第16話 来栖ミカの王国

文字数 6,322文字

 晶はアイの話ではたと冷静になっていた。
「ミカ、もういいわ。彼女にはまだ利用価値がある。今後、委員会の自由にはならない。独立しながら、今度は私が、委員会を監視下に置く。私は様子を見たい。ここはシャンバラを引きなさい」
「嫌よ! わたしはこいつを殺す!」
「撤退しなさい! 命令よ!」
「アイ1を殺さないと、戦いは終わらない!」
「駄目よ、引きなさい! わたしの言葉を伝えるの」
 いつの間にかミカは晶と、アストラル通信でケンカになっていた。
「何よ! 今ここにいるのはあたしでしょう! 晶さんはあたしの口を借りてるだけじゃない! 口パクマシーンなんてもう嫌よ。あたしが今どう行動するかは、決定権はあたしにあるのよ!」
 ミカはアイ1に対する悔しさを滲ませた。何としても今ここで倒したかった。倒さなければ、いつまたそのチャンスが訪れるかが分からない。
「落ち着いて、ミカ! わたしには考えがある。彼女に見届けてもらうわ。これから、人類が、進化していく姿を。それが、わたしたちが正しい事の証明になる。そのために、アイには生きて、歴史の証人になってもらわなければならない」
「イヤ! 彼女だけは絶対許せない!」
 するとアイ1が口をはさんだ。
「あなたは、さっきから何を言ってるの?」
「何よ」
「さっきから何をわめいているのって、私は言ってるの」
「……」
「全部、あなたが望んだ事じゃない」
「……望んでなんかない!」
「いいえ、ここへ来たのはあなたの意識が選択を繰り返した結果よ。あなたは全部他人のせい、人のせいにしているけど、何もかもあなたが望んだ事でしょ。あなたは、恋の戦いに敗れたことで自信を喪失し、その後、理想に描いた最高のボーイフレンドの原田亮に出会った。二人で人生を、世界をやり直した。それだけじゃなくて、失った自信を取り返すために私という最大のライバルを作り出し、それを乗り越えようとした。その結果、あなたはここまで力をつけて、戦闘天使になることができた。王子様をさらった、悪い大魔王の手から救い出す戦うお姫様。高校生らしい夢ね。今日まで私はあなたの中で、敵を演じ続けてきた。私はあなたのラスボスになってあげた」
「……そ、そんなの」
「それとも、自分の部屋の机に突っ伏して、いつまでも鏡を眺めている方がいいとでもいうの?」
 アイ1がそう言うと、二人はミカのピンクの部屋の中に立っている。

 そこはピンク色の服を着たもう一人の来栖ミカが、机に座って肘をついて鏡を眺めている世界だ。亮のマンションへ向かう前のミカだった。
 鏡を眺めるミカは、どう亮と話そうかと悶々と考えており、さらに話した後に起こる出来事の展開まで、ずうっとイメージし続けていた。それはちょうど、光シャンバラへ来るまでのミカ・ヴァルキリーの軌跡だった。
「いつまで鏡を眺めているつもりなの?」
 しびれを切らしたミカ・ヴァルキリーがそう言うと、ぎょっとした鏡の前のミカが振り返る。そのとたん、ミカの部屋は消え、二人は光シャンバラの中に戻っていた。それは確か、守護天使アスラの台詞だったはずだが、今やアスラとミカは同一体だ。

