神の砲台
文字数 8,837文字
街を守る100人の陣営の中央、ノートパソコンのモニタを見やりながら天馬は言った。
隣でモニタを覗いていた長老が聞いてくる。
エリカは鼻で笑ったが、反抗まではしてこなかった。
スマホから送られる各映像を確認していたところ、順調に政府軍はこちらに向かってきている。2000もの軍勢が細い山道を徒歩で上り、長蛇の列となっていた。ザリスの監視台までは装甲車などが複数台確認できていたが、ザリスからこちらへの侵攻は歩兵ばかりだった。森や崖に少数の車両で入り込むよりも、身動きが取りやすい歩兵のみで挑んだほうがいいという判断だろう。歩兵ならいざとなれば、道なき道でも突っ切ることが可能である。
慌ててイヴァが制そうとしたものの、兵士たちはすでに岩場に身を隠しつつ戦闘態勢を取り始めていた。戦い慣れしているとはいえど、軍隊というより民兵の集団だ。
勝手に指示を飛ばし始めた長老に苦笑いを浮かべつつ、天馬は一人PCに集中した。こうした長老の暴走も戦場での揺らぎの一環だ。そして政府軍をここまで引き付けた今、長老の好き勝手を多少は許したとしても、自分の作戦にはそこまで重大な影響はないと天馬は即断していた。
この戦闘における指揮系統はひとまず天馬に統一されていることを兵士たちには周知させていたものの、長老の命令に服するのは自然な流れでもあった。兵士のなかには率先して前に出て、政府軍に銃撃を喰らわそうとする勇敢な者も幾人か見られた。最優秀の兵はエリカのほうに回しているが、もともと戦闘意欲は旺盛な人々なのだ。
政府軍もアスタリア側を視認し、すぐさま散開し、岩場に身をひそめながら陣営を横に広げていく。
――タタタタ!
この戦闘での、最初のAKSの速射音が鳴り響いた。それは長老が放った一撃だった。目視できるといっても、満足に敵を狙える距離でもなく、長老の銃撃は敵を倒すことはなかった。
それでもこれを皮切りにして、双方の数百の速射音が戦場一帯を埋め尽くし始めた。
イヴァも天馬から離れ、岩場に伏せるようにしながらAKSを構え、時折速射音を響かせ始めた。まだあどけなさの残る人見知りの激しい15歳の少女にも関わらず、違和感なく兵員として銃撃に参加している姿に天馬はやや面食らった。当たり前だが日本では想定できない光景だ。
つい朝方、イヴァとネトゲ『ファウストオンライン』の話題で盛り上がったのは別の世界の出来事だったのかとも思えるほどだ。こうした実戦参加は、形式上だけでも部族の長として据えられたイヴァの責任感なのかもしれない。そして周りの兵士たちも、イヴァが共に戦っていることを自然に受け入れているようだった。
……いや、内戦とはそういうものなのかもしれない。本当に部族全体が追い詰められるようなことがあれば、ほかの女性たちも武器を手にすることを厭わないには違いない。
天馬が岩場から顔をのぞかせて敵方面を視認すると、政府軍の数は徐々に増えてきているのが見て取れた。すでに向こうの最前線はこちらの倍くらいの数になっていたし、陣営を順調に横に広げていっているのが確認できた。政府軍は、こちらの火力が思いのほか小さいと見て取り、包囲して叩こうとする意図なのだろう。政府軍がこちらの戦力を過小評価し、前のめり気味に襲い掛かってきてくれるのは好都合だ。
戦場で飛び交う実弾を天馬は目にしていたが、不思議と怖さを感じなかった。これだけの実弾が双方を行き交っているわりに、少なくとも目視できる範囲では、誰も倒れていなかったからだ。もっと近接した戦いとなれば死傷者の数はそれだけ増えていくだろうが、この距離だとなかなかヒットしないようだ。
頃合いと見て、天馬は再びPCに視線を走らせた。
