『読むことと書くことについて』①
文字数 2,853文字
今回のエピソードはそのまま、『読むことと書くことについて』である。
ずばりその点についてツァラトウストラ自身がどう語っているか、少女たちとともに掘り下げてみることとしよう。
他人の血を理解することはたやすくできることでは無い。私は読んでばかりいる怠惰なものを憎む。
読者とはどんなものかを知れば、もはや読者のために誰も何もしなくなる。一世紀もこのような読者ばかりがつづくなら――精神そのものが悪臭を放つようになる。
万民が読むことを覚えるということは、長い目でみれば、書くことだけでなく考えることも損ねてしまう。
かつて精神は神だった。それは人間になった。今や賎民にまでなりつつある。
血と寸鉄のことばで書く者は、読まれることを欲しない。
「作品の作り手が自分自身で、ただただ作るのは神の行為かもしれない。
だけれども、人に読まれたいという欲求優先で作品を作ること、そして、その作品を見た受け手が自分で考えることを放棄してしまうこと。
それを賎民の行為として蔑んでいるのだろうな。
そうした行為が蔓延することで、万民に対して単なる『ウケ狙い』の作品が蔓延して、また、それを支持する層が増えて、どんどん何も考えない人が増え、何も考えていない作品が増えてしまう。
この悪循環をさして、精神が悪臭を放つ。といっているのだろうな」
「第一階層の『生理的欲求』は、生きていくための基本的本能的な欲求だ。
食べたい、飲みたい、寝たいとかだな。
この欲求がある程度満たされると次の階層『安全欲求』を人は求めるようになる。
第二階層の『安全欲求』は、安全・安心に暮らしたいという欲求。ここらへんまでは衣食住というやつだ。
その上に第三階層『社会的欲求』がある。これは、家族や仲間、友達が欲しいという関係性の欲求。ここまでは自分の外側に向かった欲求という意味で、低次の欲求と言われている。
そして、その上に進むと、内側に向かった高次の欲求になり、『尊厳欲求』と『自己実現欲求』というのがある」