2020年3月 トイレットペーパーも消えた

文字数 1,740文字

「いれものがない両手で受ける」と詠んだのは尾崎放哉だったか。3月2日の日記には「トイレットペーパーがない指で拭く」と書いてある。詠んだのはもちろん私だ。さすがに実行はしていないが。

トイレットペーパーがない。ドラッグストアの棚からトイレットペーパーが消えた。出勤途中に通りかかったドラッグストアのドア前には、開店の1時間前だというのに行列ができていた。入荷すると途端に完売するのだそうで、それも発端はだれかのツイート(そう、あの頃はまだ青い鳥が世界中で囀っていたんである)だという。デマの火消しにかかったメーカー各社のツイートが更なる反響を呼び、結果的に品薄になっているというから皮肉なものだ。

調達するために会社を遅刻してこの行列に並ぶ、という選択肢は即座に却下された。いざ本当に手に入らないとなったら、インドがある。そう、インド。つまり「指で拭く」だ。慣れると案外おしりに優しくて快適だというこの方式があるではないか。
そもそも日本人が紙でおしりを拭くようになったのはいつからなのか。平安末期の絵草子に、用を足している人の周囲に紙が散らばる様子が描かれていることから、日本人にとって紙とトイレは「鳴くよウグイス」の頃からの付き合いらしいことが伺える。もちろん庶民はもっと後、江戸は元禄の頃に浅草紙が登場して後だというから、それまで何で拭いていたかと言うと木べらや葉っぱが主流らしい。蕗の語源はおしりを拭くからだとも聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、春の野に柔らかく広がる石蕗の若葉は、いかにも好適に見える。
さらに農村部には「縄」という方法もある。田舎で便所を借りたら、個室に縄がぶら下がっていた、という話を聞いたことがあるが、確かに農地における藁はサスティナブルな素材であることこの上ない。無理なく十分な量を入手できるし、下肥を堆肥にする際にも稲藁が混入されることで、効率よく発酵が進みそうな気がする。

さて、振り返って2020年である。水洗が主流の現代において、廃棄に一手間かかってしまう木べらや縄は鬼門である。そこでインドの智慧だ。水が豊富にある日本にはうってつけの手段であろう。
……のっけから匂い立つような話ばかりで恐縮だが、要するに私はトイレットペーパーの欠品についてそれほど深刻に考えていなかったのである。持って生まれた「どうにかなるだろう」精神は、昭和平成令和の時を乗り越えてさらに揺るぎないものとなり、加えて家人の発した意見に深く納得したからである。

「別にウ◯コの回数が増えるわけでもないでしょ?」

確かにその通りだ。今までパン食だった人たちが全員三食を米飯に切り替えたとすれば、米は不足するだろう。しかしいくらコロナ禍だといって、皆が突然今までの倍のウ◯コをするわけもないのだ。消費量自体に変動があるはずもないのである。
みんなが不安に駆られていつもより多く持っておきたいと、普段なら1パックのところを2パック買ってしまうのである。東京は人口が多くて、心配性さんも多いのだろう。実際3月半ばに別府温泉まで旅行したのだが、スーパーマーケットには(旅先では地元の人が使うスーパーに立ち寄るクセがあるのです)普通にトイレットペーパーのパックが置かれ、行列なんぞには一度もお目にかからなかった。ドラッグストアで行列を見て、うちもワタシもとやっているうちに、もう当分買わなくていいくらいのトイレットペーパーが、各人宅の倉庫に保管されることになるんである。気が済むまで買い占めて落ち着いたら、きっとみんな自宅の倉庫に溢れるトイレットペーパーを眺めてちょっとやりすぎたかなと反省し、ま、腐るもんじゃないからいっか、とか思うんだろう。オイルショックという薄ら半世紀前のトイレットペーパー騒動は、その後も東日本大震災の時にも確認されるなど、ちょいちょい繰り返されている。社会不安とセットになった感のあるこの現象は、もしかすると日本の国民病と言えるのかもしれない。

3月27日の日記には「トイレットペーパー行列は少し短くなった」と書いてある。結局のところ、自宅にある在庫分のトイレットペーパーを使い切る前に売り場には商品が戻り、私の「インド式デビュー」は未遂のまま本日に至っている。
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