第13話 義父と娘

文字数 4,654文字

 ミカと怜から鮎川那月の携帯を見せられ、真相を知らされた晶は、テレビ電話を人馬市に繋げた。本部の巨大スクリーンに、伊達長官が映し出された。
「長官。昨日、なぜ巨蟹市に人馬軍が出動していたのか教えてくれる」
 伊達統次はしばらく黙っていたが、返事した。
「そんなことを聞くために所長がわざわざ電話か? お前にそんな暇があるのか。昨日、彼らの部隊は訓練から戻る途中だった」
「それだけ? あなた達、人馬市は、鮎川那月を捕えたんじゃないの」
 宝生晶も忘れていた「鮎川那月」の名。確実に人馬市が関与している。伊達統次が知らないはずがない。
「何の話だ」
「人馬軍が巨蟹市に居た。それも、巨蟹病院の周辺で何かをしていた。こちらにはもう情報が入っている」
「知らないな。訓練からの帰路の途中で民間人に、たまたま遭遇したからと言って、いちいち我々が関与することではない」
「訓練ですって、巨蟹市を通るなんて聞いてないわね。一体どこでよ」
「お前達にいちいち言う必要はなかろう」
「お互いにとぼけるのはやめましょう。あなたたちはやっぱり鮎川那月を監視していたんでしょ? そしてなぜ鮎川那月を、捕えたのか、時空研にも情報を提供してもらわなくては困るわ。時空に干渉している暇があったら、私に事情を全て話して欲しいのだけど」
「監視だと? お前が一体何を言いたいのかよく分からんが、一民間人の行方が分からないなど、我々の知る事ではない。探すなら、自分達で探すんだな」
 晶もこれ以上追及する材料は何もなかった。だが、晶はこの男の事をよく知っていた。伊達は何かシラを切っている。シラジラしい嘘を着いている。それは、義理とはいえ親子ゆえの感覚だった。
「アイに言われたままに動いているわね。あなたはアイの道具に成り果てて、自分としての意思がないのかしら------伊達統次らしくもない。私自身、この計画に最初に携わって以来、もう何が元からの真実で、何がすり替わった出来事なのか、分からなくなっている。だけど私には気掛かりな事がある。ブラッド・スペクトル分析が、恐るべき暗黒社会の到来をもたらすのではないかという事よ」
 晶は自分の直感を信じて綱渡りのような議論を続ける。
「それは、ブラッド・スペクトル分析を拒否したいという発言か?」
 伊達統次の目が鈍く光り出す。
「いいえ。ただ、その前に確認したいだけ。あなたは、何でもかんでも、委員会の言いなりになるつもり?」
 晶は切れ長のアーモンドアイズでにらみ返した。
「愚かにもほどがある。委員会の計画は、我々には伺いしれないレベルにある。最小単位で数百年、数千年、時に数万年の時を掛けて委員会の計画は実行される。この限りある生しか持てない運命にある我々人間にとって、元より計りしれない存在だ。もしそのことが分からないのならば、そもそも委員会の計画に加わってはならない。当然の前提だ。お前は今、地球の五大機関の一つを任されている立場にある。その事をわきまえられないのならば、今の地位を失う事になると思え。伊東アイの命令に従う気がないなら、今すぐ辞表を書け!」
「私はまだ、辞めるつもりなんかないわ」
 怜や他のスタッフが怪訝な表情で、晶と伊達長官の会話を見守っていた。
「ならば覚悟して最後まで任務を務めるんだな、この計画を邪魔するものはすなわち、敵に与するものと疑ってかからねばならない。私はそれだけの覚悟で挑んでいる。お前にも同様の覚悟を求める。無知もまた、敵に与する行為に等しい。敵が今、どのレベルまで侵攻しているのか、見極めることができるのは世界で唯一、ヱルゴールドだけだ。その計画を邪魔するならば、私は即刻お前をブルータイプと認定する。いいか、覚悟なき者は直ちに去れ」
