第5話 旧支配者

文字数 5,558文字

「私のシナリオを、また変更しなければならなくなった」
 巨大なミカをじっと見つめるアイ12の右目から涙がスッとこぼれるのを、隣に立っている晶は見て驚いた。
「伊東アイ、あなたは、これを人類に隠していたのね。この力の存在を。フォースヱンジェルの力。人類のヱヴォリューションの始まりを。決して食べてはならないと言った智恵の実。ヴァルキリーは、ミカがヱヴォリューションした姿。それは、人間の新たな力の獲得。人類そのものの進化の始まりだわ。人類の新しい進化に、ブルータイプも、レッドタイプもありはしない。ここから全てが始まるのよ。この宇宙の全てが。ストレートヱンゲージは成功した。私は、ヱヴォリューション計画に成功した」
 人類のヱヴォリューションが完全に起こった訳ではない。そのきっかけにすぎない。しかし、今、ミカの姿を通して晶達は確かに見た。人類が進化に向かって前進した姿を。
「智恵の実を食べて、善悪を知ることは、二元性の罠にとらわれていく事。そう言ったわよね? 極端な思考に囚われ、正しい判断を誤る事。それが原罪。晶、あなたはこれから自分の愚かさを、嫌というほど思い知る事になるでしょう。その原罪によって、人類の苦しみの歴史が始まる。フォースヱンジェル、ヴァルキリーが出現した事は、人類の意識に古い記憶を呼び起こす。ディモンとの全面戦争を------。私が必死に回避しようとしていた戦争を、戦わなくてはいけなくなったのよ。あなたたちは、開示してしまった。これからのディモンとヱンジェルの黙示録を。レッドタイプの人類はブルータイプとの最終決戦、全面対決をしなければならない。それが、どれだけ苦しい困難の道なのか、あなた達はまだ分かっていない。私にはそれが分かるから、ずっと警告を繰り返してきた。でもあなた達は私の警告を無視した。来るべき調和は、ずっと後の事になってしまった。二つの種族が調和に至るまで、長く苦しい敵との戦争を、あなた達は戦わなくてはいけない。古い戦いのカルマのうみ出しの為に。それが、あなた達が今選択した事」
 アイ12の涙の理由は、いつも過ちを選択してしまう人類に対する哀れさゆえ。これから始まる長く苦しい戦いを経て、人類は調和を得るだろう。だがそのリスクはあまりに大きい。何故人類はいつも少女神の指し示すシンプルな道を捨てて、わざわざ苦しい道のりを選ぶのか。伊東アイには一億年以上の歳月、人類を見守ってきて、この種族に対する想い、深い悲しみがあった。

 破壊された白羊市の中心に立つ巨大なミカ・ヴァルキリーの輪郭は次第に薄くなっていった。やがてミカの像はそこから消えた。煙り立つ廃虚の中に、元の等身大のミカが立っている。ミカは元の姿に戻り、服も元のピンクの私服だった。髪の毛も濃いめの栗色に戻り、目も黒に戻っていく。
 ドームを出た晶はミカの元に駆け寄った。ミカはその場に崩れさった。晶は抱きとめた。ミカは晶の腕の中で意識を失い、眠っていた。
「派手にやられたわねこの街。メタルドライバーと、ミカ・ヴァルキリーに」
 これまで、副都心化の再開発が進められて来たこの街だが、メタルドライバーとミカ・ヴァルキリーによる戦闘で、中心部の約一割が破壊された。住人は自動退避勧告システムで、ほとんど避難していたので、巻き込まれずに済んでいる。
「白羊市は武装して、今後、人馬市のような要塞都市になる予定だから大丈夫よ」
 戻ってきた晶は、モニターで街の様子を見ながら怜に言った。
「いつからそんな予定だったの?」
「もちろん、当初から」
「分都計画の?」
「ええ。それに、もうここは人馬市の干渉は受けさせない」
 怜はまるで、最初から晶の思惑通りにシナリオが決まっているかのようで薄気味悪く感じている。

