『悪魔のピエロ』
文字数 2,914文字
群衆に向けて
しかし思い出してほしい、その群衆はなぜそこに集まっていたのかを。
彼らはべつにツァラトゥストラの話を聞きたくて集まっていたのではない。実は(最初から書いてあったけれども)ツァラトゥストラの頭上、二つの塔の間に張られた綱の上で芸を披露しはじめている『綱渡り師』の曲芸を見たくて集まってきていたのだ。
ツァラトゥストラが暑苦しく熱を込めて話をしている一方で、頭の上は文字通り張り詰めた糸のような緊張した状態にあった。
綱渡り師は一歩一歩足元を確かめつつ、ゆっくりと綱の上を歩んでいく……。
その足が、綱のちょうど半ばまできたとき、突然、彼が出てきて芸をはじめた塔の扉がバァーンと、まるで荒木飛呂彦の描き文字のような効果音と共に開き、自信満々のピエロが登場したのであるッ!!
群衆は、嵐が押し入ってきた海のようだった。みな散りぢりに、われ先にと折り重なるようにして逃げ出した。綱渡り舞踏家の身体が堕ちてきたところが、ことにひどかった。
しかしツァラトゥストラは立ったままだ。まさに彼のすぐそばに、その身体は堕ちてきたのに。惨く打ち砕かれて、しかしまだ死んではいなかった。しばらくすると、この砕かれた男に意識がもどってきた。自分のそばにツァラトゥストラが膝をついているのが見える。「あなたは、ここで何をしているんですか」と、やっとのことで言葉を発した。
「わたしには前からわかってたんだ。悪魔がわたしの足を
「誓って言う、友よ」、ツァラトゥストラは答えた。「君が言うようなものは、何もかもありはしない。悪魔もない、そして地獄も。君の魂は君の肉体よりもすみやかに死ぬだろう。だから、もう何もおそれることはないのだ」。
男は疑わしげな眼でみあげた。やがて言った。「あなたの言うことが本当なら、命を失っても、わたしは何も失わない。わたしは、鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物でしかないのだから」。
「違う」。ツァラトゥストラは言った。「君は危険をおかすことを職としてきた。卑しいことではない。いま君はみずからの職によって滅びてゆく。報いるために、私は君をこの手で葬ろう」。
※扉絵の先輩’sは、Google+の naduki ari さん が書いてくださいました! ワーイ(∩´∀`)∩☆