第9話 不空怜の秘密

文字数 5,081文字

 白羊基地の地上のユートピア棟の中に、不空怜の寝泊り用の部屋があった。怜は、他にマンションを持っていたが、ほとんどはここに寝泊まりしている。無論、基地の関係者以外入る事ができない建物だ。夜十時、晶は怜の部屋を訪ねた。
「はぁーい。入って」
 中から怜の声がする。ドアの自動ロックが解除される。晶はドアを開けて、ダイニングキッチンから奥のリビングへと通じる廊下を歩いて覗き込む。全裸の怜がパソコンを操作していた。グラビアアイドルのような均整の取れた引き締まったボディー。そして髪がまだ濡れている。ブローもしないで熱中していたらしい。怜は外見は女の子だが、中身は完全に男っぽい。男っぽい外見に、しめっぽい女の中身を内包する晶と正反対。
「まっなんて格好? 服を着なさいよ」
 晶は呆れる。一度ではなかった。以前にもたまたま、部屋で裸のまま居るところに晶は訪れることがあったので、晶はそんな怜を「不空原人」と呼ぶ。
「ああーごめんごめん。シャワーから出るとそのままコンピュータやってて、どーしても時間が経っちゃって」
「もう、獣じゃないんだから。人間らしく羞恥心ってものを持ちなさい。イチジクの葉っぱでも何でもいいから着けなさい」
 実は怜は、自分の部屋でシャワー後、こうしてほとんど裸で暮らすことが多い。人が来る時だけ、服を着るのだが、今日は油断した。怜は、Tシャツとホットパンツ姿になった。
「風邪ひくよ」
「ヘヘヘ」
 どうやらシャワーの前後に、洗濯物も洗っていたらしい。一か月ぶりに片付けたという、山のように洗った洗濯物が積んであった。実は怜は煙草を吸う。自室の中だけで地下基地などでは絶対に吸わない。そして怜は片付けが苦手だ。一か月たまった洗濯を一気に片付け、自分が成し遂げた大事業を眺めてゆっくりたばこを味わう。
「差し入れ。ほらっ、持ってきたよ。あんたの好きなパソコンソーセージ」
 晶はテーブルの上に、ベーカリーのパンと缶ビールを置いた。当然、自分の分の飲料はクリスタルガイザーだ。パソコンソーセージとは、怜がいつもそう呼んでいるニックネームのパンだが、正式名は他にあるっぽい。ノートパソコンみたいな形をしたパンの中にソーセージが入っている、近頃の怜のお気に入りである。
「おっサンキュー。最近街に行けなくてさぁ。久々だよ。あっ別の種類のがある! 何これ?!」
「味違い」
「スゲー!」
 怜は赤い色の新商品の「パソコンソーセージ」をしげしげと眺めて、大きな口を開けてうまそうに食べる。
「おいひぃ~」
「まだ作業してるの?」
 晶は怜の端末を覗き込む。怜の端末はヱルゴールドと繋がっている。
「うむん。部屋に帰っても仕事しないと進まなくてさぁ。半分趣味だけど。でもお陰で、ブラッド・スペクトル分析、よーやく見えてきた。まだ研究中だから、具体的なもんじゃないのよ。でも、おおまかな事は分かる」
 怜は、古い日活映画に登場する悪役みたいな笑顔をした。
「やっぱり居るのかしら? ブルータイプは」
「居るわよ。紛れ込んでいるわね。どんなに進化して、他のヱルメタルはごまかせても、ヱルゴールドはごまかせない、絶対にね」
「人種や性別とか、何か共通点は?」
「いいえ、まったく関係ないわ。遺伝的特徴、性別、年齢、身体的特徴でも地域でも、文化的なものでもない。データ上に出現するのは、世界中のあらゆる所に散らばっている、完全にランダムな存在よ。そうとしか言い様がない」
「どれくらいの頻度で?」
「統計的に一%が、残りの九十九%と違った周波数を持っているわ」
「そう。やっぱり彼らは侵略者なのかしら」
 晶は不安げに聞く。
「そこまではまだ分からないわね。ただブルータイプっていう存在が居る事だけは、確証を得た。それが『汚い血』なのかどうか、ヱルゴールドは結論を出していない。でも、まだこれからよ。これから、全人類の個人データを洗っていかなければならない。まだまだ時間が掛かるわよ」
「そっちは何? ブラッド・スペクトル分析じゃなさそうね。新しいプログラムでも作ってるの?」
