神の連立方程式

文字数 5,048文字

――tenma:

メールではなく、こちらを選んでアクセスしてきたのはログとして残らないからだな?

――liz:

ご名答。それからもう一つ。あのFSBの美人スパイさんにこの交渉にタッチされたらたまらないからね。

――tenma:

エリカは俺の忠実な副官だ。話し合いの内容は、すっかりそのまま伝えるかもしれんぞ。

――liz:

それは大統領判断でしょう。だいたいこちら側だって、FSBの要員がいる前でまともな交渉なんかできるものですか。

――tenma:

それもそうだろう。理解した、本題に入っていいぞ。

――liz:

相変わらず、すっごい偉そうな人ね。

――tenma:

神だからな。

――Earthboy:

はっはっは! この男は面白いじゃないか!

 ライザが引き連れてきた少年のアバターが初めて発言した。

――tenma:

こいつは誰だ? この前のカメラマンか音声か?

――liz:

ええと――

――Earthboy:

俺か? 俺は陰謀を企てる男だ。地球史を揺るがす巨大な陰謀をこの腐りきった人類社会に撃ち放ってやりたいのさ。まぁ、神のようなものだろう。

――tenma:

貴様も神、だと……?

地球の救世主は俺一人のはずだ。

――Earthboy:

はっはっは! お前が救世主だっていうんなら、この俺は破壊神だと名乗っておこうか。何もかもをぶち壊してやる。そうだ、世界のすべてを覆す偉大な男だ。

――tenma:

ほう、よかろう。貴様がどれほどの強者かこれっぽっちも知らんが、俺が一人で無双するよりは、相応しいヤラレ役がいたほうがドラマが盛り上がるというもの。せいぜい、俺の踏台の一欠けらになってもらうとしようか。

――Earthboy:

虫けらが粋がるのはいつ見ても興味深いものだ!

――liz:

待って!

tenmaとEarthboyじゃ折り合いが良すぎて、どこまでも話が続きそう。実務が進まなくなるから、ここからは本題に入らせて。

――tenma:

話を聞いてやる。

――Earthboy:

OKだ。とっとと進めろ。

――liz:

端的に言うわ。アメリカ軍はオーレスからの撤兵を本気で考えている。本当は今すぐにでも、はまり込んでしまった足を引き抜きたい。今まで兵力を減らしに減らし、なんとか5000にまでこぎつけたけれど、最後の最後でどうしても引き抜けないのよ。

――tenma:

意味がわからんな。アメリカがそう決めたら、オーレス共和国政府が逆らえるはずもない。そもそも自国に帰ろうとする者たちを引き留めるのはおかしな話だ。

――liz:

話はそう単純でもない。

問題は……こっちの国内事情のほうにあるのよ。

――tenma:

そうか、アメリカ内の政治勢力には、どうしても紛争地域に居座りたい連中が闊歩しているのだな。とりわけオーレスのような泥沼には、居座れば居座るほど利益にもなる。

――liz:

ちょっと使い古された言葉だけど、有り体に言えば軍産複合体ね。彼らは、オーレス共和国政府を西側先進国並みの政治体制にしなくてはならないと強く主張している。対してホワイトハウスのほうは、なるべく目立たず完全撤退を達成してしまいたい。

――tenma:

軍産複合体こそがホワイトハウスの主人みたいな側面もあるだろう。犬が主人に逆らうのは難しい。

――liz:

最近は金融勢力が台頭してきたせいで、相対的にだいぶ力が衰えてきたけれど……それでも強大なパワーであることは変わりない。ううん、金融勢力と軍産複合体が合体してきて、その区別すら難しくなってきてる。

――tenma:

CIAがこそこそオーレスの情勢を嗅ぎまわっていたのは、ホワイトハウスの思惑のもとに早く撤兵してしまいたいからということだな。だが国内においては、その思惑が思う通りに進まない。

――liz:

地球全体の大義を考えれば、軍産複合体が雇うロビイストたちの主張のほうが正しく聞こえるのよ。メディアだってどちらかといえば大義のほうに同調している。ホワイトハウスが密かに撤退したがっているのは、単に自国優先主義であって、大義がないと思われるのも仕方ない。こっちだって、そんなことは百も承知で撤退したいのよ。

――tenma:

ライザに提案しようと考えていたことがある。オーレス共和国は俺に預けわたせ。さすれば俺には、ホワイトハウスと歩調を合わせたシナリオを演出してやる用意がある。

――liz:

たとえばどんなシナリオ?

