第8話 羞恥心 サイレント・ストリーム

文字数 8,415文字



 放課後の人類再生計画は休んだものの、夜になってからミカは体調が戻らないまま、真っ青な顔で足を引きずって天文台へゆっくりと歩いていく。アメジストに輝く天文台のドームは、那月の言う通り二十四時間活動を続けている。夜の闇は予想以上に漆黒で、ミカは子供の頃の闇に対する恐怖を思い出す。なんでこんなにざわざわするんだろ。おそらく、ミカの体調が悪い事も関係していた。
 ミカがこれ以上、UFOの撮影に参加する事は危険だった。那月のライフ・フィールド・システムが、ミカにはあまり効果がない事はすでに体感している。また写真を見たら、確実に鼻血を出して気絶するだろう。それでも気になるので、ミカは身体のだるさと格闘しながら、待ち合わせ場所に行った。
 待ち合わせ場所の薔薇園に、まだ亮も那月も来ていない。ミカは腕を組んで、増えていく一方の青い薔薇をじっと見ている。後ろから膝カックンをやられた。ずっこけそうになったミカはくるっと振り返る。
 後ろに、鮎川那月が立っていた。パッツンパッツンの、身体に密着したノースリーブの、高い襟の着いた黒いシャツを着ている。胸元のチャックが下げられ、大きくバストが開き、身体にぴったりフィットした服。白いミニスカートから今迄出した事もないくらい足がのびて、白いヒールの高いショートブーツに達している。制服でもミニスカートにした事がない。結果一番目に着くのが、胸の谷間。
 今夜は完全に九十九センチのIカップのバストを隠していないどころか、見せつけている、とか見えない。上半球が丸見え状態だった。遂にその確信犯めいた魔力に気づいてしまったように、逆に強調していた。だから、ミカは目のやり場に困った。こんなに、胸大きかったっけ? まるで、巨乳のレースクイーン? 女王様? その迫力にはクラクラする程圧倒される。ミカは百六十二センチ、那月は百六十四センチ、おまけにヒールなので、那月はミカを見下ろしている。
 ミカは、呆れながらも黙っていた。ちょっとでも屈めば、ほとんど丸見えである。果してこれが同じ人物だろうかと、ミカは気後れしつつ、那月と向き合った。
「夜でも毎日暑いね! ミカちゃん」
「そりゃ暑いけどさ、あんた、その素頓狂な格好一体……どうかしちゃったの?」
「大学生に見える為に、もっと努力してみたんだけど、どう?」
 大学生に見えるかといえば、そもそもここまでギャル度の高い学生は理工系の巨蟹学園大学では見かけないので、逆に浮き上がって見えてしまう。この大学は、地味な格好をした男女しか歩いていない。
「み、見えるけどさ、胸も見え過ぎでしょ!」
 バストが目について仕方ないチャックの下がったシャツは、Bカップのミカにはうらやましすぎる那月の魅力に、那月自身が自覚している証拠だった。
 ミカは薔薇園を見渡した。気づいたら、青い薔薇は全体の三割近くにも増えていた。
「どうして短い間に青い薔薇がこんなに……」
 ミカは不安げに薔薇園を見ている。鈴虫の鳴き声が静かに響いている。
「短い期間に突然変異を起こしたんだよ。おそらく最初の一つがトリガーになって、連鎖反応を起こしたの。そして一定の数を超えると、臨界点を突破した。本当に素敵だな! 凄くきれいよね」
「でも、なんだか気味が悪い」
「えっ、そんな事ないよ。何でそんな事を言うの? びっくりする。青い薔薇だよ? こんなに美しいものが世界に他にあると思う? 世界でここだけなんだよ?」
「だって、急にこんなに増えるなんて」
「きっと何かの必然なんだよ。別に心配しなくても、いい事が起こる予兆だよ」
 那月は青い薔薇が増えることにうっとりとしている。
「ミカちゃんはおうちで休んでていいんだよ……。昼間も体調悪かったし」
 モシカシテ迷惑?、とでも言いたいのかとミカは疑心暗鬼になった。
「う、ううん全然平気」
 ミカは強情に参加すると言い張った。ミカには、那月と亮を二人っきりにさせたくないという気持ちが、急激に沸き起こった。
「でも顔色凄く悪いよ? 薔薇より青いくらい。よかったら私と原田クンでやるよ。ミカちゃんはゆっくり家で寝てなよ」
 案の定、那月は休む事を強く勧めてくる。
 確かに、UFOの写真をチラリとでも見ればぶっ倒れそうな感じなのは事実だった。
「だからホントに大丈夫たってば……そんな事より、あんたの格好、何とかならないの? 幾ら大学生に見えるためだっていってもやりすぎだよ」
