第4話 ヱデンの園、アダムとヱヴァ計画

文字数 9,622文字

 天文台に向かう途中、ミカは薔薇園の青い薔薇が増えていることに気がついて立ち止まった。以前はたった一輪だけだったはずだ。那月によると、少し前から徐々に増えているらしい。単に、ミカが気が着かなかったのだろうか。見渡すと薔薇園の全体の一割くらいが赤い薔薇ではなく青い薔薇だった。
 夜の天文台ドームは、いつものようにアメジスト色に煌々と輝いていた。亮も、天文台の中に入るのは始めてらしい。
 入館し、巨大なアメジスト色のショートケーキ型のコンピュータの前まで来ると、亮は驚いて見上げた。
「これは、確かにヱルメタルだ。間違いない。なんでここにヱルメタルがあるんだ。伊東アイは学園の理事としてこの世界に現れた。とすると、ヤツの狙いはやっぱり、コイツだな。そもそも、……俺達二人が偶然同じ巨蟹学園の生徒だった事、その意味を今まで見過ごしていたけど、もしかすると、何もかも全てが関係しているってことじゃないのか--------」
 亮はミカに囁く。
「亮、ヤツはもう来てるかも……」
「待ってたわよ」
 声が響いた。ドームの中で、声がエコーしている。端末を操作していた人陰が、三人に声を掛けたのだ。それは椅子から立ち上がって、笑っていた。
「ずいぶん早いじゃない。生徒会の仕事は終わったの?」
 伊東アイだった。技師が着用する白い服を着ている。奇妙な微笑み方で二人を迎えている。
「はじめまして」
 アイは頭を下げた。
「はじめましてって何よ? あんたあたし等をからかってんの」
「いいえ全然。わたしはあなた達と初めて会うからよ」
 そう言って、アイは顔を傾けた。ミカは挑発を受けたと思った。
「-------いいかげんにしたら!」
 屈辱のお返しをしてやる。ミカは張り手をしようと左手を振りかざした。かわい気のない子供を見下す大人のような顔で、アイは言った。
「どうやら、姉があなた達をからかったみたい。私達は双子なの。私は妹よ」
「えぇ?」
「名前は?」
 亮が尋ねた。
「名前は姉が漢字でLOVEの『愛』、私が色の『藍』……」
「二人ともアイだって?」
「そう。私は芸能活動している方のアイ。でも、姉にあなた達の事を頼まれたのよ。姉は会長職が忙しくてね。私も忙しいんだけど」
「双子だって? どうりで神出鬼没な訳だ」
「まあ座って。……姉から聞いたと思うけど、正確には私たち二人が部長になるという話。双子の私たちが加われば、五人になる。この天文台、私たちが学園の理事を勤めているから、天文台を自由に使用する権限も持っている」
 そういって、アイはどこにも売っていない例の携帯IMAX-300をチラリと見せた。これで天文台に出入りしているらしい。
 どうやらチェックメイトだった。こっちの事は完全に見透かされている。伊東アイの「双子」に監視されては、ミカ達に逃げ場はなかった。
「みんな、この世界、変だと思わない?」
 アイは唐突に訊いた。
「町に、全然人が居ないでしょう。この世界に、極端に人が存在しない事には理由がある。今、世界にはミカと亮、あなた達二人がいるこの学園を中心とした、ごくわずかな人間しか存在していない。地球はまるで、がら空きなのよ。あなた達が観測したところだけ、わっと人が増えた。それは観測が収束したのよ。世界は、あなた達が観測しないと、存在できない」
 ミカと亮は絶句した。那月は、混乱した顔で押し黙っている。
「そこで、私は学園選挙を使って、ここの生徒をあなた達に観測させた。しかし、それは非常に限定的なもの。そうして私自身も、同時にこの世界に介入することにした」
「お前……何者だ」
 亮は低くつぶやいた。
「那月さん、あなたにも関係のある話だから一緒に聴いて欲しい。一昨日、世界は一度滅んで、この二人が再生させたのよ。ミカはあなたに会いたい一心で、世界の再建を決心した。------東京時空研究所という場所でね」
