パチンと兄が指をはじく、すると、兄の姿が栞理のパソコンの画面から消え去り、一匹のカエルがそれに取って代わって表示された。
兄の口の動きに合わせてカエルの口も動き、顔の向きや表情などもちゃんと再現されている。
「スマホのカメラにゲーム機のカメラと同じ機能を乗せた試作さ。どうだい? ちゃんとカエルがしゃべってるだろう?」
急に声が変調してガラガラ声になり、本当のカエルがしゃべってるように聞こえる。
「そうなんだゲコ。でな、今はこうやって技術のほうが進歩して、栞理のいう『操作』している感じではなく、直接アバターをコントロールできるようになってきたんだ」
かわいらしいカエルの姿で語る兄。いったい何を言いたいのか栞理はすこし首を傾ける。
「画面の向こう側にいる『僕』を現実とするなら、このカエルだって僕なのだから、現実だろう?」
「うん、そっか、アバターってつまり身体で、身体は脳みそが操作しているのよね。間に機械がはいってもおんなじこと」
うまいことやり込められた気もするが、いつものようにキレることなく、素直に関心する栞理である。
そして、おそらくは緑色好きの栞理へのサービスなのだろうけれど、カエルの姿が気に入ったのか、その日はずっとカエルで過ごしてくれたやさしい兄だった。
〈つづく〉
※なお、カエルさんのアバター画像は「いらすとや」さんよりお借りいたしました。
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