第1話 シャンバラの少女

文字数 3,342文字

 過ち続ける人類の選択のプロセス
 新たに生まれた楽園に蛇が侵入し、月からの闇は確実に侵攻していく
 宝生晶は、智恵の実を口にし、自らヱデンを出てゆく
 人類はやはり、間違ったところからしか始まらないのか




 雪を頂いたヒマラヤ山中の奥深くに、深さ七千メートルのヤルツァンポ大渓谷が存在する。二十一世紀に未だ未開の地である。この渓谷に異次元のゲートが存在する。世界で七ケ所ある地下ゲートの一つ、地下の帝国への入口だ。通常、誰もゲートの存在には気づかない。唯一の例外として、百キロメートル離れたところにあるチベット寺院の僧たちに、地下の王国シャンバラへの入口が存在するという事が、密教経典「時輪経」によって伝えられている。しかし、この周辺では、たびたび光る物体や謎の発光現象が目撃されていた。
 地下へのゲートはアストラル領域の波長であり、通常物質的には存在しない。ゲートをくぐると、大深度地下にシャンバラが存在した。さらにそこから一気に地球の中心までワープする通路がある。地球の中心の核の近くに、巨大な球状の空間が存在している。それが、「光シャンバラ」である。光シャンバラは、上のシャンバラより遥かに巨大であり、高次元である。
 起源は古く、およそ三十六億年前から存在していた。その球状空間の壁面は、反物質によってマントル対流と遮断され、全面に海が存在し、陸が存在する。つまり、海がせりあがって見える。その中心に巨大なルミネセンスが太陽の代わりに輝いている。
 陸地には草木が生い茂り、とてもそこが地下の世界であるとは思えない。植物は、地上のものより巨大であり、古代に失われたものもすべて保存されているのだ。
 時輪経によれば、伊東アイは元はアイマックスという名で、今から三十六億年もの昔、太陽からこの地球に光シャンバラに乗ってやってきた。もともとは太陽人だったらしい。地球に高度な知的種族の文明を作る為に派遣されてきたという。光シャンバラが地球に衝突した時、月が誕生した。光シャンバラは地球の核の近くにあり、そこから地上のあらゆる高等生命、人類の種子がもたらされ、地球は高度な星に進化したと言われている。
 さて、上の王国シャンバラには、幾つもの都市が存在していた。
 虹色に輝く壁面を持つピラミッド、時空研にあるようなドーム、尖塔、楕円で構成された建物等である。しかし、どの都市も離れており、地上にあるような大都会は存在しない。
 その中で、三十くらいの透明な摩天楼が集まっている都市があった。全面が透明に輝き、水晶で出来ていた。「クリスタルシティー」と称される都市だ。近づくと、精妙なバイブレーションが膨大な量で発信されているこの都市には、超近代的な設備が整った「宇宙戦略大本営」が存在する。
 異様なのはこの地下世界で働いている者たちが、皆一様に同じ姿格好の少女であるという事だ。伊東アイ。茶髪のショートヘアに黒い眼を持った身長百六十センチのスレンダーな少女は、一見西洋人風にも見えるが、西洋人ではなく、西洋と東洋----日本人のハーフの顔立ちを有していた。それが地球の進化の歴史に多大なる影響を与えてきた存在であった。
 地下の王国シャンバラには、総勢三万人の伊東アイが存在している。アイは、それぞれの場所で活動を行っていた。「三百伊東アイ委員会」という名称はシンボルであり、実際は三百以上、役割の分だけ幾らでも増殖する事ができた。シャンバラ占星術基地、シャンバラ錬金術基地、ヱルメタル基地、地球環境コントロール基地、太陽系計画基地、霊界コントロール基地があった。シャンバラは、地上より遥かに進化した先進文明なのである。
 その中でもシャンバラの重要な任務の一つが、地球に蓄積されたダークフィールドをモニターし、一定以上のダークフィールドが蓄積されると、地球の健康を害さないように、宇宙へと放出する作業である。つまりデトックス。それが地上では、それは地震などの天変地異となって形に現れる。
