『悪魔のピエロ』

文字数 2,914文字

──しかしそこで何かが起きた。すべての口を黙らせ、すべての眼を釘づけにする何かが。


群衆に向けて超人(ちょうじん)末人(まつじん)について解説をしていたツァラトゥストラ。


しかし思い出してほしい、その群衆はなぜそこに集まっていたのかを。


彼らはべつにツァラトゥストラの話を聞きたくて集まっていたのではない。実は(最初から書いてあったけれども)ツァラトゥストラの頭上、二つの塔の間に張られた綱の上で芸を披露しはじめている『綱渡り師』の曲芸を見たくて集まってきていたのだ。


ツァラトゥストラが暑苦しく熱を込めて話をしている一方で、頭の上は文字通り張り詰めた糸のような緊張した状態にあった。

綱渡り師は一歩一歩足元を確かめつつ、ゆっくりと綱の上を歩んでいく……。

その足が、綱のちょうど半ばまできたとき、突然、彼が出てきて芸をはじめた塔の扉がバァーンと、まるで荒木飛呂彦の描き文字のような効果音と共に開き、自信満々のピエロが登場したのであるッ!!

 あの小さな扉がもう一度ひらいて、色とりどりの服をまとった道化のような男がなかから飛び出してくると、足早に綱渡り舞踏家を追いかけた。「進め、足萎えめ」、ぞっとする声で怒鳴った。「進めよ、のらくら野郎、もぐり、青びょうたん! 俺の踵でせっつかれてるんじゃない! お前はこの塔のあいだでなにをやってるんだ? 塔のなかに居るのがお似合いだ。閉じ込められていればいい。お前なんかより巧い奴がすいすい行くのの邪魔になってるんだ!」
「ふえぇ~。私サーカスって見たことないんですけど、綱渡りってこんな風においかっけっこしたりするんですか?」
「どうだろうか、僕も経験ないのでわからんな」

「それに、仲間なのに怒鳴ってけなしながら追うなんて、少々品位にかける芸ですわねぇ」


「そうだな、弱い者や劣った者をけなして、自分の力を見せつける。そんな男性的な表現だな。こうしたことを『芸』と見なしているのもどうかと思うな」
「やっぱ100年前だと芸能ってそういう形だったのですかねえ。

 筋肉勝負な番組って今もありますけど……。

 そんな時代にアイドルのかわいさを訴えてても、それは理解されませんよねえ」

(微妙に違う気もするが、あっている気もするな……)
 そして綱渡り舞踏家まであと一歩と近づいたとき、恐ろしいことが起こった。すべての口を黙らせ、すべての眼を釘づけにすることが。──その道化は悪魔のような叫び声をあげて、行く手を妨げていた者を飛び越えたのだ。だが、綱渡り舞踏家はみずからの競争相手が勝つのを見ると、うろたえ、足を踏み外した。彼は手にした竿を放り出し、その竿よりもはやく、手足をまわしながら、地上へと一直線に堕ちた。
「きゃ! 落っこちちゃいましたよ!! 安全ロープとか! 保護ネットとかないんですか!」
「無いのだよな。恐ろしいことに」
「恐ろしいことに……」
「うーん……、ヒドイ。これも100年前だからですか?」
「まあ、そうだな、今のサーカスはこんなに危険ではない、と思いたいが」
「この後ろから来た道化師は本当に悪魔のようですわね。ほとんど突き落としたようなものじゃない」
「飛び越しただけで触っていないのがミソなのかもしれないな。演技の上でのこととして、100年前では罪に問われないのかもだ。今なら業務上過失致死だな」
「今なら安全ネットつかいますよぅ」
「そうだなあ。それに、こんな危険な演技には営業許可は出ないだろうな」
「直接暴力をふるっていなくても、じゅうぶん言葉の暴力ですわ。パワハラです!!」
「経営者も監督責任を問われるだろうな」
「ブラックだわ……。見ているお客さんだってぜったいトラウマになっちゃいますよ! ひどいです!」
「実際、皆逃げ出したようだね。ツァラ殿を除いて……」

 群衆は、嵐が押し入ってきた海のようだった。みな散りぢりに、われ先にと折り重なるようにして逃げ出した。綱渡り舞踏家の身体が堕ちてきたところが、ことにひどかった。

 しかしツァラトゥストラは立ったままだ。まさに彼のすぐそばに、その身体は堕ちてきたのに。惨く打ち砕かれて、しかしまだ死んではいなかった。しばらくすると、この砕かれた男に意識がもどってきた。自分のそばにツァラトゥストラが膝をついているのが見える。「あなたは、ここで何をしているんですか」と、やっとのことで言葉を発した。

