神の降臨
文字数 4,259文字
まさに三日三晩、ジープのハンドルを握り続けたエリカが、ホッとため息をもらした。
壮麗な山々に連なる一群は、山岳地帯といった灰色の響きのニュアンスを一掃する彩に満ちていた。
ジープは速度を落とし、ゆっくりと集落に乗り入れていく。点在し始めた家々は、石造りの頑丈なもので、すべてが小さな要塞のように天馬には感じられた。また、各家には一台か二台の車が必ず停まっており、その種類もバラエティに富んでいた。高級車もあったし、新しい日本車もいくつも見かけた。ホンダやカワサキのバイクもある。また家々には衛星放送用のパラボラアンテナも取り付けてあったし、時折姿を見かけるようになった人影は、日本とそれほど変わらぬ服装をしていた。中国に繋がる回廊ということもあり、おそらく中国で製造された衣類が流れてくるのだろう。
部族と聞くと羊飼いのようなものをイメージしてしまうし、実際アスタリア人の祖先はこの近辺の遊牧民だったらしいが、今はこの山岳地域に根を張り、かなり文明的な生活を送っているようだった。
天馬の事前調査によれば、アスタリア人の主要産業の一つが翡翠の発掘と流通で、中国との取引が活発であるようだ。また、この地方で産出する岩塩も一流のシェフたちの間では評判らしく、主要な輸出品目になっているらしかった。これらの産地をアスタリア人が抑えており、それを巡って政府軍との内戦が続いているという。
アスタリア人は人口5000~8000人程度の小部族であり、だからこそ翡翠や岩塩を産出するだけでも豊かな生活が送れるのだろう。国家全体の産業としては小さいし、他にも銅や銀やレアメタルの産地を独占している部族もいくつも割拠しており、アスタリア人だけが特殊というわけでもないらしかった。オーレス共和国という国は、もともと帝国主義時代にイギリスとロシアが勝手に国境線を引いて地図上に描き出した人造国家なので、国民にはまとまりとしての意識などまるでなく、各部族が群雄割拠した戦国時代のような様相を呈していたのだ。
ジープはやがて家々が密集し、石壁で囲まれた地域へと乗り込んでいった。街の中枢を城壁で囲んだような場所である。石壁内にはちょっとしたマーケットのような場所があり、籠に野菜やフルーツを抱えた人々を見かけるようになった。
そしてジープは街の中心部へと進み、鉄筋コンクリート製の3階建ての建物の前で停まった。集会所か役所のような場所だろうか。
ジープが停まるとすぐ、その建物から髭を生やした白髪の老人が姿を現した。
そう言い放った長老のあとに続き、エリカと天馬は市庁舎のなかへと入っていった。
長老を気に入ろうが気に入るまいが、遠路はるばるここまで来た以上、寝床を確保したりする意味からも今は従うべきだった。街や人々は文明化されているといっても、ホテルような場所はまったく見当たらないようだったからだ。だいたい、オーレスのような戦国時代真っただ中といった国の、しかもこんな奥地に、観光客など来るはずもなかった。いくら山々が美しかろうと、ここまで到達するには命がけに違いない。
長老に促されて最奥の部屋に入ると、大きなテーブルの向こうに、まだあどけなさの残る可愛らしい少女がぽつんと座っていた。エリカと天馬の姿を見やった少女は立ち上がり、うつむきがちに小さく微笑んだ。
ロシアで軍隊教育を受けて戦闘行動を仕切っていた息子が、戦いで重傷を負いそのまま天に召されてしまった。今は族長をイヴァに務めてもらっている。これには部族内の色々な事情があってな。
目の前の老人がいきり立っていること以外は、とても内戦中だとは思えない牧歌的な雰囲気に思えた。もっとも、いくら内戦が行われていようとも、四六時中戦いが続いている環境ではないことも確からしかった。調べたところでは、オーレス政府が年に数度の警戒活動に軍を出し、アスタリア人は独立を主張するためにそれに応戦するという流れから戦いになだれ込むケースが多いようだった。血で血を洗う民族間の戦争というよりも、暴力団同士が威嚇し合い、暴力団という社会のなかでの独特なルールに則って、激しい縄張り争いをしているようなイメージだろうか。法が適切に行き届く世界ではないのだ。
長老は、天馬にいぶかしげな視線を向けてくる。
長老は半ば唖然とし、言葉を途切れさせた。
天馬はエリカに問いただす。
長老の言葉で、天馬にもおおよその状況が掴めていた。
陰謀を巡らせるような面持ちで天馬はほくそ笑む。
長老は目を見開いた。
天馬は、そばで静かにたたずむイヴァに視線を向けて力強く口にする。
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