第17話 勇気を出して

文字数 7,127文字

 宝生晶は、缶ビールを片手に持ち、基地内をウロウロ歩きまわっている。彼女が飲むためではない。廊下の喫煙所のソファに、倒れるようにうつぶせになって寝ている不空怜を発見した。晶は缶ビールをガラステーブルの上に載せると、立ち去り、また戻ってきて、手にした毛布を怜の肩にそっと掛ける。
 宝生晶は、シャワーを浴びている。さっきから、二十分も浴び続けている。体内にたまった毒素を、何もかも、全てを洗い流すかのように。
 私は、勝ったのだろうか? 晶は、伊東アイに完敗した気分だった。ミカ・ヴァルキリーは、シャンバラの兵士、メタルドライバーを全て倒し、ダークフェンリルを倒し、シャンバラを制圧し、独立を果したはず。……それなのに。
 晶は、人類より遥かに進化した存在、伊東アイの言う事が自分の判断よりも正しいのかもしれないという迷いがあった。すべては釈迦の掌なのか。すでに、晶は伊東アイの正しさに半ば気づいている。その事をちらりとでも考えるたびに、背筋が凍りつく想いがする。要するに人類は、そして晶は、楽園を追放された。いや、自ら楽園を出てしまったんじゃないか。過ちと知りながらその道を歩んでいく愚かな人類と伊東アイに哀れまれている。でありながら、人類を何もない荒野へと先導し、そこに白い塔を打ち建てるために、道なき道を歩む決意をした。
 「人類の進化のために」? モーゼは理想郷を目指して奴隷を荒野へと導いた。だがその荒野の先にあったのは先住民族との熾烈な次なる戦いだった。聖書によれば神は、彼らを滅ぼせと命じた。しかし晶はブルータイプを滅ぼさない。晶はそこに、白い塔を建てる。それは人類の行く手を照らす白い灯台になるか、神へ反乱を意味するバベルの塔になるか。晶にはまだ分からない。
 晶は内心不安でいっぱいだった。真っ暗やみを手探りで歩くような感覚。この先、一体どこまで歩めるのだろうか。せいぜい滅亡するのが関の山なのかもしれない。全く前人未到の領域に進んだ宝生晶、人類の独裁者。そして、デクセリュオンが手に入れたフォースヱンジェル、来栖ミカの力。果して宝生晶は、アイの言う人類の独裁者になっただけなのか。それとも本当に、伊東アイや伊達統次よりも人類にとって幸福な道を選択していく事ができるのか、今の晶には分からない。
 体の汚れが出て行ったような気はしなかった。シャワーから出ると、晶はソファで気絶したように眠っている怜を起こしにいった。晶自身は、大して眠気を感じていない。
「今日は何曜日だっけ?」
 うつろな顔で怜は聞いた。
「金曜日でしょ」
 晶はクリスタルガイザーを飲み、怜はビールを飲んでいる。
 晶は想う。伊東アイは、人類に、私に同情を掛けたか。最初からこの時空が存続する事をシナリオの一つに入れていたに違いない。こうなる事も計算に入れて、すべてのシナリオを操っていただけではないか。
「晶。本当にあなたの言う通りなのかしら? 私、時輪ひとみが出現した時、はっきり言って違和感を覚えたよ。そして彼女はブルータイプだった。目の前のひとみのアストラル波に対する憎悪を、私は肌で感じていた。あなた、本当に何も感じなかったの?」
 今でも怜の中にその時のぞっとする感触は残っていた。
「……私は全く感じなかった。むしろ、私たちと近いような存在に感じられた。ブルータイプって言っても、そんなに違いはないんじゃないかしら。血の色が違うからって、そんなに毛嫌いする事はないでしょ。あなたの、その恐怖も、未知の存在に対する恐怖よ。段々分かってくれば、きっと変わってくるに違いない」
 怜の感覚では、晶はずいぶん気軽だった。
 違う、そんなんじゃないよ。晶。あれは、人類の敵だ。そう、怜の顔が訴えてくる。

 サファイア色の満月が輝いている。
 晶の命令で、怜はヱルゴールドを使って、鮎川那月の捜索に乗り出した。晶は、那月がブルータイプであった事から、やはり月に封印されているのではないかと考えている。しかしまず、月の牢獄がどこにあるかが問題だった。そして封印された、真の月の時空はどこにあるのか。光シャンバラの三位一体の間の存在も、データ上からきれいに消えてしまっている。むろん、原田カグヤの行方も分からない。
 亮は晶に言った。
「俺が、母さんを探します。会える気がするんです」
 晶は亮の目を見て頷いた。
 亮はポケットから母親の指輪を取り出した。黒く輝くセレンの指輪を左手の薬指に嵌める。