「やっぱりこっちの方がいいのね。……それはそうでしょうね。最大の敵を打ち倒して、戦闘天使になった自分の方がいいに決まってるものね。だからよ。私という『敵』は、あなたが望んだから、あなたの中にずっと住んでいる。私のせいにしているけど、あなたが敵を求めた結果なのよ? 私が嫌なら、他の事を望めばいいだけ。あなたは、私が世界の支配者だから、何でも自由に支配できると思っているけど、違うわ。あなたの意識の王国の中で、私は無力よ。あなたが望まなければ、私の敵としての力は何もない」
「そうよ……あなたは私の中で無力。あなたに力は、何もない……」
 アイ1の最後の言葉は、ミカ自身の言葉になっていた。もう、戦う理由はない。ミカは完全に戦意を消失した。
「さぁ、ミカ。私の言葉を彼女に伝えて」
 晶が沈黙したミカに通信した。
「……分かった」
「私がした人類の選択を教えてあげる。私は今はあなたを殺しはしない。見届けなさい、あなたのその青い眼で。人類が幼年期を終え、あなたの手を離れ、一人で歩み出し、そして正しい選択をしていく在り様を……! そのためにわたしはあなたを生かしておく」
 晶の言葉をミカは伝えた。
「宝生晶。人類と地球が次元進化するには、今来ているアクエリアスの波に乗らなければならない。この機を逃してはならない。あなた達は、早急に原田カグヤを見つけ出しなさい。進化には、セレネーのエネルギーが不可欠だからよ。彼女は、ヱンゲージ計画に自分の力を温存する為に、姿を消した。セレネーの力が戻った時、真の月が召還される。太陽と月と地球の三位一体のエネルギーがなければ、地球と人類は、決して次元進化の波に乗る事ができない。九十九パーセントの宇宙が滅び、残り一パーセントの来栖ミカの平和な宇宙に、一縷の望みをかけたヱンゲージ計画。これまで、私はそう説明してきた。だけどそれはこの宇宙の真相ではなかった」
 時空を超えて、晶はアイのどこまでも深い藍色の瞳を見つめている。
「あなたたちの平行宇宙の本当の姿を言うわ。あなたたちが位置している宇宙は、本当は『九十九パーセントの他の宇宙が滅んで残った僅かな平和な宇宙』、というネガティブの極における光の一点の宇宙なのよ。だからすごく闇の影響を受けやすいわね。一方でそうではない、『九十九パーセントが平和な宇宙』というポジティブの極の宇宙もある。両者は、分かちがたく繋がっている。それが、選択の自由。私があなた達にいつも投げかける言葉。それが存在の本質」
 アイ1の青い瞳に、宇宙の星々が輝いていた。
「意識は一瞬一瞬世界を創造し、それは平行宇宙、別の現実に行くことに他ならない。意識はいつも平行宇宙を行き来している。ほとんどの場合は、微細な変化だけれども、でも、微細じゃなくてここまでネガティブな極に至った世界から、ポジティブな方へ移行するためには、強力なエネルギー作用、ヱンゲージやヱボリューションという大計画が必要だった。人類は今、そういった負けパターンの地球の端っこの極にいて、そこから反対の方へ持っていこうとしている。だから人類の意識を相当変化させないといけないので、非常な困難を伴っているの」
 アイ1の金髪を、風がサラサラとやさしくなびかせている。この空間のどこかから風が吹いているらしい。
「列車はすでに、分岐点で二つのレールを走り、光行きの列車と滅亡行きの列車が、どんどん車間距離を離していくのに加速がついているのだから。あなたたちのいる地球はそうした困難な世界であり、だからここから光の列車に乗り換えようとするなら、それは私であっても未知数の、大チャレンジになる。要するにここは、マイナスの極致、制限の帝国。だけど、あなた達は、今三日月のように弓を思い切り闇の方へ強く引いた状態に等しい。それを手放した時に、矢は物凄いスピードで、遥か遠くの正反対のベクトルへ、つまり光の方向へ向かって飛んでいく。あなた達人類が、エネルギーが蓄えられた状態で矢を手放す決心をし、光へと飛びあがろうとするなら、爆発的な創造力が誕生するでしょう」