「皆逃げ出したのに、一人自分の脇にいるツァラ殿に何をやっているのかと聞いたわけだ」

「ふつう、救急車呼びにいきますよね。ケータイもってるならその場でも呼べるでしょうけど……」


(いや、100年前にケータイは無いだろう。救急車だってあるかどうか……)
「堂々としているからお医者さまかと思ったのかもですわね。はやく応急手当てしてくれよ! って言いたかったのかも」
「もしかしたら、自分が命がけの芸をしている下で何をやっているのだ。と、やっと直接言えたのかもしれないぞ。いままでは綱を渡るのに精いっぱいで話しかけられなかったのだからなあ」
「えー、そうですかねえー」
「……。」
(また外したか、冗談のつもりだったのだが……)

「わたしには前からわかってたんだ。悪魔がわたしの足を(すく)うだろうということを。いま悪魔はわたしを地獄へ()いていく。あなたはそれをとめられるのか」。

「誓って言う、友よ」、ツァラトゥストラは答えた。「君が言うようなものは、何もかもありはしない。悪魔もない、そして地獄も。君の魂は君の肉体よりもすみやかに死ぬだろう。だから、もう何もおそれることはないのだ」。

 男は疑わしげな眼でみあげた。やがて言った。「あなたの言うことが本当なら、命を失っても、わたしは何も失わない。わたしは、鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物でしかないのだから」。

「違う」。ツァラトゥストラは言った。「君は危険をおかすことを職としてきた。卑しいことではない。いま君はみずからの職によって滅びてゆく。報いるために、私は君をこの手で葬ろう」。

「栞理の説が正しいなら、この哀れな綱渡りさんは、ツァラちゃんにクレームを入れているシーンですわね」
「いや、あれは冗談なのだ……。すまなかった。つっこまないでくれ」
「えーと、ここって、普通だったら死んでしまいそうな人に、『きっと天国にいけるぞ』って言うシーンですよね……」
「キリスト教での普通なら、だな」
「ツァラちゃんの言ってることはだいぶちがいますわね」
「そう、天国に行けるとは一言も言っていないが、地獄もないし悪魔もいない。だから恐れることはない。という風にいっている」
「地獄がないってことは天国もないってことです?」
「そういうことだな」
「それって救いがあるのかしら?」
「ツァラ殿、いや、ニーチェはそれこそが救いと言っているようだな……」
 ツァラトゥストラがこう言ったときに、死に行く男からもはや答えは無かった。しかし手を動かした。まるで、感謝するために、ツァラトゥストラの手をさがそうとするかのように──。
〈つづく〉


※扉絵の先輩’sは、Google+の naduki ari さん が書いてくださいました! ワーイ(∩´∀`)∩☆

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登場人物紹介

敬聖学園図書委員。菅原《すがわら》ひとみ です!

明るく元気な一年生! たまに騒ぎすぎて先生に叱られてます。

うちの学園の図書室ってすごい大きいんです。礼拝堂の裏にある4階建ての建物が丸々「図書館」なんですよ。すごいよね。地下室もあるって噂もあったりして。

小早川栞理《こばやかわ・しおり》と申します。

何やら図書室の主だとか超能力者だとか名探偵の生まれ変わりだとか……。

色々と噂されているようですね。その上、二重人格だとか……。

ーーー

ふん、この切り替えは意図してやっていることだ。他人にどうこういわれる筋合いはないな。


(親しい人の前では男っぽくなります。その理由は本編をどうぞ)

早乙女《さおとめ》れいか です。

自他共に認める栞理の大親友。栞理のいるところれいかあり。

栞理の頭脳と我が家の財力があれば、大抵のことはなんとかなりますのよ。


押忍! ワガハイが新聞部部長、柏野《かしの》ようこである! 


嘘である!

にゃはは。本当は図書委員でーす。壁新聞担当! でも、学園イチの情報通とは私のことよん!

噂話から真実の報道までなんでもリサーチ! 情報はおまかせっ!

『ツァラトゥストラかく語りき』河出文庫、佐々木 中 訳

2015年8月10日初版発行

菅原ひとみが選んだ最もあたらしい翻訳のツァラトゥストラ。

雰囲気的に「さん」付けで、愛称は『ツァラさん』


※作中の引用は2015年8月10日初版による。


『ツァラトゥストラ』(上・下) 光文社古典新訳文庫、丘沢 静也 訳

2010年11月20日初版発行

早乙女れいかのペアブック。現代風に再翻訳された読みやすさに定評のあるツァラトゥストラ。

愛称は『ツァラちゃん』


※作中の引用は2010年11月20日初版第1刷による。


『ツァラトゥストラ』中公文庫、手塚 富雄 訳

昭和四八年六月一〇日初版発行

小早川栞理が見出した、なかなかハードめの翻訳。硬質な日本語に浸りたい向きにはおすすめ。

無理やり決められた愛称は『ツァラ殿』


※作中の引用は第八版による。


栞理幼女バージョン (NEW!)

栞理 兄(NEW!)

ナレーター役の四天王その壱(シルエット)

なんと! ファンアートですって!

先輩方をGoogle+の黒にゃんこ  naduki ari さん が書いてくださいました! ワーイ(∩´∀`)∩☆

表紙ッ!

本作のキャラクターデザインおよびイラスト(の大半)は著者の敬愛する「しんいち」師匠の手によるものです。

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