――tenma:

アメリカから『テロ支援国家認定』を受けて、表向き激しい対立をしているように見せる演出は、ホワイトハウスにとっても悪いシナリオではないと踏んでいた。自国を泥沼にはまり込ませたままにしておきたい軍産複合体には、新しい戦争のチャンスをにおわせる好機ともなるだろう。

――liz:

でもアメリカが撤兵した直後に、また『テロ支援国家認定』しなくちゃならないとしたら、アメリカの占領政策の失敗以外の何物でもないでしょう。現政権の支持率も下がってしまう。

――tenma:

そんなことを言い始めたら、そもそも撤兵などできまい。完全撤兵は、誰が見てももともとアメリカの失敗としか映らない。それでもホワイトハウスは実行したいわけだろう?

――liz:

そうね。予算がオーレスに溶けすぎている。もうアメリカには余力がない。かつてオーレスのせいで国力を溶かして崩壊したソビエトを笑っていられなくなってきたわ。

――Earthboy:

こんな案はどうだ?

撤退前に、アメリカがオーレスの反政府勢力を根こそぎボコボコにしてやる。アメリカに逆らうカスどもを一掃し、悠々本国に凱旋するのだ。これは撤兵じゃない。

――tenma:

増派せずして、どうやってそれを達成するという?

10万人以上もの兵力を投入したにもかかわらず、アメリカは一向にそれを実現できなかったのだぞ?

――Earthboy:

実質上ではお前がやるんだ。オーレスなぞ、不動天馬とかいうどこぞの救世主にくれてやる。アメリカは実利さえ取れればいい。世界市民とかいう阿呆どもにはアメリカが活躍しているように見せて、こっちは鼻くそほじくって寝ているだけだ。天馬の仕事が終われば、こっちはさっさと撤退させてもらうさ。

――tenma:

ほう……アメリカが、アスタリア帝国によるオーレスの支配を黙認するということだな。俺にとっても悪くないシナリオになる。

――Earthboy:

しかも援助もしてやる。その代わりに頃合いを見て、お前が提案してきたような『テロ支援国家認定』もさせてもらうことにしよう。なに、こっちはすっかり撤兵しちまった後だ。天馬には何の害もない。そしてホワイトハウスの支持率が落ちるようなことがあれば、天馬には適時騒ぎ立ててもらい、アメリカとの派手な駆け引きを繰り返してもらう演出に協力してもらう。駆け引きのシナリオは俺が指示する。

――tenma:

ククク、貴様の思う通りに俺が動くと思ったら間違いだぞ。

――Earthboy:

はっはっは、そのくらいのほうが面白い。俺たちは神同士だからな。神が誰かの思惑に素直に従う必要もない。

――tenma:

このシナリオにはもう一人の神がいるな。

――Earthboy:

もう一人? その神はどこのどいつだ? 引きずり出せ。

――tenma:

プーチンだよ。貴様も旧知だろう?

――Earthboy:

元気か、ヤツは?

――tenma:

知らんな。だが俺の副官と話し合ったニュアンスから察するに、もし俺がアメリカと何らかの結託をしようものなら、俺の暗殺まで仄めかした可能性があるようだ。

――Earthboy:

なかなか心弾む世界じゃないか。

――liz:

ありえるシナリオかもね。ロシアにとっては、下手に天馬が守りを固めたあとに殺害計画を練るよりも、いったん敵と認定すれば決断は早いほうがいい。

――tenma:

俺としてはロシアと軍事同盟を締結してもいいと考えているくらいだ。しかしプーチンの最優先事項は、アメリカをアリ地獄からいかに抜け出さないようにするかにあるらしい。

――liz:

もし天馬が暗殺という事態になれば、ここで話し合ったシナリオも崩れる。となれば、アメリカはまた別のオプションを用意しておかなきゃならないわ。

――tenma:

整理しよう。俺の目先の最優先事項は、我が帝国がオーレス全土を支配下に収めることだ。ロシアの最優先事項は、アメリカをオーレスの泥沼に引きずり込んだままにしておくこと。そしてアメリカの最優先事項は、オーレスから被害なく撤退し、出来うれば政権の支持率を上げていくような方針を取りたいということだな?

――Earthboy:

偉大な神である俺としては、もう一人の神であるプーチンと妥協してもいいのだがな。神々は争わず、上手く妥協し合い、何も知らない哀れな仔羊たちをスムーズに統治するものだ。

――liz:

なかなか折り合わない連立方程式ね。

――tenma:

俺としては帝国の目的達成のために、今はアメリカに沈黙しておいてもらう必要性があった。だからライザとのコンタクトは、俺にとっては有用なものとなってくれた。もちろんいずれアメリカと決戦に挑んでも構わないのだがな、神は用意周到な準備を怠りなくしてから挑むものだ。

――Earthboy:

はっはっは。たかが辺境の部族民がアメリカ帝国に挑もうとは、実にふざけた話もあったものだ。ファッキュー!