 黄金ドームのテラスに出て、青い月を眺めているミカに、晶が近づいてきて伝えた。
「残念ながら、私たちの技術では、まだまだアイの作ったこの世界のシステムや、アイの仕掛けたものを解明するには不明の事が多すぎて、力が及ばなくて……。那月さんがどこへ行ったか分からないの。一体、どこの時空へ行ってしまったのか」
「そう」
 ミカは頷いたが、その表情は明らかに落胆していた。那月がディモン・スターになったのは、ミカを助けに来た為……その事がミカをさいなんでいる。
「わたしがいけないんだわ……わたしが那月を巻き込んで、苦しめてしまった。こんな事に巻き込まなければ那月は消えなかった。そもそもわたしが、自分勝手で、自暴自棄で、自分の事しか、考えなかったから、それで、那月が助けに来て、巻き込んで、ブルータイプにしてしまった。わたし、必ず那月を見つけ出す! こんな事になっても、私、絶対見捨てない。何としても見つけ出して、助けなくちゃ!」
 失楽園になっても諦めない、それは晶がアイに言った人類の選択だ。
 親友の那月を失った心の傷は、決して癒えることがない。痛みと引き換えに、今ミカは亮と共にいる。原田亮を……勝ち取った後に残ったものは、那月への罪悪感だった。もう、会う事はできない。少なくとも、那月が自分を嫌っている限りは。そして、那月は決して自分を許してくれない。自分が、亮と一緒に居る限り。だから自分の前から消えたのだ。決して、伊東アイのせいではない。その事を考える事は辛かった。今掴んでいる幸せの犠牲は大きい。痛みに耐えながら、ミカは今後、亮と共に歩いていかなくてはいけなかった。
「ブルータイプになろうがどうなろうが、那月は私の大切な友達だった」
「そうよね……あなたはブルータイプだから、レッドタイプだからではない。本当に那月さんが好きだった。あなたのその気持ち、よく分かるよ。ブルータイプだからなんて、関係ない。私もブルータイプを見捨てない。全ての存在に、この星で生きていく権利がある。那月さんが消えた分まで、私は残されたブルータイプ達と生きていく。-------あなた達の力によって、ブルータイプとレッドタイプのヱンゲージだってきっと可能だと思う。あなた達は、二つの平行宇宙を見事に一つにしたんだもの。二つの種族が融合を果した時、ミカと亮のヱンゲージがミカをヴァルキリーにしたように、人類を進化させる……。あなた達を見ていて私は、そう信じられる」
 晶は、これからじっくり時間を掛けて人類のヱヴォリューション計画を行おうと考えているらしい。国防省が進めていたブルータイプ抹殺兵器の開発は、まだ企画段階で何ら実体のないものだ。晶の考えが正しいのか。それともアイの危惧する通り、また世界を滅ぼしてしまうか。晶にも確証はない。だが、自分はブルータイプと生きてみせる……その決心は揺るぎない。いずれにしても、選択は人類の手にゆだねられた。
「私なら、あなたの友達になれる?」
 と晶は言った。
 ミカは微笑んだ。
 ミカは晶の首に抱きついた。ミカは晶の大きな胸で泣いた。
「ごめんなさいね。私たちと関わったばっかりに、こんな戦いに巻き込んでしまって……、ミカは本当は歌手になりたかったのにね」
 これまで何度か言ったことだが、晶はミカに対し申しわけなさでいっぱいだった。
「ううん…、いいの、人生、思い通りじゃないの。--------私は、歌手になって多くの人を自分の歌声で感動させたかった。歌手になれなかったし、地球も一度滅んで、こんな事になっちゃって、もう歌手なんか目指せない。でも、そのお陰で、亮にも会えたし、晶さんにも会えたし、怜さんにも会えたし……。つらい事もあったけど、いい事だってあった。だから私も、ヴァルキリーの力を思い出すことができた」
 ミカは顔を上げてそう言った。嫌なことだけじゃないと思う。それがミカの素直な気持ちだ。
「これからが大変だけど、必ず何とかするよ。だって……世界は来栖ミカを中心に回ってるんだから」
「ミカには、いくら感謝しても、足りないわ。確かにミカは今、歌手じゃないかもしれない、多くの人を感動させる夢は叶わなかったかもしれない。でもダークフェンリルを倒した時、地球の運命は決まった。あの時、あなたの声が世界を救ったのよ」
「私の声が、世界を救った」
 ミカは声を震わして、その瞳はうるうるしている。
 少し間を置いて、
「ねぇ……晶さん。わたしって、かわいいかな?」
 とアイドルみたいな顔をして言う。
「もちろん。ミカは、デクセリュオンが世界に誇るかわいい子!」
 美少女の天才は微笑んだ。風に吹かれながら、サファイアの月を眺める。時折風が、ミカのツインテールの髪を弄ぶのを手で押えながら。
 ミカの横顔は澄んで、乗りこえた者だけが持つ美しさがあった。
「やっぱあたし、みんなの前で歌いたいなぁ」
「いつか歌えるよ、あなたなら」
 ミカは晶の眼を見た。
「ありがとうミカ」
 晶が頭を下げたので、ミカはびっくりした。
「ちょ……ちょっと、やめてよ!」
 二人は笑った。
 那月、あたし今度こそ歌手を目指すよ。スカウトでもいい。那月の言う通り、声優も、いいかもしれないな。歌手になってみせるよ。再会するまでに。その時私が歌手になっていたら、那月、きっと喜んでくれるよね。
「亮との関係、がんばってね。応援してる。何があってもね。さ、勇気を出して」
「うん、分かった……」

