第5話 最後の晩餐 トコロテンと晶

文字数 3,493文字

 不空怜は、晶が気落ちしている様子なので、夕食に誘った。白羊基地の近くに二十四時間営業している洋食レストランがあった。昼夜の感覚なく働いている時空研の研究者にとっては、重宝する店だ。
 晶は怜と食事する時、肉、魚を一切食べない。野菜と果物だけ、飲み物は常に水のクリスタルガイザーだけで、お茶やジュースさえも飲まない。まして、アルコールなど論外だった。というより、怜は晶が肉や魚を食べているところを見た事がない。晶はいつも菜食、パン、水、仕事中のカロリーメイトである。お菓子類も口にしない。しかし、水だけは一日五リットル採っているらしい。「無味乾燥」だと怜は思う。とりわけ、晶の肉嫌いが尋常ではない事を怜は知っている。
 一方で怜は毎日日本酒・ビールを飲み、血の滴るステーキを喰い、魚、野菜も含めて洋食、和食、中華と何でも大好きな飽食家だ。美味しいものに眼がない。そのくせ一日中座っているだけなのに目立って太ったりしないのは、エネルギーの大部分を頭脳が消費しているからだった。よって怜が晶と食事する時、怜一人が豪勢な食事をし、酒を飲み、晶は精進料理のようなあっさりとした料理を食べて、怜には何だか味気ないのだった。
「伊達統次の事を考えているんでしょ、晶」
 怜はステーキの一切れを口に運びながら、大きなつり目で晶の顔を覗き込む。
「ええ。いよいよ状況はあの男の思い通りになってきた。統次は、これまで国防省の軍事力、権力を背景に、世界の五大機関の軍事を取りまとめ、強大な独裁者になろうとしてきた。今の状況は、彼の独裁に絶好の口実を与えているわ。これがシナリオだったとしたら……一体、誰のシナリオなんだろう」
「あなたが、伊達統次のような独裁者に加担するなんて、あり得ない事だからね。この話をするのは久しぶりね。統次は世界を乗っ取ろうとしている。統次の真実に気づいた者たちは、尽く不可解な死を迎えた。あなたには分かっていた。彼らが全員統次によって殺されたって事を。そして、その先にどんな恐ろしい世の中が待っているか。あなたは、統次がまさにこれから行おうとしている、大量虐殺が起こるような社会が到来するのを阻止する為に、軍人になったのだからね」
 晶は、友人の言葉に頷く。
「そうよ。人類の敵、帝国の平行侵略は恐ろしいもの。だけど、間近に迫る現実的な脅威として、伊達統次の軍事独裁こそが恐るべき帝国の出現ではないかしら? それとも、彼の言う事が全て正しいのか。ディモンの正体が、血が青い事以外、何も人間と変わらないなんて。最近その事が頭から離れない」
「そうね」
 宝生晶と伊達統次には、他の軍人たちとは違う特別な関係があった。晶は、父を失い、伊達統次に育てられた。つまり伊達は義父である。晶の本当の父親も軍人で、エリートだったらしい。しかし本当の父親は晶が幼い頃に、事故で死んだ。しかし晶はその事実を一切知らされないで統次に育てられたのだ。
 だが晶が十五歳の夏、母親が病死した。母親は晶が物心着いたころから虚弱だった。その時、母親から託された遺言によって真実を知らされる事になる。自分には別に本当の父がいて、そして今まで実の父親だと思った男こそが、実の父親の死と関係していたのだ。いや、それどころか父を殺した犯人だったのである。それは事故死などではなくて、暗殺だった。
 伊達統次は、宝生晶の実父を殺して、権力の座と母を奪ったのだ。むろん伊達は母を愛していた訳ではない。権力のために利用したのだ。
 晶は十五の時に、その全てを知った。母親が衰弱して病死したのも、伊達統次のせいだと晶は結論した。あの男のせいで衰弱し、死んでいったのだ。その時から晶は次々と、伊達統次の恐ろしさを知っていった。
 犠牲者は本当の父や母だけではない。統次は権力を得るために、ありとあらゆる事をやっていた。そして遂には日本を独裁国家にし、五大機関を支配して世界を自分のものにしようとしていると知るに至った。