「時空研を知ってるの?」
 黙っている那月に代わって、ミカが訊いた。
 アイは頷いて、世界を再生する為にミカは亮と出会い、その後、時空研に行った事、二人で、世界の再生をする為に再会した事、さらに二人のヱンゲージが世界を救い、告白がそのトリガーとなった事を那月に話した。
「でも、この世界には時空研が存在しない。結果的に、あなた達の天地創造は、不完全な創造だったのよ」
「うそ……」
「時空研の代わりに、このヱルアメジストがある。巨蟹市東恵田の知恵の実よ。この学園は、かつての国防省の時空機関の一つが残った物。暫定的に、時空研の代わりとなる施設として使うことができる。わたし達は時空研に代わってこの星の運命を計画することが可能なの。今、世界で人類はほとんどあなた達だけしか居ない。あなた達は、新しい地球の、アダムとヱヴァ。これからあなた達に、人類の再生の仕事をしてもらう事になるわ。協力してくれるわね。わたし達には出来ない。それはあなた達二人じゃないと、出来ないことなのよ」
「人間が俺たちしか居ないのなら、じゃあ、あなたは何なんだ?」
 亮は質問した。
「そこまで知る必要はないわ。ここで、『アダムとヱヴァ計画』の続きを、このヱルアメジストで行うのよ」
 伊東アイ(妹)の話は、ミカたちの予想を超えていた。敵だと思っていた相手が、まさか自分達を導く者だったという事なのか。
「ここに私は、『人類再生委員会』を置く。この学園が、新世界の中心時空だから。東恵田のこの学園は、新世界のヱデンの園なのよ」
「東恵田……」
 地名からして、すでに仕組まれている気がする。
「でも、どうやって-----」
「ここの設備は、時空研ほどではないけど、コンパクトに充実している」
 テーブルの隣に、二つの長椅子状のデバイスが置かれていた。前に来た時はなかったものだ。
「これはテラ界導入デバイス。ヱルアメジストに接続されている。テラ界とは、あなた達の世界……そこを再生させるための装置」
 あなた達? その言葉に引っかかりを感じながら、ミカと亮は長椅子状のデバイスに寝かされた。
「まずは十四万四千人を再生させる。その数が、地球上に人類再生のクリスタル磁場を生成する。それが臨界点になって、人類は世界中に再生されていくでしょう。産めよ、増えよ、地に満ちよ-------」
 アイは那月をじっと見た。
「那月さん、あなたには私のサポートをしてもらう。オペレータとしてね。あなたは意識レベルで、来栖ミカさんと強い接点を持っているから」
「……えぇ? でも」
 フリーズしていた那月がうなった。
 そこでミカが説明を次いだ。
「あのUFOはね、また地球に攻めてこようとしている侵略者なのよ。あれは、世界を滅ぼした人類の敵が作った戦艦よ。……時空研が消えてしまった以上、あんた以外にあたしたちが頼める人がいない。といっても、とても信じてもらえないと思うけど、那月、あたし達に協力してくれないかな」
 那月は目を丸くしてミカの話をじっと聞いていたが、次第に真剣な顔つきに変わっていた。やがて頬が赤くなり、眼を輝かせ、見る見る元気になっていくようだった。
「えーと、つまり、原田クンも天文部に参加するって事?」
 那月は小さな声で言った。
「う、うん……そうだけど」
「じゃあ天文部が五人になるんだ。凄い------アイさんだけでなく、原田クンまで、天文部に。-------初めてだよ、私の代でこんなに部員が増えたの」
「で、あたし達の話、那月はどう思う?」
「あたしも月でUFOが何かしてるって、絶対思ってた。まさか、ずっと昔から知ってるミカちゃんが、このUFOとか、世界の運命とかいう事に直接関わっていたなんて事、正直びっくりしちゃったけど。でもミカちゃんが嘘着く訳ないって事、わたし知ってるから。だからアイさんの話も、全部信じられる」
