第14話 炎の瞳

文字数 10,008文字

 白羊市に向かう途中、原田亮は胸が苦しくて仕方なくなって立ち止まった。自分でも訳が分からないほど、悲しくやるせない気分になっている。突如、それは鮮明な画像となって脳裏に受像した。来栖ミカが、真っ青な薔薇園の中で何度もふっ飛ばされて苦しんでいた。ミカは散々に投げ飛ばされ、殺されかけていた。
 不安に襲われた亮は、大学の天文台への道を戻ることにした。

 薔薇園は花びらが散乱していた。やはりそこで、何かが起こったらしかった。夜の庭園内には、静寂が広がっている。
 天文台のドアはなぜか開放されていた。亮は中へ飛び込んだ。
 テラ界導入デバイスに、来栖ミカが横たわっていた。その横で、伊東アイがヱルアメジストを操作していた。
「来栖に何をするつもりだ!」
 亮は叫んでアイに近寄った。
 いつの間にか、天文台の中には見慣れない大規模な装置が数台持ち込まれ、コンピュータに接続されていた。ミカはそれに取り囲まれていた。
「原田亮。あなたは気が付かない? この学園、すっかり暗い闇に包まれてしまっている」
 アイは何かを確認するように、窓の外を見た。
「あれ程警告したのに、あなた達は月のディモン兵器の写真を撮る事をやめようとせず、那月は知恵の実を食べ、ヱルアメジストを起動させた。その結果、どうなったか分かる? 来栖ミカの意識は、月の世界に引きずり込まれている。ミカは今、月の世界に囚われて、そのまま戻って来る事ができない。つまり、とても危険な状態なのよ。私が手を貸して、彼女を救い出すしかない」
 アイは、ミカと那月が薔薇園で戦った事を伝えた。亮が戻って来た時、すでにミカ達の前に現れたメタルドライバーは飛び去った後だった。まだ那月は薔薇園に居るらしい。亮は倒れている那月に気付かずに、薔薇園を離れたようだ。
「ふざけるな……。お前のデタラメな話なんか信じるか。お前はディモン・スターだろ。お前はミカの能力を使って、侵略軍を呼び込もうとしているんだろうが!」
 亮はミカを起こそうとして、見えない障壁に弾き返され、アイの足下に倒れた。
「あなたと来栖ミカは特別よ。その事をわきまえていなかった。ミカが写真を見れば見る程、それに反応するかのように、写真の中でディモン兵器は増えていった。観測者の意識を投影してね。それが今、何を引き起こそうとしていると思う? ディモンの本格的な侵略よ。原田亮、あなた達は愚かな人類の代表ね。謙虚に、人の言う事を聞かないからこんな結果になる」
 アイの鋭い眼光が亮に投げつけられる。
「来栖を、返せ!」
 亮は再度見えない障壁に遮られ、弾き返された。しょせん、自分などに勝てる相手ではない。
「ミカは仮死状態になり、ダークフィールドに取り込まれている。私がミカを助け出すから、あなたにも手伝ってもらわなければいけない。なぜなら、銀河の渦巻きのようなエネルギーと化して、この宇宙を誕生させたあなた達は、ずっとつながっているから。あなたの力が必要なのよ。だからさっき、私はテレパシーで、思念下に、あなたにミカの窮地を知らせた」
 亮はゆっくりと立ち上がる。
「お前が俺に、テレパシーを送っただって?」
 このショートヘアの女は何者なんだ。亮は怪訝な表情で、伊東アイを見つめる。一瞬の沈黙。ミカが仮死状態に陥っているのは、アイのせいではないかもという勘があった。那月と、ミカの間で激しい戦いがあったことは事実だろう。その結果、ミカは死にかけている。
 アイは亮に白魚のような手を差し伸べた。二人の間に存在した障壁は、消え失せていた。
「私を信じなさい。力を貸して」
 亮は無言でアイの手を取った。亮は、自分がアイを信じたのか、操られているのかはっきりしないまま、そうしているのだった。ディモン・スターの言うことなど、信じられる訳がないというのに……。だが、今の亮にどれほどの選択肢も残っていなかった。アイは亮の手を取り、眼を瞑ってミカの額に自分の額をつけると、「ミカの意識にシンクロダイブする」-----と言った。