 しかし委員会の「三百」という数の意味は、他にもある。それは、全平行宇宙で重要な三百の世界から、この時空へと一同に会した三百人の伊東アイ……、その会議のことなのである。
 クリスタルシティーの中心に、ヱメラルドの大神殿があった。アンコールワットの遺跡と、カトリック教会と、タージマハルを合わせたような壮麗な建物だ。しかし、規模はそのいずれよりも巨大だった。建物からは、螺旋のエネルギーが放出され、周囲のクリスタルの高層ビルがさらに増幅している。このエメラルド大神殿がその「宇宙戦略大本営」であった。
 その中のホールに三百の平行宇宙から集結した伊東アイが集まっていた。そこは、ハイアラーキーホールと呼ばれていた。ホールの天井の高さは二百メートルを超える。そして高さ十メートル以上はある、横に太い六角形をしたヱメラルドの固まりが壁面に置かれている。このヱメラルドの固まりは、ケーブルによってディスプレーや他の機械部分に接続されている。シャンバラを統括するヱルヱメラルドである。そこに接続され立っている長方形のデバイスが、ヱメラルド・タブレットである。
 三百人のアイ達は、ヱルエメラルドに向かって弧を描くように配置されたデスクに座っていた。ちょうど日本の国会議事堂に似たような配置だ。デスクは出し入れ自由の、タッチパネル式の端末が隠されている。壁面に鎮座するヱルヱメラルドの内部には光の幾何学模様が現れては消えている。多くの伊東アイとは別に、一段高い議長席に一人だけ少し変わったアイが座っている。彼女だけがただ一人、金髪碧眼の伊東アイ。彼女は、議長アイ1。他のクローンに比べ、特大のインディゴのオーラを持っていた。
「なぜ報告が遅れたの。36、48、60。あなたたちが監視していたはずよ? 時空研を監視するあなたたちの役割は、単なるカカシとは違うのだから」
 固くしっかりとした黒い椅子に座る金髪碧眼のアイ1の声は静かだがホール全体に響き渡る。アイ36、アイ48、アイ60は議長席の前に進み出て立っている。
 アイ1は本体で、他は分身である。アイは本体、分身とも全てが一つに繋がった超意識を共有した存在である。一即多、多即一。だが個別に活動するクローンの中には、全体から切り離されたような活動をし、同調……情報の共有が遅れる者がある。
本体のアイ1は、他の分身たちとは比べ物にならない力を持っていた。分身の力量には限界があった。それが実際、最初のセレン計画における指導の限界にも繋がったとされている。
「原田亮の心は、時輪ひとみに囚われている。以前、来栖ミカが鮎川那月に囚われていたように。その結果、私たちはセレン研究所の復活は阻止したけれど、どうやら時輪ひとみの復活は阻止できない」
 アイ36が代表して答えた。新世界誕生早々、巨蟹学園の事件によって、ネガティブ化したセレン研究所が日本---すなわちデクセリュオン時空----に復活しようとしていた。それで日本社会に、詳しくは巨蟹学園を中心とした世の中に直接アイが乗り込み、セレンの復活をくい止めたのだった。
「時輪ひとみが侵略するわね。ヱデンに新たに現れた蛇。彼らの侵略は巧妙だった。私たちが表の侵入経路に気取られている間に、裏の侵入経路を使って入り込んで来たのね。このブルータイプ増殖は、鮎川那月が原因ではない、むしろ時輪ひとみの影響によるものだったのよ。鮎川那月が先兵となり、ひとみが入る道を着けたのだわ」
 アイ1は重々しく言った。
「このままでは人類はまた滅亡してしまう。それでは私たちのこれまでの努力が全て無駄になる。ただちに第二次ヱンゲージ計画を発動して。そして速やかに中止を言い渡し、次の段階に移行するのよ。今やらなければ、取り返しのつかないことになる」
 アイ1の結論に、すべてのアイが立ち上がり、本体に向かって頭を下げた。全員がインディゴのオーラを放ち、そのマスゲームは、まるでCGキャラクターのように完璧にそろっている。
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