 女は魔性だというが、こんな那月を見るのは正直ミカにとってショックだ。ずっと、ミカが那月に抱いていた「どうして自分の魅力に気が着かないんだろ」という苛立ちが、いざ変身した彼女を目の前にした時、ショックと焦りに変わっている。以前は確かに変わって欲しいと思っていたが、ここまで変わって欲しいとは思ってなかった。
 那月はミカよりも遥かに、大人びた雰囲気を漂わせている。二センチ背が高い事も、胸が大きい事も、冷静で適格な判断をする知性も、ミカのコンプレックスをますます募らせる。そして那月は今、亮と自分にもないような「天使」としての力を覚醒させて、世界救済の問題に取り組んでいるのだ。鮎川那月は眩しすぎるほどの輝きを放ち、そのオーラが周囲を明るくしているような錯覚をミカに起こさせた。太陽を直視したように、眼を開けてられない-----たいていの男なら一発でノックアウトされるような美女に変身した那月。
「おかしい? おかしくなんかないでしょうミカちゃん」
「おかしいわよ! だって今まであんたそんな格好した事なかったじゃん!」
 体調が悪くて、言葉に余裕がなかった。三人でUFOの写真を撮り始めてから、ミカは低調に、那月は逆に快活になっていくようだ。そして那月は夜の方が生き生きとしている。
「ミカちゃん、十七歳って女の子にとって、人生でとっても大切な時期だって言ったの覚えてるかな。あたし、今迄ずっとミカちゃんに憧れてた。『美少女の天才』って言われてたし、よくスカウトされるし、アイドルなんかにすぐなれるようなミカちゃんみたいに、かわいくなれたらいいなぁって思って、いつも気後れしてたんだ。……でも、最近気づいたの。あたしはあたしだって事に。今迄自分が抱えてた肉体的コンプレックス、性格のコンプレックスも、そんなの、全部間違いだったんだって。そんな悩みはゴミ箱に捨てちゃえばいいって。あたしは、自分自身の本当の姿に目覚めたんだ------。あたしの身体は、コンプレックスじゃない、逆に、自信持つ為に生まれてきたんだって。今では生まれついての自分の個性だから気に入ってる。今迄ずっと気が着かなくて、勘違いしてて-------自分をさげずんでたのかもしれない。でもそんなんじゃいけない。……そうよねミカちゃん。世界が生まれ変わったんだから、私も生まれ変わらなくちゃいけないんだよ」
「那月好きなの? 亮の事」
 聞きたくなかったが、ミカは思い切って聞いた。
「うん。そうかも。気付いてた?」
「だって分かりやすいし」
「ミカちゃんも原田クンの事好きなんでしょ」
「えっ? う、うん」
「わたしだって分かるよ。でもミカちゃん、いつまでも原田クンが好きで居てくれるとは限らないかもね」
「那月……何言って」
 ライバル宣言! 那月は恐ろしく自信に満ちた表情に見えた。那月には勝算があるというのか?! こんな展開全然予想していなかった。コトモアロウニ、超奥手で温厚だった親友から、恋の挑戦状を叩き付けられるとは……残酷な運命ではないか。
 那月はちらちらとミカの身体を見て言う。
「ミカちゃんももうちょっと頑張って育んだ方がいいよね。あ、そーだぁ! 納豆とか豆腐をいっぱい食べなよ。大豆のイソフラボンが女性ホルモンと似た働きをするんだよ。もっともあたしは、こないだ納豆三日連続で食べたら逆にブラがきつくてきつくて大変だったけど」
 フン、どうせ私は幼児体型よ。
 嫌な沈黙が流れる。こんなムカつく女じゃなかった。てゆーか、別人。
 遅れてきた亮が、背を丸めて体調の悪そうなミカを一目して、心配して言った。
「来栖。とても立ってられる状態じゃないじゃないか! 無理して参加しない方がいい、ダークシップの写真はしばらく見ない方がいい」
「いやよ! 私絶対やる。私だって、侵略者がどうなったのか知りたいんだから。--------地球がどうなるか分からないって時なのよ。敵だって出現して、学校やそこいらをうろついてたんだし」
 ミカの剣幕に二人は黙った。
 もし那月が亮の好みで、亮が巨乳好きだったりしたら、ミカには全く勝ち目がない。それを知るのが怖かった。今夜、那月と亮を二人きりにするのは、危険だ。
 改造されたプログラムで月のダークフィールドを消去した写真を見て、亮は昨日よりずっとダークフィールドを感じなくなったと言った。だが、ミカはそれを見て相変わらず吐き気を覚える。しかし、那月に悪いと思ったし、悟られたくないと思って、黙っていた。
「見せてあげる」
 な、何を?
