第11話 蓄光

文字数 4,070文字

 ますます暑さがお盛んなその夜、那月は当然のように伊東アイの忠告を無視して天文台に入った。研究室の中にアロマ・キャンドルが持ち込まれ、部屋を薄暗くしてキャンドルを灯している。ラベンダーの香りが漂い、天文台は那月の私物と化した。那月は、すでに天文台の研究員も操り、自分の支持下にしたらしい。もっとも今は研究休みで、深夜には研究員は居なくなる。那月はヱルアメジストをどうにかして起動させようと調査していた。
 ミカは体調が優れない中、亮と共に参加した。青い薔薇は一層増え、ミカには不気味に感じられた。那月は、密かにスマホに保存していたダークシップの写真をプリントアウトして持っていた。
 ミカはダークシップの写真を見る事はできないので、二人から少し離れた席に座って様子を見ている。目的はほとんど、那月が亮にちょっかいを出さないための監視である。
「あんたの支持者たちは、ここに来ないのね」
 ミカは皮肉交じりに言った。
「来させないわ。地球計画のこと、何にも分かっちゃいない連中なんだから。万歳三唱なんかして、その辺のもの壊されでもしたら困るし--------」
 那月はなんだか遊んでる感じに変わった。そして青汁よりも青い正体不明のジュースを飲み、元気にシャドーボクシングをしている。
「ずいぶん冷たいじゃない。あんたをあれほど慕ってるのに」
「……それが彼らのためでもあるの。---------いいのよ、彼らはあれで満足なのよ。私は彼らに、それなりに対価を与えているわ。でも、ミカちゃんと原田クンみたいに、世界の運命に対する問題意識を共有できない」
 那月は親衛隊を軽蔑しているのは明らかだった。那月は主に自分の美しいボディが目的の支持者を、自分と同じ仲間だとは思っていない。
「じゃあ、どうして呼び掛けたりするのよ」
「アイと戦うのに、力が必要だからだよ。騒々しい連中だけど、それでも戦うために必要な事なの。つまり兵法よ」
 天文台は那月にとって、ミカと亮と自分の三人だけが入れる特別な「聖堂」だった。つまり、天文台は地球を救う為の崇高な使命と能力を持った者だけが入れる場所なのだ。那月に、明瞭な階級意識がある証拠だった。そのお陰で親衛隊達は、那月やミカ、亮の真の目的を知らない。
 那月の持っていた、ブルークリスタル、「月の石」は前見た時よりひと回り大きくなっていた。那月はそれを、ことあるごとに二人に見せた。
「月の石は、望遠鏡で月の光のエネルギーを集めて育てる事ができるみたいなの。それだけじゃないわ。月の中でも、特定の場所に望遠鏡で焦点を合わせると、特にエネルギーが高いポイントがあって、それがこの石をもたらした古城だったって訳」
 那月は、この古城は四次元の物体ではないかと言った。そのとき、ヱルアメジストの画像解析能力によって、四次元の世界が浮かびあがったというのだ。巨蟹学園の天文台は、ディモン兵器だけが映るのではないらしい。当然、こんな物体は世界中のどの望遠鏡でも映らないはずだった。ヱルアメジストだからこそ映った物体だった。那月はそこから膨大なエネルギーを感じるらしかった。
「何故かな。なんでかな。私、この城を見ていると、なんだか懐かしい気がする」
 那月はじっと画像を眺めて、しんみりした顔で言った。
 那月は、結局、月の石を「ナツキナイト」と命名して落ち着いたらしい。それを、彼女の集会で那月は親衛隊たちに高々と掲げて見せるのだという。那月は、望遠鏡に設置されたナツキナイトを手に取った。ミカはその瞬間に、那月の身体から強大なエネルギーが放射されるのを感じた。
「ナツキナイトのパワーが、私の中に入って来るのを感じる。そのお陰で、私はヱルアメジストを使わえくても、強い力を獲得したんだ。私、さらに新しい自分に生まれ変わろうとしている。とても嬉しい。だってこれでようやく、私も二人みたいになれたんだからね。私の変化、分かるでしょ、ミカちゃんなら」
 一方のミカは、以前のようなパワーが今の自分にはない事に気づいていた。反対に、那月はパワーアップし、今はミカよりも力があるかもしれない。ミカはどんどん自分が弱々しくなっていくのを感じる。問題は、那月の力が「どちら」に属するのかが分からない事だった。
 二人が帰宅し、那月はヱルアメジストに一人向かった。
 トイレの鏡を見ると、徐々に牙が伸びていることに気づいた。それから、月の石・ナツキナイトをじっと見る。月の石で自らの力を活性化しているが、同時に月の石に囚われていくことでもあった。伊東アイの学校である巨蟹学園大学に天文台は最初から存在した。智恵の実は、最初からヱデンの園にあったのだ。しかしそれを、アイは食べてはならないと禁じた。
 那月は、バッグからミルトンの「失楽園」の文庫を取り出すと、誰も居なくなった天文台の中で、一節を読み上げた。