 鮎川那月が言った言葉と、全く同じことをアイ1は言った。あの時、ミカは那月の言葉を、天文台で泣きながら聞いていた。
「それはきっと、闇からのジャンプという新しい宇宙の希望になることを私は期待させていただくわ。この宇宙で、いまだかつてないチャレンジになる。それが光と闇の爆発の真の意味------。私はこれから、もう一度破局の波をずらすように、ヱルダイヤモンドにお願いする。タイムリミットは、わずか一年後。銀河の中心から『風』が吹いてくる十二月二十二の一年後の、二〇十三年十二月二十二日、二十四時までに。これ以上は伸びない。それを過ぎると、ヱヴォリューションに成功した平行宇宙と失敗した平行宇宙が、完全に分岐し、成功した平行宇宙への乗り換えはどんどん難しく、不可能になっていく。そして、さらに進化のチャンスは、何千万年という時を待たなければならなくなる。この宇宙の波に乗り遅れると、やがてこの文明は終焉を迎える。後一年の間に、すべての決着を着ける事。帝国が地球に憑依、乗っ取るまでの時間と、人類が進化するまでの時間、どちらが早いか。すべてあなたの双肩に掛かっているわ、人類の独裁者」
 生か死か、星の生と死の狭間のレースが始まった。
「これから、人類には苦しい道のりが待っている」
 ヱデンの園で、神は約束を守らなかった原罪によって、人類を楽園から追放した。蛇は永遠に地を這わねばならなくなった。女には産みの苦しみが、男には労働の苦しみが与えられた。今こうして、天界の反乱は繰り返されてゆく。
「分かっているわアイ……私は……、絶対あきらめない。智恵の実を食べなければ、人類はヱデンを追放されることもなく、その後の歴史で苦しみを背負うこともなかったでしょう。だけど、きっと停滞して進化もなかったと私は信じてる。『失楽園』を書いたミルトンは、その後、『復楽園』という続編を書いた。それは、歴史の中で救世主が誕生し、悪魔の誘惑を退ける物語。救世主はその後、人類の原罪を背負って十字架にかかった。私は、智恵の実を食べてヱデンを出る決断を下した以上、自分で原罪を背負って十字架にかかることを決意する。私は、どんな巨大な鋼鉄の十字架でも背負ってみせる!!」
 ミカの口を使って、晶はアイ1に回答した。
 宝生晶は巨大な鋼鉄製の十字架を背負っていた。それは、誰にも背負えない巨大で、重い鋼鉄の十字架だった。怜にも、伊達統次にだって背負えない、巨大な十字架だ。だが、人類の進化の為なら、どんな巨大な十字架だって背負ってやろう。宝生晶は、そう決心していた。
「それがあなたの選択ね。……分かったわ。私はあなた達の選択を尊重する」
 アドバイスはするが、最後は人類に選択をゆだねる。それが伊東アイの流儀だ。
「あなたのような完全生命体が、私たち愚かな人間に振り回されて、さぞイライラしてるでしょうね。私達なんか放っておいて、どっかでもっとましな種族と、完全な世界を創り直したら?」
「私にも、情がある……」
「色々な者の自由意思で、勝手に選択され世界が決まる。あなたはこんな不完全な宇宙を、創らなければよかったのにね」
 皮肉を言う晶に対して、アイ1は言った。
「いいえ晶、私は世界はすべて、完璧なタイミングで出来ていると思っている」
 その意味を、宝生晶は解さなかった。

