3-7 青の女王亭にて

文字数 4,351文字

 店内へアルバールとシャインが入ってきた時、水兵達はちらりとふたりを見ただけで、再び何事もなかったかのように話し続けた。

 一方士官達はお互いの連れ合いと顔を見合わせながらひそひそ声で話をし、ちらちらとまたアルバール達の方を見るのだった。

 無理もない。アルバールは人事部を仕切っている人間だし、シャインは私服ならまだしもケープのついた階級のわかる航海服姿だ。いやでも目立ってしまう。

「我々も飲みに来たんだ。構わずやってくれ」

 アルバールは人なつっこい笑みを浮かべながら、陽気に士官達へ声をかけると、奥のテーブルを陣取った。彼らが席につくと、あたりは酒場独特の喧噪(けんそう)に再び包まれた。

「お疲れの所、ご無理言ってすみませんな。今日は私がおごらせて頂きますので」
「いえ。用件が済めば帰りますので、お構いなく」

 シャインは嫌な予感を覚えながら、顔に出さないよう淡々と言った。
 鼻の頭にそばかすのあるぽっちゃりした給仕の娘が、にこやかに微笑みつつ注文を聞きに来た。めいめい食事と酒を頼んだ所で、シャインは用件を聞こうときりだした。

「……で、どういう方がいるんです?」
「あ、ああ……ロワールハイネス号の航海長の件でしたね」

 ドン!
 先程の給仕娘が、アルバールの前に泡で溢れた麦酒のジョッキを置いた。
 シャインには赤紫色の美しい果実酒、シシリー酒のグラスをそっと。

「ご用がありましたら、遠慮なく声かけて下さいねー。グラヴェール艦長」

 給仕娘はアルバールには目もくれず、シャインにことさら笑みをふりまきながら立ち去った。カウンターの側で待機している他の給仕娘達もじっとこちらへ熱い視線を送っている。

「うらやましいですな」

 さみしそうにアルバールは酒の泡をすすった。
 おそらくジョッキの半分以上がそうだろう。

「……どういう意味です」

 シャインは内心いらいらしてきた自分を落ち着かせる為に、果実酒のグラスを取り上げ一口飲んだ。
 軍のパーティとか会食の席以外でアルコールは滅多に飲まないので、飲める酒はこのシシリー酒ぐらいしかないのだ。

「いやはや、そんな怖い顔しないで下さらんか。それだけあなたは、魅力的な条件を、いくつも備えているってことなんですから」

 シャインはアルバールの言う事にひっかかるのを感じた。

「俺の話は置いておきまして……本当に条件に合う航海長はいるんですね。総務部の方から連絡がいっているはずですが、うちのシルフィード航海長は海賊を捕らえる際に腕を折り、現在二ヶ月の休職中です」

「ええ、知ってますよ。航海長は操船の要。艦長が針路を決めたら、その通りに船を動かさねばならない。それ故経験の多さを問われます。彼に乗員全員の命を預けているといっても過言ではない」

「その通りです」

 アルバールは陸上勤務者であるが、その辺りのことはちゃんと理解している。

「航海士として五年以上の乗船経験者。酒はたしなむ程度で、多少の性格難には目をつぶるが、周囲とぶつからないタイプ……でしたな」

 シャインはうなずいた。

「できれば」

 そう、船は出港して海に出てしまえば、どこにも逃げ場がないのだ。
 まして軍艦の中では、問題を起こしても、個人のプライバシーを守れる所はまったくない。
 アルバールは外套の大きなポケットの中から茶封筒を取り出した。
 そして目をさらに細めつつ言った。

「この中に何人か航海長候補として絞った者達の経歴書類を入れています。お好きな人物がいましたら教えて下さい」
「ありがとう」

 シャインは手を伸ばして封筒を受け取ろうとした。
 が、それはすすっと、アルバールの方へ引き寄せられた。

「……どういうことです?」

 むっとしたシャインは不快さを思わず露にして、目の前の小太り軍人の赤ら顔を見つめた。

「グラヴェール艦長。御存知だとは思いますが、いくら艦長といえど、自由に自分の船に乗せる人間を決める事はできません」

「……なら、あなたが選んだ人間を教えてくれればいいじゃないですか」

 アルバールは大きく首を振って、そっと声をひそませた。

「それで満足します? 確実に条件を満たさない人間がやって来ますよ?」

 シャインは疲れたように椅子の背にもたれると、グラスをかたむけながら、ため息をついた。

 ――結局行き着く先はこうなのだ。
 いつだって、何かを求めれば見返りが必要なのだ。

 艦長が自分の船に乗せる人間を選べないなんて、そんな馬鹿な話、誰が信じるだろうか。だがそう言い張った所でアルバールは首を縦に振らないだろう。

「……乗せたい人間を選べる権利に支払うものは一体なんです?」

 アルバールは、思っていたシャインの反応にさぞかしうれしかったのだろう。
 総毛立つくらいの武者震いをして、口元がぴくぴくと引きつっている。

「さすが……わかっていらっしゃるから、話が早い」
「……」

 シャインは黙っていた。
 体を暖めてくれた酒の酔いも、どこかへいってしまった。


「いえ、なに、そんな難しい事じゃないんです。ちょっと……お父上グラヴェール参謀司令に、個人的に会わせて欲しいと言う方がいるので、あなたから是非にお話を……」
「お断りします」