 晶は、母親の死の際反発して、伊達の戸籍を抜け、父親の本当の名、宝生に姓を改めた。しかし、伊達の野望を阻止するために、宝生晶が取った行動は意外なものだった。伊達統次への憎しみを隠し、十七才の時、再び伊達の元へと戻ったのである。それは晶が国防大学校へ進学し、軍人となるためだった。自分が伊達統次の権力獲得、野望達成を阻止する為に、体制の中へ入らなければならないと考えた結果だった。
 外部から批判したとしても、決して彼を阻止する事はできない。国防大学校を首席で卒業した晶は、伊達の七光りを大いに利用して、たちまち出世した。そして二十五歳の若さで少佐、東京時空研究所の所長となったのである。
「彼が今の地位に就くまでに行った悪行は、数えあげる事ができない。彼を阻止しようとして、何人もの人間が死んでいる。彼の行為、本当の姿を知った者から殺されていった。そして誰も、伊達統次を止める事はできなかった。以来、その事は、軍はおろか政府内でも、決してタブーとして語られる事はない。無論、時空研の内部でも。今や誰も分からないのよ。あの男の恐ろしさは。あまりに巨大すぎて、人々は気づかない。いや、知っていて言うことができない。今、地球がとても恐ろしいベクトルに突き進んでいるって事を。彼を絶対権力者にしてはならない。帝国の侵略を利用して、今まさに、伊達統次の独裁が始まろうとしている。魔女狩り、凶暴なファシズム、赤の広場の復活。もしそうなら、私以外、止められない。だから、私がやるしかない」
 晶は当の伊達統次に対しては無論の事、この事を誰にも言わずに、隠して生きてきた。唯一の例外が、不空怜だった。怜は、国防大学校と巨蟹学園大学のシステムの共同研究で、いつも晶と一緒だった。
「このままでは、伊達統次の独裁が始まってしまう。そのレールは着実に敷かれている。人馬市の再開発は、彼の権力を強化していっている。いいえ、分都計画そのものを、伊達統次が握っているという情報は、おそらく確かな情報だと思う。東京の十二の都市で行われているこの分都計画こそ、彼の帝国なのだわ」
 それは、伊達統次の軍事独裁社会の誕生のプロセスだった。伊達統次の権力は、晶が力を有し、阻止に掛かる前に、すっかり強大なものとなってしまった。そして今や彼の軍事権力は政治を押さえ、五大時空機関を通じて世界をも掌握するチェックメイトの段階にあった。まさに、伊達統次は平行宇宙の帝国と同様、自己組織化の拡大の為だけに動いていた。
「わたしには、恐ろしい事が始まっているように思える。これが、すべて伊達統次の陰謀だったとしたら、わたしは何もかも、統次に操られていることになる」
 晶は、トコロテンを食べている。晶がいつも食後に食べる好物だ。無言で食べている。晶が美味しいと思っているのか、そうでないのか怜は分からない。ただそれがまるで義務のように、晶は機械的に食べている。伊達統次もまた晶のような偏食家であり、野菜と甘いものしか食べない。伊達の戦略・戦術はおそらく、甘いものによって練り上げられているのかもしれない。
「それはもちろん分かる。統次の独裁を止めようとしている晶の目的にはあたしも賛成。でも、ディモンの問題を同列に片付けることはできない。あなた、個人的な目的だけで、敵の侵略に関する問題をすべて片付けてない? それはとても危険だよ」
「そんなつもりないわよ。私には、どうしても引っ掛かるってだけで--------」
 トコロテンを食べる箸が止まる。
「あなたは伊達統次を阻止するために、軍人になった。だけど、私は委員会と人馬が言う通り、一度全人類のアストラル体を、調べてみる必要があると思う。重要なことは私たちにはヱルゴールドがあるって事。それで全ての決着は着くんだから。だって、ヱルゴールドは嘘をつかないからね」
 不空怜は、晶とは違い、科学者としてブルータイプの問題を受け止めている。同じ人間の格好をしているブルータイプの学生百人が、あらゆる人体実験の後、処理-----殺された事に対してとても動揺し、苦しんでいる晶のように情に惑わされたりはしない。外見上はクールでも、中身は父との戦いの情念で渦巻いている晶とは正反対に、明るくて屈託がなく、都会のギャル風のキャピキャピしたところを多分に持っている不空怜だが、同時に科学者としての理性を行動原理にしていた。


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