神の強襲作戦

文字数 3,982文字

 旧市庁舎、現大統領官邸の大広間のテーブルに天馬は地図を広げ、エリカ、イヴァ、プラトと向き合っていた。
侵攻部隊の用意はできたか?
編成なら終わってるけど。あとは召集をかければ、いつでも出兵できるわ。補給物資は3日分を携帯させている。ザリスから車で兵員を運べるならせいぜい3時間なんだけど、カージス渓谷沿いを政府軍に隠れて徒歩で移動するのなら、1日の行軍になるわ。
進軍は明日15時からだ。夜間を徹して急行する。念のためだが、アメリカの偵察衛星の軌道にはなるべくキャッチされないような時間帯、天候となる見込みだからな。
まだアメリカ軍と直接対決しているわけじゃないし、こんな奥地の小さな内戦にまでアメリカが参戦しているわけじゃないから問題にはならないでしょう。言うほど偵察衛星は万能じゃないし。
よし、今回の作戦は総力戦ではない。あくまで奇襲を食らわせてイリーズを一時的に奪取することだ。
一時的なのか? イリーズを奪取したら、かなり占領地域が広がるぞ。近隣の物流の拠点だし、あの辺には鉄鉱石の産地もある。カージス渓谷沿いにかかっている橋を幾つか落としちまえば、政府軍もスムーズに軍を派遣してくることができなくなるぜ。
……プラトさん、たぶん私たちの今の戦力じゃ、イリーズを無理に奪っても守ることはできないと思うんです……。天馬さんはたぶん、イリーズを一時的に陥落させることで、政府軍の攻勢を挫くのが本当の目的なんだと思います……。
 イヴァは伏し目がちに、たどたどしく言った。

イヴァの言う通りだ。政府軍に準備を整えさせて先手を打たせるよりも、まだ政府軍側に心構えが出来ていない段階で奇襲して叩く。我が帝国全体として見れば、これはあくまで守戦の一環なのだよ。