 ミカは真っ暗な宇宙空間の中に浮かんでいた。目の前の巨大な月が間近に迫ってきた。周囲に、無数の黒い船が整然とどこまでも並んでいた。ミカはその中を一人で漂った。ミカは艦隊のちょうどど真ん中に居て、取り囲まれていたのだ。
 黒い金属でできたそれらの船は、兵器であると同時に生物だった。それぞれが全長十キロあり、外見はトゲのある鎧で覆われている。その中で、漂うにように浮かぶミカは、はっきりと意識を取り戻した。心の中には恐怖しかなかった。寒かった。両手で肩を抱いて、寒さと孤独から身を守ろうとした。
 突如、ミカは背後に温かい光を感じた。その光に反応するように振り返ると、黄金のエネルギーの塊が近づいて来た。光は次第に大きくなり、やがて光の洪水が世界を照らし出した。太陽の、圧倒的な光だった。黄金のエネルギーは、ミカの周囲を取り囲んでいる漆黒の艦隊を吹き飛ばした。
 月も宇宙も消え去って、ただただミカは太陽光に包まれた。眩い光の中に、少女の形をしたものが宇宙空間を歩いて来る。だが、眩しすぎて誰なのかが見えない。

 空は青味がかった夜明け前だった。ミカはヱルゴールドに接続された時のようにテラ界導入デバイスに寝かさていた。上体を起こすと、目を覚ます瞬間まで間近に存在を感じていた少女はどこにもいなかった。いや、部屋の中には誰も居なかった。天文台の外に出ると、全てが真っ青になった薔薇園の中に、那月が一人で倒れていた。
 那月は、生きているのか死んでいるのか分からなかった。駆け寄ると、那月は確かに生きていた。だが、那月は気絶したまま、その口から青い血が流れていた。他に外傷はない。起こすと、ミカの顔を見ても、空ろな瞳で何も言わなかった。意識はあるものの虚脱状態だ。ミカは、那月からダークフィールドが失せている事に気づいた。同時に、那月から力がなくなっている。ミカは、那月の上体を抱き起こすと、頭を静かに抱いた。
 ミカは携帯で救急車を呼んだ。那月は病院に搬送されて、そのまま入院となった。ミカは病院に同行したかったが、そこへ亮が走って戻ってきた。二人で走り去る救急車を見送った。
「来栖! 大丈夫か」
「亮、無事だったのね。一体何が?」
「君こそ、何ともないのか?」
「うん、大丈夫みたい」
 身体の方は不思議と平気だったが、心の方はショックで人と話す事も億劫だ。
「そうか……。君は、伊東アイが天文台に仕掛けた装置に寝かされていた。俺にも分からないけど、伊東アイはきっと君に何か治療をしたんだ。俺はその時、ヤツを止める事ができなかった。いや、正確には止めなかった。俺も、ヤツに協力したんだ。本当に、何もないのか?」
「うん」
「鮎川は?」
「元に戻ったみたい。でも意識がはっきりしなくて。那月はダークフィールドに取り憑かれていた。那月は、亮とヱンゲージするんだって言って、身に着けた力であたしを殺そうとした。以前の那月じゃなかった。ずっと前から、そうだったかも。今はもう力がなくなってた。那月があれ程までに亮の事を思い詰めていたなんて。あのね……誤解しないで欲しいの。那月は、全然あんな子じゃなかった。とてもいい子だった」
 亮は頷いた。
「どうしてこんな事になっちゃったんだろう。わたしは、那月に会う為に、この世界を再生させたはずなのに」
 ミカは両手で顔を覆って泣いた。亮はそっとミカの肩に手を置いた。
「君は、鮎川に会う為に世界を再生させた。ところが鮎川と君は、対決せざるをえない運命だったのかもしれない。なぜなのかは、俺にも分からない……」
「こんな事になるくらいだったら、いっそ世界を再生なんかしない方がよかった」
「俺は……。鮎川に告白された時、はっきり分かった事がある。ヴァージン・ヱンゲージの時に、俺の古い記憶が呼び覚まされたんだ。俺はずっとそれが何かを探していた。長い年月だ。きっと、今の人生だけじゃない。俺は長い長い時間、それが何かを掴む為に、生まれ変わりを、ずっと輪廻転生を続けてきた。幼い頃から、何かを必死になって探している感覚がつきまとっていた。ずっと、それが何なのか分からなかった。しかし、今世で出会えるという感覚はあった。俺はそのために、今日まで生きてきたんだ。鮎川に迫られた時に、それが何かのか、はっきり分かった」