 シャインは冷たく言い放った。
 ひたと正面からアルバールを見据えて。

「そんな、即答しなくても」

 シャインのにらみにたじろぎながら、アルバールはもみ手をして愛想笑いを浮かべる。

「中将とはめったに会いませんし、俺の話に耳を傾ける方ではありません」
「ですが、親子でいらっしゃるではありませんか」

 なおもしつこくアルバールは食い下がった。
 テーブルから身を乗り出し、その細い目をできるだけ見開いて顔を近付けてくる。

「親子? だから何なのです。俺と中将がそういう間柄であっても人間としては全く別です。あの人に話があるのなら、ご自分で行かれたらよろしいでしょう」

 シャインは席を立った。
 が、むずとアルバールがその手をつかんだ。

「それができないから頼んでいるんだ! 私は中将ににらまれているんでね」

 にこやかで陽気な雰囲気が人事主任アルバールの顔から消えた。

「さる方がどうしても中将のお墨付きを欲しがっていてな、密かに会う事を望んでおられる。私もそれがないと任命状を出せないんだ」

 シャインはアルバールと同じ空気を吸う事すら嫌になっていた。
 この男は陽気にふるまいつつ、裏で人の弱味につけこんで、その見返りに小金を手にしているのだろう。だからまかり通らない人事が通ったりする。

 皮肉にもシャインの昇進もきっと、裏でその事を知っているアドビスが、アルバールに圧力をかけて認めさせたに違いない。腕をつかむアルバールの手は異様に熱っぽく、力を込めて締め付けてくる。

「放して下さい。あなたの期待には添えません」
「何もかもお膳立てしてくれと言ってるんじゃない! あんたが中将を連れ出してくれれば、その後はこっちで何とかする」

 シャインは渾身の力をこめて腕を抜こうとした。
 が、アルバールの両手が吸い付いたようにそれを放さない。
 彼の体重もかかってびくともしないのだ。

「放さないと、この事を中将にしゃべりますよ」

 声を荒げることなく、寧ろ押し殺した声色でシャインはつぶやいた。
 直視されるのが心底恐ろしいと思う程、感情のこもらない冷たい目でにらみながら。

「だ、だ、だ、だからなんだ……若造めっ! ……くそっ!!」

 アルバールは額にてかてかと冷や汗を浮かべて、渋々シャインの腕を放した。
 この動揺具合は尋常ではない。
 シャインには大方アルバールが考えていることに見当がついていた。

 海軍省は決して一枚板ではない。
 高官達は自分の立場を誰よりも有利にしようと様々な根回しをしている。

 例えばアドビスだってそうだ。アドビスはアルバールのやっていることを知っている。
 けれど何らかの事情でそれが明るみになれば、ドジを踏んだアルバールに利用価値無しと判断し、彼を免職にするだろう。

 まあ、アルバールへアドビスの口利きを依頼した人間も、このことは誰にも知られたくないはずだ。シャインの想像通り、アルバールはテーブルに両手をついて悔し気に身を震わせていた。

 彼に向かいシャインは口を開いた。
 脅すつもりはないが、もう二度と関わりたくない。

「俺はあなたに会わなかった。何も聞かなかった。そういう事にしておきましょう」
「信じられるものか!」

 細い目を目一杯見開きながらアルバールはつぶやいた。
 怒りで真っ赤な顔は、湯気が吹き出そうだ。

「航海長の事は忘れて下さい。二ヶ月いなくても俺が代わりを務めますから」

 シャインは懐から金の入った財布を取り出すと、中からエルシーア銀貨を一枚テーブルの上に置いた。自分とアルバールの酒代である。

「それでは、失礼します」
 シャインは優雅に身を屈めて一礼すると微笑んでいた。


 ◇◇◇


 アルバールの頭は一瞬真っ白になっていた。
 さまざまなことが脳内で嵐のように吹き荒れる中、目の前の若き新任艦長はアルバールに微笑んでいた。 

 金色に縁取られたまつ毛の下から、うっとりするほど鮮やかな碧眼がのぞいて、ほんのり上気した唇は女性のように紅を差したみたいだった。

 はらりと額からこぼれ落ちる前髪が、壁際のランプの光に照り返り、光り輝く樣も相まって、息を飲むほど魅惑的な――微笑だった。

 色香すら漂うシャインの笑みに、アルバールは一瞬釘付けになっていた。
 しかしそれが嘲笑だった事に気がついたのは、シャインがとっくに店を出ていった後だった。


「くそーーっ! ただで済むとおもうなよ! 若造がぁっ―――!!」

 拳を振り上げて絶叫するアルバールに店内は一時騒然となった。
 が、次の瞬間、給仕娘達のけたたましい笑い声に包まれた。

「あらー人事主任さんったら、あの綺麗なグラヴェール艦長に振られちゃったんですか?」
「当然といったら、当然よね~」

 給仕係の娘達は、入れ替わり立ち替わり、酒の入ったジョッキをアルバールの前に持ってきて、御機嫌とりをはじめた。

「ええい! うるさいーー!」
「きゃあっ!」

 アルバールは給仕娘達の間をぬって急いで店を飛び出した。
 いつもなら店で暴れられないよう、あの手この手で客をなだめる彼女達ですら、今回はアルバールを止める事ができなかったようだ。

「後悔させてやるぞ! わしを甘く見た事をな」

 怒りのあまりぜいぜい息を言わせるアルバールの側へ、ささっと一人の黒服の男が近付いた。

「……どっちへ行ったか見たか?」

 男は黙ったままうなずいた。

「よし、行け」

 アルバールの言葉と共に、男は酒場の裏道へその姿を消した。

「……思い知らせてくれる。小生意気な青二才め……」

 凄絶な笑みを浮かべてアルバールは、男の姿が消えた暗がりを見つめた。

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