 サンクチュアリ治療センターで眠り続ける来栖ミカは、検査と集中治療を受けている。
「さて、一仕事よ」
 晶はくるりとアイ12の方を向いて言った。
「アイ、あなたの頼みのメタルドライバーは破壊された。改めて、あなたを時空研で拘束させていただきます。怜に頼んで、あなたの造ったヱルゴールドに、あなたを完全に監視し、拘束するプログラムを組んでもらう。……怜、お願いするわよ。彼女が二度と勝手に抜け出して歩き回らないように」
「了解」
 怜は明るい声で返事する。
「分かっているの、私を敵に回す事は、すなわち世界を、この星を敵に回すという事を」
 アイ12は釘を刺す事を忘れない。表情に怒りも焦りもなく悟りすましているのが、いつもの伊東アイらしい。
「今さら私がそんな事を恐れていると思う?」
「忠告するわ。さしあたって、今一番大事なことは、この世界に、ダークフェンリルによる滅亡の危機が迫っている事。あなた達は、私による世界の終焉を阻止したつもりでしょう。だけどそれは違う。ダークフェンリルは、鮎川那月が召喚したダーククリスタルの化身。ダークフェンリルは時間を経るごとに強大化し、やがて世界を滅ぼす。私が行おうとした改変よりも、地球はずっと最悪なシナリオに向かっている」
 晶は、連行されゆくアイ12の後ろ姿をじっと見送った。
 鮎川那月は、その石を、ブルークリスタルと名づけ、やがて「ナツキナイト」と改名した。那月はそれを失った。だが、一度この世界に現れた石は、「持ち主」を求めてさまよう。最終的に那月を想うミカの中から、ナツキナイト、伊東アイの言う「ダーククリスタル」は再度出現した。世界を滅亡させるダークフェンリルという恐怖の姿をまとって。