 那月は、カバンの中から大切そうに青い半透明の結晶を取り出した。結晶から、スイカのような香りが漂ってきた。良かった……胸ではなかった。
「この結晶、昨日、二人が帰った後、月の古城を観察した時に突然出現したの。わたし、ブルークリスタルって呼んでる。きっと月から現れたエネルギーで生まれたんだと思う。昨日は、この石に月のエネルギーを蓄積してたのよ。これを使えば、もっと二人のエネルギーを増幅できるかもしれないよ! もちろんわたしの分も」
 ミカが驚いていると那月は微笑んで、望遠鏡から出現したという青白く輝く結晶を掌の上に乗せて、色々な角度から眺めている。
「変な事言うみたいだけど、私はこれ月から来たものだと思ってるのよね。たぶん、月の石なのよ。月そのもののパワーが凝縮されたように感じる。この結晶をコンピュータで分析すると、物凄いエネルギーが検知されるんだよ」
 那月は熱弁を振るった。
「月の石ですって」
 ミカは、その青白い結晶を長く眺める事ができなかった。確かに強烈なパワーを感じる。だがそれは、吸い込まれそうな一種のブラックホールのような力だった。この石の持つエネルギーがネガティブなものなのか、それともポジティブな方向性なのかはっきり分からない。
 那月は望遠鏡に「月の石」を置き、月のエネルギーを採取し始めた。
「わたしね、ヱルアメジストを使って、月の石でもっと自分の能力を高められると思ってるの。伊東アイさんと同じくらい高めてやるんだ。この石とヱルアメジストが、わたしを根本的に生まれ変わらせてくれるような気がする。なんて素晴らしいのかな、世界って。ヱルアメジストになら、それが可能なの。これはアイさんか、わたしでなければ使いこなせない。わたし、このコンピュータの事、絶対的に信頼してんのよね。そしてこれを使えば、きっと、ディモン軍にも勝てるんだ」
 やばくない? ミカには那月の言っている何もかもが不安だった。
「本当にそんな事して、大丈夫なの?」
 本当にこれが親友の那月なのか、とそれが心配だ。
「もちろん。------今更何心配しているの? ミカちゃん。大丈夫だよ。昨日の私の力を見たでしょ? 実は前にね、凄い事があったんだ。いろいろな時空の存在たちが、ヱルアメジストを通して、あたしに語りかけてきてくれて。みんな期待していたんだよ! あたし、どこまでも前に進むしかない。もう後には引き返せない。このコンピュータも、きっと時空研のヱルゴールドと同じ事ができるに違いないし、あたしにとっては、こうなることは必然だったんだよ」
 ミカは宇宙を再生させる時に、十二個に分裂したアメジストがこの一個だという確信を持った。ひょっとしたら、那月にはやれるのかもしれない。そして、ヱルゴールドにおけるメインオペレータが不空怜であるように、那月はヱルアメジストと特別な関係がある……。それにしても、那月はヱルゴールドと特別の関係を持っているミカに対抗しているように、ミカには思えた。
「私たちが巨蟹学園の時空から出られないっていう話だけど、そうすると、望遠鏡だけが、この世界の『外』を眺められるんだ……。そうに違いない。学園の時空は、アイさんが支配している。でも、なぜ天文台の中だけ、自由な活動ができるのかなぁ? 生徒会の人たちはここに入れない。それは、結界を張っていたっていう、時空研みたいに。地球を侵略者たちの攻撃から守る為には、絶対負ける訳にはいかないよね!」
 那月は異様なまでの正義感に凝り固まって、ディモン打倒に執念を燃やしていた。ミカは那月が当初、この途方もない世界の運命の問題をすんなり受け入れたのは、亮に対する想いがあったからだと思っていたが、それだけではなかったらしい。那月はそれ以上に、侵略者への敵愾心を燃やしている。以前はおどおどとして静かだった那月が、ここまで闘争本能を目覚めさせるとはミカは思ってもみなかった。