 ゲート前の休憩コーナーのソファで亮が待ってくれていた。
 ミカは不安だった。亮はひとみの事を思い、今も少しだけひとみをツインソウルだと思っているんだろうか。ストレートヱンゲージの時、「声」が証明だと亮は言ってくれた。けどミカは、自分が亮のツインソウルであるという確証などではなくて、ただ、亮が好きだった。
 亮はミカを見るとソファから立ち上がる。
 二人に一瞬、沈黙が走る。
「あの-----」
 とミカは勇気を振り絞り、パックを差し出した。
「夕飯、これからでしょ? 一緒に食べよう。さっき、晶さんに教えてもらって、おにぎり結んだの。それとお味噌汁。晶さん、とっても料理が上手なんだよ。意外でしょ。食べてくれると、嬉しんだけど-------」
「ありがとう。凄く腹減ってたんだ!」
 亮は微笑んでミカ手製のおにぎりを受け取る。ミカが作った十二個のおにぎりがパックの中に入っていた。十二個のおにぎりに、十二種類の具。ミカもおにぎりを食べる。那月にはまだまだ敵わないけど、私だってこれから料理の腕を磨いてやるんだと、来栖ミカは思う。
「ねぇ、亮。好きっていう気持ちだけが、理屈を超える。好きなら、それが全てなんだよ。ツインソウルなんて証拠も、いらなかったんだよ、きっと」
 ミカは恐る恐る言った。すると亮は静かに言った。
「俺は、君がダークフェンリルを倒した時のアストラル波の声は、ツインソウルのものだったと改めて確信した。今も、君の声を聞いて確認している。確かに俺のツインソウルだと。それじゃ駄目かな? 俺は君の声が好きだ」
 ミカの顔は途端に、陽が昇ったようにパアッと明るくなった。亮はミカのアニメ声がずっと好きだったのだ。遥か、遥か前世の昔から。
「あ、あたしも、亮の声が好きだった! 最初に声を聞いた時、ドキドキした------」
 ミカは笑顔で言った。亮の電話を受けた時、ミカはその声に惹かれていった。二人は間違い電話で話した瞬間から、お互いの声でツインソウルだと分かったのだ。
 温かい虹色の流動体が、二人の中を駆け巡るような感覚に包まれる。
「俺も、ドキドキした。世界がめちゃくちゃになったのとは、全然違うドキドキだ」
 ミカは笑った。
「亮、最初に携帯に電話して来た時、あたしのアストラル波を見つけてくれて、ありがとう」
 それから、ミカは少しせつない表情になった。
「私、ずっと、亮といっぱい無駄話したかった」
「これからいっぱいできるさ」
 ミカはもじもじとしている。
「亮。お、お願いがあるんだケド……」
「うん?」
「ねェ、もう一回髪撫でて……。あれ気持ちよかった」
 最初に地球を二人で再生させた後、亮はミカのツインテールを撫でてくれた。あれから今まで、ずっとやって欲しかったのだ。
「う、うん」
 亮はミカの頭を自分の胸に引き寄せて、ロングツインテールを優しくゆっくりと撫でる。
「そう、それ気持ちいい」
 物欲しそうなミカの顔。亮とミカは目が合い、一瞬、二人に気まずい空気が流れる。
「カラオケに行こうよ、来栖」
 亮は夢でミカに言ったセリフが今言えた。
「ほんとに?! やったぁ!」
 とミカは立ち上がってジャンプした。亮を魅了した自分の声を聞いて欲しかった。
「あ、俺もそれ見たかった、逆M字開脚ジャンプ。最初に見た時、あまりにかわいくてびっくりした!」
「えへへ……」
 ミカは小首を傾げて笑う。亮はミカの手を取り、二人は手を繋いでゲートに向かった。亮の指に、黒いセレンの指輪が輝いている。