――tenma:

こちら側にはプーチンと対立するつもりは毛頭ないし、いずれロシアとは軍事同盟を締結することを望みさえするが、目的のために優先しなくてはならないものに淡々と取り組むだけだ。

――liz:

整理させて。

第一に、アメリカは天馬の軍事行動のすべてを黙認する。むしろアメリカは反政府勢力やテロリスト勢力を打ちのめすために、天馬を支援しさえする。

第二に、アメリカは天馬がオーレスの政権首班に付くことに同意し、オーレスの統治を任せ、アメリカ指導の下に地域が安定したように演出する。ここまではOK?

――tenma:

OKだ。

アメリカとしては、地域の安定が確定しさえすれば、誰がオーレスを統治しようとも興味はないだろう。

――liz:

第三に、アメリカの成果を十分に喧伝してから、即座にアメリカは撤兵を完了させる。

第四に、豹変した新たな独裁者としての野心を天馬が露わにし、世界にとっての新たな脅威となる。アメリカは晴れて再びオーレスを『テロ支援国家』として認定する。

――tenma:

俺にとっても都合がいい話だ。

――liz:

そして今後はCIAを通して、ホワイトハウスと天馬が一定の範囲内でコンタクトを取り合い、互いの演出に一役買っていく。

――tenma:

俺に役に立つ間は、ホワイトハウスの演出に協力してやる。いずれ来るべき第三次世界大戦までならな。

――liz:

シナリオはシナリオとして……こうした話は、決して当事者たちが考えているようには進まないものよ。とくに複数の達成目標がある場合には、恐ろしいくらいに状況が流動的になる。だからこそ、シナリオの微修正について常に話し合い、互いの認識を合わせていく必要があるわね。

――tenma:

CIAの側が俺と認識を合わせる必要を感じれば、このギルドハウスまで来るがいい。

――liz:

この大規模MMOは会話ログが残らないから、局と工作員がこうしたゲームを通してやり取りしていたケースは過去にもあった。だけど今回のケースは単なる報告や暗号の伝達ではなく、国際政治そのものに影響を与える決定になるわ。なかなか興味深い初めてのケースよ。

 情報機関としては、証拠が残りづらい伝言ツールは好都合なのだろう。残るとすれば、せいぜいアクセスログくらいなものだろうか。仮にスクリーンショットを取ったからといって、アクセスログと結びつく証拠があるわけでもないし、それがどうしたという話になる。

――Earthboy:

第三次世界大戦か。待ち遠しいものだ。俺はそういうイベントが大好きなんだよ。

――tenma:

首を洗って待っていろ。悠長に構えていられるのは今だけだぞ、ミスタートランプ?

――Earthboy:

はっはっは。天馬が俺に挑みかかってくるのを楽しみにしているぜ。そのときは世界中の面前でお前を粉々に打ち砕き、無惨な姿を晒してやることとしよう。

 互いの方針が決まったので、それから10分ほどを要して目先の実務を取り決めた。それが終わると天馬とトランプは双方ともに暴言を吐き合い、威嚇し合った末に、挨拶もそこそこにログアウトしたのだった。
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登場人物紹介

不動天馬(ふどうてんま)

40歳ニートだが、自分を神だと主張して憚らない。引きこもり歴は実に25年にも及ぶ。近所のコンビニがライフライン。

エリカ・マリシェヴァ

25歳。ロシア連邦保安庁(FSB)の情報工作担当官。日本人とロシア人のハーフで、日本語に精通していたため、東京より呼び戻される。

イヴァ・クリチコ

15歳。アスタリア人を率いる族長。しかし亡き父を継がざるをえなかっただけであり、祖父である長老が実質的に部族を仕切っている。

プルト・カシモフ

32歳。前族長の副官として部隊を率いていた。14歳で従軍して以来、アスタリアの全戦闘に従軍してきた歴戦の兵士。天馬に反旗を翻す。

ライザ・フローレンス

24歳。世界最大級のリベラル系メディアCNMの報道特派員。無名の天馬に狙いを定めて取材を申し入れてくるが……?

ロスティスラフ・プーチン

64歳。ロシア連邦大統領。元KGBのエージェント出身であり、国際政治に多大な影響力を持っている大政治家。

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