 晶は他のモニターを覗き込む。
「ばれちゃったか。これ、ディモン・スターの数式よ。ヱルゴールドがダークフィールドの帝国の数式を解析して、ついさっき導き出したのよ。それで着替えるのも忘れてさ」
 怜はイタズラっ子のような顔をした。
「ちょっと待ちなさいよ、怜、伊東アイからディモン・スターの研究はするなと言われているでしょ。あなた部屋でこっそりこんな事やってたの」
 晶は唖然とする。
「だって本部でやる訳にもいかないじゃん。-------大丈夫だって。公にやっている訳じゃないんだから。文句なんか言われないわよ。こっちから言うつもりもないしね」
 怜は呑気に缶ビールを飲んだ。
「伊東アイにバレたらどうするつもり!」
「バレないバレない」
「ヱルゴールドがアイに告げ口するわよ」
 晶はしらけたような顔で言う。
「ヱルゴールドにも秘密にするように言ってあるから。ヱルゴールドはアイよりわたしの言う事を優先するから大・丈・夫!」
 怜はニッと笑った。
「大した自信ね。何を根拠に」
 晶は睨む。
「だってヱルゴールドは私の愛娘だもん」
 怜は舌を出す。
「一体どうやったのよ」
「前から気づいてたんだ。時輪経オリジナルはすべてのヱルメタルにおさめられている。だけど、その内容を完全に解読できるのは、本当はヱルゴールドのみだってこと。まだ、全てを解読した訳じゃない。それでね、ヱルゴールドは時輪経に、帝国の数式を発見した。それでディモン・スターの研究が可能になったの」
「あなたの企みは、アイにバレバレじゃないのよ。アイを出しぬけるとでも言うの」
「何言ってんの! 大切なことは、こっちに時輪経を解けるヱルゴールドがあるって事じゃん! アイのシナリオがよ。それに、おとなしくブラッドスペクトル分析だけやってるフリしとけば、そーでもない」
 なんて気楽なヤツだ! 所長の気持ちも知らないで。
「それで、何か分かるの? わたしにはさっぱりだけど」
「ええ、さすがに大発見よ。人類の持っている凄い可能性について。ディモン・スターの式の-をちょうど+にひっくり返せば、フォースヱンジェルの式になる」
「その、フォースヱンジェルというのは?」
「時輪経に書かれてたんだよ、『戦闘天使』っていう存在が。人類の中にも、ディモン・スターと同じくらい強力な力を持った戦闘天使が存在したのよ。それは、ダークフィールドでなくライトフィールドを増幅して、力を発揮する作用だよ。それがかつてディモン・スターと戦って地球を守った。それが時輪経に書かれた、戦闘天使(フォース・ヱンジェル)。フォースヱンジェルの式は、とっくに分かっていた式をひっくり返しただけだけど、単純だけどさ、それがヱルゴールドによると、単なる可能性だけじゃなくて、実際に存在するらしいのよ、フォースヱンジェルがね。それが眠っているのよ、あたしたちのDNAの中に」
 怜はウィンクした。さすがは時空研のナンバー1テクノクラート不空怜というところだ。
「あなたとヱルゴールドが、時輪経の秘密を解き明かしたって? ウ~ン、戦闘天使だなんて、私にはまだ信じられないんだけど」
「ヱルゴールドを信じなさいよ! 所長」
 怜にとってヱルゴールドは信頼の代名詞である。こんな時だけ「所長」か。
「人類の中の可能性、か。それが真実だとすると、人間は、一方的にディモン軍に狩られるだけの存在ではない、彼らの帝国に対抗する、いやそれ以上の力を秘めた存在という事になるのか」
 伊東アイは、時空研にディモン・スターを研究する事を禁止した。しかし怜はヱルゴールドを使って、委員会の極秘情報を解読してしまった。
「まさかと思うけど、これが、智恵の実じゃないでしょうね。食べてはならないって伊東アイ言ってたでしょ。研究してはならないって」
「さーねー。そうかもねー」
 怜は、ディモン・スターやミカの能力、すべてはパズルの1ピースだと言った。そのパズルを完成させ、アイのシナリオを解くのが、「時輪経オリジナル」。しかしアイはディモン・スターの研究を人類に禁止している。だから不空怜は真言の解読と高次元数学を駆使し、ヱルゴールドに時輪経オリジナルを解読させた。だが、ヱルゴールドがいつも怜の言う事を聞くわけではないだろうに、と晶は考えている。
