第11話 置き手紙

文字数 5,046文字

 ミカは日が沈むまで、那月の家のあった近くの川の土手に座り込んでいた。晶から「まだ調査を続ける」という連絡が来たが、ほとんど無言で携帯を切った。晶たちも手がないらしい。ゆっくりと立ち上がり、病院への道のりを戻っていく。しかし那月の病室へ戻っても、もう、那月の居た足跡は消されているだろう。ミカは黙って夜の病院を見上げ、立ち止まる。晶はミカのために動いてくれている。だけど晶には那月の記憶がない。亮には……連絡する気が起きない。
 携帯が鳴った。ミカはハッとした。那月の番号だった。
「那月、那月ィ!」
 相手は無言だった。かすかに、人の声が聞こえる。どうやら通行人の声らしい。ミカは、ナビ装置を使って追跡する。那月は巨蟹学園大学の中に居る。話し声はきっと通りかかった大学生のものだろう。足早に大学に向かうと、那月が居るのは、あの真っ青になった薔薇園だった。
 那月が愛した青い薔薇を最初に見つけた木陰の辺りに、プラチナカラーの那月の携帯が枝にぶら下がっている。ミカはほっとした。那月がこの世界に居た証拠がまだ残されていた。自分の携帯を確認すると、那月に関するデータが再び残されていた。那月の携帯に手を伸ばし、薔薇のトゲに指を引っかけた。
「痛ッ」
 人差し指から赤い血が流れる。
 那月の携帯は、タイマーがセットされていて、自動的に電源が入り、ミカの携帯に電話される仕組みだった。そういえば那月は、病院で携帯を持っていなかった。きっと那月は、正気な内にこの場所に携帯を隠しておいたのかもしれない。そしてミカに発見させるつもりだったのだろう。
 携帯の中には、ミカと那月の写真がたくさん残されていた。沢山。沢山。こんなに沢山の写真。それを那月は消さずに最期まで大切に持っていた。ミカの目に涙が溢れていく。那月はこの新世界で最初に、ミカと一緒に毎日放課後に巨蟹市の商店街で食べ歩いた時、嬉しそうに沢山の写真を撮っていた。ミカは、どうしてこんなに沢山撮るんだろう?と、不思議に思うくらいだった。もしかして、自分が変わってしまう事を予感していたかのように。「ミカちゃん」というファイルの中に入れて、那月はそのすべてを保存していた。
 携帯のメモの中に、いつ書いたのか分からない那月の詩が残されている。

 階段をステップする
 右足を前に突き出して
 左足は地面を踏みつけて
 ダダダと駆け上がる
 君のドアをノックするあたし
 飛んで跳ねてまた下がる
 両手を波打つ胸に当てながら
 上がって下がってまた上る
 足取りが重くなる
 ドアが段々近づいて
 また私は戸を叩く
 あぁ、あなたでしたか
 君はポンと私の肩を叩いた
 君の世界と手をつなぐ

 ねェ、キスして?

 目を閉じ、再び開けると
 鏡に映した右目は青い
 燃えるような瞳はガスコンロの青
 天才少女が創った盆栽箱庭宇宙
 パラダイスの
 青いリンゴと赤いリンゴ擂った
 ジュースをマドラーで
 まぜまぜ飲んでみた
 禁断の果実 アップルン
 さぁ触れてごらん
 とっても柔らかいんだよ
 さぁもう一口 上目づかい

 ねェ、一緒にいこう?

 堕ちていく宇宙の力
 明滅する光と影
 だけど、今は眠らせて
 私は静かに目を閉じる
 夜明け前がもっとも暗く
 そして朝を迎える

 ねェ、空ってこんなに青いんだよ

 青い薔薇は散っていた
 枯れてもまだ生きている
 りりしい生き物
 いつだって愛してるよ
 闇夜の中の光の一点
 はじけて飛んだ
 キラキラキラキラ
 お前はキレイだよ

 机に落書き 卒業生の証
 昨日縫い直したスカートの裾
 ピンクの便せん 青いボールペンの文字
 進化のステップ踏んで
 行きつ戻りつ 踊り場ダンス
 下がって上がってまた下がる
 君のドアをノックするあたし
 青い瞳で覗いてみると
 鍵穴の向こうは暗くて見えない

