3-24 裏切りの砲火

文字数 4,423文字

 ルウムは封筒の封印が破られていない事を確認し、ポケットから取り出した短剣でそれを開封した。

 入っていた命令書に目を通したルウムの顔には、ありありと落胆の色が現れている。予想がついたシャインとジャーヴィスは、お互いの顔をちらりと見合わせた。

「本部はノーブルブルーの帰還を命じてきました……提督」

 白い掛け布団の上に置かれたラフェールの、肉が落ちた手がぎゅっとそれを握りしめる。

「――やむを得まい」

 目を閉じ、うなだれたラフェールの声はとてもしわがれていた。ルウムはそれを聞きながら、命令書を封筒に戻した。

「残念です。が、我々はアストリッド号を失いました。同時に多くの水兵達も。やはり、敵の情報をもう少し詳しくつかまないことには、こちらが、甚大な被害を受けるだけです……」

 さりげなく握られたルウムの拳が、微妙に震えているのをシャインは見た。
 旗艦アストリット号を失った、その時の怒りがきっと宿っているのだろう。


 ◇◇◇


 二日前にファスガード号に救助されたシャインは、ノーブルブルーの旗艦だった1等軍艦アストリッド号に何が起ったのか偶然知った。

 二昼夜波間を漂ったせいで、さすがに身を起こすだけの体力も尽きていた。
 怪我人や病人を収容している第二甲板の船室で、その時寝かされていたハンモックの隣にいたのは、アストリッド号に乗っていたという若い金髪の士官だった。

 見た目シャインとほとんど同い年の彼は、左腕を肩の下から失っていた。船体が被弾した際、飛び散った木片を体全体に受けてしまったのだと言う。

 自らの死期を悟っていた彼は、苦しい息の下、シャインに誰にも口外しないことを約束させて囁いた。

『船は乗っ取られたんだ―――海賊が、アストリッド号の水兵に、なりすましていたんだ』

 これが本当なら、本部は内通者をやっきになって探すだろう。
 動けるようになったシャインは、さらなる情報はないか、ファスガード号の士官達にさり気なく尋ねてみたが、彼等は皆墓石のように沈黙を守る。

 恐らくアストリッド号を見捨てた責任の追求を危惧している、あるいは口止めされているかのどちらかだ。
 かといって艦長のルウムや、将官のラフェールに直接尋ねてみる事もできなかった。自分は後方業務(使い走り)の艦長で、そこまで口出しできる立場ではない。

 
 ◇◇◇


「グラヴェール艦長」

 ラフェールのかすれ声にシャインは我に返り、視線を奥の寝台へと移した。

「はい、閣下」
「我々は今宵のうちにエルシーアへ帰路をとる。君も、そうした方がよかろう」

 シャインはいつもの人当たりの良い微笑をたたえた。

「喜んでそういたします。我々が艦隊の目になりましょう」
「うむ……それは、実に、頼もしいかぎりだ……なあ、ルウム」

 ラフェールにそう振られたルウムは、角張った顔に笑みを浮かべながら頷いた。
 その眼光は相変わらず鋭いが親愛に満ちていた。

 ルウムと言葉を交わした時間はあまり多くないが、昨晩はシャインを艦長室の夕食に招いてくれた。

 昔、アドビスの元で一緒に海賊船を捕らえたり、彼自身にもシャインと同じくらいの年の子供がいて、今年は海尉への任官試験を受けるという個人的な事も話してくれた。

 シャインはルウムに好感を持った。
 彼が何を想い、家族の元を長年離れ、海賊拿捕専門艦隊――ノーブルブルーの船に乗っているのか気になったが、流石にその胸の内まで踏み込むことはできなかった。

 ルウムはシャインへ視線を向けると再び頷いた。

「ロワールハイネス号は小さいが俊足で良い船です。ここまで二十五日ぐらいでたどり着いたのですから、たいしたものです」

「しかし急ぐあまり、危険な海域を通ってきたのは感心せんが……な」

 暗に海へ落ちた事をにおわされて、シャインは額へ手を当てた。
 無謀と思われて当然の行為だろう。

「以後は、気を付けます」

 シャインの返事に、ラフェールは小さくうなずいた。

 ビリビリビリッ!