 統次は晶の返答を聞かずに、一方的に電話を切った。もしかすると統次は、半ば晶がブルータイプと疑っているのかもしれない。晶も今、ミカとほとんど同じ気持ちだった。鮎川那月はおそらく、ディモン・スターとして消されたのだ。人びとの記憶と共に。だが、人馬市は全てを知っている。なぜなら、モニターに映し出された伊達の顔にそう書いてある。
 統次の、異界から侵略する敵の殲滅、恐るべき怪物を倒すという使命感は正しい。だが、常識を逸している。そして統次の意図はおそらく、伊東アイを利用し、この危機に乗じて世界中の軍事力を自分の元に統合し、自分が世界の支配者になる事に決まっている。その事の方が晶にとって、抽象的なブルータイプや帝国の問題なんかより、はるかに、ずっと恐ろしい事であった。
 晶はこの仕事に携わってから、「人類の敵」という存在について考えてきた。一億年もの間、人類を脅かしてきた謎の敵・「帝国」。だが、宝生晶にとっては、それ以前からの宿敵、伊達統次の専制を食い止める事の方が、ずっと差し迫った問題だったのである。
 いや、この違和感の正体は、もっと恐ろしいところにあるのかもしれない。ブルータイプそのものが、敵なのかどうかなど今のところ分からない。しかし、ブルータイプはレッドタイプに擬態して、どこまでも進化するという可能性を秘めているらしい。ならば敵として、侵略者としての証拠が何もないにも関わらず、侵略はそのまま進行していく。しかしはっきり言えることは、侵略者には一定のパターンがある、ということだ。それが「侵略行為」そのものだ。よって敵味方の判断を着けるなら、侵略行為で判断すればよい。もしブルータイプなる敵が存在するなら、宝生晶は伊達統次こそがブルータイプかもしれないと本気で考え始めている。
 伊達統次は眠らない、という秘密を晶は知っている。かつて、ベッドに横たわる統次を殺しに来た刺客を、彼は銃で返り討ちにした。統次は、ベッドに入っても眠らない。頭の中で、延々世界を軍事支配する計画を考え続けるのだ。それによってか、なぜかある時から年が止まっているように若かった。定かではないが四十五歳の時、あるものを手に入れて開発したらしい。それ以来、年を取らなくなり、全く眠らなくてもよくなった。二十四時間でもずっと働くことができ、彼は時間を、全てを己の目的のためにささげた。それは、ブルータイプと関係するものなのではないか、と晶は考えるのだ。
 人の倍の時間を生きる伊達は、誰よりも強大な権力を獲得していった。白羊市の時空研を含めた人馬市の国防総省は、五大時空機関の中でもっとも力がある。委員会からも絶大な信頼を得、豊富な資金の使用が認められている。それによって人知の及ばざる超兵器を次々開発しているのだ。

 宝生晶は密かに、怜にヱルゴールドによる人馬市のヱルシルバーへの侵入を命じた。ヱルゴールドの調査能力を使えば、事件の真相の究明に時間は掛からなかった。
「ヱルアメジストを操り、そして過ちを犯し、自らディモン・スターと化した鮎川那月。他の親衛隊の少年達より遥かに重要な鮎川那月が放置され、生かされていたのはなぜなのか。人馬市のエージェント達は密かに巨蟹市に入り込み、こっそりと鮎川那月を監視していた。軍も密かに侵入していた。病院と人馬市は当然のようにグルだった。そして彼女の痕跡を時空から抹消した。あたしたちもすっかり忘れていた。もしかしたら、彼女は抹殺される事を見こして、携帯を隠していたのかもしれない。なぜかミカだけ那月さんの事を覚えていたけど、彼らはミカに手を出せなかった。やっぱり、全ては仕組まれていたのね。人馬市は知っていた。知っていて、統次は『鮎川那月はブルータイプではない』と嘘を着いていたのよ」
「だって……、あたしが那月の事忘れる訳ないじゃん」