 晶と怜は破壊された時空戦略ホールのヱルゴールド前で、作戦会議を行った。
「ダークフェンリルもそうだけど、今すぐシャンバラを制圧してアイ1を捕らえて、三百伊東アイ委員会からの人類の独立を宣言しないと、五大時空機関軍が動き出すわ」
 と怜は最初に言った。
「だけどメタルドライバーは、シャンバラに全部で十二機ある事が分かっている。さっきは、そのうちの一機を破壊したに過ぎない。すぐ、残りがこちらにやってくるよ。彼らは、楽園を追放された人間が戻ってきて永遠の実を食べないように、ヱデンを護っているケルビムと炎の輪の剣」
 シャンバラを制圧する前に、残りの十一機のメタルドライバーが立ちはだかる事は確実である。さすがの暴走特急・宝生晶も手がなく冷や汗が滲む。
「私たちに対抗できる有効な武器といっても、あのミカ・ヴァルキリーしかない。だけど、大きな障害がある。ミカは、またヴァルキリーになる事ができるのかしら。もしかしたら一生で一度だけかも。なれたとして、ヴァルキリーってどれくらい維持できるものなのか、果してミカ一人で残り十一機を倒せるのか。戦闘天使。この現象に関して、私たちは何も分かっていない。全てが未知数だよ。もし、到着しても、シャンバラへのアルカナゲートの入口を隠している時空迷彩を暴くのは、容易な事ではない。それは、時空研の時空迷彩の比ではない」
「さっきの戦闘で、メタルドライバーの戦闘能力は解析できた?」
「うん。……ちょっとヤバいわよ。あれは、旧支配者の生き残りらしい」
 開示された時輪経の新しい断章には、三十万年前の時代の情報が記されている。三十万年前に、地球は一度滅んでいるのだ。しかしその時、地球を滅ぼしたのは帝国ではない。それが、「旧支配者」だという。
「ヱルゴールドによると、あいつが、かつて三十万年前のトランセム文明を滅ぼした、旧支配者」
 旧支配者は、たった一体だけで地球を破壊する。
 旧支配者があまりにも危険な存在の為、アイは旧支配者を抹殺し、すでに地球には居ないはずだった。彼らは滅んだので、時輪経オリジナルに「旧支配者」と記されている。そこまでは、以前から知らされている情報だった。だが今、メタルドライバーこそ、旧支配者であるという情報をヱルゴールドは時輪経から導き出したのだ。
「って、あいつら滅んだんじゃないの?」
「いや、滅んでないみたい。どーやらあれが、本当に旧支配者みたいね」
「じゃあアイがシャンバラの番兵として、自分の使役として作り直した。そういうことか。伊東アイ。食えないヤツね。それがメタルドライバーの正体」
 怜は時輪経を立ち上げ、ヱルゴールドの解明した断章をさらに読み上げていく。
「彼らは、トランセム時代に、帝国との戦争の最終兵器として蘇った存在。もともと『ヱル』と同じメタル生命だったけど、ヱルよりも、兵器として特化したメタル生命のようね。当時のトランセム人達が、太古に存在していた彼らを復活させたらしい。トランセム文明にあった五つの都市がそれぞれ作り出し、月との決戦に使った。だけど、あまりの破壊力に、ディモン軍だけでなく、彼らは最終的に大陸を一瞬にして消し去ってしまった。その後、大陸の覇権を掛けてお互いに殺し合った。その時の僅かな生き残りが、来るべき最終戦争に備えて、伊東アイが作り直したシャンバラのウォリアー」
 三十万年前のトランセム文明は、きわめて現代と酷似した文明だったらしい。トランセム帝国は、現代の日本語と英語をミックスさせたような言語を持ち、文化も、ちょうど日本と西洋をミックスさせた、現代日本との共通点が多い文明だった。文明末期の危機的状況さえも今日の文明とそっくりだった。
 二つの時空は、時空を超えて響きあう、共鳴時空と記されている。文化も言葉さえも、オーバーラップしたトランセム文明と酷似したこの現代の時空で、人類はトランセム文明の過ちを繰り返さず乗り越える事ができるか、そのシナリオのために現代の時空は存在している。デクセリュオンはトランセムの首都の名である。同じ魂を持った集団が、カルマの克服のため同じ課題を持つ文明に生まれ変わっていた。その酷似した時空である日本……「デクセリュオン」が再び現れる事を、時輪経オリジナルは予言していた。
「シャンバラの来るべき最終戦争が、この戦いなのかもしれない。そんな、旧支配者が相手とはネ!」
 だが、怜の懸念はそれだけではない。
「問題は、五大機関のここ以外の四つよ。たとえ独立宣言をしたとしても、マーベラル、クローサー、ロンフー、アキナスの四ケ所が、果してどちらにつくのか。委員会と、私たちとね。-----当然の事ながら、時空研の側につく可能性の方が遥かに低い。まずい事に、さっきシステムが破壊されたお陰で、今、時空迷彩が使えないのよ」
 特に、委員会の本拠地であるシャンバラを守るロンフー(龍府)は、中国、東南アジアの時空を管轄する時空機関である。その通常軍だけでも、地球を何十回と破壊できる核兵器を保有していた。ミカ・ヴァルキリーが軍を相手にすれば、人殺しもしなければならない。果たして来栖ミカにそれができるだろうか?
 すでにシャンバラからは、他の四つの時空機関軍に対して、時空研の反乱を阻止せよという指令が出ている可能性が大きい。世界中の軍はもちろん、他のヱルメタルによるヱルゴールドへのハッキング攻撃も、ないとは言い切れない。
 ヱルメタル同志のハッキングは現時点で不可能に近く、メタルドライバーのマニュアルドライブに比べれば、問題にならないくらい能力が劣っている。だとしても、完全にその恐れがないとは言い切れなかった。全く、宝生晶の独立戦争は人類の命運を賭けた無謀なカケだった。
「それに、旧支配者や五大機関だけじゃないわ。さっきアイが言ってた事は正しい。ミカと亮から生まれた鬼子、ダークフェンリルが時間を経るごとに強大化している。あれを放っておくと、世界が滅びてしまう。これが伊東アイを敵に回すって事。大変なのはこれからよ」
 怜は冷ややかな言葉を浴びせる。
「晶……まんまとやられたね……あなたは、時輪ひとみという蛇にかどわかされた、おろかな女。楽園を追放された人間は、その後、原罪によって男は労働の苦役を、女は出産の苦役を負わされた。それだけじゃなく、人類の歴史は苦しみの歴史になった」
 怜の言葉は、自責の念も含んでいる。
「一生に一度の博打よ!」
 という晶に、たとえ自分の方が優秀でも、優等生なだけの自分にはとても真似できないと、怜は思うのだった。
「一度? もう何回博打してるんだか、あんたは」
 その無謀さを、当の宝生晶自身が一番自覚している。
「けど、あたしはあなたに情がある。だってあたしたち、マブ達だよね? こーなったらどこまでも一蓮托生だよ」
 怜はつくづく宝生晶という女の側に居る事が、波瀾に満ちていると思うのだった。こんな時空研などという時空機関に関わっているが、一応常識人として生きて来た不空怜にとっては、宝生晶とつき合う事は常にスリリングだった。だが、それゆえに怜は晶という人間に魅力を感じているのかもしれない。そして彼女と共に行動を取っているのかもしれなかった。
「伊東アイの反撃を待つ前に、独立宣言をし、こちらから攻撃を仕掛けるつもりよ。ミカに全てを賭けるしかない」
 晶は言った。象と蟻が戦うようなものと、当初から分かっている。ミカはまだ治療を受けている。しかもミカが体力を消耗している事は誰の目にも明らかだった。あれほど、莫大なエネルギーを放出した後で、いつ彼女のアストラル波が正常値に回復するかなど、全く不明だ。
「アイ12の現在の様子は?」
「ヱルゴールドが厳重に監視しているわ。どっちにしろ、アストラル通信で本国の委員会と繋がってるけど」
 電話が入り、怜が出る。
「ミカが目覚めた? 了解! 晶、行きましょ」
 怜と晶は、サンクチュアリ治療センターに走った。
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