そろそろ政府軍の本体が、天馬の罠の中央に入りかけた頃合いだ。引き付けは十分であろう。長老のせいで予想外に戦闘突入が早まったが、そのせいで政府軍の行軍も早まり、敵歩兵たちは山道を駆け足でわらわらと登り始めていた。隊列が乱れているのも都合がいい。
天馬は各スマホを操作し始めた。
すると各画面が断続的に激しく振動し始め、政府軍の歩兵が次々と打倒されていく映像が飛び込んできた。たちまち各画面に映りこんでいた政府軍は混乱し始め、むやみやたらに周りに銃口を向け、森に向けて乱射を始めた。政府軍の歩兵たちは、森に潜むゲリラから急襲を受けたと思い込んだのだ。
断続的に天馬は各スマホを操作し、政府軍に銃撃を喰らわせてゆく。政府軍は隊列を大きく崩しながらも、必死で身をひそめ、誰もいない森林へと懸命の応射を図り始めていた。
天馬の指示で各方面に設置されていた『SVキャノン』は、ソフトウェアで制御されたスマホに合図を送れば、連結されたモーターが作動し、数秒間にわたって自動的にAKS74Uの引き金が引かれるという簡易的なシロモノに過ぎなかった。即席の兵器だが、れっきとした無人兵器でもあり、実際に画面で確認する限り政府軍の兵士に一定の打撃を与え、大きな混乱を演出することに成功していた。
人間がきちんと敵兵士に銃口を向けて放つわけではないから、殲滅力はかなり弱い。それでも初撃で一部の敵歩兵に打撃を与えたし、敵の戦列を大いに乱した意味は大きい。そして何より、敵兵は「自分たちがゲリラに包囲されている」と思い込んでいる。そのような状況に陥れば、もはや前線への侵攻どころの話ではないのだ。
『SVキャノン』による突然の砲火は、アスタリア軍を包囲しようとしていた最前線の政府軍にまで影響を与え始めていた。横に戦列を広げていた政府軍の歩兵は、後退し始めたようでもあった。敵兵の銃撃はずいぶん弱まっていた。
ここぞとばかりに長老は立ち上がり、銃を高々と掲げ持った。これでは自分を的にしろと主張しているようなものだ。
さしもの天馬もこれには怒りの声を投げつける。
だが戦闘の真っ最中のため興奮した兵士たちの耳には、「押し出せ!」という言葉が自然に浸透したようで、岩場を飛び出していく兵士も見かけるようになった。
ここに至って損失が出るかもしれない愚かな行動だが、これもまた戦場の揺らぎのひとつである。仮に負傷者が幾人かでようとも、天馬が作り出した戦場の混乱には影響がないことも事実だった。
また、こちらが逆に攻勢に転じたことも、重要な転機である。天馬は無線に向かって叫ぶ。
そう言って、天馬はエリカとの無線のやり取りを打ち切った。
岩場から顔を上げて前線を見やると、すでにアスタリア兵がかなり押し出しており、政府軍は後退局面に入っていた。だが、まだ敗走局面と言えるかどうかまでは判断できかねるところだ。
天馬はノートPCに視線を落とし、前線の状況と見比べながら無人兵器『SVキャノン』を操作した。
各地点の『SVキャノン』から届けられる映像からは、すでに政府軍が体制を立て直す状況も見てとれた。冷静さを取り戻した敵の下士官の一部は、すでにこちらの包囲など一時的なものであると感じ取ったのだろう、後退する政府軍を押しとどめている様子だった。こうしたタイミングで、できることなら『SVキャノン』を続けざまに打ち込んでやりたいところだった。しかし火を噴いた『SVキャノン』の半数は、すでに沈黙してしまっていた。各所の木の上方に設置された『SVキャノン』が撃ち落されたからではない。単純な理由だ。弾切れだったのである。