「彼らは、ふりかえり、ほんの今先まで
 自分たち二人の幸福な住処の地であった
 楽園の東にあたるあたりをじっと見つめた。
 彼らの目からはおのずから涙があふれ落ちた。
 しかし、すぐにそれを拭った。
 世界が……そうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、
 今や彼らの眼前に広々と横たわっていた。
 そして、摂理が彼らの導き手であった。
 二人は手に手をとって、漂泊の足どりも
 緩やかに、ヱデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった」

 たとえヱデンを追放されたとしても、原田亮と一緒ならどこでもパラダイスに違いない。あの薔薇の迷宮の向こうの海岸の世界は、那月にとってのヱデンの東だ。亮と一緒なら、きっと宇宙の果ての荒野でも生きていける。もはや、ナツキナイトを手放すことはできない。伊東アイは巧妙に、学園の中に智恵の実をしかけていた。それを手に取り、食べた自分は愚かなるヱヴァかもしれない。ならばアダムである原田亮と一緒に身を食べ、楽園を追放されたとして、これ以上一体、自分に失うものが何かあるだろうか。------こんな世界のことなんて、もともとどうでもよかったのだ。

「もしわれわれの悪から善をもたらすのが、『彼』の摂理だというのであれば、われわれは鋭意、その目的をかく乱し、絶えず善から悪を導き出す手段を見いだすよう、努力しなければならない。もしわたしが見込み違いをしていなければ、われわれの努力はしばしば成功し、おそらく彼の心を悲しませ、その奥深く秘められた意図を乱して、所期の目的から逸脱させることができるかもしれない」

 那月は、月からの闇のエネルギーが倍音(ハーモニクス)となって、光のエネルギーが地球に届いていることを発見した。それを増幅することで、世界を救いたかった。だが、伊東アイ、ディモン・スターは巧妙に那月の計画を逆手にとって、闇に落そうとした。天文台は彼女の手中にあり、蛇である伊東アイは、智恵の実を食べろとは勧めなかった。食べるな、とだけ言った。天文台を使用するなと警告を発しながら、停止させただけで、自分達には結局手を出さない。そこに大切な何かがあることを那月ににおわせつつ、自分は強制的に何も行動しない。蛇は、果実を巧妙に那月に食べさせたということだろう。
 まさに巨蟹学園で起こっている事態は、その「帝国」の平行侵略の計画通りに他ならない。月からのダークフィールドが、那月自身を乗っ取ろうとしている。その事を、鮎川那月自身、気付いていたのだ。時々闇に囚われたままに行動を起こし、言葉を吐いてしまうことも承知していた。だが、それが現状の人類の有様に他ならない。自分という存在は、人類のシンボルなのだ。だが、しかし……。
 いいや違う! 親友、来栖ミカのことだけはどうでもよくない。この世界の中で、それだけが気がかりだ。ミカのために、この新しいヱデンを見捨てることなんかできない。
「悪から善をもたらすのが、『彼』の摂理……」
 那月はかすれた声で読み返し、そこで区切った。
 彼とは『神』。光の勢力。光の領域。ライトフィールドだ。ミルトン「失楽園」の物語は語っている。天界の大戦も、ヱデンの園の人間の堕落と追放も、その後の人類の苦境も、すべては「創造主」の掌の中の出来事にすぎない。
 那月は、今一度「悪から善をもたらす摂理」という言葉を繰り返す。帝国に対抗するため、那月はたった一人でそれを成し遂げなければならなかった。
 那月は、携帯を取り出し、月の写真を撮った過去のファイルを見た。月の光と影の部分が太極図の形になっている。じっと写真を見る。
 ダークシップは、月面の光の部分にのみ観測される。光波を超えた波長を捉えるヱルアメジストは、月の影の部分の映像も捉える事ができた。だが、なぜか月の影の部分にダークシップは存在しなかったのだ。ダークシップは、光の面から黒いしみのように出現する。それなら、今の自分は月の影の部分だろう。ならば、今度は自分が影の部分から光を放ってやる。この太極図の月と同じように-----。那月はこの写真が撮れたことを、神の啓示と受け止めていた。
「どんな闇の中にもそこには必ず光の点がある。完全な闇なんて存在しない。九十九パーセント負けても、その残りの一パーセントで逆転できる! ミカちゃん見てて。あたし、それを絶対証明してみせるからね」
 那月は最後のカケを信じる。どん詰まりからの逆転という、最後の希望に駆ける人類の道を。逆転の道はある。それこそが人類の底力であり、そして同時に、最後の希望なのだ。最後の--------危険なカケ。だがその道は、確かに存在するはずだ。悪から善をもたらすのが、神の『摂理』なのである。この失敗の原因は、もともと自分にあった。そのことを那月は重々承知していた。こうなってしまった以上、まさにそこからの逆説的飛翔を、鮎川那月は計画していたのだ――。

 参考:「失楽園」(岩波文庫)著・ジョン・ミルトン 訳・平井 正穂
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