「それは?」
 ミカは顔をあげて、涙がこぼれる大きな瞳で亮の顔を見つめる。
「魂の片割れとでもいうべき相手さ。ツインソウルというのかな。ずっと昔、俺はもう一人の半身と、一人の存在だったらしい。その片割れと、俺は長い間、離れ離れになっていた。俺はそのツインソウルを探していた。それと出会う為に。鮎川が告白してきた時、彼女はツインソウルじゃない、と分かった。だから俺は、来栖。君こそが------------」
 亮が言いかけた時、陽が差した。太陽が二人の顔を眩しく照らした。
「もう伊東アイの時間になってしまったか。やつが本格的に動き出す。早く時空研に連絡しないと」
「どうやって?」
「--------白羊市に行く。あの廃墟に、何かの変化が起こったのを感じたんだ。そして、この学園には……伊東アイには謎が多い。俺は今、それでこんがらがっている。はっきり言って混乱している。やつは一体何者なんだ……。やつの事がはっきりと分からない内に、俺たちが勝手に動くのはまずい。詳しい事はまだ分からないが、時空研なら正しい答えを知っているはずだ。でもまだ答えは出ていない。二人で一緒に行動すると、また一緒に操られる可能性がある。三時間後に、戻ってくる」
「そんな。行かないでよ。一人にしないで」
 ミカは亮の腕を掴む。
「何か分かったらすぐ携帯に連絡する。君も、何かあったら電話してくれ」
 亮は、走り去った。
「分かったわ……。気を着けて」
 亮と別れてからも、ミカは幸せな気分に浸っている。ツインソウル、か。薔薇園で、那月も同じような事を言っていたような気がする。
 でも、それって那月とあたしの関係だな。那月とは小さい頃から、一緒だった。昔から二人で一人だった。それぞれが、それぞれにないものを持っていた。ミカには那月にないものを、那月にはミカにないものを持っていた。たとえば那月は頭がいい、ミカは頭はよくない、けどミカには歌がある。ミカは運動神経がいい。那月はよくない。那月には胸がある。ミカには胸がない。ミカはアイドルっぽくて派手、那月は控えめ……けど今は真逆。
 私と亮がツインソウル。ぼうっとしたまま、亮の消えた方向を見ていた。

 当然の結果として、鮎川那月が入院した事で生徒会長の選挙は取り止めになった。授業は、相変わらず教師も生徒もやる気なく、学園内をけだるい空気が包んでいる。亮は三時間どころか、五時間経っても学校に戻って来なかった。心配になって、昼休みに電話をしてみる。亮の携帯番号が使用されていないというメッセージが流れた。
「消された……。亮が、消されちゃった……」
 ミカはショックで泣いた。
 那月もいない。ミカはたった一人で取り残された。ミカは孤独に震えた。ミカは授業をさぼって、校舎の屋上で体育座りして、うずくまった。新宿ビルの屋上のように。もう、どうすればいいのか全く分からない。
「亮……亮……怖いよ……。もうイヤダヨウ……」
 こんな辛い事ばかり。悲しい出来事ばかり起こるんだったら、世界なんか、再生するんじゃなかった。
 巨蟹学園はどこを歩いても、ざわざわする感覚がつきまとった。巨蟹市全体が、闇にどっぷりと浸かっている感覚だ。やっぱり伊東アイは、ディモン・スターだ。
(次に消されるのは私か。消される前に、こちらから戦いに行こう。あいつが恐ろしい力を持ってるのは充分分かってる。けど、黙って消されるのはごめんだ)
 もう我慢できない。那月がダークフィールドに落ちたのも、亮が消えてしまったのも、すべてあの女のせいだ。たった一人になっても、自分から立ち向かい、伊東アイと戦ってやる。たとえ今日、殺されたとしても。
 夏型高気圧の作り出した厚い雲が、雨を降らす。