「本当?! じゃあ今度、巨蟹バーガー行こう!」
「ならディアボロパフェもお願い。あたし、ずっと月を観察してきて、以前と違うことに気づいたの。月で起こってる異変は、黒い船だけじゃないんだ。ね、これを見て」
 那月が三人に見せたのは、砂漠のクレーターの真ん中にポツンと存在する、まるで、ヨーロッパにある朽ちかけた古城のような構造物だった。それは砂地に陰を落とし、確かに月面上に存在していた。古城は四つの塔を持ち、西洋の城に似ているが、かなり古いものらしく、崩れ掛かっている。明らかに月面の自然の産物ではない。ミカは、黒い船のようなダークフィールドは古城から感じなかったが、よい印象も受けなかった。
 那月は話してる間、決して亮と眼を合わせない。ミカは悟った。那月は亮が好きだったんだ。あまり知りたくない事実だったが。きっと異東京の時代から同じクラスで、好きだったのかもしれない。
 那月は、きっと世界の命運がどうのこうのより、亮が天文部に参加した事が凄く嬉しいらしく、それでこんなとっぴょうしもない話をすんなりと受け入れたらしい。ひょっとしたら那月にとっては、世界が一度滅んで再生した事など、原田亮という存在の前にかすんでいるのかもしれない。それよりも遥かに、亮と話をする事ができる事、同じ目的の為に活動する事を喜んでいるらしいことが、それを示していた。
 亮は説明した。
「ヱルは、世界の時空を変える事ができるコンピュータなんだ。こいつにその能力があるのかどうかは分からない。けど、こいつも普通のコンピュータなんかじゃない。ディモンの船が映ったのが何よりの証拠だ。月面に、ディモンの船が映ったという情報はメディアでもネットでも存在していない。おそらくこの天文台だけなんだ。ヤツらは通常の機械では映らないに違いない。それは特殊なシステム、ヱルでしか映らないんじゃないかと思う」
 亮とミカがアメジストの巨大なショートケーキ然のコンピュータを見上げると、那月も素早く追尾して見上げた。
 ミカは、アメジスト色の巨大なショートケーキ型のコンピュータから、生命が持つバイブレーションを感じた。ヱル、DNAを有し、魂を宿したコンピュータだけが持つ特徴だ。だが那月は、ミカの予想を超える反応をした。
「やっぱり……? やっぱりそうなんだ! 実は、私もずっと思ってたんだ。ヱルアメジストが、絶対普通のコンピュータじゃないってこと。ここの天文台はきっと特殊なものだって。私もこの写真、通常の可視光や当たり前の電磁波で撮影したものじゃないって気づいてた。所長から何も聞かされてなかったけど。本当に、世界を救えると思う」
 那月が紫色の巨大ショートケーキを見上げる瞳は、うっとりしていた。
「いくらこれが最先端のスーパーコンピュータだっていっても、現代の科学の水準を遥かに超えたオーバーテクノロジーだって事に、前から気づいてた。大学の人に確認した事はなかったけど。なんでそれが巨蟹学園にあるのか、そしてなんであたしがそれを自由に動かせるのか、偶然な訳がないじゃない? あたし、そんな予感がずっとあったんだ。三人の話で全てのつじつまがあったよ」
「じゃあ、……オッケーって事?」
 ミカは那月に念を押した。
「もちろん! あたしも、本当はこのまま止めるの嫌だったんだ。研究も面白くなってきたところだったし。でもアイさんが突然廃部を言い渡したのも、ちゃんと理由があったんだね。眼からウロコが落ちたよ。私、ホントに誰にも言わなかったんだよ。でも、もしアイさんがこの世界を司っているような人なら、これまでの事、全部納得できる」
 那月はもう、さっきまでと全く違っていた。
「ありがとう。鮎川」
