2020年9月 今退くべしと心得た

文字数 2,565文字

2020年9月4日、私は高校時代の同級生で近くに住む友人と会っていた。高校の時に偶然近くの席に座っていただけの間柄なのだが、どういうわけかいまだに(数年に一度というペースではあるが)私をかまってくれる奇特かつ貴重な人物だ。20年以上も交流が続くとは思ってもみなかったが、私の父は常々「高校時代を共にした友人は、一生の付き合いになるから大切にしろ」と言っていた。あれは本当のことだったんだなと今にして思う。

とはいえめったに顔を合わせることもなく、思い出したようにラインが来たりする彼女のことをふと私から呼び出したのはひとえに「ブドウが為」である。前日実家の母からマスカットが届いた。母は季節の果物を通販で買い、その美味しさに感動すると親類縁者にも贈ってしまう癖がある。東京で所帯を構えてのち、私ももれなくその発送先に登録されてしまったらしく、それは大変ありがたくて、同時に困惑を呼ぶことになる。なにしろ量が多すぎるのだ。
構成員たった2名の世帯にメロンが3玉届くと、追われるように食べなければ消費しきれない。届いた瞬間から三食メロン付きの生活が数日続くことになり、こうなるとさすがに飽きてくる。年齢的にはそろそろ血糖値を考慮に入れなければならんはずなのに、立ち塞がるのは果糖という強敵、しかも美味しいときているから困りものだ。そして昨日は型のいいシャインマスカットが五房も到着し、ご近所に手伝ってもらってもまだ多いそれを一房提げて、互いが住む家の中間地点にある街へと出向いた。

適当な店に入ってランチビールを飲みながら近況を報告していると、ふと彼女が「怖くないの?」と尋ねてきた。えっ? 何が? お互いにいい歳をして怖いものなど相当すり減ってきている。恐怖とは想像力の産物であり、世界は想像で補う必要がないほど「見える化」されてしまったではないか。

「怖いって何が」
「だって一応私、医療関係者だよ?」

彼女は鍼灸整体の治療院で働いているレッキとした医療関係者だ。他者と直接触れることを生業としている人たちは、新型コロナウイルス感染リスクが高いとされている。日々かなりの感染対策を要求されているのだろうし、苦労も多かろう。方や私はひとり自宅で仕事をして、他者とのコンタクトはメールと電話、スーパーマーケットのレジで「袋どうしますか」と尋ねられて「持ってます」と答えるくらいしか口をきくこともない生活である。不健康極まりない暮らしぶりの方が、感染症に関して言えば健康リスクを低く保てるとは皮肉なものだ。

私は久しぶりに彼女に会えて、それがとても嬉しいと伝えた。マスクをつけて手指の消毒を励行し、やれる対策は皆やっている。それでも罹るなら仕方ない。彼女自身にとっても、私と会うことがリスクのひとつになり得る以上お互い様だ。うちだって路線バスの運転手がいるからね、お互い様でしょと言うと、彼女は家人を気遣って「お元気?」と尋ねてくれた。その流れから、近々退職すると伝えたら、彼女が小さく驚いたので、私はいきさつとして先月の事故のことを伝えた。

実はついさっき、待ち合わせのために身支度をしていると、出勤した家人から電話が掛かってきたのだ。「仕事辞めたいんだけど」と言うから、わたしは二つ返事でおぉ、それはいいそうしなさいと答えた。わざわざ電話なんぞしなくてもいいのにと言うと、上司から『家族に一言相談してからにしなさい』と言われたという。本人の勢いだけで退職を届け出ると、家族の反対でもめることもあるからと、営業所長に言われての電話だったようだ。私が一も二もなく賛成したことに所長はさぞ拍子抜けしたことだろう。事実、あまりにも早く電話が終わり、家族の了承を得たと伝えると所長は慌てて慰留にかかったという。
こういうときの「家族に説得させる作戦」は手垢のついた手法だが、構成員たった2名の我家は個人主義を法としている。家人の職業は家人に決定権があり、世帯の意志は二の次だ。いついかなる場合でも、本人の意志が明確である限りそれが尊重されるべきであり、家族たるものその意志を完遂させるべく、何となれば助力も惜しまないとする、当たり前と言えば当たり前過ぎる思想であろう。しかし世間には「家のローンがまだ◯年残っている」「上の子がもうすぐ受験」など、世帯の都合が優先される家庭も往々にして存在する。労使間協議における経営側は、そこらへんを巧いこと転がすことで合意に持ち込もうとするのだ。
だがしかし、前回にも書いたが、私は家人の労働環境についてそれなりに理解しているつもりである。その上で言わせてもらえば、常々『もうここら辺で潮にした方がいい』と思っていたのである。

バスのダイヤに合わせた生活は、起きる時間も眠る時間もバラバラで、毎日同じようにはならない。早朝真っ暗なうちに出勤することもあるし、夕暮れ時に出社して夜間から深夜の乗務に対応し、営業所で仮眠した後始発から再び乗務して、翌朝10時ごろに幼稚園児のお散歩に紛れて帰宅することもある。いくら十全に体調管理をしても、決まった時間に陽を浴びることも難しい生活を、健康的に持続させることは至難の業だ。
事実家人は胃腸をやられていた。睡眠ばかりか食事の時間までも乗務に合わせて摂るようになるため、三食の時間もまちまちになるからだ。長時間の乗務の前には、次の食事が遅れることを見越して大食いしたり、逆にトイレを心配して食べる量を減らし、そのまま食べそびれてお菓子で繋いだりすることで、胃に負担がかかっているのだろう。近頃は市販薬が手放せなくなってきている。そこにきて今回の事故だ。弱った時には自分の弱いところに故障が出るのが道理というもので、おそらく家人はこのままでいると胃をやられる。そうなる前に撤退するのが身のためだ。

いい勝負師の条件は、引けの見極めにあるという。退け時を見誤って身をすり減らしては元も子もない。勤勉なる労働者を無頼の徒と一緒にするような表現を、不適切と見做す向きもあろうが、人生にはしばしばこうしたタイミングが訪れる。それを何と呼ぶかの違いだけではなかろうか。
「丁か半か。女は毎日小さく賭け、目に見えないサイコロを振っているような気がする。」そう書いたのは向田邦子だが、私は蓋し名言だと思っている。
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