 天の底が抜けたような土砂降りの雨の中、ミカは生徒会に向かった。まだ午後三時だったが、土砂降りの雨の為か薄暗かった。暗いのは天気のせいだけではない。校内は不気味な気配が支配し、まるで悪夢の中をさまよっている感覚で廊下を歩いていく。
 ノックをせず勢い良く戸を開ける。部屋の中に入ると、途端にパァッと明るく感じられた。部屋には生徒会長の伊東アイが一人で居た。学校を包んでいる闇は、そこには存在しない。それは、電気のせいだけではない、強力な霊的エネルギーによるものだった。黄金のエネルギーが、伊東アイから発せられていた。
 一瞬、ダークシップに囲まれた宇宙空間での出来事が思い出された。太陽の光の中に立っていたのは、伊東アイだ。ミカはヱンゲージ以後、エネルギーを敏感に感じるようになっていた。それは、時空研の言っていたアストラル波かもしれない。ミカの敏感なセンサーは、アイと対決しに来た今、これまで以上に相手の強大なオーラを感知していた。ミカや那月など比較にならない、物凄い能力者だ。近くに居ると、瀑布のような力を感じ、目眩がするのだった。戦う事など、とてもできないそうにない。だが、ここまで来た以上、覚悟を決めるしかない。
「亮を返して。あんたが消したんでしょ」
 ミカは単刀直入に言った。
「何の話? 私は誰も消してなんかいないわよ」
 アイは平然としているので、ミカはカッとなる。
「とぼけないでよ! あんた、地球を侵略しに来たディモン・スターのくせして! 今日わたしが来た意味も、分かってるはずよ。那月がおかしくなったのも、亮が消えたのも、全部あなたの仕業! あたし達が邪魔だから妨害したんでしょ」
 全ての出来事は、この侵略者が、伊東アイが悪い。どんなに伊東アイが恐ろしい能力を持つ事を肌身で感じ取っても、時空研と連絡つかなくても、たった一人になっても、もう許せなかった。
「こんな事になったのは全てあなたのせいよ! 何もかも。よくも亮まで消してくれたわね。次は私の番だという事も、よーく分かってるわよ。だけどもう私は逃げない」
 アイはミカがまくしたてるのを聞いていたが、ゆっくりした口調で返す。
「昨夜は危なかったわね。あなたは自分の認識不足のせいで、死にかけた」
「うるさい! よくもあたしに何かしてくれたわね。私を使って、何かやってたのは分かってんだから。何をしたのか知らないけど、私にだって力があるんだから! 私を消せるもんならやってご覧なさい。あたし、あなたに勝てるかどうか分からないけど、あなただって只じゃ済まないわよ!」
 ミカは赤いオーラを身にまとい、戦闘モードに入った。ミカの、世界を再生させた力を、目の前の敵を倒す事に使うために――。
「昨夜の強制介入で、私は暴走してしまったあなたの力をコントロールした。本当はするつもりはなかったけど、状況が火急を要すれば、しかたがない」
 太陽を直視する事ができる伊東アイの目は、それ自体が太陽のように眩しく輝いていた。
「私のあなた達への警告も、すべてあなた達の力の暴走をくい止める為だったのに、あなた達は無視し続けた。あなたは、力の使い方も、その意味も知らない。なのに、巨大な力だけは持っている。それが、どれだけ危険な状態であるか、あなたはまるで分かっていない。その為に世界は今、危険な状態に陥っている」
 アイの話し方は、相変わらず年齢を超越したような落ち着きぶりだ。まるっきり超越的、非人間的、宇宙的で冷静沈着。感情の揺らぎがないところが自分と大違い。
「世界が闇に包まれているのは、あなたのせいでしょうが!」
 ミカは気押されないように頑張った。
「断片的な情報から憶測すると、とても危険よ。物事は、正しく認識しなければならない。あなた達が大学の天文台で撮っていたものは、人の心の闇が月面に映し出されたもの。あなた達が観察を続ければ、像は固定し、実体化していく。人の心には力がある。特にあなたと原田亮があれを観測する事は、他の人が観測するよりも、遥かに重要な意味を持っている。そして、最終的には侵略者が地球に飛来するわ。地球を攻め滅ぼしにね。だから私は、最悪な事態が起こる前に、阻止しなければならなかった。だから、あなた達の前に現れた」
