『マインちゃんとイッヒちゃん、そして性なる犯罪者』
文字数 2,123文字
とかなんとか言っている彼女たちの前に広げられた新しい節には「青ざめた犯罪者について」と書かれている。
ツァラトゥストラは、犯罪者と、犯罪者を問い詰めようとする裁判官(裁き手)とを例に取り、超人にとっての罪についてを解説をしている。
諸君、裁き手よ、生け贄を捧げる者よ、獣が頭を垂れてうなずくまで、殺そうとはしないのか。ならば見よ。この青ざめた犯罪者はうなずいた。彼の眼にあるのは、大いなる侮辱だ。
「このような《マイン》『わたし《イッヒ》』など乗り越えられるべき何かにすぎない。わたしにとって、この『わたし』は、人間に対する大きな侮辱だ」。そう彼の眼は語る。
彼がおのれを裁いたのは、彼の最高の瞬間だった。救いは、ない。すみやかな死のほかには。
「そうだな、このイッヒは以前でてきた
自我の命令によって罪を犯したことをこの『青ざめた犯罪者』はうなずいて認めた。ということだが、この犯罪者が、自分で自分を裁くのは良いが、それをこの『裁き手』が裁くのは大きな侮辱だ。と言っているかんじかな」
諸君はその犯罪者を「敵」と呼ぶべきだ、「悪人」ではなく。「病人」と呼ぶべきだ、「ならず者」ではなく。「愚か者」と呼ぶべきだ、「罪人」ではなく。
そして君よ、赤い法服に身を包んだ裁き手よ。君が心の中でおこなった一切のことを声にだして言うならば、誰もが叫ぶだろう。「この汚物を、この毒虫を片付けろ」。
言い古されていることではあるが、子供らが好きなアニメやマンガの言葉のマネをしてしまってけしからん等ということがよくある。子供的にもついつい慣れ親しんでいるマンガの世界の言葉をしゃべってしまうのだろう。(ひとみが何の漫画に慣れ親しんでいるのかは少々謎であるが)
小さなころから聖書に親しんでいるこの学園の生徒たちの中で、ニーチェの言葉を読む彼女たちが(とくにひとみが)何かを口走ってしまわないか、心配になってくる吾輩なのである。
だが思考と行為は別だ。行為の結ぶ
この像こそがこの蒼白い犯罪者を蒼白くした。彼がその行為をおかしたときに、彼はやってのけるだけの力があった。しかし行為をなしおえたあと、その像に耐えることができなくなった。
※途中の謎歌は、
『ナースエンジェルりりかSOS』、『りりかSOS』 作詞:秋元康(!)より