次弾を装填するような仕組みには手が回らず、最初に装填していた弾倉を打ち尽くすと、『SVキャノン』にはもはや攻撃能力はなく、ただの監視装置と化していた。それでも十分に有用なのだが、こちらの攻撃能力がなくなれば、もともと数が多い政府軍に完勝とまでは言えなくなる。
それを見越してエリカの強襲部隊を侵攻させていたのだが、この強襲部隊が被害を出さずに敵に打撃を与えられるかどうかは、敵兵がどれほどの混乱状態に陥るかにかかっていた。
天馬は断続的に、残り乏しくなった『SVキャノン』を操作し、敵兵をさらに混乱させるようにいざなった。『SVキャノン』の各カメラからは、前線から後退してくる敵歩兵と、その場に踏みとどまろうとする敵兵で入り乱れていたが、一部の下士官たちが惑う兵士たちを落ち着かせようと罵声を飛ばしているようだった。
どうやらこの戦いにはもう一押しが必要かもしれなかった。
前線に目線を向けると、すでに天馬から100メートル以上も前方までアスタリア兵が押し出していた。
政府軍は撤退しつつも、もともと撤退ルートが狭いため、少なくとも100以上の兵は踏みとどまり、アスタリア兵と再び放火を交え始めていた。ここに配置していたアスタリア兵は100しかなく、そして強兵の大半をエリカの急襲部隊に配属していたから、いかに混乱状態とはいえど、数で勝る政府軍を綺麗に押し返すまでには至らないだろう。
実際、天馬の目には、銃弾を喰らうアスタリア兵が増えてきているのが見て取れた。すでに数人が脱落し、地面に転がり呻いている。政府軍の死傷者はそれより多そうだったが、このまま相対すればこちらの被害が拡大するばかりだ。
最後の一押しをしようと、天馬はノートPCを抱えながら前線へと駆け出した。
その瞬間、敵を銃撃していた長老が被弾するのを天馬は目撃していた。しかも悪いことに、血気盛んな長老は敵からも狙いが付けやすい岩場の間に転がってしまっており、次に銃弾がヒットすれば確実に命を奪われると思われた。だがそれを見たイヴァが倒れこむ長老の下に駆け寄り、介抱を始めたようだった。
ここからは、後退行動に入っている政府軍の全体が見渡せた。だが一部の政府軍はまだ踏みとどまってこちらに銃撃を加えており、かなり危険な状況だと思われた。
イヴァはすでにAKSを横に投げ出しており、長老の止血をしようと躍起になっていた。
わずかに天馬は、まず長老をイヴァと共に後方に運ぶことにするか、それとも次の手を繰り出すべきか思案した。だが一瞬の迷いのすえに、長老を抱えて後退する間に撃たれる危険よりも、前に出て政府軍の壊走を促す危険を選択したほうが賢明だと天馬は判断していた。守るリスクと攻めるリスクが同等ならば、攻めを選んで主導権を握ったほうがいい。
その場でノートPCを押し広げた天馬は、一部の『SVキャノン』に最後の指示を飛ばした。最後の布石の発動だ。念を入れて、5%程度の『SVキャノン』に、酢のような異臭と、紫色の煙が噴出する発煙筒を仕込んでおいたのだ。煙幕を張る花火のようなものである。使用するかどうかわからなかったし、数の用意が間に合わなかったからわずかな配備だったが、敵の驚きを誘発する役には立ってくれる。
『SVキャノン』を誤認してゲリラに囲まれていると警戒している敵に、新しい混乱を投入するようなものだ。それが何の威力も持たなくても、敵の乱れを大きくすることは、乾坤一擲の戦場において有用なことだ。
天馬の操作によって、いくつかのカメラから、紫色の煙幕がみるみる周りに広まっていく様子が見て取れた。
同時に、銃弾が残っていた『SVキャノン』のすべてに、弾を打ち尽くすまで発砲するように命令を飛ばした。弾が尽きるのは一瞬だろうが、これが最後の、乾坤一擲の勝負である。
イヴァが何か言っていたが、戦場の喧騒にかき消えた。
