2021年5月 とにかく腹が減っていた

文字数 2,063文字

月曜日、何時に行うかわからないCT撮影のため、朝から絶食という憂き目に遇い、火曜日はこれまた何時に始まるのかわからない手術が急遽決定したため、再び朝から絶食となった。入院生活は三度の食事と検温、朝夕は血圧測定とたまに採血、朝の診察と午後のぷすぷす、空いてる隙にシャワー等で暮れていくのだが、まあまあやることも多くて予想していたほどののんびり感はなく、気がつくと1日が終わっている。それが手術を控えると、食事と診察とぷすぷすはプログラムから消えて、俄然暇になってきた。

何時に手術室に入ることになるのか、予定が立つでもなくただ呼び出しを待つ身である。いつ声がかかるかわからないので、なるべくベッドのそばにいてくださいねと看護師にも念を押されて、フロア内を散歩することもできない。持参した本も1週間の間に読み終えてしまった。入院患者向けに用意されているという院内図書館も、コロナ対策として閉鎖され、最上階の展望レストランも閉鎖されてワクチンの集団接種会場に改装中という。病棟内の売店は、それはそれは小さいローソンで、その売り場面積の半分を下着や日用品、医療用の消耗品が占めている。雑誌販売スペースはごく僅かで、どうにか読めるかと思って適当な雑誌を購入したものの、コロナ禍以来人気急上場中だというアウトドア特集に今ひとつ興味を持てないまま、写真を眺めているうちに読み終わってしまった。スマホはあるが小さい画面を見つめ続けることにも限界がある。そこでテレビの登場だ。

自宅にいる時も、私は昼間にテレビを見る習慣がない。毎日見ているのはNHKニュースくらいのもので、空いた時間で気まぐれにザッピングする程度の付き合い方をしている。欠かさず見ている番組、というのもほとんどなく、家人が好きで毎週録画しているタモリ倶楽部(2023年4月放送終了)をつきあいで見るくらいのものだ。こと平日昼間の番組に、どんな放送があるのかをまるで知らずにいたのだが、半日視聴していただけであるひとつの法則を見出した。どの局の番組にも通底するひとつのテーマ。それはつまり『胃袋に訴求するものばかりが放送されている』ということである。

朝の奥様向け情報番組は時短レシピのご紹介に余念がないし、地方局からの中継レポートは、市場でとれとれの旬の食材と郷土料理を合わせ技で披露してくる。旅番組は目的地の名物料理を並べてみせ、路線バスに乗った徳◯アナウンサーはゲストと共に店に寄っては食べ歩き、ワイドショーはデパート地下食品街の試食コーナーに、芸人を送り込んで食レポさせている。
いつもなら華麗にスルーできるはずの映像だが、こっちは昨日から絶食に次ぐ絶食で過ごしているのだから堪ったもんではない。大人しく消せばいいのに他にすることもなく、ベッドのふちに腰掛けてリモコンを弄っているとCM明けに街角の映像が流れた。どうやら大人気ドラマの再放送らしい。

腹ペコの私が目の前にある画面を眺めていると、展開されたのはスーツ姿の主人公らしい人物が商談を終えてランチタイムに突入する場面であった。男は昼間っからラム専門店に入って一人ジンギスカン鍋に対峙している。平日の白昼、シルバーグレーのスーツが煙に燻されることをモノともせず、ビールのチカラを借りることもなく烏龍茶と白飯を相手に、濃いめのタレに漬け込まれたラム肉を次々と焼いてはぺろりと平らげていく。……くっ、殺す気か。
まさかこんな所で松重豊の飯テロに巻き込まれるとは思ってもみなかった私は、退院後のスケジュールに問答無用で焼肉店に行くことを追加するハメになった。そうとも。退院したらまずするべきことは冷蔵庫で眠っているジョニーを起こし、長らくの不在を詫びることだ。そしてPCに溜まっているメールを確認し、不在の間代打を買って出てくれた同業者と、タンさんに退院を報告する。それから井之頭五郎に復讐を果たすべく焼肉屋へ向かうのだ。

ようやく医局からのお呼びがかかったのは午後3時半。手術時間は3時間を予定していたので、出てきた頃には病棟は暗くなっていたが、麻酔が効きまくっているので何時なのかまではわからなかった。明け方になってふと気がつくと、頸部の術創からドレーン管が三本、腕に点滴の管一本、尿管カテーテル一本、胃まで繋がる経鼻管が一本。都合六本のケーブルに繋がれていた。翌朝早々のうちに尿管は外してもらえたが、頸からはみ出た三本の管を伝って上がってくる滲出液を受け取るビニールパックを3つも首から下げた姿で、よろよろと診察室に行くと担当医から、開けたら予想以上に酷く、炎症をおこした部位を全部切除するのに結局5時間かかったと告げられた。
5時間もの間寝てるだけで、何もしていないのが申し訳ないような気分になるが、ようやっとここからは私の出番である。ばくばく食べ、どんどん動いて早々に体力を回復させるのだ。しかし意気込みはするものの食事は許されず、経鼻管から冷えた栄養剤が流し込まれるばかりなのだった。
……くそぅ、井之頭五郎め。覚えてやがれ。
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