 人馬市はディモン・スター・鮎川那月が弱体化し、力を失った事を知った上で、そのまま社会に存在する状態を保ち、そして那月が社会に対してどのような影響を及ぼすのかデータを収集していた。そうしてブルータイプの平行侵略を観察した。彼らは那月が天文台のヱルアメジストを離れ、親衛隊からのダークフィールドを吸収できなければ、すっかり力を失い、弱る事を知っていた。その上で観察を続けたのだ。もし那月のせいで特異点が形成されたなら、病院のある街の区画ごと爆破する手はずになっていた事も判明した。
 同時に、那月がミカや亮と接することで、この時空にどんな反応、影響が出るのかも調べていたらしい。鮎川那月は観察実験対象であるため、基本的に自然な状態におかれておた。その上で、那月は最後は掴まり、殺されるシナリオだった。それが、親衛隊が処理された後に、唯一完全に判明しているブルータイプ・鮎川那月の活用法だった。
 そこには当然、伊東アイが絡んでいると考えるべきだった。鮎川那月が人馬市から放っておかれたのは、伊東アイの命令によるものに違いない。だが、その証拠は見つからなかった。
 だが宝生晶は確信している。鮎川那月がブルータイプ、それもディモン・スターである事を伊東アイは知っている。鮎川那月は、巨蟹学園事件の「特異点」だったのだから。それを知っていて、彼女が何もしない訳がない。人馬市に那月の監視を命じたに決まっている。
 来栖ミカが新しい世界を生み出した時、鮎川那月に会いたいという一心で世界は再生された。それによってこの世界で、鮎川那月という存在は、来栖ミカと原田亮と同等に重要なものとなった。たとえ那月が帝国の侵入経路たる特異点だったとしても。それは、この世界の創造者・来栖ミカが選択したものだ。人類はその選択の中において、いつも自ら選択していかなくてはならないのだ。
「あなたは何を選択するのかしら」
 そう伊東アイはいつも人類に問いかける。
 来栖ミカ、原田亮、鮎川那月の三者の間で、彼らが正しい選択ができるかどうか、それをアイは見ていた。ミカが亮と、亮が那月と、ミカが那月と向き合う時、三者は、その都度正しい選択をしなければならないのだ。そうして新しい世界は動き出した。だから伊東アイは鮎川那月に直接手を出さなかった。人馬市にも、他のブルータイプ達は捕えても、手を出すなと命令していたのだろう。ミカと亮が那月に対して、どのような選択をするのか待つ為に。よって、公式には鮎川那月はブルータイプではないとして外されていたのに違いない。
 宝生晶は、この事実こそがアイの陰謀だと思うのだった。
「ブルータイプに根拠などなく、全ては、アイが都合よく決めているだけなのかも。これが、本当に正しい世界なのかしら? 鮎川那月が人馬市によってすでに殺された事は、疑いようもない」
 宝生晶は恐るべきこの社会の仕組みから眼をそらすことは、もう許されないと結論した。今まで、疑問を抱きながらも何も行動する事ができなかった自分が愚かしい。
 晶は怜に、ブラッド・スペクトル分析の中断を命じた。怜は不安に感じたようだ。
 ミカからもらった一本の電話で、すべてが変わっていく。事がばれれば、人馬市に呼び出され、統次たちに取り囲まれて、ほとんど魔女裁判のような厳しい訊問を受けた上に、解任されるだろう。しかし晶は、不満げな怜の反論にも取り合わず、その決断を覆すことはなかった。
 人馬市と白羊市は、お互いにブルータイプではないかと疑心暗鬼になり、探り合っている。それが人馬市と白羊市の決裂を導き、やがて訪れる破滅の時が刻一刻と迫っている。その足音を怜は聞いていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み