 かつてヱルゴールドは、七千万年前に地下シャンバラで作られた。時輪経の各章は真言で書かれているが、その暗号はすべて異なり、それぞれにロックを解く鍵を発見することができれば、時輪経を解明することができるはずだ。
 現段階では、フォースヱンジェルはあくまで時輪経に述べられた、形而上の存在でしかない。しかし怜はヱルゴールドの解析に絶対の信頼を置いて、その予測を確信していた。晶は、腕を組んで怜の言葉を黙って聞いていたが、何事かを考えているようだった。

 人馬市で発砲事件が起こったというニュースが、時空研にもたらされたのは正午の事だった。休憩に入ろうとした晶と怜は、人馬市と連絡を取り合った。スパイ活動を発見されて、銃撃戦の末に射殺された兵士の血は赤かったらしい。ヱルシルバーによる分析では、ブルータイプの証拠はなかったという。
 だが、兵士は凄まじいダークフィールドを発生させていたらしい。しかし今となっては、どちらだったのかは分からない。もはや侵略したディモンの擬態は完全なのだから。本人に尋問しても無駄だっただろう。彼らは自覚なき侵略者である。
 人馬市は、スパイは時空研にも忍び込んでいる、と忠告してきた。ブルータイプのスパイが存在するのは、もう人馬市だけではない。誰かが、この基地内に紛れ込んでいる。理由は一つだろう。ヱルゴールドによる血液のアストラル分析を阻止するためであった。
「警備を厳重にしないと。ヱルゴールドを破壊されたらたまったもんじゃないわ。一刻も早く、ブルータイプのブラッド・スペクトル分析を進めましょ」
 昼休憩を中止し、怜は昼食とのながら作業にして、再び画面に向かった。その日からほとんど眠らず、怜は開発のスピードを休めなかった。怜の危機意識が、本部でも自室でもブラッド・スペクトル分析の作業を続けさせていた。
「うかうかしていたら、この基地内の誰かに侵入されて、入れ代わったかもしれないディモン、ブルータイプにヱルゴールドを破壊されてしまう」
 メタルマスターの怜にとって、ヱルゴールドを失う事など到底考えられない。
「ええ、そうね……」
 順調なプログラム開発に対して、晶が未だにブラッド・スペクトル分析に悩んでいる事を、怜は見て取る。
「晶、このまま突き進んでいっていいのだろうか、と思っているんでしょ。でもさ。最後の決断はあなたが下せばいいじゃない。あなたは、伊達統次への反発心だけで動いちゃ駄目だよ。今はその感情を、押さえないと」
 怜の言う事は正しい。人馬も正しいのかもしれない。表面上は。だが、晶は割り切って考えることはできない。ブラッド・スペクトル分析が完了すれば、ブルータイプは殲滅される。その時は、イコール伊達統次の独裁だ。それがどうしても晶には気掛かりなのだ。本当にブルータイプが侵略者なのかどうか、まだ答えは出ていない。だが、結局状況はブルータイプがディモンだという結論に向かっている気がする。晶は苦しんだ。異端審問官よりロクでもない。東京時空研究所の所長として、人と同じ姿を持っている者、それも自覚ない者たちを敵として殺さなければならない、という自身の立場を。
 しかし不空怜は違う。ヱルゴールドによってブルータイプが厳に存在すると分かった以上、それはディモンである可能性があるということだ。ちゅうちょする問題ではない。ディモンが人間に似ているとか、似ていないというレベルの感傷で、敵の侵入を許してはいけない。伊達統次のやり方には晶同様に反対していたが、ディモンに対する危惧では、怜は統次と完全に目的が一致していた。
 結局、伊東アイは、人類より遥かに知恵者であり、それをヱルゴールドが裏付けているのだ。だからアイの言う事は無視してはならない。とはいえ、危険な内職をやっていた訳だが。少なくとも怜のヱルゴールドに対する確信が、怜のブラッド・スペクトル分析の開発を突き進めていた。
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