 サロンの両舷の四角い窓ガラスが、割れんばかりに激しく振動した。
 足元の床にも、ずーんと重い衝撃が走る。

「何だ!?」

 ラフェールが鋭くつぶやくと、ファスガード号全体が次の瞬間、グラッと左舷側へ傾いた。カッと目を見開いたルウムは船壁に手を張り付かせ、激しく震える窓ガラスの外をちらりとのぞくと絶叫した。

「伏せろーー! 早く!!」

 ルウムの声と重なって窓枠ごとガラスが砕け散る音を聞いた時、シャインはものすごい力で床に倒されていた。
 鼻をぶつけて痛いと思うより、恐れを感じて目を閉じた。
 ガラスや木片が弾丸のようにうなり声を上げて飛び、壁や床に突き立つ鋭い音がそこら中に聞こえてくるのだ。

 どれくらい身を縮めていただろう。
 シャインは部屋中に舞い上がるホコリに息を詰まらせて、咳き込みながら身を起こそうとした。

 が、誰かが上にかぶさっているため、その重みで身動きができない。
 状況を確認するため、シャインは目を開けた。
 辺りは白い煙とホコリが立ちこめ、視界は薄暗い。部屋を照らしていたランプの灯も消えている。

「うっ……」

 かすかな呻き声がした。ジャーヴィスだ。
 背中から聞こえる。

 ジャーヴィスが咄嗟に自分を庇った事に気が付いたシャインは、動かせる左手を使って、できるだけゆっくりとその体の下から這い出した。

 左頬に風を感じる。シャインは顔を上げて反射的にそちらを見た。
 先程まで右舷の窓があったところに、大穴が開いて黒々とした海面が見える。

 砲撃を受けたのだ。
 ただそれは考えられない方向からだが。
 
「ジャーヴィス副長! 大丈夫か?」

 その事実に戸惑いながらも、シャインは床にうつ伏せたジャーヴィスの名を呼んだ。そっと肩をつかんで、軽く揺さぶる。

「ジャーヴィス、お願いだから返事をしてくれ!」

 穴から時折差し込む弱い月光が、ホコリを被って白っぽくなったジャーヴィスの髪を照らす。形の良いその額から、ひとすじの赤い血が流れ落ちていた。

「ジャーヴィス!」

 叫ぶように呼び掛けたその時、閉ざされていたジャーヴィスの切れ長の目がパッと開いた。

「……丈夫です……きこえて、いますよ」
「……ジャーヴィス」

 シャインは心の底から安堵したものの、ジャーヴィスの表情が一瞬曇るのを見てしまった。平静を保とうとしたが、彼が自分を庇って負傷した事に罪悪感を覚え、シャインは力なく頭を垂れた。

「お怪我は、ありませんか?」

 落ち着いた、ジャ-ヴィスの声。
 けれどそれは余りにも弱々しくて、かすれていた。

「俺は大丈夫だ。君のおかげで」

 シャインはそう返事をしたものの、暗闇に目が慣れてくるにつれて、はっきりしてきた周囲の状況に動揺を隠しきれずにいた。

 ジャーヴィスの背中には、見た所十数個のガラス片が突き立っていて、紺色の航海服にあちこち血の黒い染みが広がっている。

「艦長?」
「黙ってそのまま動かないでくれ。少し痛いが、我慢してくれ……」

 声が震えるとジャーヴィスに不安を与えてしまう。
 叱咤するようにシャインは言うと、ジャーヴィスの苦痛を察しながら、突き立った鋭いガラス片を、ひとつひとつ手で取り払った。