守るために攻めるのか……。さすがだぜ俺たちの大統領は……。
何がさすがなのかわからないけど。そんなの別に特別優れたアイデアでもないし。
ケッ。
そして目的はもう一つある。イリーズの基地を奪えば、政府軍が基地に溜め込んでいる迫撃砲や大量の砲弾を奪えるはずだ。それ以外にも、軍用トラックなどまで手にできる可能性がある。
さすがだぜ大統領、敵の攻勢を挫くだけじゃなく、敵の物資まで丸ごと奪っちまおうって魂胆だな!
フッ、俺がさすがなのは神だけに仕方ない。
なんなのこの提灯持ちと自称神のおかしなコンビは……。
イリーズを奪ったあとの作戦は臨機応変だ。戦闘にはあらゆる揺らぎが発生する。それゆえ先々までルートを明示したところで、完璧にシナリオ通りに事が運べるわけでもないからな。
 大軍勢の運用なら、明快な戦闘計画がないと全将兵に指示が行き届かなくなる。しかし、しょせんは数百単位の、ゲリラにも近い小さな軍である。臨機応変な指示が行き渡るので、その場その場での状況に応じ、軍事行動を変えていきやすい。
だが大筋として、帰還はザリスだ。イリーズを叩き、その戦力と電撃戦を以てザリスに移動し陥落させる。イリーズは捨てるが、ザリスには兵員を詰めて守備することとしよう。
万が一、何らかの事情でザリスに移動できないときは?
進軍ルートと同じくカージス渓谷沿いから撤退せねばならないとしたら、物資の奪取は諦め、それらを爆破して撤退だ。
了解。イリーズ基地を落としたときに、軍用トラックをどれだけ確保できるかね。
イリーズ基地への強襲部隊はエリカ率いる10個小隊とする。部隊には俺も加わろう。そして手はず通りにイリーズを落とし、ザリスへの転進ができれば、プラトが残りの700を率いて山を下り、ザリスを挟撃して包囲する。プラトの部隊にはイヴァも加わってくれ。
わかりました天馬さん。
大統領、俺のほうは強襲部隊には加わらないってことか? エリカなんかより、俺のほうが率いたほうがいいと思うんだが。
どういう意味よ。別に私は率いたくて率いているわけじゃないけれど、劣っているみたいに言われるのは癪に障るわね。
優劣の問題ってよりも、兵とのコミュニケーションはどう考えても俺のほうがしやすいだろ? 皆、俺の知ってる連中だ。エリカはしょせん俺たちにとって他人なんだよ。すっかり俺らの身内になった大統領と違ってな。
なんで天馬と私で違うのかもさらに釈然としないわ。いちいち突っかかってくるヤツ。
待て。俺が答えておく。まず、強襲を仕掛けるならより冷静な士官であることが必要だ。その点、エリカのほうが向いている。
俺は冷静じゃないってのか。
エリカと比べてという意味だ。
そうだよ、大統領が言うのなら間違いねえ。俺は冷静じゃねーよ。
 イヴァはくすくす笑い、エリカは茫然と息をのむ。
なっ、何なのコイツ……。私の話じゃ納得しないのに、天馬の指示はバカげた話でも簡単に……。
それからだ。帝国は本格的な軍の整備を進めていく必要がある。打撃は俺が今後投入していく無人兵器が中心になるだろうが、それを操る兵士、そして現場を占領する兵士は必要だ。そのような兵士の統率について、『顔見知り』などというスキルに頼ってはならない。むしろ兵たちとの遍歴もないエリカがよく統率できているという能力の高さを評価するべきだろう。それだけエリカの指示は、兵士たちにも納得性があるということではないか?
そ、その通りだ大統領……。俺はなんてバカな意地を……。
 ありありと悲壮感ある表情をしたプラトは、苦渋に満ちた声音で続ける。
すまんなエリカ。ロシアスパイなんて嫌いだし腹が立つし信用するはずもないが、それでも能力の高さは認めてやるぜ。
なんか……認められても凄く嬉しくないんですけど……。
そしてこれが政府軍兵士のメールアドレスか。
正直、オーレスみたいな分裂国家なら、忠誠をお金で買うのはそう難しいことじゃない。首都オーレスに住民に扮して潜伏しているFSB要員から手に入れたものだから、偽情報の類でもないわ。ただ、しょせんはメールアドレスよ。メールアドレスくらい企業だって日常的に収集しているし、この程度の低級の情報が役に立つ場面は少ない。
『ロシアウィーク』の臨時ページは確保できたか?
そっちもOK。さっそく臨時の記事も掲載したわよ。『オーレス政府軍と内戦中のアスタリアに、独裁者現る。生物化学兵器をばら撒き、政府軍を殺傷することに喜びを見出す男』って記事でね。ご丁寧にもFSBの制作チームのほうで、毒ガスで死んだ人たちの映像とか、ホラーじみた動画までたくさんつけてくれたわ。
あのっ……『ロシアウィーク』ってロシア最大のオンラインニュース媒体ですよね……? 各国語のページがありますし、よく色んなサイトでリンクを張られていたりするのを見ますので、私もちょくちょく見る機会がありますけど……。
その媒体で間違いないわ。そこの特集コンテンツとして独立したページを作ってもらって、独裁者天馬の記事を掲載したのよ。まぁ『ロシアウィーク』のどのページからもリンクは貼られていないし、検索エンジンのクローラーに拾われないようなソースで作っているから、直接リンクからジャンプしない限りはまず知られないでしょうね。
そんな有名なニュースサイトに、簡単に嘘の記事を掲載できたりするんでしょうか……。
あぁ、『ロシアウィーク』の実質的運営者はFSBだから。工作の一環として私が依頼して掲載してもらったのよ。
えっ……? じゃあ報道メディア自体がスパイ……?
イヴァよ。この世界で流通しているニュースは大なり小なり、すべからくそんなものだ。特にロシアのそうした情報操作はすでに世界のネット界に溶け込んでいて、実に優秀なものがある。
微妙に問題をすり替えたニュースから、大げさな陰謀情報まで……FSB内にはそうした架空情報を信憑性が高い形で創作し、コントロールする部署があるの。ロシアが世界のネット界の一部に食い込んでいるのは事実よ。実際、そうした情報は面白いから、ツイッターやフェイスブックで簡単に拡散されて、既成事実としてどこまでも広がっていく。
そういう仕組みがあるんですね……。世界には知らない秘密がまだまだいっぱいありそうです……。
秘密などといいうほどでもない。アメリカもイギリスも中国もイスラエルも、情報工作に力を入れているところはどこも必死だ。特に近年はネット工作が主力だろう。
ただ、ロシアはちょっと情報部が特殊なポジションにある国だから、比較的融通が利くギリギリの情報も流していけるわね。上手くこれを操れば、革命や戦争を先導することが可能な局面も出てくるわ。
なら、もうネットやメディアの情報は絶対信じないほうがいいんですか……?
それは極端に走りすぎよ。メディアの側だって嘘や誇張ばかり流していたら自分にダメージが跳ね返ってくるわ。100の情報のうち99はほぼほぼ正当なニュースでしょうね。そのなかに1の、情報工作を紛れ込ませるのよ。
悪いヤツらがいたものだな。だからロシア野郎は信用できねーんだよ。
それは違う。愚民どものほうが悪いのだ。頭が悪いということは、それだけで罪深きことなのだよ。
そうだよ、絶対に愚民のほうが悪いんだ。皆殺しにしてやるくらいのほうが丁度いいぜ。
プラトが最も愚民に近い側だと思うけど。自分で自分を殺しておいたほうがいいわね。
よし、強襲予定時刻の3時間前を目安として、取得できた全メールアドレスに、その『ロシアウィーク』の記事を流せ。この強襲の最大の戦力が、俺自身の悪評ということになるだろう。この俺が政府軍を恐怖に陥れてやるのだ。
 侵攻計画はほぼ決まった。また、攻撃地点もそれほど遠距離ではなく、補給に四苦八苦しなくてもいいので、準備もすぐに可能だ。もともとアスタリア兵は、急な出動に慣れっこである。出兵の用意はエリカ、イヴァ、プラトに任せ、最近のバージョンアップで導入されたばかりの新ボスに挑まなくてはならないと天馬は身構えたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

不動天馬(ふどうてんま)

40歳ニートだが、自分を神だと主張して憚らない。引きこもり歴は実に25年にも及ぶ。近所のコンビニがライフライン。

エリカ・マリシェヴァ

25歳。ロシア連邦保安庁(FSB)の情報工作担当官。日本人とロシア人のハーフで、日本語に精通していたため、東京より呼び戻される。

イヴァ・クリチコ

15歳。アスタリア人を率いる族長。しかし亡き父を継がざるをえなかっただけであり、祖父である長老が実質的に部族を仕切っている。

プルト・カシモフ

32歳。前族長の副官として部隊を率いていた。14歳で従軍して以来、アスタリアの全戦闘に従軍してきた歴戦の兵士。天馬に反旗を翻す。

ライザ・フローレンス

24歳。世界最大級のリベラル系メディアCNMの報道特派員。無名の天馬に狙いを定めて取材を申し入れてくるが……?

ロスティスラフ・プーチン

64歳。ロシア連邦大統領。元KGBのエージェント出身であり、国際政治に多大な影響力を持っている大政治家。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色