 亮が感謝の言葉を伝えると、那月は一瞬びっくりした顔で亮の顔を見て、その直後目をそらし、急に顔をピンクに染めて、少し微笑みながらコクリと頷いた。世界が滅んで再生したなどという話を聞けば、普通の人なら一笑に伏すはずなのに、那月がこんな非現実的な話をあっさり受け入れてしまったのは、ミカにはやはりその理由はただ一つしかないと思われるのだった。なにより那月の表情が全てを物語っている。
「私はあなたの技術を高く買っている。いずれは任せるつもり。私も姉も、忙しいのでね」
 アイは那月に言った。
「でしょうねェ。人類再生の計画まで担当するなんて、ずいぶんとご活躍だ事」
 ミカはあからさまな皮肉を言った。
「まぁね。何しろ、新世界では人手が足りないのでね。ただし、ダークシップの観測、ディモンの研究と、ヱルアメジストのその他の機能の使用は、決してしないように。それは、あなた達の手に余る、ヱデンの園の知恵の実だから……」
「なぜ、UFOの写真を撮ってはいけないんです?」
 那月は怪訝な顔をした。
「観測したことが収束して、それが実体を持つからよ。彼らディモンの研究自体も、あまり興味を持たない方が得策よ。写真は私が預かるわ。それと、ヱルアメジストは限定した機能しか使えないように設定してあるから、一応自由に使っていいけれど、私が管理している領域は、決して触らないように。------大丈夫だと思うけど一応ね」
 どうしても人間ぽくない印象しかしないが、残されたわずかな人類の代わりのサポートとして、アイが現れたのは確かのようだった。そしていずれは、時空研を再生できる。
 伊東アイと鮎川那月、二人のオペレーションによって、テラ界導入デバイスによる人類の再生がスタートした。来栖ミカと原田亮の身体を眩いスパークが包んだ。それは電流ではなく、強力な二人の霊的エネルギーの実体化というべきものだった。
 当初、二人の記憶から世界を観測しただけでは、ごく一部の人類しか復活は果たせなかった。それがヱルアメジストによってテラ界導入デバイスが稼動するようになると、二人のフィールドをプログラムで増幅することができるようになり、より深い人類意識である集合的無意識層から、人類を復活させることができるようになった。
 十四万四千人の形態形成場を形作ると、二人は最初の一撃を加えるだけで、一度に再生させることができる人数を数百人、数千人、数万、数十万……と、増やしていった。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」。伊東アイの言葉は、聖書の神の言葉そのものだった。中には復活を望まない者も居たらしいが、そうした人達は潜在意識の暗い海の中で眠ったままで居た。二人の秘められた力なくしては、人類復活の事業は到底なしえないのだった。

 町は徐々に賑わいを取り戻していった。学内も、ほぼ通常の生徒数に戻った。テレビに映し出された人の数も、まだ少なかったが以前より増えている。
 それに比例して、町にメディアに伊東アイが溢れ返り、アイを見ない日はなかった。メディア側の力のいれようと言ったらないのである。伊東アイはすべての局をジャックしていた。CM、町中の広告、雑誌の表紙、携帯広告にアイの人形顔が溢れ返り、止まらなかった。
「彼女いつ芸能活動しているんだろ。学校も毎日来て休んでないし、成績もキープしている。その上天文台で人類再生の仕事でしょ? 生徒会長はお姉さんがやってるみたいだけど、猛烈リーマンみたいだよね」
 ミカは呆然とした表情を浮かべて、那月に言うのみだった。那月もその点不審に感じていた。それは、一種の不気味さをも伴うのだった。
 天文台での仕事はほぼ毎日放課後に、一時間程度行われた。
 それが終わるとミカはさっさと下校し、野外ライブに、カラオケに励んでいた。ライブは少しずつ客が増えていた。注意しに警官が来たが、その警官も遠巻きに足を止め、ミカの歌声に聞き入った。それにしても……いつデビューのチャンスは自分に訪れるだろう。考えて答えが出るものではなかった。