「那月、そんなに前屈みになったら胸が見えるってば」
 主張する那月は、向かい合う亮とミカに、顔を近付けて、前屈みになっている。見せつけるように。右の胸の上部に、小さなホクロがあった。
「胸、大きいんだね……鮎川」
 亮が戸惑って反応したので、ミカはキッとなった。
「前はこれが凄く嫌だったんだけど。服が選べないのよね。バストに合わせるとダボダボになって太って見えるし。かわいい服はみんな胸がきついし。肩は凝るし、男にジロジロ見られるし。すれ違う時、チラッと見る人、凝視する人、粘々した視線を這わせる人、びっくりした顔の人……。何より、馬鹿だと思われるし。本なんか読む訳ないって思われたり。だから頑張って勉強したよ。でもそれがわたしなんだから、今は自分で認めるべきだと思った。一応、Iカップあるの。愛情たっぷりの愛カップ。まあ……私がスーパーカップなら、ミカちゃんはコーヒーカップってところかな。アハハハ、ウケる」
 と、那月は調子に乗っている。彼女の羞恥心は、一体何処へ行ったんだ?
 コーヒーカップって……どぉなのよ?! 那月はIカップ、ミカはBカップしかないから、その差は歴然。どうしても、ナイスバディの那月より、自分の方が明らかに子供っぽいではないかッ。ミカはますます焦りを感じた。
「ミカちゃんかわいいでしょ、私の自慢なの。もうミカちゃん大好き、歌手目指してるんだよ」
 那月は何だかはしゃいでいた。
「あ、でも声優だったらすぐなれるかも、アハハハハ! アハハ……」
 と那月は笑ってミカのアニメ声をネタにした。それは前宇宙での、ミカのソプラノ歌手として高い評価につながっていたのだ。だがこの世界では……。那月、悪のりしすぎ……。ミカはもう身体がだるすぎて那月に張り合う気が起こらない。
 ミカは再び、自分の女の子らしい顔つきやアニメ声が、大人びた那月には勝てないと思ってしまうのだった。そんな事をもやもや考えていると、何か声にして話すことさえもおっくうで、どんどん気持ちは沈みっぱなしで、一時間も経過すると、すっかり意気消沈した。亮が、こんな子供みたいな自分じゃなくて、那月のような子が好きだったらもうお終いだ、というセリフのリフレインが頭の中で叫んでる。いいや、自分なんかよりきっと那月の方がいいのかもしれない。自分なんか……ドーセ……亮を振り向かせる魅力がない。全く西新宿摩天楼の屋上に佇んだあの日のネガティブ・ミカが復活している。
「でも、実を言うとさ、あたし、せっかく那月が解析し直してくれたUFOの画像、今夜も駄目で……」
 ミカは、元気がないことを心配した二人に打ち明けた。
「本当に……そんな筈ないんだけどな。じゃあ、やっぱりミカちゃんは休んでたら?」
 ミカは首を横に振った。かんばる、と言って力なくガッツポーズした。
 那月は少し黙っていたが、また口を開いた。
「聞きたかったんだけど、もう一度、今ここでキスしたらどうなるんだろう?」
「え?」
 顔を合わせるミカと亮。今までそんな事、考えてもいなかった。
「もう一度、世界を変える事ができるのかもしれないよ!」
 那月は嬉しそうに笑った。案の定、那月が二人の話でもっとも食い付いたのは、ミカと亮が、キスをした事である。そして、二人がキスをした事により、世界が変わってしまったという事実。
「もしかして、もしかしてミカちゃんだけじゃなくて、原田君とキスした女の子は、何かできるのかな? ミカちゃんにできるのなら、もしかして、あたしにもできるのかもしれないね! ヱルアメジストを使って……なんて、冗談だよ」
