神の国益
文字数 2,851文字
モニタを通して向かい合うプーチンは不敵に微笑んだ。
エリカは切々と頼み込む。
エリカは切々と訴えた。懸命だった。プーチンの意向に強く抗うことは、時と場合によってはほとんど命がけの行為でさえある。
未だかつて、プーチン大統領どころか、上司や戦略担当官に対してさえ、これほど物事を主張したことはない。そもそも、FSBはそういう組織ではなく、軍隊構造の上意下達型諜報機関である。トップの方針がすぐさま整然と反映されるからこその強力な組織であり、それがまたFSBの力の根源の一つでもあった。
さらに説得を難しくしているのは、プーチンの意向が間違っているわけでもないためだ。どういった方針を選び取るかはあくまで戦略の問題であって、それはエリカが決めることではない。エリカの主張とて間違っているわけではないものの、戦略担当官でもないエリカが国家方針を大統領に向かって選択させようとするのは、とんでもない越権行為でもあり、我がままのようなものでもあった。
そんなことはエリカとて百も承知している。だがもしプーチン大統領が「アメリカの国力低下」に固執すれば、それはとりもなおさずアメリカとの裏側での結託を模索し始めた天馬が、ロシアにとっての癌でしかなくなってしまう。その場合、自分がどのような役目を担わなくてはならないのかを、エリカはよくわかっていた。だからこそエリカはFSB要員としての役割を担って以来、初めて、命がけで主命に抗っていたのである。
CIAやアメリカなど、エリカにとってどうでもよかった。それだけなら国家が決めた方針に淡々と従うのみだ。しかし事が天馬の帰趨ともなれば、どうあっても抵抗しなくてはならなかった。
なおもエリカは繰り返す。
エリカは強く唇をかんだ。恐れていた言葉が、ついにプーチンから発せられてしまった。
エリカのなかに激しい絶望感と自己嫌悪の思いが渦巻いた。もしかしたら自分がここまで強くプーチンに意向を変えるよう促さなければ、大統領はもう少し様子をみようと判断したのではないか。あるいはもしかしたら自分の報告文章に何らかの細工を施しておいたならば、クレムリンの方針に影響を与えることもできたのではないか。そんな可能性が極めて低い、すっかり過ぎ去ってしまった仮定に縋り付きたくなるほど、エリカはうなだれて自分を責め立てた。
プーチンが淡々と促してきた。
エリカは小さくうなずく。
(ログインが必要です)