 ミカは泣けてきた。まるで置き手紙。まるで、恋の告白。
 ミカはまた那月の携帯の中に、ミカ宛の未送信メールがいくつか残されていることに気づいた。悪いと思いながら日付けを確認すると、那月が月の石を発見した夜から、ミカと対決した日にかけてのメールだった。

「毎日、闇に乗っ取られている時間が長くなっている。正気の間が僅かだ。早く、何とかしないと、闇がわたしの心を乗っ取って、わたしのレゾンデートル(存在理由)が入れ替わってしまう。そうなったら、ミカちゃんと原田クンに申し訳ない。何とかしないと」

 それは那月が、完全なディモン・スターになる前に書いた日記のようにも思える。那月は自分の中で暗黒が広がっていくのを自覚し、そして、本の自分の心が押しつぶされていく中で、そのことに苦しんでいた。那月は冷静な態度でその事実に気づいていたのだ。

「……血が青い。大学の薔薇の色みたいに。青い薔薇の増殖は、私の心を表わしている。今朝は、鏡を見ると犬歯がまた伸びていた。毎日、私はまるでカフカの『変身』のような気分を味わってる」

「闇の心が、わたしを原田君の事でミカちゃんへの憎しみに駆り立てる。ミカちゃんを傷つけたくないのに。ミカちゃん。ごめん。本当に辛い」

 那月は結局、このメールをミカに送る事はなかった。またこの悩みをずっとミカに話さなかったし、おくびにも出さなかった。必死に隠し、一人で苦しんでいた。そして那月は自分で何とかしようと思っていたのだ。だが……。

「わたしは勝てなかった。平行宇宙から来たディモン・スターの私はいつかミカちゃんを殺そうとするかもしれない。だけど、わたしの親友。誰よりも大切な友達だってこと、いつか分かってくれるかな」

 その書きかけの一文が、最後の日の日付だった。闇の心が元の彼女を圧倒し、乗っ取った日。ダークフィールドの心が勝って、本来の鮎川那月の心は消えた。しかし本当の那月は、ミカを殺そうと思ってはいなかったのだ。那月は最後まで、ミカをかけがえのない無二の友達だと思っていた。思おうとしていた。
 鮎川那月は、ミカと亮に悟られずに、最後の瞬間まで、元の自分と、ダークフィールドに侵食され、変わってしまった自分と激闘していた。それは那月の強さであり、優しさだった。本来の優しかった那月は苦しみ、ミカを思いやっていた。自分の亮への思いのために、ミカを傷つけようとする自分に苦しみ、ミカを傷つけたくなかったと。必死に……。そんな姿を那月は二人におくびにも出さなかった。そんなところはずっと変わらない。強くて聡明で、那月は優しさを持ちづけていた。那月がそこまで頑張ったのは、亮への想いもあっただろう。だが、地球を救いたいと思った彼女の純粋さ、ひたむきさがあったのだ。ミカは泣いた。
(那月がこんな事になったのはわたしのせい。わたしがもっと守ってあげられたら。どうして気付いてあげられなかったんだろ。どうして守ってあげられなかったんだろ)
 那月は本当にいい子だったのに!
 孤独の闇がドロドロと来栖ミカに押し寄せてくる。