 それが那月の目的に違いなかった。ミカは今や、黒いUFOの大軍の事よりも、那月が美しく変貌した事、そして亮に対する情熱へのショックしか頭になかった。ミカから見ても、那月は驚く程美しく妖艶に生まれ変わった。妖艶さなど、ミカには無縁なこと。ミカは、この感情を自分の中でどう処理すればよいのか分からない。
 唯一の親友と、亮を奪い合わねばならないのだろうか。そんなややこしい事、これまでだったら絶対起こるはずがなかったのに-------。超奥手の那月に限って、そんな事ある訳がないはずなかったのに。もはや世界の運命より、那月との関係が心配だ。
 一方の那月は、いよいよ意気軒高だった。手製のゴージャス・サンドイッチをつまみながら、青汁よりも青いジュースを飲み、コンピュータがデータ処理中の間、外へ行って、シャドーボクシングをしている。
 その夜、写真の中に無数の黒い船が映し出された。ミカは無理して画像を見て、そこに混じるダークフィールドを直撃した。いくら変換してもミカには無駄な事だ。ミカは、目眩と共に、倒れ、そして鼻血が出た。
 まーっかーに流るるー、ボクのちーしーおー。
「だから言ったのに……ミカちゃん、無理するんだから」
 という那月の声を遠くなる意識の中で聞く。
 しかし那月は、倒れたミカを医務室に連れていって看病した。那月にはヒーリング能力が備わっていたからである。
「後の事は心配しないでね。私、もうちょっと写真撮ってみるから」
 ミカは那月に返答もできないくらい青ざめていた。那月と亮を、二人きりにさせたくない……。だが、立ち上がることも不可能なほど、気分が悪い。
 那月はなぜか、ミカの赤い鼻血の着いたティッシュをじっと見ていた。
「何、どうかしたの?」
 ミカは、那月が妙に自分の顔を見ているので聞いた。
「ううん……」
 那月はゆっくりと顔を反らした。

 那月はそのまま再び目を瞑ったミカの隣で、ミカの赤い血をじっと見た。那月は舌舐めずりした。飲みたくなった。那月は眠るミカの血をこっそりと舐めた。とたんに気分が悪くなって、トイレに走った。那月はゲーゲーと吐いた。
 那月は鏡に映った自分の顔を見てぎょっとした。犬歯の上二本が伸びている。
 それだけではなく、再び身をかがめると、那月はまるで急性アレルギーが起こったように、ひっくりかえり、のたうちまわった。
「那月? どこ」
 ミカは那月が居ない事に気が着いて、よろよろと立ち上がり、トイレに向かった。
「大丈夫?」
「何でもない。だ、大丈夫だよ」
 とうてい大丈夫そうではなかったが、那月は鏡の前で振り返り、微笑んで返事した。ミカはそこで再び立ちくらみに襲われた。
「ミカちゃんは寝てなよ。じゃあ、戻るからね」
 那月は微笑んで天文台に戻っていった。
 たった一人で残されたミカは気持ちがどんどん沈んでいく。

 亮は研究室でUFOを見続けていた。そこへ那月が戻ってきた。
「来栖は?」
「大丈夫。今、ベッドで休んでるよ」
 那月は亮の隣に座った。
「大分月が欠けてきている」
「もうすぐ新月が近づいているからね。昨日の満月は、一つ残らず偽の像だったんだ。ちゃんと写真を撮れるのも、今日入れてあと三日くらい。その後しばらく、月がまた見えるようになるまで、写真は撮れなくなっちゃう。UFO、月面でないと多分うまく撮れないと思うのよね。しばらくミカちゃんには休んでもらって、私たちだけで月が見えなくなる迄、UFOの監視続けましょ」
 那月は嬉しそうにイキイキとしていた。
「あぁ、分かった」
 亮に異論はなかった。
 夜闇がますます深まる一方で、大学の中にポツンと置かれたダークエッグが、再び青白く発光し始めた。
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