 その事についてミカが那月に独り言のようにぼやいていると、那月は決まって、伊東アイなんかよりミカの方が可愛いとか、歌がうまいと言ってなぐさめてくれた。
「いいよ。別に伊東アイと比較してもしかたないから」
 ミカは徹底して無視を決め込んでいるのだ、というスタンスを強調した。
 しかし、こちらが無視したくても、向こうは街に溢れている。学校でも一気に増えた生徒たちが生徒会長を祭り上げ、何かと噂をするので嫌でも耳にするし、毎日天文台で会わなければならない。他の生徒たちは、アイが双子であるという事実を知らないようだった。
 たとえ双子であっても、超人レベルの忙しさだ。一体、これほどの多忙をどうやってこなしているのか信じられないが、そのせいで街でも学校でも彼女の存在を感じない日はなかった。主演ドラマも始まったらしい。
 あちこちにアイが溢れる毎日の中、ふっきるように今日もミカはカラオケ屋に入ってマイクを握った。朝までカラオケの特訓をするつもりだった。ネーナの「ロックバルーンは99」を歌っていると、ふいに画面に伊東アイが登場し、ミカの歌は止まった。
「あぁ-----もう! あんたの顔なんか見たくないのよ!」
 ミカはマイクをソファに放り投げて、カラオケ屋を出た。帰宅すると、ミカは好物の梅のしば漬けをポリポリ食べながら再放送の「新世紀ヱヴァンゲリオン」を観ている。碇シンジの境遇に自分を重ねた。
 CM中何度もアイが登場し、チャンネルをくるくるザッピングしても、アイが出てくるのでとうとうテレビを消した。伊東アイの電波ジャック状態が連日続いている。ベッドに入り、ふとんを頭から被って寝る。
 一時間後、亮からの携帯に起こされた。
「テレビを着けてみろよ」
「もう見たくない。最近テレビがつまらない」
 ミカは枕を抱いてベッドに座りなおす。
「彼女がいつも登場するバラエティーやドラマじゃない、ニュースだよ」
 亮の言う通りに、ミカはしぶしぶニュースを着けてみた。国会で政治家たちが記者のインタビューに応じている姿が映った。赤絨毯の向こうに少女が立っていて、政治家たちは一斉に頭を下げている。その少女は、確かに伊東アイだ。アイは十数人の政治家たちを率いてドアの向こうに消えた。まるで、国会が巨蟹学園になってしまったような錯覚を覚えた。
「何よこれ。伊東アイが……何で総理大臣が伊東アイに頭を下げてんの?!」
「今日だけじゃない。伊東アイがメディアに登場してからというもの、俺はテレビを注意してチェックするようになった。彼女はニュースにもよく出てくるんだよ。ニュースで、政治家や大企業の社長なんかが映ると、そこには必ずといっていいほど、画面のどこかにアイが映っている。アメリカ大統領の後ろに立っていた事さえある。しかし、妙な事に、ニュースではその事に一切触れないんだ。伊東アイが映っている事自体明らかに不自然なのに、わざと触れていないようにも見える。アラブの王様か何かが彼女に、頭を下げているのを見た事もあるし、何か指示らしい事をアイがアメリカ軍の将校たちに話しているところだって見た事がある。一体、何を言っているのかは分からないが、あの話し方、学校での彼女の態度にそっくりだ」
 ミカはテレビをつけてみた。どのチャンネルを変えても、やっぱり歌番組やドラマに伊東アイが登場し、ミカは再びテレビを切った。不愉快というより、不審だった。
「ねぇ亮、あたしさ、ずっと思ってるんだけど、やっぱりこの世界、なんかおかしくない?」
「俺もそう思う。原因は伊東アイじゃないかと思うんだ」
「そう! あたしもそう思う!」
 もしも伊東アイの存在が、自分達の味方のフリをしたディモン幹部の巧妙な侵略だったとしたら-----。その可能性に気づいて二人は口をつぐんだ。

 翌日、那月が二時間目が終わった休み時間に、二人にこっそりと言った事は驚異的だった。