 怜がアイ1とミカを見ながらつぶやく。
「ねェ……あの二人……何か似てない?」
「……まさか」
 晶は怪訝な顔でモニターを見ている。

 晶が来栖ミカの中から去り、ミカが戻ってくる。
「亮を返してよ」
 もう、ミカにアイ1に張り合う気力は残っていない。
「もちろん返すつもりだった。亮はまだあなたのように、真の覚醒に至っていなかった。不完全な力のままに、私のウォリアーと戦おうとした。あの時、彼に危険が迫っていた。だから私はここへ転送し、太陽光で彼のアストラル波を修復した」
「また理屈を言って、私から引き離そうとしたんでしょ!」
「そんな事私がするわけない。あなたたちは、私が引き離せるものではない」
「どうしてよ」
「だって、あなたたち、未来で夫婦だったのですからね」
 太陽の像から亮が現れ、倒れた。亮は眠っていた。
 ミカは何も言えなかった。亮に会えた安心感と、アイ1に対する悔しさで涙がどっと溢れ返っていく。ミカは頭を下げ、純金ツインテールの前髪で顔を隠した。
「話し合いは終わりよ! もう、あんたに会う事もないでしょうね、さよなら!」
 亮は眼を覚ました。ミカと亮は無言で抱き合った。ミカはそれっきり戦意を消失し、亮の腕を手に取って、羽を広げた。飛び上がると上のシャンバラのハイアラーキーホールまで上昇し、三百人のアイに一瞥もくれずに巨大化するとゲートを飛び越え、デクセリュオンへと帰還する為、地上へと飛び上がった。とにかく一刻も早くここから逃げ出したかった。故郷へと、巨蟹市に還りたかった。

 亮は、ミカの右手に座っている。頭の上には、ミカの大きなお腹がある。ミカのアストラル波に守られ、切り裂くような空気の冷たさや、Gの影響を受けない。だが、目の前にミカの二つの胸がドアップで見えて気まずそうにした。たとえBカップでも、身長が百メートルともなればかなりな迫力だった。
 アイ1の言っている事に、偽りは何もない……ミカはそんな気がしてくる。伊東アイには、あの夜、ミカと亮が同じ都庁に向かうという事が分かっていた。だからヱンゲージ計画が可能だったのだ。伊東アイはすべてを知っていた。那月の事も、伊東アイが敵として自分の前に立ちはだかった理由も、おそらくは彼女の言う通り……。真実はミカの心に痛かった。
 夢のように、かつてミカは新しい宇宙を創造した。しかし、その創造に失敗した。「愛染ユキヱ」への想いゆえに。そのブルータイプの鮎川那月だって、元をたどれば自分の自暴自棄な想いに汚染されたことが原因だ。
 光シャンバラの中で、亮=アダムと再会したミカ=ヱヴァは、失敗したこの世界の存続を選択した。それは、那月という蛇にそそのかされた汚い血(ブルータイプ)の存続する世界だった。それを支持した宝生晶は、光と闇の衝突とそれを乗り越えることによる進化の可能性、新世界創造をアイに述べ、ブルータイプとの共存という重い十字架を背負っていくことになる。
 ヒマラヤ上空へ抜け出ると、ミカ・ヴァルキリーは驚いて夜空を見上げた。宇宙が破壊され、星々が流れ落ちてくるのだった。その時、アイ1は、新宇宙を創造しようとしていたのだ、とミカは気づいた。そして二人は、たった今なした選択によって、アイの宇宙を破壊したのだ。
 ミカは元の姿に戻った。ヒマラヤの冬の雪山の頂に降り立った二人は、仰向けになった。二人は頭上に迫る星屑の洪水を見上げた。
 壊れていくアイの新宇宙の可能性の音もない爆発のおかげか、寒くはない。アイの創ろうとした宇宙が流星となって流れていく。「危険だよ」と言っていたミカだが、亮の言ったとおり大丈夫だった。ミカは乗り気になって、子供の顔に戻って見上げているのだった。その時に、亮は、アイ1は自分との陰陽の作用で、新宇宙を創ろうとしていたのではないかと言った。
 仰向けになっている雪山の表面に、落ちた星屑が、英字新聞みたいなキラキラと青や黒に光る文字になって流れていった。サンスクリット文字かコンピュータのプログラム言語かよく分からない。それはアイの創ろうとした宇宙を構成するイデアの真言プログラム、「元に言葉ありき」の「言葉」だった。音もない爆発である代わりに、滅びゆく新宇宙は多弁だった。伊東アイの無念さや愚痴の数々が、文字になって雪山の表面を走っている。その様は、見ていてとても美しい。流星のシャワー、その一つ一つに人間、星々の想いが言葉となって流れ落ちて、雪の上を走っていく。愚痴とも詩ともイデアともとれるその言葉の光の大洪水。
「亮、あいつにも、感情があったのね」
「あぁ、かなり感情豊かだな」

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