 目に見える大きなものはすべて取ったが、周囲は暗いし、小さいものは手で取り除くことなどできない。

 やむを得ずシャインは、自分の航海服のケープを取り外して、ジャーヴィスの背中を覆い包帯代わりに巻きつけた。
 けれど早く医者に適切な処置をしてもらわねばならないのは明らかだった。

「ゴホッ……そこに、いるのは……誰、だ?」

 シャインは突如聞こえたラフェールのか細い声に、窓があった隅を見た。

「……グラヴェールです、ラフェール提督」

 ジャーヴィスの事で頭が一杯で、他の事などすっかり忘れていた。

 シャインは返事をした後、止血を施したジャ-ヴィスの体をそっと横向きに寝かせた。そしてゆっくりと立ち上がり、ラフェールの寝台の方へ行こうとした。
 ブーツが床に飛び散ったガラス片を踏むたび、ジャリっと音を立てる。

「提督……ああ……」

 シャインは思わず口元を右手で押さえ、出てきた嗚咽を飲み込んだ。
 サロンの窓際にいたルウムが、やはりラフェールを庇ってすでに絶命していた。

 彼の命を奪った子供の腕ぐらいある木片が、うつぶせたその左脇腹へ深々と突き刺さり、どす黒い血が辺り一面床をも染めている。

「こちらへ……早く!」

 ラフェールはもはや囁き声になっていた。
 おそらく彼も長くはない。

 シャインは重いルウムの体をラフェールからずらし、彼が少しでも呼吸しやすいようにしてやった。
 と、いきなり襟首をつかまれて、シャインはラフェールの寝台へ膝を付いた。

「急げ……エルガード号からの、砲撃だ。奴等の手に船が落ちた」
「奴等って、アストリッド号を襲った連中ですか?」

 シャインの問いにラフェールは、大きく息を吸い込みながら、うなずいた。
 死の床にあるとは思えないほど、強い力でシャインの航海服の襟をつかんだまま。

「そう、だ。アストリッドの時と、同じだ。だから、エルガードを……沈めてくれ! 頼む」
「しかし!」

 戸惑うシャインに、ラフェールは血走った目で睨みつけた。

「エルガードの人間は、誰も、信用できぬ。それが今、実証された……」
「ですが、ファスガード号の砲門を開けば、浸水が早まります! ファスガードも沈む事に!」

 半ば叫ぶように反論しながら、シャインはラフェールの青白い顔に、微笑がのぼるのを見た。

「ああ……ファスガード号も沈む。いや、沈めなければ、ならぬ。これほどの火力の船を、ムザムザ海賊などに……くれてやるものか……わかるだろう?」

 ぜいぜいとラフェールは苦し気にあえいだ。

「提督……」
「行け。手後れにならぬうちに」

 ラフェールは握りしめていたシャインの服の襟から手を放し、もぞもぞと布団の中を探った。そして細長いものをシャインへ押し付けるようにして渡した。
 ずっしりとした重みのあるそれは、金の豪勢な(こしら)えを施した、細身の佩剣だった。

「若いそなたに頼むのは、心苦しいが……他におらぬ。だが、そなたは、戦友アドビスの息子だ。きっと、やり遂げてくれるであろ、う」

 まだ何か言いたげにラフェールは口を開きかけたが、それが最後の息になった。
 急速に光が失われた双眸を、シャインは震える手で静かに閉ざした。
 いろんなことが頭の中をかけめぐり、どうすればいいのか、一瞬呆然となる。

 どうしてこんなことに。
 鈍く光るラフェールの剣を見つめたシャインは、改めて指揮の委任を受けた事を思い出し、それをベルトの留め金に取り付けた。

 急がなければならない。
 シャインは寝かせてあるジャーヴィスの所に戻った。

「ジャーヴィス、外へ出なければならない。立てるか?」

 そっとジャーヴィスの腕を取る。
 だが、目を閉じたジャーヴィスは小さな声で、けれど鋭くささやいた。

「私を置いて、行って下さい――早く!!」
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