 ザーザー降りの雨が、ガラス戸にバシバシ叩き付けられている。
「あなたは天文台で、私を使って侵略者を呼び込んだんでしょ。あなたの目的は、どうやら私の力を手に入れる事だったようね。月の侵略に、私の力を必要としているんだ!」
 そんな企みに載ってたまるものか。ミカは、こんな女の手に掛かるものかと心にめいいっぱいガードを張る。
「あなたはまるで分かってないようね……。月からの侵略者が何故出て来たか。この新しく創られた世界は一見平和な世の中だけど、実はそうじゃない。前宇宙の破滅の問題が、単に先送りにされただけ。要するに執行猶予の世界。その執行猶予の間に、あなた達人類が、新しく生まれ変わるという勤めを果さない限り、世界は破壊に向かって突っ走っていく。そして再度滅びる事になる。この世界の運命が、あなた達の心にゆだねられているという事をもっと自覚しなさい……。今や、あなた達の行為のせいで、世界は再び、また滅びに向かってゆっくりと進み出したのだから」
 アイは、この世界が一度再生した秘密を知っていた。
「これが今日私から、あなたにはっきり伝える真相よ。これからのあなたの選択次第で、世界は変わってくる。さて、あなたは、何を選択するのかしら」
「これ以上、あなたの話に騙されて、利用されるつもりはないわ。この世界に侵入して溢れかえり、世界をおかしくしているのはあなたよ! 伊東アイ。テレビどこ着けても出てきて、世界中に現れて、うっとうしいったらありゃしない! 私の力を使って、やっつけてやる!」
 ミカはこれまで何度も体験したアストラル波の増幅を思い出し、生徒会室で再現しようとしていた。皮膚はピンクに染まり、汗が滴る。目が血走り、全身の毛が逆立っているように感じる。ミカのアストラル波は赤く明るく輝き始め、実体化した。部屋のあらゆるものがガタガタと振動する。ミカの怒りが物質化したよう感じられるのだった。
「今のあなたはまるでピストルを手に入れた子供のようね。その力の意味を知らないままに、せっかく生まれ変わったこの世界を、暴風雨のように再び破壊しようとする」
 ミカはこれ以上、敵の術中にハマってはなるまいと聞く耳を持たず、何もかも破壊するほどの怒りを爆発させた。(この、嘘つき女!)と何度も心の中で呟いて居る。
 突然、部屋中が炎で包まれた。ミカの意識が発火現象を引き起こしていた。アイは腕を組んだまま立っていたが、やがてミカに近づいてきた。アイは炎の中を、平然と歩いてくる。アイを包む黄金のオーラが炎を近付けさせないのだった。
 ミカは全身が焼けそうな程の熱さを感じ、意識を失いかけた。ミカは、自分の出した炎の中で倒れた。このまま、死んでしまうのかもしれない。ミカは壁にもたれ、床に崩れ去った。
(ダメだ、伊東アイに掴まっちゃう)
 ミカは腕を誰かにぐいと引っ張られ、朦朧とした意識でそのまま廊下を走った。
「振り向くな」
 声だけが聞こえる。女の声だった。目眩で相手が、誰だか分からない。いや、意識を取り戻しても、何も見えない。いいや、ミカの腕を白い服を着た半透明の腕だけが掴んで、引っ張っている。その服は、白い袴によく似ているが、振袖のように長く少し変わっていた。声はアストラル通信に酷似していた。時空研が連絡を取って来たのだろうか? 救われた思いがする。だが、その声は宝生晶ではない。晶より声が低い。しかし年齢は晶と同じ二十五くらいの若い女性の声だろう。しかし、アストラル通信とは感覚が少し違った。これはアストラル通信のホログラムじゃない、幽霊だ! 似ているけど確実に違う。これは自分に触れることができる存在。アストラル通信を最初に受けた時、てっきり幽霊だと思ったが、今度こそ本物の幽霊の出現だった。
「走れ!」
