2022年2月 今頃になって訴えられました

文字数 2,163文字

「訴状が届いていないためお答えできません」
裁判沙汰の報道でよく耳にするこの慣用句が、まさか自分の身近で聞かれるような事態がおこるとは思ってもみなかった。内容証明郵便で届けられたのは告訴状で、宛先は家人の名前になっている。もちろん封筒の中身が告訴状だということは、開封しなければわからない。だが届いてすぐに仕事中の家人からの入電があったので、中身は訴状らしいということがわかった。かつての勤務先だったバス会社から、家人の元へ「会社と個人がまとめて告訴されたので、そちらにも訴状が届く」という連絡が入ったそうだ。

家人の帰宅を待って開封された書状には告訴状とあり、原告には見知らぬ人の氏名、被告人の欄に家人と、バス乗務員時代の勤務先名が記載されていた。告訴の内容と公判期日が記載されたフォーマットには、初公判が3月15日、東京地裁にて開廷される旨が記載されている。原告側が手書きでまとめたらしいメモを含む訴状が同封されており、全部読むにはそれなりの気合いが必要な代物だった。それらを読んでようやく理解できたのは、原告は一年以上前、家人が乗務員を辞めるきっかけとなったバス車内での転倒事故の被害者であり、その顛末についての告訴ということらしい。

路線バス車内で発生した事故とはいえ、加害者と被害者がいる以上、過失割合というものが出される。そのあたりは路上で起きる一般的な交通事故と同じだ。過失割合とは、事故に対する互いの責任を数字で◯対◯と表現するアレである。たとえば加害者側に8割の過失があるとすれば被害者側に2割の過失があるとして、保険会社はその数字を元に補償額を算定してゆく。どうやらその割合について、話がこじれている様子なのだ。

当初バス会社側は被害者側に過失割合7対3でどうかと提案したものの合議に至らず、やむなく譲歩して8対2ではどうかと打診していた。その協議に時間を費やしている間にも、被害者は転倒時の負傷箇所を通院治療していたのだが思うように回復がみられず、そのうちに通院先の病院で「これ以上の治療はできない」と診療拒否を喰らったという。仕方なく転院した先でも種々の酷い扱い方をされ、納得のいかない治療が続いている上に、いまだに回復はみられない。この扱いはあんまりだ。自分には落ち度がないにもかかわらず、どうしてこんな酷い仕打ちを受けなければいけないのか。そもそも事故を起こしたバス会社と乗務員がすべての責任を取るべきで、過失割合は10対0でなければ、自分は納得できない。このままでは埒があかないので法の裁きに任せようじゃないか………ということらしい。

こちらとしては訴状を受け取った現時点で、事故から一年半以上が経過していることになる。家人は退職し、新たなる職を得て働きはじめ、日々を面白おかしく過ごしていた。そのうちに、被害者側の事態は膠着どころかドロドロと流動し、かかった時間の分だけ被害者感情が熟成され、最悪のコンディションに仕上がっていたようだ。

家人は案外冷静で、訴状を読むと元勤務先に電話して、全部任せますからと言って委任状を書いて送ることにした。一年以上かけても相手側との交渉妥結まで持ち込めない、バス会社の不甲斐なさにはがっかりさせられたが、告訴人と被告人、合わせて三者のうち一番場数を踏んでいるのはバス会社のはずだ。もはや離職して立場も違う家人が混じることで、中途半端な三つ巴を作り事態を複雑化させるより、まずは当初のシンプルな構造を意識すべきだろう。何より個人的な弁護人を立てるほどの経済的余裕がこちらにあるわけでもない。被告人自身が裁判所に出向こうにも、公判の度に勤めを休んで地裁へ足を運ぶのは非現実的というものだ。
今更事故の経緯について尋ねられても、ドラレコの記録以上に信頼すべきものがあるわけもない。本人は辞職という形で贖罪をした、そこから一年半という時間が経過している。こちらとしては「え? 今頃??」と、あっけにとられるのを通り越し、そんな時代もあったねと薬師丸ひろ子が歌い出してしまうのである。研ナオコ版も捨てがたい名曲だと思うが。

生まれて初めてお目にかかった告訴状というものを、せっかくの機会なので読ませてもらったが、読めば読むほど事故当日のことは何の記載もなく、自身が通院中に酷い扱いを受けたという医療機関の、医師と看護師に対する恨みつらみの連続で、読めば痛々しく気の毒な限りであった。しかし被害者の方には申し訳ないが、告訴する相手を間違えていらっしゃるのではというのが正直な感想である。まずもって事故と、その後の治療時におきたトラブルは分離してお考えいただきたいところだ。
重曹的な構造の災難に巻き込まれたときは、まずそれらを分解整理して考える必要があるだろう。もっとも、事故が発生した段階では非常にシンプルな内容だったはずだが、そこは一年半の間にすっかり熟成され、私らの与り知らぬところで成長し、多層的な存在になっていたのである。ほんのりイクラ色に染まったお腹をした稚魚が川を下り大海原にもまれ、忘れた頃に鮭となって大河を雄々しく遡上する姿を見る思いである。

この際だから次回はバス乗務員のサイドから、あまり大声では言えない「路線バスの実情と将来」について講釈させていただくこととしよう。
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