そして天馬は銃撃をかいくぐり中央にまで躍り出て、腰にぶら下げていた発煙筒に着火して敵方面へと投げ入れた。その発煙筒は、天馬の貧弱さのため敵にまで届くことはなかったが、政府軍の近くに着地し、そこでもうもうと紫色の煙が舞い上がった。
天馬は腰の無線を取り上げ、全兵士に号令するチャンネルに切り替えつつ、声を限りに叫ぶ。
そして天馬は、自らガスマスクを装着し、政府軍に誇示するようにさらに前線に飛び出した。鼻を衝く匂い。紫色の煙幕とともに、異臭が脳を刺激する。
この指示に慌てふためいたのはアスタリア軍のほうだった。
実はガスマスクは30ほどしか元々数がなく、最前線に配備した100の兵のうち70には、街の診療所に保管してあった医療用マスクを配布することで代替していたのだった。そのためアスタリア兵のなかには、手に持っていた銃を投げ捨て、急に逃げ出したり、地面に伏せてしまうものまで現れた。もはや戦闘どころではなく、ガスマスクをかぶり、あるいは医療用の大きなマスクをつけ、逃げ散り始めたのはアスタリア兵のほうだった。
アスタリア兵が、毒ガスが本物だと信じたのだ。天馬は各軍のリーダーを集めた最後の情報共有の際、「即席の化学兵器を用意したから、万が一後退局面になるようなら使用するかもしれない」と事前に通達していた情報が行き渡っていたのだ。しかも、わざわざ物々しくガスマスクや医療用マスクを配布したことも、化学兵器の信憑性を高めていたのだろう。
だがこのアスタリア兵の混乱が、政府軍のさらなる混乱をも巻き起こしていた。アスタリア兵が慌てふためく様子を見て、政府軍も天馬の煙幕に恐れをなし、ギリギリまで前線に居残っていた兵士たちも、慌てて離脱して敗走を始めた。
戦場はもはや銃撃にうつつを抜かしている兵士は一人もおらず、逃げ惑う両軍の兵士で混乱し、その状況がさらに毒ガスが本物であるように多くの兵士を誤認させた。とくに政府軍のほうは、狭い撤退ルートに我も我もと押し寄せたようで、味方を押しのけて押し倒しあうまでになっていた。もはや敵は撤退ルートどころではなく、森の茂みに突入して逃げようとしたり、急こう配を転げ落ちていく者まで現れ、一刻も早くここから遠ざかろうと躍起だった。
その様子を見届けた天馬は、イヴァのところに駆け戻る。
言いながらイヴァはガスマスクを外し、微笑んだ。
天馬もガスマスクを外して投げ出す。
その長老の言葉を無視し、天馬はノートPCを拾い上げ、各モニタをチェックした。
今度こそ、前線から恐慌をきたして逃走を図る多くの兵士のせいで、政府軍の統制はもはやまったく取れなくなっている様子だった。また、前線の兵士からも口伝えで、「この紫の煙は毒ガスなのかもしれない」と伝わっているだろう、いよいよ政府軍の瓦解は着実なものとなったようだった。尤も、戦線が瓦解しているのは街を守るアスタリア軍のほうも同じであって、咄嗟の天馬のペテンが、この戦いを決着させたのだ。
エリカから無線が入った。
見渡したところ、アスタリア側では15人程度は倒れているようだった。100の兵のうちの15人だとすれば、この戦線の損耗率は15%ということになる。決して低い損耗率ではないが、アスタリア軍全体として見れば、打撃を受けたのはこの100だけだろう。
一方で、政府軍には少なくとも数百の打撃は与えられたと想定できた。『SVキャノン』の掃射だけでは数十、あるいはよくて100程度の打撃を与えられるのみに留まろうが、エリカの強襲部隊のほうはその数倍の損害を敵に強いてくれるに違いない。
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