 ミカは帰宅し、部屋のベッドに棒のように倒れこむと、うずくまった。孤独な時の、いつもの夕闇の学園祭で、ただ一人ベンチに取り残されている自分の姿が浮かんできた。同時に寒さが襲う。涙が止まらない。ミカが小さく丸まって泣き続けていると、ベッドの脇に、守護天使が立つ、赤色の気配を感じるのだった。
「いつまでくよくよしている。時が迫っているのだぞ。戦闘訓練を開始する。立て、そしてさっさと修行場へ行け!」
 守護天使の非情な声がミカの心に響いてくる。
「そんな気分じゃない!」
 ミカは霊の顔を見ずに怒鳴った。
「また泣き言か」
「うるさいな! 消えてよ」
「お前は、ただ泣いているだけなのか? 渋谷で、お前はあの時……! わたしに答えた。その言葉は、まるっきり嘘だったのか?!」
 ミカの守護天使は、いつも一本調子なやり方しか知らない。ただただ真直ぐにガンガン押してくる。その不器用さはミカに似ているのかもしれない。ただ、ミカは自分はこの守護天使みたいに、いかめしくもないし、恐ろしくもないし、男っぽくもないと思う。かわいさの微塵もない、女性らしさのかけらもない守護天使みたいになんかなりたくない。今は何もかも、気持ちが空回りしている。守護天使との、スポ根ドラマみたいな特訓なんかする気分じゃない。
「力を取り戻す事は、お前が前世で、私と約束した事だと言っているだろう!」
「だからそんな約束、あたしした覚えないから! あんたが作ったでたらめな話をしてるだけでしょ!」
 傍から見たら、きっとミカが大きな声で一人事を言っているように聞こえる。
「わたしはお前との約束を守るために、何としてもお前を鍛え上げる。お前が自らのエネルギーを活性化させるには、残された時間は後僅かと言ったはずだ! 今来ているグリッドの周期はわずかなチャンスだ。この期を逃せば、お前のエネルギーの活性は遥か先の事となり、今でなければなしえないこの貴重なチャンスに、お前が『戦闘天使』として目覚める事ができなくなる。さぁ立て! 今すぐ立て!」
 ミカは無性に腹が立ってしかたない。ミカは守護天使と真っ向から対立しようと思った。
「冷たいよ! どうして優しくしてくれないの!」
 ふくれっ面もかわいさの一つのミカだったが、ミカは寂しくて、ケンカ相手を求めているのかもしれない。
「これでも私は優しいつもりだぞ。それとも、私を本気で怒らせるつもりか? とっとと修行場へ行け、行くのだ!!」
 その手にはもう真紅の槍が握られていた。
「あたしが今どんなに傷ついてるか分かるでしょう、あんた幽霊なんだから。幽霊なら、心くらい読めるはずでしょ。私は大切な友達を失ったんだよ! こんな日くらい放っておいてくれる!」
「立て! 立ち上がれ! 来栖ミカ!」
 いっそう怒号が大きくなった。まるで雷のように。だけど、この声は下の家族には聞こえていない。
 信じらんない。頭がイカれている。こんなしつこいヤツにつきまとわれるなんて。
「あぁもう、うるさいな……」
 ミカはメラメラと燃え上がる怒りを感じながら立ち上がった。いますぐこの霊をここでぶっ倒してやろうか……。両手のこぶしは固く握られ、今にも猛獣のように守護天使に掴みかからんばかりで相手を睨みつけた。が、実家を破壊するだけのことだ。
「後、一歩のところなのだ。後一歩で、臨界点を突破する。だが、多くの者は、そこで引き返してしてしまう。もう少しであるというのに。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。しかし私が引き受けたからには、お前に対して決してそうはさせん」
「あたしを怒らせて、やる気なくさせてんのはどこのどいつよッ!」
「戦士の情熱の焔は、燃えながら冷静さを保つことに特性がある。戦士はどんな時にも、自分の感情におぼれたりはせぬ。自分の状況を的確に、距離を持って見つめることができる者のことをいう。だから戦士なら、何があろうと! 何事も成長の糧にすることができる! お前はまず、不十分な想念をコントロールする技を獲得しなければならない。来栖ミカよ、常に戦士たれ。お前と私の約束、それは伊東アイ、あの女の支配を超えること。そのためには、お前の覚醒が必要不可欠だ。来栖ミカ、お前はまだ戦士になりきっていない。だが戦闘天使として覚醒した時、お前は私に感謝するだろう」
 厳しいけどミカを決して見捨てない。絶対孤独にしてくれない守護天使。
「今日の事、後で許さないから! 覚えといて!」
 ミカは窓から飛び上がる。守護天使との訓練場の解体現場へと向かうために。
「その気持ちで私に向かって来い! まだお前にはその意気がある……」
 守護天使との特訓だけが、一瞬苦しみを忘れさせる。たとえ兄弟喧嘩のように守護天使とケンカしても、今のミカには守護天使の気持ちもよく分かっている。
 強くなってみせる……伊東アイを倒すくらいに。結局あいつがディモン・スターじゃなかったとしても、世界の支配者だろうと、何だろうと、人馬市を操り、那月を抹殺した事は事実だ。そんな横暴、決して許せないッ! 世界の支配者なんかいらない。そして彼女を止めることができるのは自分だけだ。守護天使との特訓で力を着けて、絶対に伊東アイを倒してみせる!
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