 女の幽霊はウムを言わさず命じた。ミカは校舎を出て、日が暮れて、ザーザー振りの雨の中を突っ走った。その手の引っ張る力が消えた。立ち止まり、街灯の下で右腕を見ると手の痕が残っている。物凄い力で引っ張られたらしい。
「助けてくれたんだ」
 確実に、何か得体のしれないモノがいる。辺りをキョロキョロと伺うと、それはかげろうのように出現した。街灯に照らされた、半透明の人物がうっすらと浮かび上がった。白い服に、古代の赤い甲冑を身に着けた女の霊。白装束の着物にも似ているが、少し変わっている。長くつややかな黒髪を持ち、面長で、長いまつげの切れ長の目、高い鼻、白い肌、手足が長く、どことなく高貴な風貌。霊なので雨には濡れていないが、長い髪が美しくキラキラと輝いている。凛々しい目をした女だ。その女の霊は、闇の濃いこの街で、例外のように白く輝いていた。


「あなたは、一体誰?」
 女の霊は眼光鋭くミカを見つめたまま、口を一文字に結んで黙っている。霊はミカと対峙して立っていた。辺りにアイの気配はない。雨の音だけが耳に響く。
「ねぇ、なんとか言ってよ!」
 女の霊は厳しい目つきを変えないまま、静かに口を開いた。
「もしさっき引っ張り出さなければ、お前は相手の力と無理に戦おうとして、死んでいただろう。愚か者め。お前に敵う相手ではないことは分かっていただろうに。それとも、死にたかったのか? まず身の程を知る事が大切だ。二度と無謀な真似をするな」
「う、うん……分かった。で、あなたは何者なの」
 ミカはこの存在を知っている。ずっと昔から、知っていたような気がする。
「私は、お前がヱルゴールドに接続された時に召還された。来栖ミカ、お前自身の中に。我が復活には、まだ誰も気づいていない。このことは誰にも言ってはならない。いいな? 私とお前との秘密だ。決して、伊東アイに悟られてはならない」
「わ、分かったけど……」
「お前に様々な力を与えてきたのは、全て、意識下にあった私だ。さっきもお前は空を飛べたのに、飛ぶことすらも忘れてしまったのか? 一度は思い出したはずだ。情けない。お前は力を持ち始めているが、まだ力のコントロールを知らない。だから、自分の力に翻弄される。お前は防御も知らなければ攻撃も知らない。今のお前は蛹(さなぎ)だ。だが、お前の中には戦士としての力が眠っている。私はお前にその事を思い出させてきた。だからだ、時々思い出したようにそれを使うことができたのは」
「戦士の力? 生徒会室で出した炎の事?」
「さっきの力など、ほんの一部に過ぎない。お前が本当の力を思い出せば、そんなものではない……。お前の中には、何者も抗えない戦う力が眠っているのだ!」
「あいつに勝てるというの?」
「時が満ちれば、私は本格的にお前の前に現れる。お前を特訓するためにな。時間は余りない。だから少々手荒な事になると、先に断っておく。私は命懸けで指導するからそのつもりでいろ。私はお前を徹底的に鍛える。今から覚悟しておけ。もし甘えを出したり、逃げたり、中途半端な気持ちを持てば、その時こそ本当に死ぬ事になるぞ……」
「そんな事いきなり言われてもサ……」
「甘えは許さん。今より全く違った自分になると、イメージを描け!」
 伊東アイより、恐ろしい相手かもしれない。いきなり現れた幽霊に高圧的に言われて、ミカは不満だった。
「なんで、なんで私ばっかり、こんな変な事が起こるのよ!」
「お前の今世における宿命だ。己で決めた宿題だ、逃げる事は許さん」
「私一人だけで、戦えっていうの?!」
 ミカは抗議するような口調で突っかかる。
「私が守ってやる。お前は一人で戦っているつもりらしいが、決して一人ではない。危機の時には私が助けに来てやる。さっきのようにな。その時は、私の事を想い、私を呼べ! いいな!」
 女はモヤのように消えた。ついに今日、霊と話をしてしまった。もう何が起こっても不思議ではないだろう。雨の後、季節は元の十一月に戻っていた。
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