「さっき、もう一度密かに生徒会室に行ったの。少しだけドアが開いていた。そこからちらっと中を覗いたら、三人の伊東アイが座って話してた。顔が全く同じで、もちろん格好も-----。でも彼女は三つ子じゃないと思う。アイさんは、三人だけじゃない。きっともっと何人も居る。だからなのよ! 生徒会長で、アイドルで、どんなに忙しくても平気なのは。世界中のあっちこっちに溢れてるって言ってたけど、始めてその証拠をつかんだわ。私、二人から侵略者って聞いたけど、確かに人間じゃないって事が、改めて分かった」
 伊東アイは、同じ瞬間別の場所に複数存在する事ができる。それは、ドッペルゲンガーとか、バイロケーションと言われている現象だ。同時に、別の場所に存在できることだ。だからこの世界は、アイが溢れているのだ。つまり、アイが生徒会長をやりながら、同時にアイドルをやっているのではなく、伊東アイという存在が多数存在しているということだ。それこそ、世界には何十人、何百人も居るのかもしれない。それは、薄々三人が気づいていた事なのかもしれなかった。侵略者は、すでに地上に溢れていた。
 ミカは、最近テレビのニュースで、亮の言った通りアメリカ大統領が伊東アイに頭を下げているシーンを目撃していた。学園の外にも中にもアイが溢れている。おそらく、学園の外の世界をどこまで行ってもアイが存在するはずである。まるでアイは、世界を構成する細胞や要素のように、いいや、それ以上に。
「あのね、隠してることがあったら正直に言ってくれる。あなた達、双子だっていう話だけど、それじゃ話が済まないくらい世界中にあんたが溢れているのは、一体どーいう事なのよ?」
 ミカは単刀直入に、生徒会室に乗り込んでアイ(姉)に直接訊いた。アイは、青っぽい瞳でじっとミカを見ていたが、答えた。
「この世界でまだまだ人の活動が少ない分、妹が芸能活動で時空を埋めている。そのうち人類が再生すれば、妹のフォローは終わるわ。けど今は芸能活動をして、世界の活動を補完しないといけない。元の時空へと埋めるために、『人』の像が観測される必要がある。それが妹の仕事なの」
 仕組みは分からないが、時空を操作する超人的な作業らしい。とはいえ、ミカはいまいましかった。自分に見せ付けているようで。
「どう考えても妹さん一人で出来る仕事量じゃない。あなたも一緒に芸能活動してるの? いいや、それでも全然足りない----」
「私はこの学園を出ていない。あれは、妹達の仕事よ」
「妹達?」
 アイは頷いた。まさか。
「あんんた達、くくく……クローン-----……」
 ミカは仰け反った。
「ええ、そうよ。因みに今あなたが話しているのは、アイ11」
「き、気色悪い」
 アイを漢字で、「愛」とか「藍」と分けているとかいう話は、フェイクだったらしい。
「一体、何人居るのよ」
「この学園には三人しか居ないわ」
「やっぱり三人居るのね」
「私達は世界に今、三百人存在している」
「さ、三百------」
「『三百伊東アイ委員会』というの」
 ミカはゾッとした。
 宇宙創成によって消滅したままの時空研に代わって全人類の指針と進化計画を研究、企画、実行する後任組織、
「三百加藤アイ委員会」
 は、三百人の加藤アイのクローンによる委員会である。しかし、巨蟹市には数人しか居ない。
「騙したのね?」
「確かに本当の事は言ってなかったけど、あなた達に言っても分からないでしょ? それに本当の意味での双子は、あなた達の方じゃない? オペレーションと世界再生の能力、本当に見事なコンビネーションよ」
 どうやらアイは、ミカと那月の事を言っているらしかった。
「伊東アイ。人間じゃないのね。一体何者よ」
「私はアイ。アイ・アム・ザット・アイ・アム。この新世界の創造主よ」
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