    * * *

 渡り廊下に立っている来栖ミカは、二人を見下ろして微笑んでいた。
 ガラス越しに輝くサファイアの月が、下の二人に祝福を授けるように青白い光を浴びせていた。廊下に立つミカの横顔も青白く輝いている。
 原田亮が休憩コーナーで自分を待っているはずだ。
 廊下のミカは、握りたてのおにぎりの入ったバックの取っ手をぎゅっと握った。
「よし、がんばろっと」

 青い、青い、その夜は青き月。
                       END


 参考:「失楽園」(岩波文庫)著・ジョン・ミルトン 訳・平井 正穂


予告

戦闘天使ヱヴォリューション
第二環「ラブ・パレード・オブ・ロング・フェイト」

 この星の絶対的超越者・伊東アイの支配から独立し、自らの足で歩み始めた人類が直面せし危機! 敵の女、ディモン・スター・時輪ひとみが完全復活する! その瞬間、新宿は消滅した。と同時に、上空に帝国のディモン兵器・ダークシップが東京上空に出現した。
 伊東アイの警告の予言が続々的中する中、ミカ・ヴァルキリーは人類と地球を守るために天空へと飛び立つ。だがブルータイプは増殖し、それと戦うため、人馬市の伊達統次はあらゆる策謀を張り巡らす。さらに、ひとみもヴァルキリーと化した! 来栖ミカ、原田亮、人類と地球に待ち受ける運命はいかに?!

 次回も、出血大サービスッッ!

***

戦闘天使ミカ・ヱヴォリューション 全八巻

第一環「リバース・デパーチャー」
第1次元.@The END またアイましょう
第2次元.巨蟹学園は高気圧、来栖ミカは低血圧
第3次元.ブラッド・スペクトル
第4次元.旧支配者(メタルドライバー)VSミカ・ヴァルキリー

第二環「ラブ・パレード・オブ・ロング・デスティニー」
第5次元.敵の女  突然変異による美少女戦士の誕生
第6次元.ダークポイント プラチナデビュー
第7次元.ショーダウン・ガール
第8次元.気づいてシグナル
第9次元.良すぎて涙が出てくるよ

第三環「ヴァルキリー・ミュージカル」
第10次元.心にだけ響く、君の音楽
第11次元.あなたが恋するとわたしはクシャミする
第12次元.決戦・最後の言葉
第13次元.さよなら、わたしの心

第四環「ビューティフル・トランス・ドリーマー」
第14次元.美少女はつらいぜ アーユーファイター?
第15次元.ブルームーン 泣いてしまいました。
第16次元.ラブ・ハレーション
第17次元.白金と金 ルナと東京9でラスベガス

第五環「バトル・ウィズ・アナザフェイス」
第18次元.白い月、赤いミカ
第19次元.775黙示録 ディモン・スターはかく語りき
第20次元.青はアイより出てアイよりも青い
第21次元.ザ・トリックスター
第22次元.ウィングス・オブ・ラブ

第六環「スーパー・アタック・フォーメーション」
第23次元.故意(恋)の0m射撃!
第24次元.絶対恋愛領域 ヱクスタシー・ハレーション
第25次元.涙のパラダイス(涙パラ)
第26次元.ダンシング・ミカ・ヱヴォリューション

第七環「ザ・サードメタル」
第27次元.人が存在する為に、人が用いる言葉
第28次元.月島ルナ、ノーリターン
第29次元.ひとみ君、例のヤツをたのむ
第30次元.霧屋チアキは一日にしてならず 放蕩娘の帰還
第31次元.雛形キョウコのアイデンティティー

第八環「スーパー・インテグラル・ソウルラブ」
第32次元.ユキヱナイト ヤツらが先に手を出した!!
第33次元.マルデックの破壊と、時輪ひとみの救済計画
第34次元.ミカ・イズ・ゴールデンアイズ
第35次元.LOVE・トランス・イン・ザ・DNA
第36次元.オレンジスカイ
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